そういう今の生き方がいい ―― 煉獄の日々よりはずっといい。
以前、
Before,
という話を書きました。
I wrote a story about this.
先程、
Now,
「YOASOBI、ヒット曲『群青』の世界観 マンガから学ぶ」
という記事を読んで、しっくり入ってきました。
I read the article that I could understand nicely.
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こういう『ブルーピリオド』の主人公のような生き方は、本当に、美しく、尊く、その内面から溢れる光と力で、世界を豊かに彩ります ―― 赤の他人にとっては。
This kind of life, like the protagonist of "Blue Period," is genuine, beautiful, and precious, and it enriches the world with the light and power that overflows from within -- for a stranger.
しかし、当の本人にとって、このような生き方は、絶望と挫折が無限に繰り返す、煉獄の日々です。
For the persons themselves, however, this way of life is a purgatory of endless cycles of despair and frustration.
『私は、ついに、こういう生き方ができなかったなぁ』と、しみじみと思っています。
I think, 'Finally, I couldn't live like this.
なぜ、"今"、そう言い切れるかというと、私は、残りの人生においても、『ブルーピリオド』の主人公のような生き方をする予定はないからです。
I can say that "now" because I do not plan to live the rest of my life like the protagonist of "Blue Period."
私は、やれることをやり、できないことは諦めます。
I do what I can and give up what I cannot.
そういう今の生き方がいい ―― 煉獄の日々よりはずっといい。
That kind of life now is good -- much better than the days of purgatory.
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まあ、それにしても、自分ではない赤の他人に期待する人の、なんと多いことか。
How many people expect others who are not themselves to do so?
将棋でも、野球でも、何でも構わないけど、私は、自分でない他人の偉業を「素晴しい」と思いますが、それ以上でも以下でもありません。
I consider the accomplishments of others, be it chess, baseball, or whatever, to be "great," but nothing more or less than my own.
私は、自分のやりたいことだけで、自分のリソースを100%使い切っています。
I use 100% of my resources to do what I want.
私には、赤の他人を応援するだけの余裕がありません。
I do not have enough time to support a stranger.
『赤の他人を応援できる人は、一体どこに、そんな余裕があるのだろう』と不思議に思うことがあります。
Sometimes I wonder, 'Where in the world does a person who can support a stranger find the time to do so?
ともあれ、私は『自分では達成できない何かを、赤の他人に代替させ、期待すること』ことだけは絶対しない ―― そういう自分であり続けたいと思っています。
Anyway, I will never do anything I can't achieve by myself and expect someone else to do it for me -- I want to keep being that kind of person.
ましてや、『自分以外の他人が、自分の期待通りにならかったことを批判する』―― そういう醜悪な人間の側に属することだけは、死んでもゴメンです。
And I will not be on the side of those ugly people who criticize others for not living up to their expectations, even if someone kills me.