2025,江端さんの技術メモ

先日、昨年末に放送された、「NHKスペシャル 量子もつれ アインシュタイン 最後の謎」について、その番組と無関係な日記をしました。

The other day, I wrote a diary entry about the “NHK Special: Quantum Entanglement - Einstein's Last Mystery” broadcast at the end of last year, but the diary had nothing to do with the program.

サッカー、野球、バレー、ありとあらゆるスポーツも"AI+センサ(カメラ等)+コンピュータ"で片付けていいんじゃないですか?

私、以前、「量子コンピュータ」の連載を担当していたとき、この番組に登場した人物を一人(デビット・ボームさん)を除いて全部調べ挙げました。

When I was in charge of the serialization of “Quantum Computers” before, I looked up all the people who appeared in the program except for one (David Bohm).

デビット・ボームさんは、新しい量子力学の理論の解釈を提唱し、その後、アカデミズムから冷や飯をくらい続けた方です。

David Bohm proposed a new interpretation of quantum mechanics but was shunned by academia.

その後、デビット・ボームさんは、超能力やカルトに傾倒していったようです。量子力学とは、そういう性質があるようです ―― まさか、研究者自身がハマるとは思いませんでしたが。

After that, David Bohm seems devoted to psychic powers and cults. Quantum mechanics seems to have that kind of property - I never thought that the researcher himself would become involved.

(↑クリックするとコラムに飛びます)

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要するに、学会の主流でない研究の主張しつづけることは、研究者としてはリスクがある、ということです(ちなみに、デビット・ボームさんのこの理論は、現在も見直しされていないようです(一応、調べました))。

In short, there is a risk for researchers to continue to advocate research that is not mainstream in academic circles (incidentally, it seems that David Bohm's theory has not been revised to date (I checked)).

ただ、この「精神」は次の世代に引き継がれました。

However, this “spirit” was passed on to the next generation.

『どんな複雑で難関な理論であろうとも、実験で検証しなればならない』ということです。

"Regardless of a theory's complexity or challenge, it requires validation through experimentation.'

私、ジョン・スチュワート・ベルさんの「ベルの不等式」を理解した時に、凄いショックを受けました。

I was shocked when I understood John Stewart Bell's “Bell's Inequality.”

で、それを本当に実験したのが、ジョン・クラウザーさんです。

And the person who experimented was John Crowther.

私が尊敬している科学者の一人です。

He is one of the scientists I admire.

なにしろ、この人、「アインシュタインさんの大ファン」で、「量子力学の内容が難解で、理解できないから、全否定したい」という、おおよそ、量子力学の歴史の中で、登場できる人物ではないのです。

After all, this person is “a big fan of Einstein” and “wants to completely deny quantum mechanics because it is too difficult to understand” and is not a character who could appear in the history of quantum mechanics.

ところが、自分の願いに反して、実験によって量子力学の正当性を証明してしまった、という、稀有な人物なのです。

However, he is a rare person who, against his wishes, proved the validity of quantum mechanics through his experiments.

彼は、その実験設備を、スクラッチから「全部手作り」で完成させました。

He completed the experimental equipment “all by hand” from scratch.

実験予算ゼロの中で、大学の中の研究室の実験設備の残骸を拾ってきては、スクラッチから研究装置を作り上げた、という話は、私を魅了してやみません。

The story of how, with zero budget for experiments, he built up research equipment from scratch by picking up the remnants of experimental equipment from university laboratories never fascinates me.

さらに、他の研究者から、実験装置の不備を指摘されて、最終的にその実験を最終的に中止するに至ってしまった、という話は、『研究者という立場の弱さ」を示す顕著な例になります。

Furthermore, the story of how the experiment was eventually canceled after being pointed out by another researcher as being flawed in the experimental equipment is a striking example of “the weakness of the researcher's position.”

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で、まあ、私が言いたいのは、私も、今、従来にはなかった新しい手法をつかって、かなり無茶な方向で研究を暴走させている最中なのですが、デビット・ボームさんや、ジョン・クラウザーさんが喰らった「冷や飯」の話を聞くと―― なんか、力づけられるのです。

So, I'm also in the middle of letting my research run wild in a rather absurd direction, using new methods that have never been used before. Hearing about the “cold rice” that David Bohm and John Crowther had to eat gives me strength.

まあ、私の場合、ずっと「冷や飯」という公算が高いのですが ―― もうキャリアとか考える必要もないシニアとなっていることは、逆に「強み」と言えるかもしれません。

Well, in my case, I'll likely be “cold rice” for the rest of my life, but I'm already a senior citizen who doesn't have to think about my career anymore, which might be considered an advantage.

とは言え、晩年に、カルト宗教に嵌って、家族に迷惑をかけるシニアになるよりは、シミュレーションのコーディングで一人で狂っている老人の方が、まだマシだ、と思うのです。

I think that it is better to be a crazy older man alone, coding simulations, than to be a senior who gets caught up in a cult religion and causes trouble for his family in his later years.

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我が家は、比較的、衛生に意識のある家だと思ってきました。

しかし、今年の、ここ一週間で家族全員が「かぜ」または「インフルエンザ」に罹患しました。

こういうことは、今まで一度もなかったと思います。

確率的にも、かなりレアケースだと思います。

今朝、嫁さんと次女がドラッグストアを回ったようですが「インフルエンザ判定器」を入手できなかったようです。

加えて、発熱外来の電話は、現時点で、完全に麻痺しているようです。

ChatGPTに推定して貰ったら、国内罹患者950万人という、凄い数を叩き出しました。

国内、帰省先、そして海外で、まさに今、倒れていて、そして、明日からも倒れる人がいると思います。

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診療受診、インフル特効薬の入手が、一年でもっとも困難な期間です。

市販薬やのど飴、過去に処方された薬、ひえぴた、鎮痛剤(ロキソニンでもバッファリンでも)、なんでも良いので、手の届く範囲に取り揃えておくことをお勧めします。

そして、食欲ゼロの状態でも何か口にできるものを、寝具の回りに撒き散らしておくと良いと思います。

私は、スポドリ4リットル、冷凍うどん、卵、ゼリー、果物のかんずめ、レトルトのおかゆ等を、よく取り揃えていました。

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これは私の主観的な感想ですが、

―― ことしの風邪/インフルは、『かかったかな?』と感じた時点で、負けが確定

というくらい、凶悪な感じがします。

動けるうちに、できることをやっておいてください。

2024,江端さんの忘備録

SNSもブログも民意を反映するシステムではありますが ―― ラクだよなぁ、とは思います。

Both social networking services and blogs are systems that reflect public opinion, but I think they're easy to use.

ネットが登場する前の政治運動といえば、プラカードを掲げたデモ行進ぐらいしかありませんでした(もちろん、テロもありますが)。

Before the internet, the only form of political activism was holding placards and marching in demonstrations (of course, there was also terrorism).

このデモ行進をする為には、遠方の人間を含めた、一定以上の人数が、あるリーダーの元に集って、統一行動を取らなければなりませんでした。

To carry out this demonstration, a certain number of people, including those from distant places, had to gather under a confident leader and take unified action.

本当に大変だったですよ ―― 過去、シュプレッヒコールを2回だけ努めたことのある自治寮の寮長だった私には。

It was tough for me, who had only been in charge of the “Sprechchor” twice.

江端さんのひとりごと 「正しいデモのやりかた」

江端さんのひとりごと 「粛正された寮長」

大怪我や、逮捕、拘留、下手すれば退学や解雇を覚悟して参加しなければならなかったからです。ちなみに、個人情報保護などという観念は1mmもありませんでした ―― 政治的活動は、物理的にも社会的にも『命をかけた行動』であった、ということは、(程度の差はあれ)本当だったのです。

These activities were because you had to be prepared to get seriously injured, arrested, detained, or even expelled from school or fired from your job if you got caught. Incidentally, there was not even a 1mm concept of protecting personal information - it was true (to varying degrees) that political activities were 'actions that risked your life,' physically and socially.

そのように考えると、SNS等は、コストの安い安全な政治参加を実現した、とも言えます。

From this perspective, SNS and other such services have made it possible to participate in politics safely and inexpensively

これこそが、私がネット社会で目指してきた理想の姿 ―― と、なるはずだったんだけどなあ。

This was the ideal I had been aiming for in the online world.

「誹謗中傷やフェイクニュースなどは、ネットの中で自浄作用が働き、自然に消滅する」くらいの気持ちでいたんですが、正直、見積り甘かったですね。激甘でした。

I thought that the self-cleansing effect of the internet would naturally eliminate things like slander and fake news, but honestly, I was underestimating the situation. I was wildly, significantly underestimating it.

政治とは関係ありませんが、ネット犯罪や闇バイトは、完全に想定外でした。

Although it has nothing to do with politics, I had no idea about online crimes or illegal part-time work.

―― 私たちが培ってきた「良心」は、簡単に「命令」に負ける

人類のもつ可能性は無限大、を実感しています ―― 特に、新しい技術の負の側面の運用については、人類は天才です。

I am realizing that the potential of humanity is infinite. In particular, when it comes to applying the negative aspects of new technology, humanity is a genius.

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そのような自浄作用には、その前提として、ファクトチェックとか、論理的思考や、読解力のようなものが ―― しかも、そうとうに高度な知力が必要となるのですが ―― 私を含めて、多くの人間は、そういう知性は乏しいし、そういう教育も受けていないです。

Self-cleansing requires skills like fact-checking, logical thinking, and reading comprehension. It also requires a relatively high level of intelligence, but many people, including myself, lack such intelligence and have not received such education.

新しい政治参加方法には、予想もしなかった負の側面がボロボロと表われて、これを法制度やコモンセンスで、長い時間をかけて丹念に直していくしかなさそうです。

The new methods of political participation have revealed unexpected negative aspects, and it seems that the only way to fix them is to use legal systems and common sense carefully.

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ネットによって世界は変わる、という私の予想は当っていました。

My prediction that the world would change because of the internet was correct.

ただ、どう変わるかについては、完全に私の予想を裏切りました。

However, it completely defied my expectations as to how it would change.

わたし、大抵の問題は「技術」で解決できると信じてきて、実際にいくつかの問題を潰してきたこともあります。

I have always believed that most problems can be solved with technology, and I have solved several issues this way.

でも、もうそういう考え方自体がダメなんじゃないかな、と考えるようになってきています。

However, I'm starting to think that this way of thinking is no good.

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で、まあ。ここに至るわけです。

And so I have come to this point.

―― 世界がどうなろうが、私の知ったことか

"I don't care what happens in the world."

と。

イラスト

(↑コラムに飛びます)

2024,江端さんの忘備録

一年の最後の日に何を書こうか、と考えていたのですが、このネタにすることにしました。

I was thinking about what to write on the last day of the year and decided to use this topic.

私は、時々、読者の方から感想メールをいただくのですが、その一つをご紹介します。

I sometimes receive feedback emails from readers, and here is one of them.

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追伸:

P.S.:

江端様がかつて定義していた「ハレ」

The “Hare” that Mr. Ebata used to define

その1:先日(と言っても昨年)結婚しました。1年も経つのに未だに毎日が信じられないほど幸せです。

No. 1: I got married the other day (last year). It's been a year, but I'm still delighted every day.

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皆様、よいお年を。

A Happy New Year to everyone.

江端さんのひとりごと 「江端の『ハレ』の定義」

 

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江端さんのひとりごと
「江端の『ハレ』の定義」
   2004年11月26日
<後輩夫婦の旦那からのメール>
Aです。
台風の上陸に合わせるかのように,妻が、男児を出産しました。
予定日を大幅に過ぎており、不安だったのですが、母子ともに、健康状態は良好です。
メールでの簡略式で申し訳ありませんが、とりいそぎご報告まで。
</後輩夫婦の旦那からのメール>
<江端のリプライ>
江端です。
おめでとうございます。
最近、「ハレ」が少ないところに、このようなTypicalな「ハレ」をご報告を頂き、ありがとうございます。
# ちなみに、江端の「ハレ」の定義
  • 結婚(できちゃった結婚なら、ハレ度アップ)
  • 彼女、彼氏の出現
  • 出産
  • 家、マンション、車を除く、意外な高額商品の購入(個人による電子顕微鏡、無人島の購入等)
  • 学位、昇進、特許、資格取得を除く、意外な賞の受賞等(人間国宝指定、文化勲章授与、オリンピックメダル取得等)
  • その他、江端が「ハレ」と認めるもの
ところで、誕生したお子さんだけでなく、奥様が生み出した特許発明「特開2003-XXXXXXX」の活用検討で、頭を抱えております。
生み出したものは、子供であれ発明であれ、慈しんで「両親」協力して育てましょう。
自分の子供に、「出願審査請求→否」と返事してはなりません。
</江端のリプライ>
(本文章は、全文を掲載し内容を一切変更せず著者を明記する限りにおいて、 転載して頂いて構いません)

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アインシュタインは、天才論理物理学者であることに疑いはないのですが、それでも、私が知る限り2つミスっています。

宇宙定数項の導入と、量子力学の否定です。

ただ、この2つの否定が、次のステップの大ジャンプとなったことは事実であり、『ミス=悪いもの』とはならない良い事例になっています。

さて、私が待ちにまっていた、NHKの「NHKスペシャル 量子もつれ アインシュタイン 最後の謎」が放映されました。

ここ数日は、これに関する私のレビューで溢れるかと思います(で、多分PVは落ち込むことでしょう)。

ですので、行き成り、番外編から書いておきます。

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私も、量子コンピュータシリーズを執筆していて、その解説にめちゃくちゃ苦労した記憶があります。

特に、「量子もつれ」については、勉強→理解→発狂→感動→感涙 という経緯を経て、その説明用メタファに至るまで、かなり時間がかかりました。

NHKはこの番組で「だるまさんが転んだ」と、「ネジリン(量子の擬人化)と鬼(ネジリンの観測者)」というメタファを使っています。

これが良いかどうかは分かりませんが、私には、私の考えたメタファの方が分かりやすいです(当たり前だ)。

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「だるまさんが転んだ」という遊びは、典型的な遊戯ではありますが、静止が壊れれている状態を「鬼とプレーヤー」が合意しないと成立しない面倒なゲームであります。また観測時間を長くすれば、静止状態が崩れやすくなるのは当然です。

で、思ったのですが、

―― 「だるまさんが転んだ」スマホアプリ

というのを、だれか開発してみませんか?

スマホのカメラを使って、静止状態の許容距離やベクトル、そして、観測時間の上限設定をするコーディングをすれば良いです。

情報工学の大学の卒論あたりのテーマとしては、妥当と思うのです。

画像処理技術や、各種アルゴリズムはネットに落ちているものを拾って、組み合わ(インテグレーション)せれば良いでしょう。私なら、インテグレーションできただけで、卒業認定します。

で、そのアプリは、無償で開放する、と。

コンピュータの判断に因るのであれば、子どもたちも、納得し、かつ安心して、「だるまさんが転んだ」を楽しめるという訳です。

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嫁さんには、この話をしていません。嫌な顔をするのは分かっているからです。

これを読んでいる多くの方も、嫌な顔をしているでしょう。子どもには、こういう「鬼とプレーヤー」が合意する機会が必要だ、と思うからでしょう。

でも、もう、私、そういう人間関係に関する基本的な能力も、AIに丸投げしてもいいんじゃないかな、と思っているんです ―― かなり本気で。

サッカー、野球、バレー、ありとあらゆるスポーツも"AI+センサ(カメラ等)+コンピュータ"で片付けていいんじゃないですか?

公平性の担保も簡単で確実です。AIのソースコードと試合中のデータを全部公開すれば、それで足ります。

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私たち人間は、自力で「いじめ」の認定すらできないのは、もう十分に分かりました。

ならば、一度、全部AIに投げてみるのもありかと思っています。

多分問題は出てくると思いますが、やってみなければ、その問題が何なのかも分かりませんからね。

AIではダメだ、と分かれば、その時に、止めればいいんです。

AIは、人間と違って既得権益に囚われませんから(AIを提供する側の既得権益の問題はあるかもしれませんが)。

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江端さんのひとりごと

「粛正された寮長」

Tomoichi Ebata
Sun Feb 4 19:02:12 JST 1996

上海から南京を経由して西安に向かう中国大陸鉄道の列車の中で、私は一人でぽけー っと外の風景を眺めていました。一面に続く砂漠の草原の中にある大きな河は、もう一 時間前から列車の線路に添って、変わらぬ風景を見せ続けていました。

悠久に流れる果てしなく大きい湖のような河を見ながら、色々と揺れていた私の気持 ちが少しずつ、一カ所に集まりつつあるのを感じました。

(そろそろ引き際・・かな。)

春が来る気配を少しずつ感じさせながらも、まだまだ寒かった大学2年の3月上旬の ことです。

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たった一回だけ大学のデモにまで出陣した私は、これまた一度だけでしたけど、S寮 寮長として拡声器で道行く学生達にアジテーションをしたこともあります。

江端 :「大学当局はぁ、このような巨大なコンピュータシステムをぉ、関西学研都市 構想におけるシンクタンクとして機能させぇ、学生達の主体的運動を抹殺せ んと画策しているのでありま~~す!!」

その他:「よーし!!」「異議な~し!!」

なお、このコンピュータは、あの使いにくさをほこるh立の大型コンピュータでした が、h立社のコンピュータに限らず、この地球上に『学生達の主体的な運動を抹殺する 』ような機能を持つコンピュータなどありはしません。勘違いも甚だしい。なにしろ、 コンピュータを研究している私が言うのだから間違いありません。

まあ、このようにハイテク関係では、かなり勉強不足のところも多くありましたが、 社会的な問題意識を人一倍持ち、寮生同志で深夜に渡る激論を繰り広げたり、実践的運 動に励んだりしているうちに、心ならずも2年生の後半には寮長に就任させられてしま うことになります。

そして皮肉なことにも、この寮長就任こそが、私にS寮を出ていく事を決意させる きっかけとなるのです。

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寮長就任後、私はこれまでのS寮の方針を根幹から変えてしまうような、まさに革命 的な方針を、気づかれないように密かに打ち出します。

それは「大学当局との話し合いの再開」です。

私は1969年以来20年近くにも渡って続けられてきた、大学当局との不毛な闘争 にピリオドを打ちたいと考えました。理論による正しさを押し進めるのではなくて、現 実の話に合った具体的な方法で、当局との関係を改善して行く必要があると考えたので す。

それに、私は現在のS寮の存在がかなり危ういものではないかと心配だったのです。 それは「S寮は大学の施設である」と言うことです。

つまり、大学が「S寮を取り壊すよ。」と言われたら、私たちはもう終わりなのです。 大学当局を激しく非難しているとは言え、物理的な攻撃を加えられたら、どうしようも ありません。

例えば、電気水道を止められたり、食堂の職員を引き上げられたら、私たちの生活の 基盤が壊れてしまいます。

「学生の生存を脅かすのか!!」とか、「我々の主体的な学習施設を破壊するのか! !」とか、色々言えるとしても、当局が本当にやる気になれば今なら簡単にできるので す。勿論ストライキとが、寮に居座って徹底的に闘争を続けることはできます。が、そ れは恐らく効果を果たさないでしょう。

なぜなら、寮生は全学生と比べてみれば明らかなように圧倒的にその人数が少なく、 しかも寮の活動はほとんど理解されていませんでしたから。寮生が、いわゆるあの学生 運動の衣装でアジテーションしたりビラを配ったりしたりしても、多くの学生は素通り です。だれもその話を聞こうとすらしないのです。

私はすこしずつですが、S寮が存続できているのは「学生による大衆的な支援」どこ ろか「大学当局のお情け」だからじゃないかと思わざるを得なくなってきました。S寮 が廃寮の危機に陥ったとしても、恐らく大衆運動には発展しないような気がしてきまし た。

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なぜ私がこのように思うようになってきたかと聞かれれば、たまたま私が理系の学生 だったからだと思います。

理系の学生が文系の学生と決定的に違うところがあるとすれば、それは「実験レポー 」ではないかと思います。どんなに試験前に勉強しようと、良い点を取ろうと、親の仇 のように単位を取ろうと、それだけでは決して卒業はできないのです。

週2回以上の8時間にも及ぶ実験は、その数倍以上のレポート作成時間を必要としま した。また不十分な考察をしているレポートを提出しようものなら、たちまち『再提出 』の判が押されて突っ返されます。私たちは、常に複雑な計算を必要とするための電卓 やポケットコンピュータが手放せませんでした。

しかしそれ以上に絶対的に重要不可欠なものがありました。

仲間です。

膨大な時間、複雑な計算、理論的な考察。立ちはだかる諸問題をたった一人で解決す る事など、はなっから不可能なのです。私たちの学問は、甘っちょろい友情ではなく、 鉄のパートナーシップが大前提となっていたのです。

コンピュータが得意な者は、コンピュータセンタに入り浸り、仲間の分まで計算を出 してくれます。考察が得意な者は、実験装置の不備から、誤差が発生した原因を指摘し てくれます。時間のある者は、図書館に走りコピーを取ってきてくれます。レポート提 出日にの早朝、空が白々と明るくなってきても、お互いの下宿や自宅で電話が鳴り響き 、実験データの検証作業が続きました。

全ての行動は自分のためであると同時に、他人の為になっていたのです。そこには、 「強い者が弱い者を助ける」と言う古より多くの賢者達が実践を試み、ついに成功する ことのなかった理想の共同体がありました。

そんなわけで、私はデモやアジテーションをする仲間と共に暮らすと言う非常に特殊 な立場にいながら、同時に平均的学生生活にどっぷりと浸ると言う、誠にご都合的な状 態にいることが出来たのです。ですから、S寮に対する意識や、学生運動に対する学生 の生の声を仲間達から直接聞くことも出来たのです。

で、それをまとめるとこんな感じでした。

『S寮は共産党の支部で、革命を目指している学生が集まっている。ときどき立て看板 やアジをやって、政治的非難をしていて、皇居を爆破しようとしたりサミットの要人を 暗殺しようとしている。ところで江端も共産党員なの?』

こ・・こりゃだめだ。と地面に這い蹲ってしまいそうなほどガックリきた私は、もは やどこからどう訂正をしたものやら判らず、座り込んでしまいました。

『大学当局が、学生を無視して何かをやらかすことを批判しているだけだよ』とすら言 う気力もなくなっていました。

こうして活動的な学生とそうでない学生との間には、すさまじいまでのギャップが発 生していたのです。
「政治的無関心のプチブルめ!」と「時代錯誤の運動家野郎が!」
てな感じでしょうか。活動的な学生は、まさに「活動」に忙しく講義にも出ないで、留 年なんぞは当たり前と言う感じで、ますます「普通」の学生から離れて行きます。「同 じ入学年度の同じ学部の同じ学科の人間と、話をしたことがない」と言う寮の先輩もい ましたが、なんとも不気味な状態です。

このように同胞から離れたところで、どんなに同胞のために闘っていたって、支持を 得ることが出来るわけがないのは自明です。何と言っても今は1969年ではないので すから。

しかし、そこのところが寮の長老達、と言っても3、4、5・・年生ですが、彼らに は全く判っていなかったように思えます。

寮長に就任した私は、小さいことから徐々に初めて行こうと思いました。

『圧倒的階級的怒りをもってして、同志諸君の鉄の意志を大学当局へぶつけろ!来たれ 学生大会へ!!』と言うビラは、『私たちが我慢の出来ないことを、みんなで一緒にな って大学の当局へ要求しましょう。学生大会は○月×日です。』と言う感じに変えて見 たり、従来いかめかしい文句で書かれていた立て看板を、イラストを入れてみたりする ように提案しました。

なによりあの学生運動独特のかっこうをやめて、普通のシャツにジーパン、頭髪もす っきり短くして、なるべく分かりやすい言葉のアジテーションや、ワープロやパソコン などのメカを利用し、過去の因習であるゲバ字(あの立て看板によくある字の角が強調 された文字)を排除し、作業の効率化を図ろうとしました。

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さて、ところがこの改革、そんなにすんなりとは行かなかったのです。

最初のうちは、寮を活性化するための私の小さな工夫の数々を、目を細めるように慈 悲の笑顔で見守っていた長老派たちも、どうやら江端は形式的な改革に留まらず本質的 な改革を目指していると気がついて、私に対して本格的な攻撃が加えられるようになり ます。

これまで寮を運営してきた、いわば職業的運動家たる長老派は「一般学生に媚びを売 る行為だ。」と私のやり方に非難を始めました。

私はキョトンとしてしまいました。

まさに『それ』が目的だったからです。理解して貰うためには、しかも正しく現状を 理解して貰うためには、それが媚びであろうが何であろうがやることはやる!!、と言 う気持ちでしたから。なぜならその過程を抜きにして、S寮が多くの学生の支持を得ら れる訳あろうはずがないと考えたからです。

長老派の言い分は、「学生の意識を覚醒することは、学生に媚びることではない。」 と言うものでした。つまり、私たちの意識は私たちが従来やってきた手段にも反映され ているはずだ。だから従来通りの手法で情報宣伝活動(情宣)を行い、極めて高い意識 を持っている小数の学生によって、寮が継続されて行けばよい、と。

私は唖然としました。

アホか・・。

こいつらは自分達を特別な何かと勘違いしている、と私は思わずにはいられません でした。社会的な問題を持っている者だけが偉いのだと言うしょうもない特権意識を 感じて、私は実に不愉快でした。 大体S寮の置かれている極めて危機的な状況も判っ ていないようでした。外から自分達を見れない者達が、必ず陥る落とし穴に落ちてい ました。

いわんや、「大学当局との話し合いの再開」に関しては、もはや私と長老派の決裂は 明らかでした。

『理論的な正義が先ず先にある。』と言う長老と『時代と共に価値は推移する。きれ いごとで全てが片ずくものか。』と主張する私は真っ向から激突。寮会議や様々な場所 で激論が展開されました。

最後の方では、私もかなり腹が立ってきました。

「では、孤立して、自ら自滅してみるか!?」と叫びたくなったものです。

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最終的に、信頼できる友人と思っていた前寮長のTが長老派に寝返り、私の敗北が濃 厚となった頃、前々から予定していた中国への旅の期日が近づいていました。

寮長としての最も重要な仕事である、「自治入寮選考」は、丁度、私が中国から返っ て来る二日後に予定されていました。私は迷いましたが、今後の自分の身の振り方を考 える為にも、敢えて中国の旅に出ることにしました。

大陸鉄道から丸まる三日間、広大な大地をぼーっと見ながらひたすら考え続けていま した。

「私が一番やりたかったことは一体何だったのだろう」と。

嬉しかったのは、合格通知が届けられた日。
腹いっぱいに、電気の勉強ができると言う想いでした。勉強は難しく苦しいものでした けど楽しかったし、仲間は親切で良い奴ばかりでした。工学部の先輩から2万円で貰っ たパソコンで計算したトランジスタ回路の数値が、実験結果と合致したときの喜びは、 その後の喜びを全部足し算しても及び付かない程でした。

では、S寮はどうだったろうか。
S寮は様々な社会的な問題を私に与えてくれました。 自分の尊厳を傷つけるものには、命をかけて抵抗をしなければならないと教えてくれま した。

しかし、それを『解決する方法』においては、どうだったのだろう。 20年もの間変わることなく、同じことをやってきて、時代の移り変わりに全く順応し ていませんでした。

そして、私はそれを変えたかったのですが、力及ばず、ついに変えることがことが出 来なかったようです。

もはやS寮から学ぶことはない、あとは一人で実践的に獲得して行くしかないようだ と、揺れていた私の気持ちが、少しずつ集まって行きました。

私は蘭州から電報を打ちました。

『帰国を延期する。入寮選考には間に合わないので、入寮選考委員でよろしくやってく れ。帰国後然るべき責任は取る。』

こうして2週間の旅は3週間に伸び、私は広大な中国大陸を一人さまよっていたので した。

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帰国後、しばらく名古屋の実家に帰り、退寮総括の準備をしていました。退寮総括と は、寮生が退寮するときの手続きであり、寮生全員一致の賛成が得られないときは、寮 を去ることが出来ません。この様な手続きが出来ない人は、「脱寮」と言って、夜中に ひっそりと荷物を運んで逃げ出したりしていましたけど。

私は退寮総括を以下ように締めくくりました。

  • 私は勉強がしたくて大学に来た。この想いはS寮の運動より遥かに優先する。
  • 寮を存続させよ。学生達の声を伝える機関たれ。
  • 問題意識を持たない学生こそ、どんどん入寮して貰うべきであることを理解せよ。
  • 個人的空間に介入するな。個人の価値観の多様性をもっと尊重しろ。
  • Tが私の部屋に勝手に入って、壊した私のパソコンに関しては、もはや何も言う まい。修理代金がいくらであったとしても。

結局最後の点の牽制が効いていたのか、大した質疑応答もなく、私の退寮は寮生全員 一致で確認されました。

最後にTを殴っておこうかなとも思ったのですが、止めておくことにしました。

その後、寮の後輩が引っ越し先のアパートに来ては、色々と相談を持ちかけてきまし た。私の手際のよい退寮の仕方に嘆した彼らは、どうすれあんなに後腐れなく退寮出来 るのかをしつこく尋ねるのでした。

そんな訳で、私は「退寮コンサルタント」として、退寮後もしばらくS寮と係わらざ るを得なかったのです。

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そして、大学3年から大学院を卒業するまでの4年間、私は岩倉のアパートで、まさ に水を得た魚のように、勉強、読書、実験に明け暮れ、水素爆弾を作るまでに至る、 いわゆる「大暴走の4年間」を送ることになります。

その後、入寮希望者は減り、寮を離れていく学生も多くなり、寮の存続がかなり危ぶ まれていたのは事実のようです。 しかし、私にはもう関心がありませんでした。 私は、目の前に広がる電子工学の勉強に夢中になっていましたから。

『このガウス!この野郎!!任意の閉曲面に対する積分と全体積の積分が等価だなんて 、こいつ、いいところに気がついてやがるぜ!!ガウスの定理なんて名前まで貰いやが って!!憎いね。』

古の偉人たちには大変申し訳なかったのですが、まあこんな感じで感動しながら勉強 していました。

結果的に、退寮と同時に、私は学生運動への興味を失ってしまったようです。

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それからしばらくして、フランスでは、現体制を崩壊させかねない大規模な学生デモ が展開されました。

学生に対する不当な政府の命令に怒った学生達は、誰が言い出すでもなくあっという 間に学生達による大衆的なデモに展開して、政府を恐怖のどん底に陥れます。そして政 府が学生達の要求を受け入れるや否や、あっという間に学生達は解散して平常な状態に 戻ったと聞きます。

私は下宿のテレビの前で、寝転がりながら一人このニュースを見ていました。 そして、テレビのスイッチを切って、しばらく天井をじっと見つめていた私は、しばら 忘れていた苦いものがこみ上げてくるのを押さえきれませんでした。

(しかし、何時になったら私の国の学生たちや、かつて学生だった者たちは、『人間ら しく生きること』を真剣に考え出すのだろう)と私はそれを繰り返し繰り返し呟いてい ました。

そして、その夜、私はウイスキーを浴びるほど呑み、ろれつの回らない口調で、訳の 判らないことをわめきちらし、そのまま床の上で眠ってしまいました。

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江端さんのひとりごと

「正しいデモのやりかた」

Sun Feb 4 19:02:12 JST 1996

私の人生の中で、「これだけは、誰もがおいそれとは出来ないだろう。」と自信を持 って言うことのできる体験があります。

学生デモです。

学生さんにプレゼンテーションをする、というデモではありません。と言うと、ふざ けているように思われるかもしれませんが、あながち冗談で言っている訳でもないので す。なにしろ最近では、「デモ」と言う言葉自体、知らない人が多いようですから。

正しい言い方ではないのですが、手っとり早く言うと、学生が機動隊と衝突して石や 火炎瓶を投げたり、大学の学長室を占拠したりして、自分達の意志を表示し、正しい( と彼らが信じている)世の中にしようとする学生達による『世直し』行動です。

もっとも、酷いのになると思想的に対立しているグループ(セクト)どうしで殺し合 いをしたり、山の中に殺した同志を埋めたりするとんでもない奴らもいます。これは「 デモ」ではなく「テロ」と呼ばれるものです。しかし、60年や70年安保闘争の時と は違い、私が大学に在学していたころの学生運動の多くは、極めて平和的な抗議行動で した。

ガリ版で書いたビラを配ったり、拡声器でアピールをしたり、過激な抗議行動と言っ ても十数人の学生が隊列を組んで、道路のど真ん中でジグザグにデモをするくらいのも のです。で、「かまぼこ」と言われる機動隊の装甲車から巨大なスピーカーで注意を受 けるわけです。

「道路中央でのジグザグデモを止め、直ちに解散しなさい。繰り返します。ジグザグ デモを止め、直ちに解散しなさい。君達の行動は、道路交通法××条○項に違反してい ます。解散しない時には、諸君らを検挙します。」

警察は「写真班」と言われる私服の警官を紛れ込ませて、カメラを抱えてデモ隊の回 りをうろちょろと走り回っています。これは、いざ検挙!となり告訴→公判の時に証拠 として使うためです。学生だってばかじゃありませんから、サングラスとタオルとヘル メットで、あの独特の変装をすることになります。しかし、さすがにあのかっこう。随 分嫌われたようで、フルフェイスメットでデモに出ていた人もいたようです。

でも、結局検挙はされなかったし警察もそのつもりが無いみたいで、今になって思う と、一種の儀式と化していたような気がしますけど。

これらの学生による抗議運動は、同じ仲間であるはずの学生からも無視、あるいは嫌 悪を持って迎えられる事が度々ありました。しかし大学当局の独断的で理不尽な決定、 例えば移転問題、授業料値上げ問題等を、同じ土俵で話し合う場所を与えたのですから 、私は高く評価して良いと思っています。

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ところで、意外に知られていないのですが、学生運動にも様々なバリエーションがあ ります。例えば、最も過激なセクトでは暴力による権力の奪還、すなわち革命を目指す ものから、ボランティアグループ等による比較的静かな抗議行動まで様々です。

私は大学に入学してから2年間、学寮であるS寮に住んでいました。生活費を考える と、とても下宿やアパートに住む事は出来そうになかったので、私の弁術の限りを尽く して、何とか自治入寮選考にパスしました。

実はこのS寮、70年安保の時代に、大学当局から自治権を獲得して、学生のみによ る自治管理をしてきた寮でした。ことあるごとに当局と対立し反目を続け、大学の学生 運動の砦として機能してきました。

自治寮であるS寮では、学生自身によって自発的に独自の学習会が行われていました 。主な項目は、「教育問題」や「差別問題」などで、具体的には、中教審、臨教審、管 理教育、部落差別、男女差別、天皇制などなど。この他、関西学研都市構想批判、文部 省大学補助金制度批判など多岐に渡っていました。また酒税法批判を兼ねて、寮祭のと きには「どぶろく」を作ったりもしていましたし、人権運動をしている弁護士を呼んで 公演会を開いたりもしていました。

しかし、「レーニン」「スターリン」「トロツキー」なんぞは、ついに出てきません でした。そういう意味での思想的背景は全く無く、常に権力や体制批判に終始していま した。

このような日常的な学習のおかげで、個人では到底不可能であろうと思われる規模の 、おそらくは何百冊の書物に相当する、生きた知識を得る事ができたように思えます。 そして何よりも、「人権」と「平等」と言うものを、単に字面でなく、血肉の知識と して理解出来た事を、とても幸運なことだと思っています。

そしてこの「人権」と「平等」の考え方が、やがて私に料理を学ばせ、漂白剤を使わ せ、ボタン付けの技術を向上させることになり、さらに2年後にはS寮を出ていく事を 決意させることになりますが、これはいずれまた。

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さて、デモを行うときにはいくつかの注意点があります。

何と言っても、自分達はこんなに反対しているんだ、怒っているんだと相手に知らせ る為には、できるだけ多くの人数で人目を引くパフォーマンスを行う必要があります。 できれば、ついでに人的被害を与えず敵をやっつけてしまえる、「平和的な破壊活動」 があれば言う事ありませんが、せいぜい拡声器による抗議文の朗読、大学旗、寮旗を掲 げての抗議行進、道路ど真ん中でのジグザグデモがせいぜいでしょう。

また警察が常に張っていますので、面が割れないように変装グッズを用意する事も 必要です。お面やコスプレの様に楽しいものにすると、敵に怒りが伝わりません。やは り、60年安保闘争より由緒正しきユニフォーム「タオル」「ヘルメット」「サングラ ス」で身を固めます。

女性もスカートではなく、今日だけはジーパンを履き、靴はできるだけ大きくて固い 「登山靴」あるいは「安全靴」が望ましいです。と言うのは、小競り合いのどさくさに 紛れて、機動隊員がジェラルミン盾で足の甲の骨を砕いたりするからです。70年安保 では、通りがかりのスカートとパンプスの女性がデモ隊に加わったと言う凄い話を聞い た事があります。当時は、大衆の政治に対する意識がいかに高かったか解るというのも のです。

そして、決してデモをするときには本名で呼び合わないことが大切です。警察にチェ ックされたら終わりですので「組織名」と言う呼び名を各個人で用意しておきます。

ちなみに私は「西田」と言う組織名でした。

この他、検挙されたときには人権110番と呼ばれる団体の弁護士を呼ぶこと、尋問 には完黙(完全黙秘)で対応する事など、とまあ色々あるのですが、とても書ききれそ うにありません。これも機会があればいずれお話する事にいたします。

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大学一年生の秋、私は学費値上げに対するデモを行うために、S町キャンパスに行く ように先輩に言われました。先輩は、私にもっと積極的にデモに出るように言いました が、私は、私の心が震えない運動への参加は、消極的に支援するに止めてきました。

しかし、当時、学費と生活費の両方をアルバイトで稼いで、やっとこさ生活していた 私は、「学費値上げ問題」で、巨大な怒りの火の玉と化しました。しかもその理由が、 ほとんど何の必要もない「大学移転」の為に使われることだったこと。そしてなにより その値上げが「来年の入学者から適用される。」と言う姑息な方法だったことです。そ れは、在学中の学生の反発を免れようとする、まあ本当にダーティなやり方でした。

そんな訳で、私は私の人生においてもたった一度だけ、心の底から真剣に取り組んだ デモを体験する事になります。

秋がもうすぐ冬にさしかかろうと言う少し冷え込むどんよりと曇った寒い朝。自治会 及び大学の9つの自治寮、サークル団体などからやってきた、およそ100人の有志の 学生達はS町キャンパスに結集。

それぞれが自分の所属する団体のヘルメットとタオルで顔を隠し、固まって待機して います。皆、顔は見えませんが、ぴーんと張りつめた空気の中、緊張した面もちで集会 を始めました。この集会の後にデモを行う事になっていました。

校門の付近には警察官が数十名、装甲車が1台待機しています。ジェラルミン盾とヘ ルメットで武装した警察官も10名ほどいたようです。

しかし、そんな衝突前の学生と警察の緊張が極限まで高まった雰囲気の中、状況を全 く理解していない、新参者の痴れ者がいました。

私です。

サングラスをするだけのいい加減な変装で、物珍しそう警察官が集まっている方に行 って『おお、来ている。来ている。』と言ってみたり、集会に集まっている知り合いを 探したりして、全然落ちつきがありません。

うろうろと辺りを歩き回っているうちに、集会の人混みの端の方に、同じ寮の先輩で ある田中(仮名)さんを見つけました。

「あ、田中さんだ。おお~い、田中さん~」

と田中さんを呼んだのですが、田中さんはこちらの方を気づかない様子のようでした。 私はさらに声を大きくして、

「たなかさ~~ん。た・な・か・さ~~ん。聞こえませんかぁ~~」

田中さんは、全く何も聞こえていない様に、集会している場所を背にして歩き始めまし た。どこに行くんだろうと、不審に思った私は、

「たなかさ~ん、どこに行くんですか。おおーい、たなかさん。たなかさん。」

と田中さんを連呼しながら、小走りに田中さんに近づいて行きました。

警察の集まっているところからは、丁度死角になっている建物の柱の蔭から、私を招 きよせる田中さんの手が見えました。

私が柱の蔭に行くと、もの凄い怒りの形相でたっている田中さんがいました。

そして間髪入れず、「バキッ!!」と頭の骨が折れるかと思うくらいの、すさまじい 拳骨を喰らいました。

息が止まるかと思うくらいの痛みで、しゃがんでうずくまってしまった私。

頭を抱えながら痛みに耐えて、上目使いに田中さんを見上げて言いました。

「な、何をするんですか~ぁ。」

と恨めしそうに訴えると、田中さんは怒りの表情を緩めず、地声を出さないように注意 しながらも、大きく口を開いて激しい勢いで、怒鳴るように言いました。

「本名で呼ぶんじゃない!!!!」

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その後、自治会は「72時間時限バリケードストライキ」、別名「72バリスト」に 突入、72時間の期限付きで大学構内をバリケード封鎖しました。

しかし、このような運動も虚しく、大学当局の思惑通り、この「授業料値上げ反対闘 争」は大衆的運動に発展する事はなく、授業料値上げは予定通り実施されることになり ます。

大学1年の初冬のことでした。

2024,江端さんの忘備録

嫁さんが、私と同じような症状(咳や熱)が出たようです。

My wife seems to have the same symptoms (cough and fever) as me.

嫁さんは急いでクリニックに行き、インフルエンザと診断され、薬を処方されて帰ってきました。今は寝こんでいます。

My wife rushed to the clinic, was diagnosed with the flu, and came home with a prescription for medication. She is now in bed.

私は、初期の症状から「インフルエンザではない」と思い込んでいたいのですが、インフルエンザだったのかもしれません。

I want to assume from the initial symptoms that it was not the flu, but it may have been the flu.

もしそうであったなら、私も「タミフル」などの処方して貰って、もう少しは軽い症状で回復できたかもしれません。

If that had been the case, I might have been able to get a prescription for “Tamiflu” or something similar and recover with a bit milder symptoms.

私は、「最悪」を想定して動くべきでした。

I should have assumed the “worst” and moved on.

「インフルエンザ=38.5超の高熱が継続」という従来の定説は、忘れた方が良いでしょう。

We should forget the conventional theory that “influenza = persistent high fever over 38.5”.

以前私も、36度後半の熱で受診して「インフルエンザ」と言われて、びっくりしたことがありました。

I was once surprised to go to the doctor with a fever in the high 36s and be told I had the flu.

今後は、デフォルトで「インフルエンザ陽性」と診断され、運が良ければ「インフルエンザ陰性」になるくらいの気持ちで受診した方が良いと思います。

From now on, I think it would be better to go to the doctor's with the mindset that you will be diagnosed as “influenza positive” by default, and if you are lucky, you will be “influenza negative.”

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患病中は、もう、何もする気がなくなります。

During the illness, I no longer feel like doing anything.

仕事は勿論ですが、ブログの更新ですらどうでも良くなります。

Work, of course, becomes unimportant, and even updating the blog becomes unimportant.

そして、「別のクリニックを受診した方がいいんじゃないの」という嫁さんのアドバイスすら、もう耳に入ってきません。

And even my wife's advice, “Maybe you should see another clinic,” is no longer falling on deaf ears.

予約する作業が苦痛で、移動する労力を考えるだけで、悪寒がしてきます ―― で、私の場合、タミフルを処方される機会を失ったと言えます。

The process of making an appointment is painful, and just the thought of the effort of traveling gives me chills -- and in my case, I can say that I lost my chance to be prescribed Tamiflu.

「考える力」が完全停止、という状態になります。

The “ability to think” comes to a complete standstill.

それ故、患病中の患者にたいしては、「暴力」が必要となります。

Therefore, “violence” is necessary for patients who are suffering from the disease.

近くにいる人が、勝手に予約して、無理矢理患者をクリニックに連れていく、ということをしないといけません。

Someone nearby must make an appointment independently and force the patient to visit the clinic.

患者は最適な選択ができない状態だからです。

The patient is in no condition to make the best choice.

今の私が、世界で一番憎悪しているフレーズは、『死ぬ気になれば、何でもできる』です。

===== 引用ここから =====

===== Quote from here =====

「助ける」ためには、『物理的に助ける』しかありません。

The only way to "help" is to "physically help."

『気持ちに寄り添う』ことは、「助ける」ことにはなりません。

Being 'in touch with their feelings' does not mean 'helping.'

「ロープを持ってきて、引き上げる」ところまでやって、初めて「助けた」と言えるのです。

Only when you get to the point of "bringing the rope and pulling them up" can you say that you have "saved" him.

===== 引用ここまで =====

===== Quote here =====

問題は、患者の側に運よく、こういう人(伴侶、家族、友人)がいればいいのですが、これからの時代、こういう人間関係が「レアケース」になっていくことは、確定した未来です。

The problem is that while it would be nice if the patient were lucky enough to have such a person (spouse, family member, friend) on their side, it is a definite future that such relationships will become “rare cases” in the future.

少子高齢化、晩婚化、非婚化はもちろんですが、そうでなくても、長生きすれば、だれだって、最後には一人で逝くことになります。

Of course, with the declining birthrate and aging population, as well as the trend towards people marrying later and not getting married at all, even if this is not the case, if you live a long life, you will eventually pass away alone.

私は、これまで、『家族をセーフネットの道具として考えない』と明言してきました。

I have always made it clear that I do not consider family members as tools for the safety net.

私は、『その覚悟ができた者だけが、"親"と呼ばれる資質を有する』と思っています。

私も、自分の親を「踏み台」として生きてきましたので、自分がその例外になることなど、許されるべきではないと思っています。

I have also lived my life using my parents as a “stepping stone,” so I don't think I should be allowed to be an exception to the rule.

私は、「助けてくれる」という方向は期待していないのですが、その分、「苦痛回避の手段」の方向を充実させて欲しいです。

I don't expect "someone helps me” direction, but I would like it to be more of a “pain-avoidance” direction.

(↑クリックでコラムに飛びます)

(Click to go to the column)

この問題、まだ正面に出てきていないようです。まあ、誰しも、個人的に気がついた時には、手遅れになっているという事案ですが。

This problem doesn't seem to have come to the fore yet. When anyone notices it personally, it's already too late.

私は、増税も社会保障も軍事費も、もうどーでもいいし、正直に言えば、安楽死や尊厳死も期待していません。

I don't care about tax increases, social security, or military spending, and to be honest, I don't even expect euthanasia or death with dignity.

『苦痛を回避する薬の処方の自由化』 ―― これを公約としてくれる政党が出てきたら、個人献金であれ、裏金であれ、なんだって協力します。

'Liberalization of the prescription of painkillers' - If a political party comes forward with this as a campaign promise, I will support them in any way I can, whether through personal donations or under-the-table payments.

『じゃあ、江端が新党を立ち上げろよ!』と言われるでしょう(当然です)が、これ、法制化するの、無茶苦茶難しいんですよ(検討済み)。

People will say, “Well, why don't you start a new political party, Ebata!” (which is only natural), but it isn't easy to make this a law (it's already been considered).

それに、私自身、私以外の人が、苦しむことについては、興味ありません。「自力救済」で十分です。

Besides, I have no interest in the suffering of others. 'Self-help' is enough for me.

とすれば、自由研究による、非合法薬物の製造ですね。

If so, it would be the production of illegal drugs as a free research project.

大学院の専攻間違えたかなぁ。

I wonder if I chose the wrong major for graduate school.

今から薬学を志して、間に合うだろうか?

Can I make it in time if I start studying pharmacy now?

あと、違法原材料の入手ルートを確保する方法も検討しなければなりません。

I also need to consider ways of securing routes for obtaining illegal raw materials.

色々考えることは多いのですが、考えるためには、患病できません。

There are many things to think about, but I can't think about them when I am sick.

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ラクして逝くためには、健康第一 ―― 本日の日記も、訳の分からん結論になりました(今さらですが)。

Health comes first in order to live a comfortable death. Today's diary also concluded that I don't understand (even though it's a bit late now).

2024,江端さんの忘備録

ここ数日間、「風邪で苦しい」のレポートを続けていて気がついたのですが、不思議な現象が見られることが分かりました。

Over the past few days, as I have continued to report on “suffering from a cold,” I have noticed a curious phenomenon.

『私のページのPV(ページビュー)と、ユニークユーザ(UU)数が、ここ数日、地味に増えている』

The number of page views (PV) and unique users (UU) on my page has increased steadily over the past few days.

私のページのPVやUUは、常に予測不能な動きをしますので、私は解析を諦めています(というか、解析が面倒くさい)が、ここ数日の内容は、基本的には、痛い、辛い、だるい、眠れない、薬が効かないの、『泣き事』のオンパレードです。

The PV and UU of my page always move unpredictably, so I have given up analyzing it (or rather, it is too much trouble to analyze), but the content of the last few days is a parade of 'crying things': pain, difficulty, tiredness, inability to sleep, and medicine not working.

―― こんな話が面白いか?

"Is such a story interesting?"

普段偉そうに語っている私が、天罰(風邪?)を受けて苦しんでいる様子は、そのギャップがいいのかなぁ、とか考えています。

I am usually a big talker but suffer from a cold. I wonder if the gap between the two is a good thing,

そもそも、人の不幸って、基本的に楽しいですよね。

To begin with, people's misfortune is fun.

もっとも不幸の内容に因りますが。

It depends on the nature of the misfortune.

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風邪は、その人の年齢や体力やその他の要因に関わるものではありますが、いわゆる普段健康な一般人であれば、ちゃんと対応(受診して、投薬して)さえしていれば、一般的には、期間限定で回復する、という条件付き不幸です。

The common cold is a conditional misfortune related to age, physical fitness, and other factors. Still, an ordinarily healthy average person will generally recover for a limited period if they are appropriately treated (seen by a doctor and medicated).

そういう意味では、江端の風邪は、「観察して楽しんでいい」くらいの「他人の不幸」といっても言いかもしれません。

In that sense, I might say that Ebata's cold is “someone else's misfortune” that we can “observe and enjoy.”

「今は、江端が、痛みで転がり回っているが、そのうち回復して、再び偉そうなことを言い始める」という担保のついた、「他人の不幸」という点です。

The point is that it is “someone else's misfortune” with the guarantee that “Ebata is rolling around in pain, but in time he will recover and start talking big again.”

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私も、「今日は朝まで眠れた」「今日は咳をしても激痛がなかった」「今日は声が出せるようになった」と、毎日、体調が回復していくのを確認するのが、とても嬉しい ―― しかし、同時にとても腹立たたしい。

I, too, am delighted to confirm that my health is improving every day, saying, “Today I slept until morning,” “Today I didn't have severe pain when I coughed,” “Today I can speak,” and so on—but at the same time, I am very annoyed.

こんな話、以前にもしていたような気がするなぁ。

I feel like I have talked about this before.

「結婚とは不幸になること」でいいんです。

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病気になる度に思い出すのは、この話です。

Every time I get sick, I remember this story.

江端さんのひとりごと「一本の骨」

===== 文章から引用 =====

===== Quote from here =====

世界を席巻しているある宗教では、命は神からの贈り物であり、人間にはその贈り物を最大限利用する責務があると説いています。

One religion that has swept the world teaches that life is a gift from God and that humans are responsible for making the best use of that gift.

笑わせるな。

Don't make me laugh.

贈り物なら、きちんと品質保証した物をよこせ。

If giving me a gift, give me something with proper quality assurance.

持ち主が苦痛に苦しむような品質の贈り物なら、最初からいらん。

If the gift is of such quality that the owner suffers pain, I don't want it in the first place.

===== 引用ここまで =====

===== Quote here =====

私は、病気になって、苦しんでいる時には、いつでも、この「役に立たない神」に対して、呪詛の言葉を吐き続けています。

Whenever I am sick and suffering, I keep spitting curses at this “useless God.”