2011,江端さんの忘備録

我が家には、

「携帯電話を紛失した場合、その紛失に気がついた時点で報告すれば、その過失を絶対に叱責しない」

というルールがあります。

私が制定したルールです。

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これは、「携帯電話を紛失した」ことで、子ども達が「叱られる」ことを恐れ、親に報告せずに、自力で見つけ出そうとすることによって、対応が遅れることを防止する為です。

携帯電話は、自分のみならず他の人のプライバシー情報を、たんまりと含んでいる情報端末です。

無断使用による課金くらいですめば足りますが、他の人の情報が悪用された場合、その被害は図り知れないものになります。

紛失した場合には、その携帯電話を無効にして、また遠隔処理で携帯電話をロックしてしまうこともできます。

が、子どもは、そこまで思いが至らない。

当然、親に叱られることを回避する為、「見つかる方に賭ける」ことになるのです。

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思い出しましょう。

○2000年夏、雪印は食中毒発生後、組織的隠蔽を行い、被害を拡大させるという事件を起こしました。

事件発生後、雪印が公表してきた一連の事実が不正確であり、組織的に嘘の報告と情報を流し続け、結果的に、食中毒の被害者が

1万人を越える

という、過去最大級の食中毒事件となりました。

○三菱自動車は、リコール隠しが明かになり、1998年4月以降だけでも

6万5000件

の情報を隠蔽し、運輸省に届けずに、内密に車を修理し続け、人身事故を含む重大事故を幾つも起しました。

○動燃は、1997年3月11日(震災より14年も前の話)、茨城県東海村にある動燃再処理工場で爆発事を発生させました。

敷地の外にまでプルトニウムなど長寿命の放射能を含めて放出された可能性が高く、その種類、量を正確に把握できないという深刻な事態になっていました。

しかし、それを隠し続け、見つかる度に謝罪するものの、また次の事故の隠蔽を続けました。

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このような優良企業が、かかる不合理を行った理由は、簡単に言えば

「見つからない方に賭け」て
「何もなかったかのように現状を維持する」ことで、

リスクコストをゼロとする可能性で、大勝負をしてしまったからです。

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我が家では、「勝負して良いこと」と「良くないこと」を分けて考えるようにしています。

子ども達には、

○「物を無くした場合、見つかる方に賭けても良い。その場合、見つかれば、お前たちの勝ちだし、見つからなければ滅茶苦茶に叱られるだろう。好きな方を選んで良い」

○「ただし、携帯電話は除く」

と言い聞かせています。

2011,江端さんの忘備録

家族が実家に帰省しているので、当分の間、私が掃除・炊事・洗濯を担当することになります。

料理を作ることは、得意ではありませんが、苦でもありません。

料理を、一種の「システム構築と検証」と考えれば、それなりに楽しい。

最近、「コーラだけを使ったカレー」の実験で酷い目に会いましたが、通常の料理では、このような無謀は挑戦はしませんので、大きな失敗もありません。

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先日、本屋で「男子食堂」という雑誌を購入しました。

この雑誌のコンセプトなのか、今月号の特集なのかは忘れましたが、内容は、

「電子レンジだけで作る料理」

です。

『ほぉ、そりゃ楽で良いな』と思い購入しましたが、雑誌の中身を見てビックリしました。

肉じゃが、鶏のから揚げ、煮豚、麻婆豆腐、サバの味噌煮、ハンバーグ、カレーライス、スペアリブ、天麩羅から、プリン、ケーキに至るまで、ざっと数十メニュー全部が、全て、

「電子レンジだけで作れる」

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これだ。これで良い。

■独身者だけでなく、小学生から高齢者に至るまで、「火気」を一切使わず、最悪のケースでも、食材がレンジの中で破裂する程度の、絶対安全料理方法。

■調理器具と食器が完全一体化し、必要な人数分だけを正確に調理し、加熱調理用の油が一切不要の健康低カロリー料理

■必要な処理は、食材を切り、耐熱ボール(あるいはドンブリ)に放り込み、レンジのスイッチを回す程度。

「体に悪い」と非難を浴びつつ、それでも便利な食材として使われてきた、カップラーメンの時代は、今、終焉を迎えた。

もはや、ガスレンジは勿論、プライパンでさえ、過去の遺物とされるる時代が到来したのである。

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非結婚社会、高齢化社会、夫婦共稼ぎ社会、少子化社会、これらの問題に対応する現実的な解として、私はここに、

「電子レンジ調理過程」プログラムの必修化を提言します。

2011,江端さんの忘備録

今や「日本」から来たもの、というだけで、日本産の食料だけでなく、日本製の機械までもが、放射能汚染されていると世界中で認識されているようです。

世界の大きさから見ると、日本の国土の広さは「点」として認識される程度でしょう。

その「点」の中で発生した原発事故に対して、世界が「日本」から出てくるものを、十把一絡げに「汚染物質」と見なすことは、ある意味無理はないと思えます。

日本の位置を知っている人は、相当の教養人。

日本の首都は、「北京」と思っている米国人はいる。

「福島」なんて場所、絶対に知らないと思う。

我々にしても、中国の毒入り餃子事件等や、その他の汚染食料問題に関してですら、我々は、あの広大な中国大陸を「点」として見て、中国産の食べ物を忌避していましたよね。

結局は、どの国の人間も同じことをしているだけです。

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小田嶋隆は、風評被害を実に上手く表現しています。

それは、「ショートケーキのクリームの上に、一瞬ハエが乗ったケーキ」の様なものであると。

ハエが乗った直後のケーキは、概ね無害ですし、ハエが乗ったことに気がつかなければ、多分、皆、そのケーキを食べていると思います。

しかし、我々は敢えてそのケーキを食べない。

なぜなら、別のケーキを食べれば済むからです。

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理性や論理は「安全」であると知っていても、そこに「不信感」があれば、それは、ケチのついた安全(これを「安全'」と記載する)となります。

そして、我々は、その「安全'」を敢えて選ぶ冒険をしない。

なぜなら、生産者や製造者を除いて、我々には別段、不都合はないからです。

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電力会社や政府は、

○SPEEDIのシミュレーション結果を隠し、

○レベル7を隠し、

○メルトダウンを隠した

『まだ何か隠しているだろう』と考えるのは、人情だろうと思います。

我々は、政府のいう「安全'」、

つまり

「ハエが乗ったかもしれないケーキ」

を食べるには、騙され過ぎたのです。

2011,江端さんの忘備録

命からがら逃げてきて、今日の命を生きているのがやっとの人たちに、

電気があって、御飯が食べられて、ゆっくり寝られる人達が、

よくもまあ、あれほど簡単に、

「がんばれ」

を連発できるものだと思っています。

「かならず復興する。日本人は強い。信じている」

復興する為に、被災地の人は、がんばらなければならないのか?

アンタが信じていたら、それが一体何の役に立つというのか?

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違うだろう。

「がんばる」のは被災地の人ではない。

幸いにして被災地にいなかった人だ。

『いままで本当に大変でしたね。当面、私達にやらせて下さい。今は頑張らなくていいんですよ』

『もう帰ってこない人もいて辛いと思うけど、でも、できるだけ早く、また同じように生活できるように、私達ができることはするから。途中で逃げたりしないから』

と、なぜ言ってあげられない。

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13年前、私が被災地に入って、ほんの少し(3日間)だけボランティアで働かせて貰った時のことです。

被災地のレポートを開示したのですが、その時に貰ったリプライへの「すさまじい違和感」を今でも覚えています。

例えば、――『被災地のハザードマップを組み込んだGPSを開発して、被災地に送ってはどうか』

あるいは、―― 『通信インフラを確保する、自律型の通信中継器を開発して、提供してはどうか』

この意見は、誠に建設的かつ実用的、加えて有用な提言ではありますし、私も、被災地に出かけていかなかったら、間違いなく同じことを言っていたと思うのです。

でも違うんです。

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『違うんだ!今、本当に必要なのは、「水」「食い物」そして「屋根」だ!』

と、叫びそうになって ―― でも、黙っていましたけど。

そんなことを言ったら、誰もが萎縮してしまって、何も言わなくなってしまうと思ってしまったからです。

それは良くないことだと思いました。

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そして、残念ながら、今私が毎日書いている日記が、上記と同じような、的外れなことを言っているのだろうことを――

そして、また、命を守る為の日々を生き、また、命を賭けて闘っている最前線の多くの人を、無造作に傷つけているのだろうことを――

どこに向かって申し上げれば良いのか分からないまま、今、天を仰いで、お詫びしたい、と思っています。

2011,江端さんの忘備録

ルドルフ:

―― 目下の所、君達が作ることを許そうと思っている発電所はどういう種類のものなんだい?

彼らはいつでもどんな発電所にでも反対してきたじゃないか

火力も地熱も、最も綺麗なエネルギーといわれる水力も環境破壊を理由に反対する

だが太陽熱発電には広大な土地が必要だし風力だって景観上の問題はどうしようもないだろう

海洋エネルギーは環境を支配している媒介変数の絡みも把握できていないし必要なデータも簡単には手に入れ難い

もしそれらが経済的に見合うようになってもだよ・・・何の問題もない方法などありはしないんだ

だから、・・・もし君が、それを覚悟の上でAなら我慢するがBは認めないと言うならばそれもいいだろう。だが、何も譲りたくないが分け前だけは欲しいと言うならオレは何も話したくない ――

(三原順著 「夕暮れの旅」)

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よろしい。

彼(ルドルフ)の言っていることは、筋が通っている。私も決めることにしよう。

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といっても、我々が取り得る案は、大きく以下の2つしかないと思います。

第1案:「A(電力が足りないこと)なら我慢するが、B(原発の存続)は認めない」

「我慢」とは、

◯毎年の季節毎の計画停電を認める

◯日本国の経済成長の停滞または下落を認容する

◯従来通り娯楽が享受できないことも諦める

◯経済大国の地位を放棄し国力の低下を容認し、他国から屈辱的な取扱(戦争や侵略等も含めて)を諦める

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第2案:「A(放射能汚染の可能性)なら我慢するが、B(電力が足りないこと)は認めない」

「我慢」とは、

◯危険水準ギリギリまでの放射能汚染下での生活を覚悟する

◯危険な放射能汚染区域からの突然の退去を容認する

◯放射能の危険(衣食住全般)を折り込み済みで今後の人生を生き、更に子供達や子孫にもそれを強いる

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「どっちもいや」は、もう許されません。

あなたは、どちらを選びますか。

私は、決めました。

2011,江端さんの忘備録

1.背景

(1)先日(3月23日)、福島原発の事故の影響で、東京都の浄水場の水道水から、乳児の摂取制限の規制値を超える放射性ヨウ素が検出さた。

(2)当該検出された放射性物質は、乳幼児以外には深刻な影響を与えるものではないにも関わらず、東京ではミネラルウォータの買占めが発生した。

(3)かかるミネラルウォータは、乳幼児の授乳用のミルクに不可欠であるので、かかる買占めを行うべきではないが、将来、成人をも対象とし得る水質汚染が発生する可能性は否定できない。

2.研究の目的

(1)本研究の目的は、2011年03月26日に報告した研究報告『「お茶」で「うどん」を作る』の続報である。

(2)今回は、甘味系清涼飲料水の中でも、最もクセがあり強烈な甘味と刺激を有する「コーラ」を用いて、我が国の代表的料理である「カレー」を製作し、その食用性の成否について検討したものである。

3.結論

「コーラ」で製作された「カレー」は、食用に耐えない。

4.実験経緯

(1)カレー製作のプロセスにおいて「水」の代りに、同量の「コーラ」を使用すること以外に、特記する事項は特になし。

(2)カレールーを入れる前の段階までは、甘味の鶏肉の野菜煮込み風味であり、新しい料理への可能性が示唆されたと考える。

(3)但しこの味付は、報告者の人生において体験したことのない最初の味覚であり、これまでのいかなる料理とも比類し得ない、新規なる珍味であった。

(4)カレールーを入れて、さらに砕いた唐辛子を入れて、コーラの甘味に対抗しようとした。味見を続けている内に、米国のコロラドで食した酢豚を覚醒させるに至った。

なお米国においては、豚をジャムに合わせる調理が一般的であり、また一般的ではないが、御飯にイチゴジャムを乗せて食すという若者もいる(見た)。

(5)コーラで食材を煮たてると、水分が相当早く失われるようであり、止むなく、追加してコーラを追加させたが、この段階から、本格的な味の崩壊が始まったと推認される。

(6)完成したカレーは約4人分。小皿に取って何とか一皿を試食したが、とてもライスと合わせて食せるものではなかった。その理由について以下に考察する。

(a)まず、視覚はこの料理を「カレー」と認識するが、味覚は「カレーではない」と拒否する。

(b)脳は、過去のデータベースに基づいて、この料理に最も近い料理を検索するものの、事例を発見できず情報処理機能が破綻する。

(c)脳は、観念から「けっしてマズくはないが、このコーラが煮つかったカレーような物体は何だ?」と問い、各種の消化器に対して、食材を拒否する指令を出す。

(d)これは一種の「嘔吐感」と呼ばれるものと類似の生体反応であったことを、研究者としての報告者は否定してはならないであろう。

5.考察

(1)甘味系飲料(特にコーラの様に甘味が強烈なものは)、例え辛味系食材であったとしても対抗できない。少なくともコーラは、全ての食材の味を破壊すると考えて差し支えないであろう。

(2)しかし、(これは負け惜しみではなく)「お茶」であれば、カレーは問題なく成功したと考える。要するに、料理の最大の障害は「甘味」であると推認される。

(3)我々は非常用飲料水として、(「水」が望ましいことは言うまでもないが)可能な限り、甘味系飲料水を避けるべきである。甘味系でなければ、震災時、被災時にも、応用性の高い使用(料理への転用)などが可能である。

(4)上記について、特に国、地方自治体、NPOの各種団体に対して、強く勧告するものである。

以上

2011,江端さんの忘備録

11年前に私が調べた時は、47基だったのですが、増えていたんですね。

当時も今も、リンクの様な資料が見つけられずに困ったことを思い出しました。

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原発を放棄するか、それとも共存するかは、我々に課せられた重い課題です。
もし「共存」を選択するのであれば、私としてはいくつかの条件があります。

(1)「安全神話」の完全放棄
全てのシステムは、全て故障と制御不能を前提として作られています。
原子力発電システムにおいても、例外として取り扱わないこと。

(2)地震災害と同程度の避難訓練の実施
現行の災害の日(9月1日)とは別に、原発の日(3月11日)を設けて、原発事故を想定した避難訓練を実施すること。

(3)4年に1度程度の、県外脱出を想定とした模擬避難
数万人のエグゾダス(大脱出)と、その受け入れ体制を、少なくとも1週間程度の規模で実施すること。

(4)原子力教育の教育義務化
◯過去の原子力事故の体系的な歴史教育
◯シーベルト、ベクレム、半減期、人体に対する被曝の影響とその回避方法などの基本的知識の取得
◯ガイガーカウンター等の使用方法等の、技術的または心理的な教育を徹底すること。

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『悪魔』と共に生きていくという選択なら、『悪魔』と決別できるまでの日々を ――― それが何十年か何百年かは不明ですが ――― 生き抜く技術が必要です。
http://www.kobore.net/20110323org00m040022000p_size8.jpg

2011,江端さんの忘備録

先日(3月23日)、福島原発の事故の影響で、東京都の浄水場の水道水から、乳児の摂取制限の規制値を超える放射性ヨウ素が検出されました。

このニュースの第一報は嫁さんの実家からの電話で知りました。

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警告があったのは1歳未満の乳幼児であり、それ以外の子供や大人は、警告対象外だったのですが、嫁さんが、その1時間後にスーパーマーケットに行ったところ、すでに、ミネラルウォータは完売。

お茶のペットボトルがかろうじて手に入る程度だったそうです。

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基本的に利己主義で凝り固まった私ですら、『これは、よろしくないぞ』と思った次第です。

ミルクを作る為に、水だけは、乳幼児に残しておかなければ。

乳幼児以外は、原則として害はない(という発表のよう)のだし、我々の水分摂取は、お茶でもジュースでも何とでもなる。

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しかし、これからのことを考えると、1キロあたり300ベクレル以上の水質汚染が行われることは、十分にありえます。

しかし、放射性ヨウ素は半減期8日と短いので、連続して300ベクレル以上が毎日連続して続く可能性は低いと思います。

とすれば、暫くの間は、少し前に購入した水分で過せば良いということです。

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問題は、食事です。

もっとも原材料をそのまま齧っていれば、生命を維持するのに何の問題もないのですが、ガスや電気に問題がないなら、できるだけ日常の生活を維持したいと思うのは人情です。

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水分はある。

しかしそれは「水」ではなく、「お茶」であったり「オレンジジュース」であったり、あるいは「コーラ」であったりする。

では、「水」以外のもので、食事を作ったらどうなるか?

これは興味深い研究テーマです。

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本日は、第一回の実験結果を報告します。

実験テーマ:

「お茶」で「うどん」を作る

実験プロセス:

麺つゆを、水ではなくお茶(今回は、パック麦茶)で作るだけ。なお、出汁には「追いがつおつゆ」を使ってみた。

実験結果:

味は悪くなかった。麺つゆにお茶の渋みが加わって、なかなか深い味わいとなった。念の為、普通の水を使ったうどんとも食べ比べてみたので、決して誇張したり捏造した結果報告ではない。

考察:

今回は麦茶を使用したが、緑茶であれば、更に良い味になったと思われる。

今後は、

○お茶を使ったインスタントラーメン、

○コカコーラを使ったカレーライス、

○オレンジジュースを使ったビーフシチュウ、

も追加して検証をしてみたいと思う。

が、私個人では限界があるので、本研究の共同研究者同志諸君を募りたい。そして、結果をどんどん私に報告して欲しい。

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結論:

日本の大人達。腹を括れ。

我々は汚染された土地と水の中で生きていくのだ。

それには、なにより、先ず子供達を守ることが必要だ。

「お茶」で「うどん」は作れる。

しかも、旨い。

2011,江端さんの忘備録

昨日、食堂で同僚の方から、尋ねられました。

『江端さんに、怖いものなんてあるんですか』

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勿論、あります。

2011,江端さんの忘備録

私には嫌いなものが沢山あるのですが、その中でも、

「それは君の為になる/ならない」

というセリフは、その一つです。

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「『私』の為になる/ならない」ことが、一体アンタに何の関係があるのか、と問い返したいと思うのですよ。

私が私のやったことでえる「不利益」は、私が自分で判断して全力で選びとった純然たる「不利益」であり、私の貴重な財産ですからね。

他人にとやかく言われるものではありませんし、言われることは愉快ではないのです。

つまりは、「君のやる/やらないことは、私の不利益となる」ということですよね。分ってはいるんですが。

# でも、はっきりとそう言ってくれた方が、気持ちは良いんだけどなぁ。

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私がホームページやブログに記載していることは、凄く私に不利益を与えています。

法律違反を推奨したり、恥しいできごとを暴露したり、政治家を批判してみたり、自分の過去の思想を開示することは『私に、滅茶苦茶に不利益』です。

長く社会人をやっていると、それを実感します。

好きなこと好きなように言い回る奴は、必ず社会や世間一般から、ゆっくり、かつ、じっくりと、長期に渡って、有形または無形の形で、報復され続けます。

言いたいことを言わずに我慢している人の忍耐や努力を考えれば、概ね妥当な「報復」と思いますし、また、そういう忍耐や努力を続ける人が、社会的に報われることは、正しい社会のあり方だと思うのです。

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極めて稀ではありますが、私は、娘達に対して、怒号の如く叱ることがあります。

「娘たちの為になる/ならない」ことは明快であっても、それは問題ではなく、「誰か(私を含む)を不快にさせる行為が許されないこと」と言うことです。

私が絶対に許さないことは、『自分以外の誰かに不利益を与えている』ということだけでです。

娘達の不利益は、娘達の責任で娘達が負えば良いのです。

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我々は、

○『無知』と『貧困』は恐しく仲良しで、
○『貧困』が『暴力』の隣りに住んでいる、

という冷然たる現実を、7時のNHKのニュースを見るまでもなく知っています。

『愛』を慈しむのに『金銭』は十分条件ではないですが、必要条件であることも知っています。

また、『食事』を摂取することが保証されない人生で、筋の通った思考ができないことは、たった一食の食事を抜いただけで、誰もが簡単に理解できてしまいます。

一方、『無知』-『貧困』-『暴力』の連鎖の中でも、人から尊敬され、敬愛される人は確かにいます。

しかし、そのような人は絶望的に少なく、そして、何より、多分私達の殆どが、『そういう選ばれし人』ではないのです。

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私は、娘の中学受験の願書にある「(保護者が)本校を志望した理由」の欄に、

『自衛力の為』

と書きました(本当)。

# 勿論、表現は変えていますが、嫁さんも賛成してくれました。

「『無知』-『貧困』-『暴力』の連鎖の、一番最初の『無知』を叩き潰すことで、『子供を守る』という親としての最低限の責務を果す為」という内容で、願書を記載しました。

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「勉強しなさい」という親の叱責は、

○「勉強をしないとアナタが不幸な目に会うよ」

ではなく、正直に記載すれば、

○「『勉強をしないこと』を看過したことで、アナタを不幸にしたという、ワタシの自責の念を負うのが嫌なのよ」

ということでしょう。

ですから、親は、子供が勉強してくれることを切々に望みます。

それは純然たる親のエゴでありますが、このエゴは、時々、子供にも役に立つこともありますから、親はエゴを強行するのです。

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ですから、子供であるアナタは、親の前では、

『一生懸命、勉強をしているフリをする』

という親孝行をしましょう。

勉強をさせていないという親の自責の念から、親の気持ちを楽にして上げれます。

勿論、勉強をしないことによる不利益は、自分自身に課して下さい。

不利益な人生を選ぶ自由は、アナタにあるのです。