2025,江端さんの忘備録

最近、私は本を購入しなくなりました。そして、明らかに読書力も落ちているように思います。
Recently, I have stopped buying books. And it seems clear to me that my reading ability has also declined.

理由を辿れば、本を買って必死で調べなくても、生成AI(ChatGPT)がだいたいの答えを出してくれるからです。
If I trace back the reason, it is because, even without desperately researching by buying books, generative AI (ChatGPT) provides me with most of the answers.

ただし、ChatGPTの答えは日常生活の範囲なら大きな問題になりませんが、システムエンジニアリングの設計や開発、あるいはアカデミックの発表においては「大問題」になることが多々あります。安易に使うのは危険です。
However, while ChatGPT’s answers cause little problem in daily life, they often become a “serious problem” in system engineering design and development, or in academic presentations. Using it carelessly is dangerous.

論文に関して言えば、一次文献調査なしでAIの答えをそのまま使うのは、とても怖くてできません。
As for academic papers, I find it terrifying to use AI-generated answers without conducting primary literature research.

システムエンジニアリングの現場はそれに比べれば気楽です。動けば「正解」、動かなければ「誤答」が一発で分かるからです。
In comparison, the field of system engineering feels more relaxed. If something works, it is “correct,” and if it doesn’t, it is “wrong”—and that is instantly clear.

危険はあるのですが、ざっくりした初期知識や入口を得てから本格的な調査や開発に入れるという点で、生成AIは強力な武器であることは間違いありません。
There are risks, but as a tool for gaining rough initial knowledge or an entry point before starting serious research or development, generative AI is undoubtedly a powerful weapon.

だから、改めて申し上げます。
Therefore, let me reiterate this.

―― まだ生成AIを使っていない人は、そのまま使わないままでいて下さい
―― Those who have not yet used generative AI, please remain as you are and do not use it.

生成AIでラクをするのは、私(と現時点での既得権益者)だけで十分です。
It is enough that only I (and the current vested interests) benefit from generative AI.

それはさておき。
That aside.

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先ほど、このテーマでChatGPTに色々教えてもらったのですが、実に有意義な講義でした。
Earlier, I had ChatGPT teach me various things on this theme, and it turned out to be a very meaningful lecture.

『マンガ/アニメ「チ。」において、当時のカソリックキリスト教の教義の世界において、現実には地動説論者の多くは酷い迫害を受けていなかったという話に帰着しています。この話について、現状の研究で、どのように把握されているか教えて下さい』とChatGPTに質問してみた件

正直に言えば、私「地動説」そのものはどうでもよいのです。
To be honest, I do not really care about “heliocentrism” itself.

大切なのは、新しいアイデアを案出し、それを発展させていくときに、権力(政治家や企業幹部)に潰されずに継続できるかどうかという、そのメソッドにあります。
What matters is the method—whether one can continue developing new ideas without being stifled by authority (whether from politicians or corporate executives).

「地動説論者」 vs. 「カソリック教会」には、ガリレオのように潰された例もあれば、ケプラーのように逃げ切った例もあります。
In the case of “heliocentrists” vs. the “Catholic Church,” there are examples such as Galileo, who was crushed, and Kepler, who managed to escape.

「正しさ」そのものは二の次です。問題は「それ」を持ったまま、どうやって危機を逃げ切るかです。
“Correctness” itself is secondary. The real issue is how to survive the crisis while holding on to “it.”

これは、サラリーマンの「歴史が教える、私たちの生存戦略」と言えるでしょう。
This can be called the “survival strategy that history teaches us” for office workers.

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■ブルーノのように権力そのものと個人で闘えば殺されます。
■ If you fight power itself as an individual, like Bruno, you will be killed.

■ガリレオのように正論で権力者を挑発すれば潰されます。彼は『聖書は自然科学の教科書ではない』など、余計なことは言うべきではありませんでした。
■ If you provoke those in power with straightforward arguments, like Galileo, you will be crushed. He should not have said unnecessary things like “The Bible is not a textbook of natural science.”

(もちろん、私たちは『聖書は自然科学の教科書ではない』ことを知っています ーー 米国のバイブルベルトの住人やイスラム原理主義者のことは知らんが)
(Of course, we know that “The Bible is not a textbook of natural science,” though I cannot speak for people in the Bible Belt of the United States.)

■コペルニクスのように、教会からの警告を適当に受け流すのは有効な戦略です。
■ Like Copernicus, casually brushing off warnings from the Church is an effective strategy.

■ケプラーのように「神の秩序を数学で理解する」という耳障りのよいフレーズを使って切り抜けるのは、最良の戦略です。
■ Like Kepler, using a pleasant-sounding phrase such as “understanding God’s order through mathematics” to get through is the best strategy.

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というわけで――結論です。
And so—the conclusion.

「ガリレオのように正論をかざすのではなく、ケプラーのように狡猾に振る舞うべきだ」
“One should not brandish correctness like Galileo, but rather behave cunningly like Kepler.”

これこそが、地動説騒動から私たちサラリーマンが学ぶべき教訓だと思います。
I believe this is the lesson we office workers should learn from the heliocentrism controversy.

正論で戦うのは立派ですが、正論は大抵の場合、有効ではなく、自分にとって有害であることが多いです。
Fighting with correctness is admirable, but in most cases, correctness is not effective, and more often, harmful to oneself.

それ故、ケプラー戦略こそが、真の「生存戦略」なのです。
Therefore, the Kepler strategy is the true “survival strategy.”

未分類

マンガ/アニメ「チ。」において、当時のカソリックキリスト教の教義の世界において、現実には地動説論者の多くは、それほど酷い迫害を受けていなかったという話に帰着しています。
この話について、現状の研究において、どのように把握されているか教えて下さい。

近年の研究では、「地動説を唱えた人々が一律に苛烈な宗教迫害を受けた」というイメージは正確ではないとされている。16〜18世紀のカトリック圏では、地動説を“事実”として主張・流布することは制限されたが、計算上の仮説として用いることは一定程度許容されていた。対応の仕方は時代や地域、立場によって大きく異なっていた。

制度的には、1616年に教皇庁がコペルニクスの著作を「断定表現を訂正するまで停止」としたが、その後1620年には「仮説として扱う」形に訂正すれば使用を認めている。つまり全面禁止ではなく、表現を制御する形での検閲であった。

有名なガリレオ裁判(1633年)は、1616年の警告に反して地動説を事実として擁護したために「異端の嫌疑」で自宅軟禁となった事例である。ただし、これが例外的に大きな事件であったことは重要で、同時代の研究者が一律に処刑や投獄されたわけではない。実際、訂正済みのコペルニクス本は流通し、大学では地動説が「計算仮説」として教授され続けていた。

当時はティコ・ブラーエ型の「地心—日心折衷説」が多くの学者に支持され、地動説の計算上の利点を取り込みつつ、教義と矛盾しない形で研究が続けられた。火刑となったブルーノもよく引き合いに出されるが、処刑理由の中心は三位一体や魂に関する神学的異端であり、地動説そのものが死刑の直接原因ではなかったと整理されている。

その後、1757/58年に地動説関連の一般的禁令は解かれ、1820年には教科書が正式に承認され、1835年の禁書目録からも関連書が削除された。これにより、教会の制度的反対は終結した。

まとめると、アニメ『チ。』が描くように「常に酷い迫害を受けたわけではない」という点は現代の研究とも一致している。ただし、出版差し止めや表現修正の強制、ガリレオ裁判のような象徴的事件は現実に存在し、地動説をどう表現するか(仮説か事実か)によって運命が大きく分かれた。これが現在の歴史学における共通理解である。

では、現在に至るまで、「地動説論者が異端者として迫害され続けていた」という風評は、どのように維持され続けていたのでしょうか

良い問いだと思います。
「地動説論者=迫害された異端者」というイメージは、史実の単純化を超えて、さまざまな社会的・文化的な目的で利用され、長く維持されてきました。研究史の整理としては以下のように説明できます。


啓蒙思想における「暗黒の中世」像の形成

17~18世紀の啓蒙期には、理性と科学の勝利を強調するために「宗教に縛られた無知な中世」と「科学で光をもたらす近代」という対比が強調された。ガリレオ裁判はその象徴として繰り返し取り上げられ、事実以上に「科学者が教会に虐げられた」物語が流布した。これは「啓蒙思想の自己正当化」として有効に機能した。


科学革命史叙述の「殉教者」像

19世紀の科学史叙述では、科学の進歩を英雄譚として描く傾向が強く、ガリレオやブルーノが「殉教者」として描かれた。特にブルーノは実際には神学的異端が処刑理由の中心だったが、「宇宙論を唱えたため火刑にされた」人物として神話化され、地動説迫害の証拠として引用され続けた。


反カトリック的言説の利用

プロテスタント諸国では、カトリック教会を専制的で時代遅れと批判する材料としてガリレオ事件が利用された。とくに宗教改革後のヨーロッパでは、地動説弾圧の物語は「ローマ教会の腐敗と抑圧」を象徴する歴史的事件として機能した。


近代以降の大衆文化への定着

19世紀後半から20世紀にかけて、学校教育・啓蒙書・文学作品などで「科学と宗教の闘争」という単純図式が広まった。アンドリュー・ディクソン・ホワイトらによる「科学と神学の戦争史観」が決定的な役割を果たし、これがそのまま教科書や一般向け本に受け継がれた。こうして「ガリレオは真理を唱えて迫害された」という物語が大衆的常識となった。


まとめ

つまり「地動説論者が異端として迫害され続けた」という風評は、

  • 啓蒙思想が自らを正当化するための対比図式

  • 科学史の英雄譚としての利用

  • プロテスタントによるカトリック批判の道具

  • 近代教育・出版物における単純化されたストーリー

といった重層的な利用を通じて維持され、現代まで残った。
実際の歴史はもっと複雑で、迫害は一律でも永続的でもなかったが、分かりやすい「科学vs宗教」の物語の方が広まりやすかった、ということになる。

もう少し、詳しく話を聞かせて下さい。

承知しました。先ほどの整理をもう少し掘り下げてみます。
「地動説論者迫害」という風評は、いくつかの異なる文脈で繰り返し利用されてきたために、現在でも根強く残っています。


1. 啓蒙思想と「暗黒の中世」神話

17〜18世紀の啓蒙期においては、理性と科学の進歩を強調するために「宗教に支配された無知な中世」が対比的に描かれました。ガリレオ裁判はその象徴とされ、事実以上に「教会による理性への抑圧」という図式に組み込まれました。この物語は、啓蒙思想家たちにとって「近代社会の正当性」を示す道具でした。


2. 科学革命史における「英雄と殉教者」像

19世紀の科学史では、進歩を物語る叙述の中で「殉教者」として科学者を描く手法が好まれました。ブルーノはその典型で、実際の処刑理由は複雑(神学的異端が主)だったにもかかわらず、「宇宙無限論や地動説を唱えて火刑にされた英雄」として神話化されました。これは「科学の勝利」をわかりやすく象徴する人物像として利用されたのです。


3. 宗派対立の武器として

宗教改革以降のプロテスタント諸国では、カトリック教会を「専制的で時代遅れ」と批判する際に、ガリレオ事件が格好の材料になりました。特にイギリスやドイツの学者たちは「自由な学問を抑圧するローマ」というレトリックを強調し、地動説迫害の物語を政治的・宗教的論争の武器にしたのです。


4. 近代教育と大衆文化での固定化

19世紀末、アメリカの歴史家A.D.ホワイトが『科学と神学の戦争史』を著し、「科学と宗教は歴史的に絶えず対立してきた」と論じました。この「戦争史観」は大きな影響を持ち、教育現場や大衆書物を通じて世界に広がりました。学校の理科教科書や一般向けの科学啓蒙書では「ガリレオは迫害されたが真理は勝利した」という単純明快なストーリーが繰り返し紹介され、それが常識化したのです。


5. 20世紀以降の文化的利用

20世紀に入ると、この物語は映画・小説・演劇などでも繰り返されました。ベルトルト・ブレヒトの戯曲『ガリレイの生涯』はその代表例で、「科学の真理と権力の弾圧」という構図が現代的な寓話として描かれました。冷戦期には「自由な科学 vs. 権威主義的弾圧」という対立の象徴としても利用されています。


まとめ

このように、地動説迫害の「神話」は、

  • 啓蒙思想による近代正当化の道具

  • 科学史における英雄叙事

  • 宗派対立のプロパガンダ

  • 近代教育・大衆文化の物語装置

といった複数の層を通じて再生産されてきました。
実際の歴史はもっと複雑で、一律の迫害ではなかったのですが、単純で分かりやすい「科学vs宗教」の図式の方が、社会的に利用価値が高かったため残り続けた、というのが研究者の共通した理解です。

私は「ガリレオの破門が解除されたは、極めて近年だった」と記憶しております。このことについての、カソリックが、ガリレオの破門を保持しつづけた背景が知りたいです

なるほど、焦点は「ガリレオ裁判の評価が、カトリック教会の中でどのように扱われ続け、最終的に“和解”に至ったのか」という部分ですね。

実際に「ガリレオの破門が解除されたのは近年だ」という言説は広く流布していますが、厳密には少し整理が必要です。


1. ガリレオは破門されていなかった

まず事実として、1633年の裁判でガリレオは「異端の重大な嫌疑に基づく有罪」とされ、自宅軟禁を命じられました。ただし「破門」(カトリック共同体からの排除)や「異端の公式宣告」ではなく、刑は比較的軽いものでした。したがって「破門解除」という手続き自体は存在しません。


2. 18~19世紀の変化

その後、地動説関連の禁止は徐々に解かれました。1757年に「地動説を事実と主張する著作」への一般禁止が撤廃され、1820年に地動説を教科書に用いることが許可されました。1835年の『禁書目録』からガリレオの著作が削除され、制度的には問題は解消しています。


3. 20世紀後半の「公式和解」

それでも「ガリレオ事件=教会の科学弾圧」というイメージが残っていたため、カトリック内部でも再評価が進められました。特に注目すべきは以下の経緯です。

  • 1979年:ヨハネ・パウロ2世教皇が、ガリレオ事件を再検討する委員会の設立を表明。

  • 1981年:公式に「ガリレオ委員会」発足。神学者・歴史家・科学者が参加。

  • 1992年:ヨハネ・パウロ2世が教皇庁科学アカデミーで演説し、ガリレオの洞察を高く評価しつつ、当時の裁判を「双方に誤りがあった」と総括。「教会の側にも真理の追究に対する過剰な慎重さと誤解があった」と事実上の謝罪を行った。


4. カトリックの判断基準

カトリックがこの「和解」に至った背景には、以下のような基準・論理があります。

  • 信仰と理性の両立
     教会は19世紀以降、「信仰と理性は矛盾しない」という立場を強調してきました。その流れの中で、科学的真理を敵視した過去の態度は誤りと再解釈された。

  • 聖書解釈の発展
     17世紀の裁判は「聖書の文字通りの解釈」と「観測事実」の衝突から生まれた。20世紀の教会は「聖書は救済の真理を伝えるもので、自然科学の教科書ではない」との解釈を明確化し、この矛盾を解消した。

  • 歴史的過誤の認定
     教会は「当時の裁判は当時の知的文脈に基づく判断」であったとしつつも、後世においては「過剰な防衛であり誤りであった」と認めることで、信仰の権威と歴史的責任の両立を図った。


まとめ

したがって「ガリレオの破門解除」という表現は厳密には誤りで、実際には

  • 18~19世紀に出版禁止が解かれ

  • 20世紀末に「和解宣言」と「教会側の誤り認定」

という段階を経ています。
カトリックの判断基準は、「信仰と理性の調和」という原則に基づき、聖書解釈の進展を背景に「過去の過ちを認めるが、教義そのものの誤りとはしない」という形を取ったのです。

地動説によって、カソリック教会から異端と判断された人物を挙げて下さい

 

承知しました。整理すると、**「地動説を理由にカトリックから公式に“異端”とされた人物」**は実は非常に限られています。


1. ガリレオ・ガリレイ(1564–1642)

  • 1633年の宗教裁判において「地動説を事実と主張・擁護した」として有罪判決。

  • 判決文では「異端そのものではないが、異端の重大な嫌疑(vehemently suspected of heresy)」とされ、正式に“異端者”と断定されたわけではない。

  • 罰は自宅軟禁であり、破門や死刑には至らなかった。
    👉 よって、カトリックが「地動説を理由に異端の嫌疑を公式宣言した」最も有名な事例。


2. ジョルダーノ・ブルーノ(1548–1600)

  • ドミニコ会修道士、哲学者。

  • 1600年、ローマで火刑。

  • 彼は「宇宙無限論」「多数世界」「地動説支持」を唱えたが、訴追の主要理由は三位一体否定・聖体否定・輪廻転生の支持など神学的教義への反逆。

  • 地動説は有罪理由の一部には含まれたとされるが、処刑の直接原因ではない。
    👉 後世に「地動説のために火刑」と神話化されたが、現在の研究では「宇宙論+神学的異端の複合」が実態。


3. その他の学者

  • **コペルニクス(1473–1543)**は地動説を公表したが、死後の1543年に出版された『天球の回転について』は、1616年に「訂正を要する書」とされたのみで、本人は裁かれていない。

  • **ケプラー(1571–1630)**はルター派の領邦に属し、ローマ教会の裁判にかけられたことはない。

  • ティコ・ブラーエの弟子たちも含め、地動説支持で裁判を受けた例はカトリック圏でもごく少数。


まとめ

カトリックが「地動説ゆえに異端と公式に認定した」人物は、厳密には ガリレオ(異端の嫌疑) に限られる。
ブルーノもよく挙げられるが、実態は地動説よりも神学的教義への挑戦が中心であった。
それ以外の地動説論者は多くの場合、出版停止や修正指示にとどまり、「異端者」として迫害されたケースはほとんどない。

なぜガリレオだけが裁かれたのでしょうか?

良い着眼点です。
「なぜガリレオだけが、地動説を理由に“象徴的に”裁かれたのか」については、歴史学的にいくつかの要因が指摘されています。


1. ガリレオ自身の主張の仕方

  • 多くの同時代の学者が「地動説を仮説として計算上採用」するにとどまったのに対し、ガリレオは「観測的証拠に基づく現実の真理」として公然と擁護した。

  • たとえば望遠鏡による木星の衛星や金星の満ち欠けを「地動説を裏付ける証拠」と断定的に主張し、聖書解釈の修正も必要だと論じた。これは教会にとって「聖書解釈権への挑戦」と受け止められた。


2. 教皇ウルバヌス8世との関係悪化

  • 当初、ウルバヌス8世(当時の教皇)はガリレオに好意的で、地動説を仮説として議論することは容認していた。

  • ところが、ガリレオが1632年に出版した『対話篇(Dialogo)』では、地動説と地心説を対比する形で議論し、地心説擁護者(シンプリチオ)を滑稽な人物として描いた。

  • このシンプリチオの台詞が、当時教皇が好んで用いていた議論を反映していたため、ウルバヌス8世は「自分を愚弄された」と激怒した。
    👉 これが「個人的対立を公的裁判に持ち込む」引き金になったとされる。


3. 教会権威の危機感

  • 17世紀初頭はプロテスタント改革後で、カトリック教会は権威維持に敏感になっていた時期。

  • トリエント公会議(1545–1563)以来、聖書解釈は教会の独占的権限とされ、個人が勝手に解釈することは重大な挑戦だった。

  • ガリレオが「聖書は自然科学の教科書ではない」と発言したことは、科学論争以上に「権威への挑戦」と受け止められた。


4. 知識人コミュニティとの摩擦

  • イエズス会の天文学者たちは当時世界最先端の観測を行っており、望遠鏡観測でもガリレオと協力していた。

  • しかしガリレオは次第に彼らを「保守的」と批判し、対立関係を深めた。

  • その結果、裁判時には味方してくれるはずの学者仲間からの擁護も乏しく、孤立した立場に置かれた。


5. 裁判の政治的・象徴的意味

  • 1633年の裁判は、単なる学術論争ではなく「教会の権威を守る」象徴的な儀式の意味を持っていた。

  • ガリレオは「異端の嫌疑」で有罪とされ、自宅軟禁という比較的軽い刑罰にとどめられたのは、処刑ではなく「屈服の儀礼」として利用されたからとも解釈されている。

  • つまり、ガリレオは「見せしめ」として裁かれたが、同時に「完全な破滅」には至らず、教会もある程度の妥協を示した。


まとめ

ガリレオが象徴的に裁かれた背景には、

  1. 「仮説」ではなく「真理」と断言したこと

  2. 教皇ウルバヌス8世を怒らせた『対話篇』の出版

  3. 教会権威(聖書解釈権)への挑戦

  4. 学術界(イエズス会)との関係悪化

  5. 教会が「権威を守るための見せしめ」を必要とした時代状況

といった複合的要因があった、と理解されています。

では、同じ地動説支持者でもケプラーは無事だったのでしょうか?

良い問いです。
「なぜガリレオは裁かれ、ケプラーは無事だったのか」については、歴史学ではいくつかの条件の違いが指摘されています。


1. 所属した宗教圏の違い

  • ガリレオは一貫してカトリック圏(イタリア、教皇庁の権威下)で活動。裁判権を直接ローマ教皇庁が持っていた。

  • ケプラーは神聖ローマ帝国のプロテスタント領邦(特にルター派)に属しており、ローマ教会の異端審問の対象ではなかった。
    👉 この政治・宗教的な境界線が決定的に大きい。


2. 主張の仕方の違い

  • ガリレオは「地動説は事実であり、観測で証明される」と断定的に主張した。さらに聖書解釈にも踏み込み、教会の権威を揺るがす言い方をした。

  • ケプラーはプラトン主義的・神学的な文脈を重視し、「神の秩序を数学で理解する」という形で語ったため、宗教権威への挑戦というよりは「宇宙調和の探求」として受け取られやすかった。
    👉 同じ地動説支持でも「断定的事実主張」か「神学的調和の探求」かで反応が異なった。


3. 政治的立場と敵対関係の違い

  • ガリレオは『対話篇』で当時の教皇を揶揄したと受け取られ、個人的な対立を招いた。さらにイエズス会との摩擦もあり、孤立した。

  • ケプラーは神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の宮廷数学者として保護を受けたため、宗教的に不安定な状況にあってもある程度の庇護があった。
    👉 政治的後ろ盾の有無も重要。


4. 著作の扱いの違い

  • ガリレオの『対話篇』はイタリア語で書かれ、広い読者層に届きやすかった。これは教会にとって「一般信徒への影響が大きい」と映った。

  • ケプラーの主要著作『新天文学』『宇宙の調和』などはラテン語で専門的であり、読者層は限られていた。一般信徒を動揺させる危険は低かった。
    👉 言語と読者層の広さも判断に影響した。


5. 歴史的タイミング

  • 1616年以降、カトリック教会はコペルニクス体系の断定を禁止していた。ガリレオはこの「公式警告」以後に地動説を事実として弁護したため、直接違反となった。

  • ケプラーは主に1610年代以前から研究を進め、ローマの検閲対象にならない地域で活動していた。
    👉 タイミング的に「禁止以後に挑戦した」かどうかの違いが大きい。


まとめ

同じ地動説支持者でも、

  1. 宗派圏(カトリック vs. プロテスタント)

  2. 表現方法(断定的 vs. 神学的調和)

  3. 政治的敵対関係(教皇やイエズス会との摩擦)

  4. 著作の影響範囲(イタリア語 vs. ラテン語)

  5. 禁止令のタイミング

といった要素が重なり、ガリレオは象徴的に裁かれ、ケプラーは裁かれなかった、という差が生まれました。

大変興味深くお話を聞かせて頂きました。誠にありがとうございました。

こちらこそ、じっくり深いところまでご一緒できてとても嬉しく思います。
地動説をめぐる歴史は「科学と宗教の闘争」という単純な物語ではなく、政治・宗派・人間関係・出版戦略などが複雑に絡み合っていることが、改めて浮かび上がったと思います。

また関心を広げるなら、

  • ティコ・ブラーエ学派がどのように「地動説を迂回して維持したか」

  • 19世紀に構築された「科学と神学の戦争史観」が日本の教育にどう入ってきたか

  • ガリレオ事件が現代においてどのように「権威と真理の象徴」として引用され続けているか

なども面白い論点です。

いつでも続きを掘り下げましょう。
こちらこそ、ありがとうございました。

未分類

WSLのubuntuを立ち上げたら、いきなり以下のメッセージが出てきました。
致命的なエラーです。
エラー コード: Wsl/Service/E_UNEXPECTED
Press any key to continue...

状況、把握しました。これはWSLのサービス側が予期せずこけた時に出る一般エラーで、スリープ復帰やDocker/VS CodeのWSL連携中断などが引き金になることがあります。まずは“安全に戻す”手順から順に実施してください(上から順に、どこかで直れば次へ進む必要はありません)。

まずは軽症パターンの復旧

  1. いったん全部止める
    管理者権限のPowerShellで:

wsl --shutdown

これでWSLの軽量VMを完全停止します。このコマンドは公式にも“環境を再起動したい時に必要になる”とされています。Microsoft Learn

  1. Windowsを再起動
    再起動後にUbuntuを起動してみてください。ノートPCのスリープ復帰直後に同エラーが出て、wsl --shutdown→再起動で解消する報告が複数あります。QiitaGitHub+1

  2. WSLの状態確認と更新
    まだ再発する場合は、管理者PowerShellで:

wsl --status
wsl --version
wsl --update

--status/--versionで構成とバージョンを確認し、--updateでWSL本体を最新化します。Microsoft Learn

それでもダメな場合(設定/機能まわり)

  1. Windowsの機能を確認
    [Windowsの機能の有効化または無効化]で以下が有効になっているか確認し、無効なら有効化→再起動。

  • Windows Subsystem for Linux

  • 仮想マシン プラットフォーム(WSL2利用時)

WSL公式トラブルシューティングにも基本対処として記載があります。Microsoft Learn

個別ディストリが壊れている疑い

  1. どのディストリが落ちているか確認

wsl -l -v

Ubuntuだけが落ちる/他は起動する場合、Ubuntuアプリの[設定 → アプリ → Ubuntu → 詳細オプション]から

  • まず「修復」(データ保持)

  • 直らなければ「リセット」(初期化・データ消去)
    という順で試すのが実例ベースで有効です。Zenn

  1. データを救って入れ直す(最終手段)
    リセット前に、起動できるうち(または他ディストリからマウントできる状況)ならエクスポートでバックアップを取ります:

wsl --export Ubuntu ubuntu_backup.tar

再インポート:

wsl --unregister Ubuntu
wsl --import Ubuntu C:\WSL\Ubuntu ubuntu_backup.tar

エクスポート/インポート手順は公式コマンドに含まれています。Microsoft Learn

再発防止のコツ

  • VS Codeの「Reopen in Container」やDocker Desktop使用中にそのままスリープさせない(発生例あり)。発生したらまずwsl --shutdownQiita

  • 大型アップデート後はwsl --updateでWSLを最新に。

  • もし頻発するなら、Docker DesktopやWSLの既知課題としてGitHubのIssueに類似事例があります(多くはwsl --shutdownで一時回復)。GitHub+2GitHub+2

必要なら、今の環境(Windowsのエディション/バージョン、WSLの--version出力、wsl -l -vの結果)を教えて頂ければ、上記のどの段で詰まりやすいかを絞り込んで手順を書き換えます。

 

2025,江端さんの忘備録

私、だいたいの休日は、大抵、作業(研究、プログラミング、システム構築)をしています。
On most of my holidays, I usually spend my time working (research, programming, system building).

毎日、深夜まで作業しています(朝は遅いですけど)。
Every day, I work until late at night (though I wake up late in the morning).

理由は簡単です。私には、平日の業務時間内で目標を完遂できるほどの能力がないからです。
The reason is simple: I can’t complete my goals within regular working hours on weekdays.

動かないプログラムやシステムは、複数の要素からなり、組み合わせは無数にあります。
Programs or systems that don’t consist of multiple elements, with countless possible combinations.

無数の組み合わせから正解に至るには、試行錯誤するしかなく、試行錯誤には時間が必要です。
To reach the correct solution among endless combinations, there is no choice but trial and error, and trial and error takes time.

だから私は「能力」の代償として「時間」を支払っています。
So I pay with “time” as the price of my limited “ability.”

働き方改革の時代に逆行しているのは分かっていますが、仕方ありません。
I know this goes against the current era of “work style reform,” but I can’t help it.

これが「私(江端)の"低能の対価"」です。
This is “the price of my inadequacy” (Ebata’s cost of low ability).

このようなやり方が"正しい"など、これまでも1mmも思ったことはありませんし、これからも思いません。
I have never thought, even for a millimeter, that this way is “correct,” and I never will.

当然、人にこんなやり方を押しつけることは勿論、推薦も、推奨も、奨励も、称賛もしません。
Naturally, I would never impose this way on others, nor recommend, endorse, encourage, or praise it.

ただ、『みんな、所定の時間内に業務を完了できるほど、頭脳明晰なのかぁ』と羨ましくなることはあります。
Still, I sometimes envy others, wondering, “Are people really so brilliant that they can finish their work within the designated hours?”

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こういうことを考えていると、思い出すのが「選択と集中」というスローガンです。
When I think about this, I’m reminded of the slogan “focus and select.”

あれもこれも手を出さず、一点突破。効率的でスマートで、頭良さそう。
Don’t spread yourself thin; go all in on one point—efficient, innovative, and intellectual-sounding.

「自分は戦略的に動いている」と自己暗示をかけられそうな、美しい魔法の言葉です。
It’s a beautiful magic phrase that makes it easy to hypnotize yourself into believing, “I’m being strategic.”

でも、『私はダメだな、使えないな』と思う。
But to me, it’s useless, unworkable.

高速道路を120kmで突っ走るようなもので、確かに早いかもしれないけれど、疲れるし、壊れるし、燃費も悪い。
It’s like blasting down the highway at 120 km/h—sure, you might get there faster, but you’ll get tired, break down, and burn fuel wastefully.

私は80kmでダラダラ走行車線を流す方が性に合っているのです。
I prefer to dawdle along the driving lane at 80 km/h.

で、散漫な意識の中で、コラムや特許のネタでも考えている方が好きです。
And I like it better when my scattered mind can wander and come up with ideas for columns or patents.

なにしろ、私、特許のネタ出しのために、10km散歩するような人間ですから。
After all, I’m the kind of person who takes a 10 km walk to brainstorm patent ideas.

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もちろん、これはあくまで個人の嗜好の話です。
Of course, this is only a matter of personal preference.

企業活動となれば「選択と集中」も必要でしょう。
In corporate activity, “focus and select” is probably necessary.

資源は有限であり、分散すれば競争に負ける。だから「選択と集中」で勝負をかける。
Resources are finite, and dispersing them risks losing the competition. So you bet everything on “select and focus.”

経営学の教科書にもそう書いてある。理屈は分かります。
The management textbooks say so. I understand the logic.

けれど、"それ"、本当に正解?
But… is that really the right answer?

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一度集中した事業が環境変化で崩れれば、すべてを失うリスクも同時に抱えます。
If the business you’ve concentrated on collapses due to environmental change, you risk losing everything.

むしろ「ダラダラと多方面に手を出している」方が、長い目で見れば安全ではないかな。人間の生活が無駄によって、ほど良く防衛されているように。
Wouldn’t dabbling lazily in many different areas actually be safer in the long run? Just as human life is cushioned and protected by a degree of waste.

少なくとも、私は「選択と集中」を、「個人」で主張している人には、与することができません。
At the very least, I cannot side with those who advocate for a “focus and select” approach on an individual level.

なぜなら、それは自分を追い詰める呪文にしか見えないからです。
Because to me, it looks like nothing more than a spell that drives you into a corner.

また、企業レベルであっても、本当にそれが唯一の解なのかどうか、私はまだ判断が付きかねています。
And even at the corporate level, I still cannot judge whether it’s truly the only solution.

少なくとも、株式総会で、株主から突き上げられない為には、必要なフレーズである点であることには、同意しますが。
At least I agree it’s a necessary phrase to avoid being attacked by shareholders at a general meeting.

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「選択と集中」は、短期的な勝者を生むかもしれない。
“Focus and select” may create short-term winners.

しかし、長期的に残るのは、集中せず、選択せず、ダラダラとしぶとく続ける者なのではないか。
But in the long run, those who neither focus nor select, but keep going stubbornly and lazily, may be the ones who remain.

あるいは、そんな単純な二者択一ではないのかもしれません。
Or maybe it’s not such a simple binary choice at all.

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ともあれ、個人としての私は、「選択と集中」というのが、私にはフィットしないな、とは思っています。
For now, as an individual, I think that “focus and select” doesn’t fit me.

私が、「選択と集中」を実現するなら、一番最初に『このブログを停止すべき』でしょう。
If I were to truly “focus and select,” the very first thing I should do is shut down this blog.

で、少なくとも私の人生に関しては「選択と集中」を実行した瞬間に、"終了"です。
So, in my life, the moment I tried to implement “focus and select,” it would be game over.

仕事と勉学の両立は「大変」ではありません ―― 「地獄」です。

2025,江端さんの忘備録

先日、池上彰さんの「戦後80年」特番(テレビ朝日『池上彰のニュースそうだったのか!! 3時間SP 知っておきたい!終戦80年』)を拝見しました。
The other day, I watched Akira Ikegami’s special program “80 Years After the War” (TV Asahi, *Ikegami Akira’s News: So That’s How It Was!! 3-Hour Special ? What We Should Know: 80 Years After the End of the War*).

この番組は「なぜ日本は戦争をしたのか」「国によって終戦の捉え方が異なる」というテーマを、若い世代のゲストたちとともに映像資料や生の声を交えて丁寧にひも解いておられました。
Ikegami carefully unraveled themes such as “Why did Japan go to war?” and “Why do different countries interpret the end of the war differently?” using historical footage and live testimonies, together with younger-generation guests.

その感想を引きずったまま、記載を続けます。
Carrying those impressions with me, I continue to reflect on this.

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私は、日本人の太平洋戦争の記憶が薄れていく現状に、深い懸念を抱いています。
I harbor deep concern over the fading memory of the Pacific War among the Japanese people.

しかし、同時に、東南アジア諸国の人々についても、戦時中に日本軍が行った残虐行為の記憶が薄れつつあることに、どこか安堵している自分に気づいています。
At the same time, I find myself feeling a specific relief that, in Southeast Asian countries as well, the memories of atrocities committed by the Japanese military during the war are gradually fading.

正直、強い自己嫌悪を感じています。
And in that realization, I feel a strong sense of self-loathing.

戦後80年という節目を迎え、戦争を直接体験した世代は歴史の舞台からほとんど姿を消しつつあります
Eighty years after the war, the generation that directly experienced both as victims and perpetrators has almost disappeared from the stage of history.

記憶が薄れてゆくのは、ある意味で物理的な必然であり、その流れを止めることは誰にもできません。
The fading of memory is, in a sense, a physical inevitability, and no one can stop that flow.

「戦争の遺恨を長く引きずるのはよくない、未来志向の関係構築の妨げになる」という前向きな意見がある一方で、「記憶を失った社会は再び戦争への道を歩む」という暗い予測も現実の視点として存在します。
On the one hand, there is the optimistic view that “clinging to the grudges of war hinders the building of future-oriented relationships.” On the other hand, there is the grim perspective that “a society that loses its memory of war will once again walk the path toward war.”

だからこそ、8月6日、8月9日、8月15日、9月2日が何の日かを知らない人を、ただ批判するのは傲慢なのでしょう。
Therefore, it may be arrogant to criticize people who do not know the significance of Hiroshima (August 6), Nagasaki (August 9), the day of Japan’s surrender (August 15), or the signing of the surrender document (September 2).

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しかし、私と同じ世代の人間で、それを語れない者に対しては、無条件に批判し、非難し、軽蔑しますよ。
However, when it comes to those of my generation who cannot speak of these things, I will criticize, denounce, and even despise them without hesitation.

しかし、そしてその軽蔑は、同時に私自身にも跳ね返ります。
And yet, that very contempt rebounds upon myself as well.

―― 私は「語る側」にいなければならないはずなのに、この「忘却」にどこか安堵している
For I ought to be on the “side that remembers and speaks,” and yet I find myself feeling relief in forgetting.

その矛盾こそが、最も恐るべき「戦争の風化」です。
It is precisely this contradiction that I believe to be the most terrifying form of the “weathering away of war.”

『今回の選挙では、参政党という政党が躍進しました。彼らは簡単に「愛国心」という言葉を使い、正直、私は怖いです』とChatGPTに相談してみた件

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「『高齢男性の孤立化の対象が自分(江端)になる』という確信を持っています。基本的に私が『人間嫌い』であることを考慮して対策を教えて下さい」とChatGPTに相談してみた件

ご相談の状況はとても現実的で、かつ「人間嫌い」というご自身の特性を前提に置いたとき、いわゆる「孤立対策」の一般論(地域活動に参加しましょう、趣味サークルに入りましょう等)はむしろ逆効果になり得ます。以下は、人間嫌いを考慮したうえでの対策案です。


1. 「人との距離」を保ったままの接点確保

  • 緩やかな接点
    対面で密に関わる必要のない活動(オンライン掲示板、趣味ブログ、論文投稿、技術フォーラムなど)を使うことで、人との距離を保ちながら「社会との接触」を維持できます。

  • 一方向的な発信
    コラム執筆や動画配信、研究成果の公開のように「相手と関わる」よりも「自分が出す」形式は、人間嫌いでも孤立感を和らげる効果があります。


2. 「対象」を持つことで孤立感を緩和

  • 対象は人間でなくてもよい
    植物の世話、機械やプログラムの開発、データベース構築など、自分以外に向けて継続的に働きかける対象があると、孤立による虚無感を軽減できます。

  • 時間の見通し
    定期的な更新作業や長期プロジェクトを設けると、「来月もこれを続ける」という時間的な足場ができます。


3. 「強制力のある仕組み」を取り入れる

  • 自分一人ではなく制度や仕組みに依存
    健康診断や図書館の貸し出し期限のように、半ば強制的に「外に出る」仕掛けを生活に組み込む。人に会う必要がなくても社会との接触が担保されます。

  • 契約型の関わり
    稽古事やジムのような「お金を払って通う場所」も、他者と深く交わらずにルーティンを維持する仕組みになり得ます。


4. 孤立を「悪」としない視点

  • 人間嫌いの肯定
    孤立そのものを「失敗」とみなさず、「自分に合った静かな生活様式」として捉えることも重要です。

  • 最低限のリスク対策
    孤立=困ったときに誰にも頼れない、というリスクがあるので、医療機関や行政サービスなど「緊急時の連絡先」だけは整理しておく。


まとめると、「人間嫌いを克服して交流する」方向ではなく、「孤立しても安心して暮らせる仕組みをつくる」方向が現実的です。
江端さんの場合、研究・コラム執筆・シミュレーション開発といった「社会に向けた一方向的な活動」を核に据えれば、人との密接な関係を避けながらも孤立の負荷を軽減できると思います。

「強制力のある仕組み」という点が、私(江端)にはヒットしました

未分類

Windowsが「再起動しています」と記載して20分を経過していますが、どうしたらよいですか

20分以上「再起動しています」のまま進まないのは異常な状態です。以下の手順で対応を検討してください。


1. さらに数分待つ

Windows Update中などでは長時間かかる場合があります。特に「更新を構成しています」といった場合は、30分〜1時間程度かかることもあります。ディスクアクセスランプが点滅していれば処理中の可能性が高いです。


2. 強制終了の判断

  • HDD/SSDのアクセスランプが消えている、ファンの動作音も変化しないなど、明らかにフリーズしている場合は強制終了を検討してください。

  • 電源ボタンを 長押し(5〜10秒) して電源を切り、再度電源を入れます。


3. 再起動後の確認

  • 正常に立ち上がるか確認してください。

  • もしWindowsが「更新を元に戻しています」と表示しても、そのまま待つのが安全です。


4. 繰り返す場合の対処

  • Windows Update関連のトラブルであることが多いです。

  • 再起動後に以下を試してください:

    1. セーフモード起動(電源投入後に数回強制終了を繰り返すと自動的に回復オプションが出ます)

    2. 「更新プログラムのアンインストール」や「システムの復元」を実行

    3. ディスクに空き容量が少ない場合は不要ファイル削除を行う


⚠️ 注意

  • 強制終了は最終手段ですが、20分以上完全に進まない状態が続く場合は必要です。

  • 作業中のデータは失われる可能性があります。


いま現在、画面には「更新しています」なのか「再起動しています」なのか、どちらが表示されていますか?

再起動しています が表示されています

今できる対応

  1. アクセスランプやファン音の確認
    ディスクアクセスランプが点滅している場合は、まだ処理中の可能性があるため、もう10〜15分程度様子を見てください。
    完全に無反応(ランプ消灯・音の変化なし)なら、フリーズと考えられます。

  2. 強制終了
    電源ボタンを長押し(5〜10秒)してシャットダウンし、その後電源を入れ直します。
    再起動後はWindowsが自動で修復や更新の巻き戻しを行うことがありますので、そのまま待機してください。

  3. 再発する場合の対応

    • セーフモードで起動して確認

    • 不要なUSB機器を外してから再起動

    • Windows Updateの失敗が繰り返される場合は、「更新プログラムのアンインストール」または「システムの復元」を検討


質問ですが、現在の状態は 「更新をしています」ではなく純粋に「再起動しています」 の表示で止まっている、という理解でよろしいですか?

はい

了解しました。「再起動しています」から20分以上動かないのはフリーズの可能性が高いです。以下の順で対処してください(上から順に、できるところまで)。


まずやること(現状復帰)

  1. フリーズ判定

  • HDD/SSDのアクセスランプが完全に消灯・無変化 → フリーズ濃厚。

  • 点滅が続く → もう 10–15分だけ様子見。

  1. 強制電源オフ → 再起動

  • 電源ボタン 長押し(5–10秒) → 電源断 → 10秒待つ → 電源オン。

  • 起動後に「更新を元に戻しています」等が出たら、そのまま完了まで待機。

  1. 周辺機器を一旦外す

  • USBメモリ、外付けHDD、プリンタ、ドングル、SDカードなどを外し、再起動。

  • HDMI/DisplayPortはそのままでOK(映像出力用)。


再発・ループする場合(回復環境での修復)

「再起動」→固まる、を繰り返す場合は Windows回復環境(WinRE) を出します。

A) WinREの出し方

  • 起動ロゴ(くるくる)中に電源長押しで 強制オフを3回 繰り返す → 4回目で「自動修復を準備しています」→
    [トラブルシューティング]→[詳細オプション] へ。

B) WinREで実施すること(優先順)

  1. スタートアップ修復
    [スタートアップ修復]を実行。

  2. 更新プログラムのアンインストール
    「品質更新プログラム」→ ダメなら「機能更新プログラム」をアンインストール。

  3. セーフモードで起動
    [スタートアップ設定]→ 再起動 → F4(セーフモード)/F5(ネットワーク有)

  4. システムの復元
    復元ポイントがある場合のみ。


セーフモードで起動できたら(原因切り分けと修復)

「管理者として実行したPowerShell/コマンドプロンプト」で以下を順に。

  1. システムファイル修復

sfc /scannow
  1. コンポーネント修復(オンラインDISM)

DISM /Online /Cleanup-Image /RestoreHealth
  1. ディスクチェック(次回再起動時に実行)

chkdsk C: /f

→ 実行予約に「Y」で同意 → 再起動して完了させる。

  1. Windows Updateの一時ファイルをリセット(Update失敗が疑わしい時)
    (管理者権限で実行)

net stop wuauserv
net stop bits
ren C:\Windows\SoftwareDistribution SoftwareDistribution.old
net start wuauserv
net start bits

→ その後、設定 > Windows Update で再チェック。

  1. クリーンブートで常駐を無効化(ドライバ/常駐競合の切り分け)

  • タスクマネージャー >[スタートアップ]で不要を無効化

  • もしくは msconfig >[サービス]で「Microsoftのサービスを隠す」→ 残りを一旦無効 → 再起動。

  • 問題が消えるなら、犯人を絞り込み。


予防・再発抑止

  • 空き容量:Cドライブに最低 20GB以上 の空きを確保。

  • デバイスドライバ更新:特にストレージ/チップセット/グラフィックス。

  • 高速スタートアップ無効化
    コントロールパネル > 電源オプション >「電源ボタンの動作を選択する」>「現在利用可能ではない設定を変更します」> 「高速スタートアップを有効にする」のチェックを外す。

  • 周辺機器:再起動時は不要USBを挿しっぱなしにしない。


それでも起きる/起動しない場合

  • 直前に入った大型アップデートが原因のことが多いです。WinREで更新アンインストール→セーフモード→上記修復を優先。

  • ハード故障の疑い(SSDのSMART異常、メモリエラー等)がある場合は、重要データのバックアップを最優先。


必要なら、現在の機種名(自作/メーカー)、Windowsのエディション(Home/Pro)、直前に当たった更新(バージョン/ビルド)を教えてください。最短経路で手順を絞り込みます。

この状態から1時間まつ必要はありますか

「再起動しています」で止まったまま 1時間待っても改善する可能性はかなり低い です。
(「更新プログラムを構成しています」「更新を元に戻しています」といった文言なら、長時間待つ価値がありますが、単なる「再起動しています」で止まっているのは通常の処理ではありません。)


判断の目安

  • ディスクアクセスランプが点滅している → まだ内部で動作している可能性 → もう10〜15分だけ待つ価値あり

  • ランプが完全に消灯、音も変化なし → フリーズ確定 → すぐに電源長押しで強制終了してOK


まとめ

  • 「再起動しています」画面で 合計30〜40分以上変化なしなら、待つ必要はありません

  • 現時点で20分経過済みなら、ディスクアクセスがない状態なら強制終了して問題ありません。


👉 質問です:
パソコン前面の HDD/SSDアクセスランプ は今も点滅していますか? それとも完全に消えていますか?

ノートPCなので、ディスクアクセスランプなどを確認する手段がありません

 

なるほど、ノートPCでアクセスランプが無い場合は「動いているか・止まっているか」を外見から判断しづらいですね。こういうときは次の確認方法があります。


外見からのフリーズ判定の工夫

  • ファンの音や振動
    しばらく耳を近づけて、ファンの回転音や筐体の振動に変化があるか確認。
    → 回転が一定で変化がない場合、処理が止まっている可能性が高いです。

  • キーボード操作
    CapsLock / NumLock キーを押して、LED(付いていれば)が点灯・消灯するか確認。反応がなければシステムごと固まっています。

  • 画面の動作
    「再起動しています」の「くるくるマーク」が回転しているか。完全に止まっているならフリーズです。


判断と次のアクション

  • すでに20分経過 → ノートPCでも通常の再起動処理がここまで長引くことはほぼありません。

  • もし「くるくるマーク」が止まっている、キー操作の反応が無い → 強制終了(電源長押し5〜10秒)して再起動してください。

  • もし「くるくるマーク」は回り続けている → 処理中の可能性があるので、さらに10〜15分待って進展しなければ強制終了が安全です。


再起動後に注意すること

  • 起動後に「更新を元に戻しています」など出たら、そのまま待つこと。

  • 同じ症状を繰り返す場合は、セーフモードや回復環境での修復が必要になるかもしれません。


👉 現在の画面は、「再起動しています」と文字だけですか?
それとも「ぐるぐる回るマーク」も一緒に表示されていますか?

「くるくるマーク」が回転しています

「くるくるマーク」が回転しているのであれば、完全にフリーズしているわけではなく、Windows が内部で処理を続けている可能性があります。

ただし、「再起動しています」で20分以上は異常に長いので、目安としては以下のように考えると良いです。


判断の目安

  • くるくるが回っている → 内部処理中の可能性あり → 合計30〜40分程度まで様子を見る

  • 40分を超えても変化がない → 進まないと判断して 電源ボタン長押しで強制終了 してよい


強制終了後の動作

  • 電源を入れ直すと、自動的に

    • 「更新を元に戻しています」

    • 「更新プログラムを構成しています」
      などの表示に切り替わることがあります。これが出たら、触らずに待つのが安全です。


今の状態での推奨

すでに20分経過しているので、さらに10〜20分だけ待って進まなければ強制終了、が適切な行動です。


👉 こちらで整理すると、

  • すぐ強制終了しても大きな問題にはならない可能性が高い

  • ただし更新関連の処理途中なら、もう少し待ってみる価値もある

という状況です。

ご希望としては「できるだけ早く使えるようにしたい」のか、それとも「更新失敗のリスクを少しでも減らしたい」のか、どちらを優先されますか?

「更新失敗のリスクを少しでも減らしたいです

了解しました。
「更新失敗のリスクを少しでも減らしたい」のであれば、もう少し辛抱強く待つのが最善です。


おすすめ対応(更新の安全性を優先する場合)

  1. さらに20〜30分待つ

    • 「くるくるマーク」が回っている限り、裏で更新処理や再構成が進んでいる可能性があります。

    • Windows Update の中には時間がかかるもの(特に大型アップデート)があります。

  2. 合計40〜50分経っても変化なしなら強制終了

    • 「更新しています」ではなく「再起動しています」で長時間止まるケースは異常です。

    • 40〜50分が経過しても変化がなければ、電源ボタンを長押しして強制終了して構いません。

  3. 強制終了後の挙動

    • 次回起動時に「更新を元に戻しています」と表示されることがあります。

    • この場合はシステムが自動的に巻き戻すので、無理に操作せず完了まで待ってください。


注意点

  • 強制終了はあくまで「最終手段」ですが、完全に止まっているなら避けられません。

  • 失敗しても Windows は自動修復や更新の巻き戻しを行う仕組みがあるので、システムが壊れる可能性は比較的低いです。


👉 現時点で「再起動しています」になってから合計何分くらい経過しましたか?
それによって「もう少し待つ」か「強制終了してよい」かをはっきり判断できます。

30分くらい経過しています

ありがとうございます。
「再起動しています」から 30分経過しているとのことですね。


状況整理

  • 「くるくるマーク」が動いている → 完全なフリーズではない

  • ただし通常の再起動処理で30分以上かかるのは異常に長い

  • 更新の安全性を優先するなら あと10〜15分 は様子を見てもよい

  • 合計40〜45分 経過しても変化がなければ → 強制終了(電源長押し)して再起動 が妥当


次にやること

  1. さらに10〜15分待つ

    • もし内部処理が残っていれば、自然に進む可能性があります。

  2. 進展なしなら強制終了

    • 電源ボタンを5〜10秒長押し → 電源断 → 10秒待ってから再起動。

    • 起動後に「更新を元に戻しています」と出たら、そのまま完了まで待ちます。


補足

強制終了しても、Windowsは更新失敗時に 自動で巻き戻し処理を行う仕組みを持っています。
そのため、データが壊れるリスクよりも「延々と進まないまま放置」のほうが問題になります。


👉 まとめると:
合計40〜45分までは待って、それでも変化なしなら強制終了してOK、が最適です。


強制終了後に再起動したとき、もしまた同じ「再起動しています」で止まった場合の対処方法(セーフモードや修復環境への入り方)も整理しておきましょうか?

なぜこのようなことが起きるのでしょうか

良いご質問です。
「再起動しています」の状態で長時間止まるのは、いくつか典型的な原因が考えられます。


主な原因

1. Windows Update(更新処理)の不具合

  • 更新ファイルの展開や構成処理が途中で詰まる

  • 特に大型アップデート(バージョン更新)やドライバ更新時に起きやすい

  • ネットワーク切断やストレージの空き容量不足が引き金になることもあります


2. ドライバや周辺機器との競合

  • 再起動時にデバイスドライバが正しく読み込めず、停止

  • USB機器や外付けディスクが繋がっていると競合を引き起こすことがあります


3. システムファイルの破損

  • 過去のアップデートや強制終了でWindows内部のファイルが壊れている場合、再起動処理が完了できなくなる


4. ハードウェア要因

  • HDD/SSDの劣化による読み書きエラー

  • メモリエラーなどによって処理が進まない

  • ノートPC特有の熱暴走(冷却不足)による停止


よくある具体的なシナリオ

  • 更新適用中に電源を切った/バッテリが切れた → 更新ファイルが壊れる

  • ディスクの空きが少ない状態で更新 → 展開できず停止

  • 古いドライバが最新更新と非互換 → 再起動時にロード失敗


まとめ

つまり、これは「Windows Update の途中で処理が引っかかっている」か「再起動時にドライバ・ハードウェアが正しく処理されなかった」ことが原因であることが多いです。

更新を元に戻す仕組みは備わっていますが、その途中で固まると「再起動しています」のまま長時間止まる現象が出やすい、というのが実情です。


👉 ご希望があれば、「再起動で止まる原因を調べるためのログ確認方法」(イベントビューアや更新履歴の確認手順)も整理できますが、そちらも知りたいですか?

ノートPCなのですが、強制終了後に、周辺装置(ディスプレイやキーボードマウス)を外しておいた方が良いでしょうか

はい、その対応は有効です。ノートPCの場合でも、強制終了後の再起動時に余計な周辺機器を外しておくことはトラブル回避につながります。


外した方が良い周辺機器

  • USBマウス・USBキーボード(ノートPCなら本体のものが使えるため不要)

  • 外付けHDD / SSD / USBメモリ

  • プリンタ、スキャナ、外付けDVDドライブなど

  • SDカード、ドングル類(無線LAN子機など)


残して良いもの

  • ACアダプタ(電源) → 更新や再起動途中でバッテリ切れを防ぐため必須

  • 有線LANケーブル(可能なら) → 更新処理でネット接続が必要になる場合あり

  • 内蔵ディスプレイ、内蔵キーボード/タッチパッドはそのままでOK


理由

  • 周辺機器のドライバ読み込みが再起動処理を妨げるケースがある

  • USBメモリや外付けディスクを差したままにしていると、再起動後に誤ってブートデバイスを外部に切り替えることがある

  • 更新中にストレージを参照して停止するリスクを減らせる


👉 まとめると:
強制終了→再起動の際は、AC電源だけ接続、周辺機器はすべて外すのが安全です。

ご希望なら、「強制終了後に再起動したときにまず確認すべき画面や操作手順」を具体的に整理してご案内しましょうか?

あなた:
強制終了を行う時間として40分から数時間の各種の意見があるようですが、どの時間を採用すれば良いでしょうか
ChatGPT:

とても良いポイントに注目されています。
確かに「いつ強制終了すべきか」についてはネット上でも 40分説/1時間説/数時間説 とバラつきがあります。これは Windows Update の進行状況や機種差によって最適な待機時間が異なるためです。


目安時間の考え方

1. 「更新中」と「再起動中」の違い

  • 「更新プログラムを構成しています」や「更新を元に戻しています」
    → これは本当に時間がかかる処理なので、数時間かかることもある。基本的には数時間待ってもよい。

  • 「再起動しています」(今回のケース)
    → 通常は数分で終わる。30〜40分を超えるのは異常。数時間待つ必要はない


2. 実運用での推奨値

  • 40〜60分で変化なし → 強制終了してよい(安全寄りの判断)

  • 逆に「更新を構成しています」と表示されているなら、2〜3時間待つのもアリ


3. なぜ「数時間待て」という意見があるのか

  • Windows Updateの大型更新では、SSDでも30〜60分、HDDなら2時間以上かかるケースがあるため

  • その経験則から「とにかく待て」という意見が出ている

  • しかし「再起動しています」で数時間はシステム的に異常挙動の可能性が高い


まとめ(今回採用すべき基準)

今回の画面は「再起動しています」ですから:

  • 最大でも40〜45分程度待つ

  • それを超えても進展しない場合 → 電源長押しで強制終了

これが一番バランスの取れた判断基準です。


👉 この基準でいくと、現在すでに30分経過とのことなので、あと10〜15分待って動きがなければ強制終了が適切です。

ご希望なら、強制終了後に「万一また止まったとき」のための 回復環境に入る手順 を先に整理しておきましょうか?

強制終了後に「万一また止まったとき」のための 回復環境に入る手順をお願いします

はい、万一また「再起動しています」で止まったり、Windowsが正常に起動しないときのために、Windows回復環境(WinRE)に入る手順を整理します。


回復環境(WinRE)に入る方法

方法1:自動で入る(最も簡単)

  • 強制終了後に電源を入れ直し、起動中にフリーズやエラーで再起動を3回以上繰り返すと、4回目の起動で自動的に
    「自動修復を準備しています」 → 「回復環境」 に入ります。


方法2:電源操作で入る(自分で出す)

  1. 電源ボタンを押して起動

  2. Windowsロゴやぐるぐるが出たところで 電源長押しで強制オフ

  3. この操作を 3回繰り返す

  4. 4回目の起動で 「自動修復を準備しています」 が表示される


方法3:起動できた場合に手動で入る

もしWindowsが起動できたら、

  1. Shiftキーを押しながら「再起動」 をクリック

  2. 「オプションの選択」画面が表示され、WinREに入れる


WinREでできること

回復環境に入ったら以下のメニューが使えます。

  • スタートアップ修復
    起動関連の問題を自動で直してくれる

  • 更新プログラムのアンインストール
    直前のWindows Updateが原因ならこれで解除

  • セーフモードで起動(スタートアップ設定から)
    最小構成でWindowsを立ち上げて原因調査可能

  • システムの復元
    復元ポイントがある場合のみ、更新前の状態に戻せる


まとめ

  • 強制終了後に再起動しても止まる場合 → 電源オンオフを3回繰り返し、4回目で回復環境に入る

  • WinREでは「スタートアップ修復」「更新プログラムのアンインストール」「セーフモード起動」を優先的に実施


👉 ご希望があれば、WinREに入った後に「最初に実行すべきおすすめの手順(優先順位)」を、さらに具体的に整理してお出ししますか?

最終的な今回の対応
(1)「再起動しています」「くるくる表示中」で1時間待つ
(2) ボタン10秒以上(数秒ではダメ)の長押しで強制的にダウン
(3)ディスプレイ、マウス、キーボードを全部外して、再起動
(4)起動の成功を確認
(5)ディスプレイ、マウス、キーボードを接続

2025,江端さんの忘備録

私が、名前というものに執着がない、という話はこれまで何度もしてきました。
I have often said that I have no attachment to names.

―― 一体、裁判所も、立法(国会)も、『識別子の取扱い』ごときに、なんで、こんなにゴタゴタしていやがるんだ

で、先日、長女が「改名したい」と言ってきた時にも、理由も聞かずに「O.K.」と答えました。
So when my eldest daughter recently said, “I want to change my name,” I said, “O.K.” without even asking the reason.

ただ、改名にはやっかいな手続きが必要だったことを覚えていたので調べてみたのですが、基本的なルールは昔と変わっていませんでした。
However, I remembered that changing one’s name required troublesome procedures, so I looked it up and found that the basic rules had not changed.

家庭裁判所で「名の変更許可申立て」を行い、「正当な事由」がある場合に認められます(戸籍法第107条)。
You must apply to the family court for a “name change permit,” and it will be approved only if there are “justifiable reasons” (Family Register Act, Article 107).

例としては、
Examples include:

■日常的に通称を使っており社会生活に支障がある
■ Using a common alias in daily life that causes difficulties in social activities.

■難読・珍奇で日常生活に不便がある
■ The name is too difficult to read or unusual, making daily life inconvenient.

■同姓同名で誤解や混同が生じている
■ Having the same name as others, leading to confusion or misidentification.

■宗教上・文化上の理由
■ Religious or cultural reasons.

■その他合理的な理由がある
■ Other reasonable grounds.

といった場合です。
These are the kinds of cases where it may be approved.

手続きは、
The procedure is:

(1) 家庭裁判所に申立て(申立書・戸籍謄本・証拠資料などを提出)
(1) Apply to the family court (submit application form, family register, and supporting documents).

(2) 書面審査(必要なら面接)
(2) Examination of documents (interview if necessary).

(3) 許可が出れば「名の変更許可審判書」が交付される
(3) If approved, a “name change permit decision” is issued.

(4) 市区町村役場に届けて戸籍訂正 → 銀行・免許証・保険証・パスポートなどの名義変更
(4) Submit it to the municipal office to amend the family register → then change names on bank accounts, driver’s license, health insurance, passport, etc.

という流れ。手数料は収入印紙800円+切手代、審理は数週間から数か月です。
That’s the process. The fee is 800 yen in revenue stamps plus postage, and the review takes several weeks to a few months.

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私:「で、どういう名前?」
Me: “So, what kind of name?”

長女:「漢字を、ひらがなにしたい」
Daughter: “I want to change the kanji to hiragana.”

私:「・・・それだけ?」
Me: “…That’s it?”

長女:「そう」
Daughter: “Yes.”

私:「これで家裁が受理するかなぁ…」
Me: “I wonder if the court will accept that…”

長女:「実際に、音読みと訓読みで何度も間違われているんだけど」
Daughter: “But in reality, I’ve been misread many times because of on-yomi and kun-yomi.”

私:「なら、一度申立ててみればいい。その経緯を教えてくれ。コラムに書くから」
Me: “Then you should try applying once. Tell me how it goes. I’ll write a column about it.”

長女:「でも、その後の手続が結構地獄だよね」
Daughter: “But the paperwork after that is pretty much hell, isn’t it?”

私:「戸籍、銀行、免許証、保険証、パスポート…、確かにうんざりする程ある。それもネタになる」
Me: “Family register, banks, driver’s license, insurance card, passport… yeah, it’s tiresome. But that too could be material.”

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長女は、手続の煩雑さを想像しただけで、改名へのモチベーションを失ったようです。
It seems my daughter lost her motivation to change her name just by imagining how complicated the process would be.

結局、名前を変えるよりも、読み間違いを訂正する方が早い――という現実を認識したようです。
In the end, she realized that correcting people’s misreadings is faster than changing her name.

『由緒ある家名を残す為に、いわゆる婿養子を取る』という話を聞くと、『一体、あんたの一族ごときが、これまで何をやってきたというのだ?』と、せせら笑っちゃいます。

2025,江端さんの忘備録

福島第一原発がメルトダウンを起こしたのは間違いありません(数百トン規模の燃料デブリが残っているのですから)。
It is beyond doubt that the Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant experienced a meltdown (given that several hundred tons of fuel debris remain).

しかし「この原発が暴走して、格納容器そのものが吹き飛んで放射性物質が壊滅的に拡散しなかったのはなぜか」という点については、意外と説明されていません。
However, the question of why the plant did not spiral completely out of control, blowing apart the containment vessel and scattering radioactive materials catastrophically, has not been explained very clearly.

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私自身、ずっと「なぜ格納容器が全壊しなかったんだろう。まさかベントだけで守れたとは思えない」と疑問を持ってきました。
I had long wondered: Why didn’t the containment vessel collapse entirely? Surely it couldn’t have been protected by venting alone.

ところがドラマや解説番組では「ベントによって注水が可能になり、それで危機を回避した」といった単純な図式で描かれている場合が多いのですが、私は「そんな話で片づけられるのか?」とずっと違和感を覚えていたのです。
Yet, in many TV dramas and explanatory programs, it is often portrayed simplistically: “The vent allowed water injection, and that averted the crisis.” I have always felt a nagging sense of disbelief: Could it be that simple?

原子炉の種類 | 原子力開発と発電への利用

調べてみると、どうやらこういうことのようです。
After investigating the matter, it appears that the reality is somewhat different.

(1) 原発は「原爆」ではない
(1) A Nuclear Power Plant is Not a Nuclear Bomb

福島第一原発の炉心溶融は「熱暴走」であって「核爆発」ではありません。
The meltdown at Fukushima Daiichi was a thermal runaway, not a nuclear explosion.

核兵器は高濃縮(90%以上)のウランやプルトニウムを爆縮させて一瞬で超臨界にしますが、原発燃料は3~5%程度の低濃縮ウランであり、このような爆縮反応は設計上起こりえません。
Nuclear weapons use highly enriched uranium or plutonium (over 90%) and compress it in an instant to create a supercritical state. Reactor fuel, however, is only 3~5% enriched uranium, and such an implosive chain reaction is structurally impossible.

事故で発生したのは膨大な熱と水素ガスであって、核分裂の爆発的連鎖ではありません。
What occurred during the accident was an immense release of heat and hydrogen gas, not an explosive chain reaction of fission.

また、格納容器が“全壊しなかった理由”は、ベントは必要条件だったが十分条件ではなく、結果的に格納容器は部分的に損傷しつつも全壊を免れた、ということです。
As for why the containment vessel did not “completely collapse”: venting was a necessary condition, but not sufficient in itself. In the end, the ship was partially damaged, yet destruction was avoided.

(2) 連鎖反応が止まった理由
(2) Why the Chain Reaction Stopped

私の疑問は「なぜメルトダウン後に原子炉の反応が暴走し続けなかったのか」でした。答えは、燃料棒の幾何学的配置が壊れて臨界を維持できなくなったからです。
My question was: Why didn’t the reactor’s chain reaction continue spiraling out of control after the meltdown? The answer lies in the collapse of the fuel’s geometric arrangement, which made it impossible to sustain criticality.

どうやらその理由は、『メルトダウンで「核分裂に適した最適な核燃料棒の配置」が失われた』ということらしいのです。
Apparently, the meltdown destroyed the “optimal arrangement of fuel rods necessary for fission.”

核分裂反応を安定して続けるには、燃料の配置や形状がきちんと整っている必要があります。
For fission to be sustained, the configuration and geometry of the fuel must remain intact.

しかし、メルトダウンによって燃料棒が溶けて一塊になり、さらに燃料が圧力容器底部に落下し、その結果、中性子が燃料の外に逃げやすくなり、臨界状態を維持できなくなった、ということです。
But in the meltdown, the rods melted into a mass, sinking to the bottom of the pressure vessel. As a result, neutrons could escape more easily, preventing the system from sustaining a critical state.

もっとも、核分裂が止まっても燃料内の放射性核種は崩壊を続け、崩壊熱という形で膨大な熱を出し続けます。事故直後は原子炉の出力の数%規模でしたが、それでも炉心を破壊し続けるには十分でした。
Of course, even after the fission chain reaction stopped, radioactive isotopes within the fuel continued to decay, releasing vast amounts of decay heat. Immediately after the accident, this was several percent of the reactor’s power output, still enough to keep destroying the core.

(3) 冷却を続ける宿命
(3) The Fate of Continuous Cooling

このため、メルトダウンを起こした炉心は、燃料デブリを完全に取り出すまで継続的に水で冷却し続けなければならない運命にあります。
For this reason, the melted core must be continuously cooled with water until the fuel debris is completely removed.

政府と東電は30~40年程度の廃炉を目標にしていますが、実際にはより長期化する可能性も指摘されています。
The government and TEPCO aim to complete decommissioning in 30ー40 years, though many point out it may take much longer.

この冷却水が「汚染水」であり、そこから放射性物質を取り除いたものが「処理水」です。現在海洋放出されているのは「処理水」であって、未処理の汚染水ではありません。
This cooling water becomes “contaminated water.” After radioactive materials are removed, it is called “treated water.” What is being released into the ocean now is the treated water, not the untreated contaminated water.

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今回、私が衝撃を受けているのが、『「メルトダウン」によって、"臨界"が回避された』という、この壮大な物理的な皮肉です。
What shocked me most was this monumental irony of physics: that the meltdown itself prevented criticality.

本来なら「臨界を維持できなくなった」ことは原子炉にとって致命的な崩壊の兆候であるはずです。ところが皮肉にも、この臨界喪失こそが「原発が核分裂の暴走を続けられなかった理由」になりました。
Ordinarily, the inability to sustain criticality should signal catastrophic collapse for a reactor. Yet ironically, that very loss of criticality became the reason the plant could not continue its runaway chain reaction.

炉心が溶け落ち、燃料の幾何学的配置が崩れ、中性子が外に逃げてしまったからこそ、連鎖反応は自然に途絶したのです。
Because the core melted, its geometric configuration collapsed, and neutrons escaped, the chain reaction ceased on its own.

もちろん、これは「安全に収束した」という意味ではありません。
Of course, this does not mean it “safely came to an end.”

核分裂が止まった後も、放射性物質の崩壊熱は炉心を焼き続け、その熱が冷却水を沸騰させ、水素を発生させ、そして建屋を吹き飛ばしたのです。
Even after fission stopped, decay heat from radioactive materials continued to heat the core, boiling the cooling water, generating hydrogen, and ultimately causing the reactor buildings to blow apart.

つまり「臨界が避けられた」のは事実ですが、その代償として私たちは格納容器損傷と、放射性物質の大気への飛散と、それによる地域の放射能汚染、加えて、大量の汚染水を量産し続けるという、どえらい負債を負わされることになりました。
So, yes, “criticality was avoided.” Still, the price was steep: damaged containment vessels, atmospheric release of radioactive materials, regional contamination, and the perpetual production of enormous volumes of contaminated water —a crushing debt forced upon us.

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ともあれ、
Be that as it may,

現場の作業員の決死の努力の成果を否定するものではありませんが、「原子炉の暴走を止めた主原因が、燃料棒が自壊して臨界を維持できなくなったこと」だったという結論に、私は今、猛烈な虚無感を感じています。
Without denying the life-risking efforts of the on-site workers, I must conclude that the main reason the runaway reaction stopped was that the fuel rods self-destructed and could no longer sustain criticality. That realization fills me with an overwhelming sense of futility.

人類の英知ではなく、物理現象に救われた――そんな身も蓋もない教訓です。
Not human wisdom, but sheer physical phenomena saved us a blunt, unsentimental lesson.

―― 日本国内において、生涯で2~3回は原発事故に遭遇し、最低1回は放射能汚染被害を受ける

2025,江端さんの忘備録

昨日の続きです。
Continuation from yesterday.

「総力戦研究所」に関するドラマが、16、17日NHK総合午後9時に「シミュレーション~昭和16年夏の敗戦~」という番組で放送されるそうです

ドラマの中で「金が世の中を動かす」というセリフもよく登場しました。
In the drama, the line "Money moves the world" appeared frequently.

これも、社会人をやっているとよく分かります。
This is something you come to understand well once you start working in society.

ここでいう"金"とは、私的な"利益"ではなく、"認可された予算"です。ひとたび"予算が認可されてしまえば、もう誰にも止められません。
Here, "money" does not mean private "profit," but rather "authorized budget." Once a budget is approved, it cannot be stopped anymore.

ドラマの後の解説の中でも、"戦争準備の為の予算が計上されて、それが正式に認可された"場合、"戦争やらなかったら"、『その金、一体何の為だったの?』というロジックが成立してしまいます。
In the commentary following the drama, it was explained that once "a budget for war preparations is allocated and officially approved," the logic emerges that if war is not carried out, people will ask: "Then what was that money for in the first place?"

予算を手にしてしまった以上、予算に見合った行動をしなければ、言い訳ができません。
Once you have the budget, you must act in accordance with it; otherwise, you cannot justify yourself.

つまり、"金(認可された予算)"が、人々の願いと逆の方向に働く、というのは、社会人になれば、いつでも誰でも、目にする光景になります。
In other words, "money (authorized budget)" often works in the opposite direction of people’s wishes, and this is a scene anyone can witness once they become a working adult.

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いや、実際にあるんですよ、こういう話。
No, these things really do happen.

詳細はふせますけど、
I will leave out the details, but—

「江端さん。10億円相当の機械かシステム、発注して貰えませんか」という、大学時代の友人からの頼みとか、
There was the time when a friend from university asked me, "Ebata, could you place an order for machinery or a system worth one billion yen?"

「このテーマの研究で、今期中に7000万円分の研究資金を使えないか」と、忘年会で幹部から耳打ちされたこととか、
Or when, at a year-end party, an executive whispered to me, "Can’t you find a way to use 70 million yen of research funds on this theme before the fiscal year ends?"

「今年度の枠で使わなければ、来年度削られるから、とにかく何でも良いから消化してほしい」と、部署横断で半ば押しつけられたこととか。
Or when I was more or less pressured across departments: "If we don’t use up this year’s allocation, it will be cut next year—just spend it on anything, doesn’t matter what."

"金"というのは、"ない"と大変困るものですが、"あっても"かなり困るものなのです。
"Money" is something that causes great trouble when you don’t have it, but it also causes great trouble when you do.

必要となるまで、その金を貯金しておけば良いのに ーー というのは、個人の理論であり、組織では通用しないのです。
You might think, "Why not just save the money until it’s needed?"—but that logic applies to individuals; it doesn't work within organizations.

予算をぶんどるために、各組織は命がけで闘います。その闘争を経た上で「お金を使い切れなかった」となれば、重大な責任問題となり、その影響は簡単に組織の存続意義に係わります。
Organizations fight tooth and nail to seize budgets. After such struggles, if they end up "not being able to spend the money," it becomes a serious issue of responsibility, one that can easily affect the very legitimacy of the organization’s existence.

この組織が「軍」ともなれば、その責任は、通常の私企業とは比較にならないほど重いものになります。
And if the organization in question is the "military," then that responsibility becomes incomparably heavier than that of any private company.

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誰が、この戦争(太平洋戦争)を始めたか?
Who started this war (the Pacific War)?

昨日、私は、"国民"と言いましたが、その共犯関係にあるのが、"予算"という恐しい怪物であったりするのです。
Yesterday I said "the people," but in complicity with them was also the terrifying monster known as "the budget."

結局、「戦争を始めたのは誰か」と問われたら、軍や国民だけではなく、「年度末に消化を迫る怪物『予算』」だったのかもしれません。
In the end, if you ask "Who started the war?", the answer might not only be the military or the people, but also that monster which always demands to be consumed by the fiscal year’s end: the "budget."

嫁さん:「じゃあ、開戦の責任は誰にあるの?」 私:「最後のトリガーを引いたのは"世論" ―― つまり『国民』だと、私は思っている」