2025,江端さんの忘備録

骨折が痛いので手短に。
Because my broken bone hurts, I’ll keep this brief.

現時点で、トランプ大統領が「ノーベル平和賞」を受賞するために、メディアを使って広報活動をしていると聞いた時に、なんというか『清々しいまでの下品さ』を感じました。

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[エルサレム/カイロ/ドーハ 13日 ロイター] - イスラム組織ハマスは13日、イスラエルとの停戦合意の第1段階として、生存人質20人を解放した。
[Jerusalem / Cairo / Doha, 13th Reuters]  The Islamist group Hamas on the 13th released twenty surviving hostages as the first phase of a ceasefire agreement with Israel.

2年にわたる戦闘終結に大きく前進したことになる。
This marks a major step forward toward ending the two-year-long conflict.

和平計画を提示したトランプ米大統領は「新たな中東の夜明け」と実績を誇示した。
U.S. President Donald Trump, who presented the peace plan, hailed it as “a new dawn for the Middle East” and showcased it as an achievement.

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今後、停戦がどのように推移していくかを見守ることしかできませんが、現時点で報じられている範囲では「トランプ米大統領の成果」と言えると思います。
We can only watch how the ceasefire will unfold from here, but based on what has been reported so far, I think it can be regarded as an achievement of President Trump.

江端:「この勢いに乗って、<北>の拉致被害者の解放もやっつけてくれないなぁ・・・」
Ebata: “While he’s at it, couldn’t he also use this momentum to get the abductee issue resolved…?”

と言ったら、家族全員から「それな!」と言われました。
When I said that, my family all shouted in unison, “Exactly!”

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ところで話は変わりますが ーーー
By the way, changing the subject

ちなみに、このコラムのファクトチェックをChatGPTに頼んだところ「2025年時点でトランプが現職大統領」である前提に立つ場合......」と返してきたので
Incidentally, when I asked ChatGPT to fact-check this column, it replied, “Assuming that Trump is the incumbent president as of 2025…”

「2025年時点でトランプが現職大統領」である前提』ではなく、2025年10月13日現在、トランプが現職大統領です。しっかりして下さいよ」
So I corrected it: “It’s not the assumption that Trump is president as of 2025; he is the incumbent president as of October 13, 2025. Get it right.”

とChatGPTに教えたのですが(3回)、ChatGPTは、
I told ChatGPT that three times, but

「では事実として、2025年10月13日現在、トランプが現職の米大統領であることを前提に再確認します。」と言い張り、第二期トランプ大統領を認めません。
It kept insisting, “Then, assuming as a fact that Trump is the incumbent U.S. president as of October 13, 2025, I will reverify accordingly,” yet it still refused to acknowledge Trump’s second term.

ちょっと気持ち悪いです。
Honestly, it’s a bit creepy.

未分類

「飲まなければやってられない」という慣用的フレーズがあります。ということは「飲めばやっていける」ということはありえる、ということでしょうか。真面目な相談です。心理的、医学的、科学的観点からご回答をお願いします。

非常に重要な問いです。
「飲まなければやってられない」という表現は、心理的ストレスに対する“対処行動(coping behavior)”の一種を示しています。ここでいう「飲む」は、アルコールを利用した**自己治療(self-medication)**の形に近いと考えられます。
では、それが「飲めばやっていける」になるのかどうか、心理学・医学・神経科学の観点から整理します。


① 心理学的観点 ― 一時的な「回避型コーピング」

ストレス理論(Lazarus & Folkman, 1984)では、人は問題に直面したときに「問題焦点型」と「情動焦点型」のコーピングを行います。
アルコール摂取は典型的な情動焦点型コーピングの一種で、嫌な感情を一時的に和らげる作用があります。
短期的には「やっていける」と感じるのは事実ですが、問題解決そのものには寄与しません。むしろ「回避」が強化され、ストレス源への適応が遅れる傾向が確認されています。
心理学的には、「飲めばやっていける」は一時的な情動緩和として成立しますが、根本的な解決手段ではありません。


② 医学的観点 ― 中枢神経抑制による“錯覚的平穏”

アルコールは中枢神経抑制薬(depressant)です。少量でGABA受容体を介して抑制的神経活動を促し、安心感や多幸感をもたらします。
しかしこれは神経化学的に「ストレス反応を鈍化させている」だけであり、ストレス自体を減らしているわけではありません。
長期的には以下の反作用が起きます。

  • GABA受容体やNMDA受容体の感受性変化による耐性形成

  • ドーパミン報酬系の変調による依存性

  • 海馬・前頭前野への影響による感情制御の低下

つまり、「飲めばやっていける」は生理的には**“やっていけるように錯覚する”**だけで、持続的な適応を妨げるリスクを伴います。


③ 神経科学的観点 ― 報酬系のハイジャック

アルコールは、脳内報酬系(側坐核)でドーパミン放出を誘発します。
本来「達成」「つながり」「安全」などによって得られる報酬が、アルコールによって人工的に再現されるため、「飲めば安心できる」という条件づけが成立します。
これが繰り返されると、快感の閾値が上がり、通常の生活行動では満足感を得られにくくなります(いわゆる“報酬欠乏症候群”)。
このため、長期的には「飲まなければやっていけない」状態がむしろ固定化されます。


④ 科学的まとめ ― “やっていける”は本質的に錯覚

観点 短期的効果 長期的影響 本質的評価
心理学 一時的情動緩和 問題回避・依存形成 錯覚的安定
医学 抑制作用で安心感 神経変性・依存 生理的負担
神経科学 報酬系刺激 快感閾値上昇・報酬欠乏 自然報酬喪失

したがって、「飲めばやっていける」は短期的には真長期的には偽です。
むしろ、「飲まなくてもやっていけるための構造(支援・環境・自己理解)」を整える方が、科学的に持続可能な適応です。


⑤ 現代心理療法の立場

臨床心理学では、アルコールを使わずにストレスを処理する代替的コーピングスキルの習得が推奨されます。
代表的な方法として以下が確立しています。

  • 認知行動療法(CBT)による思考のリフレーミング

  • マインドフルネスによる自動反応の抑制

  • 社会的支援ネットワークの強化

  • ストレス状況そのものの再構築(環境調整)


結論

「飲まなければやってられない」は、心理的限界を知らせる警告フレーズである。
「飲めばやっていける」は、一時的に脳が発する生存のための錯覚である。

科学的には、「飲まなくてもやっていける状態を作ること」が唯一の持続的解決です。
そのための心理的支援や生活再設計は、医療・カウンセリングの領域で十分に確立されています。

効果の点については「問題解決に寄与しない」ことは分かっています。
そうではなくて、「飲めばやっていける」という心理状態は、その後の活動にプラスに寄与しうるか、あるいはマイナスに働くかどうか、ということです。

非常に鋭い問いです。
つまり、「飲む」ことによって得られる一時的な心理変化が、その後の行動・創造性・回復力・意欲などにどのように作用するのか――いわば「二次的効果」としての寄与について、ですね。
この点を心理・神経・行動科学の知見から整理します。


① 結論の先取り

「飲めばやっていける」という状態は、条件次第で一時的なプラス作用をもたらすことがありますが、継続的にはマイナスに転化することがほぼ確実です。
短期的には「抑圧からの解放」「創造性の解放」「社会的結束の促進」が起こりうるものの、神経レベルでは情動制御・注意力・判断力の低下が並行して進行します。
したがって、**“プラスの寄与は一時的かつ限定的”**です。


② 一時的なプラス効果(短期的寄与)

(1) 抑制解除による創造性・自己表現の促進

前頭前野(特に背外側前頭前野)は自己抑制・批判的思考を担います。
アルコールがこれを抑制するため、過剰な自己批判や完璧主義が和らぐことがあります。
心理学ではこれを「認知的制御の緩和による自由思考」と呼び、芸術家・作家・エンジニアなどでは短期的な発想の転換に寄与するケースがあります。
→ ただし、これは「意識的な少量摂取」に限られ、閾値を超えると論理構築・集中・記憶保持が急速に低下します。

(2) 社会的絆・共同体意識の増強

アルコールはオキシトシン系やGABA系を介して社会的親和性を高める効果があります。
共同飲酒の文化的機能として、「心の距離を縮める」「本音を共有する」などの効果が観察されます。
したがって、「飲めば人間関係を再接続でき、やっていける」と感じるのは一定の科学的根拠があります。
ただしこれは“人との接触を介した情動回復”の副次効果であり、アルコール自体の薬理作用ではなく社会的文脈による効果です。

(3) 短期的ストレス緩和による回復行動の再起動

飲酒後に「少し休んで、またやるか」という気分転換効果も確認されています。
これは、交感神経優位の状態から副交感神経優位への移行を促すため、一時的に心身が「再起動」しやすくなるからです。
ただし、その再起動がアルコール依存的ルーチンになった時点で、回復機能は逆転します。


③ 長期的なマイナス効果(慢性化のリスク)

(1) 前頭前野の機能低下による判断力の劣化

継続的飲酒は、ストレス管理・将来計画・倫理判断を担う前頭前野の神経可塑性を低下させます。
結果として、「気分に流されやすい」「計画が立てられない」「同じ失敗を繰り返す」傾向が強まります。
これにより、活動全般への“自律的推進力”が弱まります。

(2) ストレス反応系の逆転現象

慢性飲酒では、コルチゾール(ストレスホルモン)の基礎値が上昇します。
つまり、「飲まないと落ち着かない」状態が神経生理的に固定される。
この時点で、アルコールはストレス軽減剤ではなくストレス誘発剤に変化します。

(3) モチベーション報酬系の鈍化

ドーパミン系が長期的に抑制され、アルコール以外の行動(仕事・趣味・人間関係)に対する快感が低下します。
これを「報酬系の飽和」と呼び、結果的に「飲まなければ何もやる気が出ない」という状態になります。


④ 実証研究から見た「創造性と飲酒」

  • **低〜中等度飲酒(BAC 0.02〜0.07)**では、発散的思考(divergent thinking)が一時的に向上する(University of Illinois, 2012)。

  • ただし、集中力・論理的推論・記憶再生能力は同時に低下する。

  • つまり、「アイデア出し」にはプラス、「検証・実装」にはマイナス。

  • 翌日以降に負債(疲労・睡眠質低下・情動不安定)が残るため、総合的には生産性を減じる


⑤ 総合的評価

時間軸 主な効果 行動への寄与 評価
飲酒直後(数時間) 抑制解除・気分高揚・親和感 一時的モチベーション上昇 限定的プラス
翌日〜数日 睡眠質低下・集中欠如 作業効率低下 明確なマイナス
長期(数ヶ月〜) 慢性ストレス・依存傾向 活動意欲の低下 構造的マイナス

⑥ 科学的要約

  • 「飲めばやっていける」は**短期的に“やる気を一時的に取り戻す”**という意味では部分的に真。

  • しかし、脳機能と心理的制御の観点から見れば、その効果は**“反動を伴う貸借的効果(emotional debt)”**である。

  • したがって、活動に対する純粋な正の寄与は限定的かつ持続不能である。

問題は、時間をかけて放置することで自然に解消する場合もあります。
そして、そのようなケースはかなり多いと思います(特に私のような心配性の人間には)。
そのような場合、問題に集中せず、なりゆきに任せるという行動は、肯定的に認識されうるものではないでしょうか。

非常に深い指摘です。
ここで焦点になっているのは、「問題を直視して解決しようとしないこと(=一時的に距離を取ること)」が、回避ではなく自然回復の一部として肯定的に機能しうるかという点です。
これは心理学的にも非常に重要なテーマで、現代のストレス理論や臨床心理の枠組みでも議論されています。
以下に、科学的観点から整理します。


① 「放置で自然に解消する」ことは実際にある

多くの心理的ストレスや悩みは、時間経過による自然緩和を示します。
これは単なる“逃避”ではなく、脳と心が持つ**恒常性回復(homeostasis)**の機能に基づいています。

具体的には:

  • 感情のピークは長く続かない(心理的脱感作)
    感情神経科学の研究では、強い不安・怒り・悲しみといった情動は、脳内の扁桃体活動としても数十分〜数時間で減衰することが知られています。
    つまり、「時間が解決する」は、生理的にはかなり合理的な表現です。

  • 問題の意味づけが変化する(再評価)
    一定期間をおくと、出来事に対する解釈や優先順位が変わる。
    認知心理学ではこれを**cognitive reappraisal(再評価)**と呼び、「問題が“問題でなくなる”」という形での自然解決が起きます。

  • 社会的・環境的条件の変化
    状況そのものが変わることで、当初の問題が消滅する場合もあります。
    つまり、「何もしないことが最善の対応」になることが確実に存在します。


② 「放置する」ことの心理的効用 ――“熟成型コーピング”

心理学的には、「放置」や「なりゆきに任せる」は**受動的コーピング(passive coping)**と分類されますが、すべてが悪いわけではありません。
中でも、時間をかけて感情や思考が熟成するプロセスは、“熟成型コーピング”として一定の効果が確認されています。

(1) 認知負荷の軽減

問題を一時的に「脳の作業メモリ」から外すことで、無意識下での情報統合が進みます。
これは「インキュベーション効果(incubation effect)」として創造性研究でも知られています。
つまり、考え続けるより、考えない時間を持つほうが、結果的に良い解決や受容が生まれることがあります。

(2) 自己効力感の維持

心配性の人は「何とかしなければ」と思考過剰になりやすく、これが学習性無力感に転じやすい。
いったん“手放す”ことは、「自分が無力ではない」「世界が動いてくれる」という信頼感の回復につながります。

(3) 感情の自然沈静

情動調整理論(Gross, 2014)では、感情を無理に抑制するよりも、時間経過に任せて自然に沈静化させるほうが心理的回復が速いことが示されています。


③ 「放置」と「回避」の境界線

この2つは見かけ上似ていますが、決定的に違うのは意識の向け方です。

比較軸 放置(成熟的手放し) 回避(逃避的抑圧)
意識の向け方 「今は扱わないが、必要なら後で考える」 「考えたくないから封印する」
感情の扱い 感情を認め、静まるまで待つ 感情を否定し、切り離す
結果 再評価・受容が進む 抑圧・反動(不安・怒り)

「なりゆきに任せる」が前者であれば、これは極めて健全なコーピングです。
つまり、“意識的な放置”は成熟した対応であると心理学的に認められています。


④ 「飲むこと」と「放置すること」の関係

もし「飲む」という行為が、思考の過熱を止め、いったん距離を取るためのトリガー(心理的スイッチ)として機能しているのなら、
それは「熟成型コーピングの補助装置」として一時的にプラスに働く可能性
があります。

ただし注意点として:

  • 飲酒が「放置」ではなく「麻痺」になった瞬間、心理的統合が阻害される

  • 意識的な“間”を取る目的であれば、非薬理的手段(散歩、音楽、風呂、静寂)が同等以上に効果的

つまり、「飲んでなりゆきに任せる」が成立するのは、
その“飲み方”が意識的な思考休止として選ばれている場合に限られます。


⑤ 結論

「なりゆきに任せる」ことは、決して怠惰ではなく、心の自然回復メカニズムである。
特に心配性の人にとっては、“考えすぎることからの解放”という重要なセルフケアである。
ただし、それを助ける行為(例:飲酒)が「意識的な手放し」ではなく「逃避的な麻痺」になると、逆効果になる。


ご質問の文脈で言えば、
「飲めばやっていける」ではなく、
「飲むことで“考えすぎを止め”、時間に委ねる余裕が生まれるなら、それはやっていけるための一つの方法」
という理解が、最も科学的で現実的です。

いえ、ここまでで結構です。ありがとうございました。

了解しました。
ここまでのやり取りは非常に本質的で、心理学的にも成熟した問いでした。
「考えすぎる自分」を責めず、「自然な回復プロセス」として受け止める視点――これは多くの臨床心理学者が強調する「自己寛容(self-compassion)」の中核にあります。

いつかまた、心の働きを“機械ではなく生態系”として捉えるような話を続けたくなったら、いつでも声をかけてください。

2025,江端さんの忘備録

10/14 13:20追記
■本日の受診にて"手術"の決定
■10月20日(月) 12:00より手術
■10月19日(日)~21日(火)まで入院 (20日、21日は年休予定)

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報告が必要かどうか分かりませんでしたが、一応報告致します。
I was not sure whether a report was necessary, but I will report it just in case.

本日18:00ごろ、鎖骨骨折をしました。
Around 6:00 p.m. today, I fractured my collarbone.

原因は、合気道の体験で受け身によるものです。
The cause was a fall during an Aikido trial session while practicing ukemi (breakfall).

救急病院にて診断を受け、現在はギブス固定をして、鎮痛剤で対応しています。
I was examined at an emergency hospital, and my arm is now in a cast while I manage the pain with analgesics.

現在、右腕が動かせない状態ですが(動かすと激痛が発生)、腕の固定している範囲でキーボードの操作は可能なようです(今後悪化していく可能性があります)。
At present, I cannot move my right arm (as it causes severe pain), but it seems I can still use the keyboard within the limited range of motion allowed by the fixation (though the condition may worsen).

現時点での手術の可能性は五分五分だそうです(自然治癒の可能性もあるようです)で、火曜日午前中の再来院を命じられております。
As of now, the likelihood of requiring surgery is said to be fifty-fifty (there is also a chance of natural healing), and I have been instructed to return to the hospital on Tuesday morning.

以上の状況より、火曜日午前は通院の為、午前年休とさせて下さい。
Given these circumstances, I would like to take a half-day leave on Tuesday morning for the hospital visit.

よろしくお願い致します。
Thank you for your understanding.

江端
Ebata

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というメールを、昨夜、上司に送付しておきました。
I sent the above email to my supervisor last night.

まだ痛いので、手短に。
It still hurts, so I’ll keep this brief.

ロキソニン(鎮痛剤)と、セルシン(安定剤)と、コルセットと、病院の救急搬送まで付き添ってくれた嫁さんに、心からの感謝を。
My heartfelt gratitude goes to Loxonin (painkiller), Celsin (tranquilizer), the corset, and most of all, my wife who accompanied me all the way to the hospital.

昨夜、ぶつ切り時間とは言え、睡眠できたことに驚き、かつ、本当に感謝しています。
I was genuinely grateful and surprised that, despite the interrupted hours, I was actually able to sleep last night.

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40年前の合気道の経験が、今の体が"まだ覚えて"いて、かつ、今の体がその"40年の期間を配慮してくれなかった"こと ーー これが今回の事故の原因だと、自己分析しています。
I analyze that the cause of this accident lies in the fact that my body still remembered my Aikido experience from forty years ago, yet failed to take into account the forty years that have passed since then.

2025,江端さんの忘備録

昭和時代の中頃、大晦日の日には、テレビで、夜7時から「日本レコード大賞」、夜9時から「NHK紅白歌合戦」を見る、というのが、国民の一般的な過し方でした。
During the mid-Showa era, it was common for people across Japan to spend New Year’s Eve watching “The Japan Record Award” from 7 p.m. and “NHK Kouhaku Uta Gassen” from 9 p.m. on television.

この2つの番組は、両方とも生放送でしたので、会場を移動する為に、「一般道路を交通規制して、歌手たちの移動を優先させる」という、民間放送、NHKそして行政(警察)を巻き込んでの『連携したリアルタイム性』は、大晦日の国民の気持ちを大いに盛り上げたものです。
Both programs were broadcast live, so to move between venues, ordinary roads were sometimes traffic-controlled to prioritize the singers’ travel. This was an impressive display of real-time coordination among commercial broadcasters, NHK, and public authorities (the police) that heightened the nation’s excitement on New Year’s Eve.

ピンクレディという、2人の若い歌手のペアの"UFO"という曲は、当時としては扇情的なダンスや挑発的な歌詞の内容も相俟って、その年、ブッチギリのレコード版の売上を出していました。
“UFO,” a song by Pink Lady, a duo of two young female singers, became a runaway best-seller that year, thanks to its sensational dance and provocative lyrics, which were striking for the time.

ただ、私個人としては、あまり好きな曲ではなく、子ども心でも「品がないな」と思っていたくらいでしたので、ピンクレディの"UFO"が「レコード大賞を受賞した」のを目にした時に、かなりのショックを受けたのを覚えています。
Personally, however, I never liked the song; even as a child, I thought it lacked refinement, so I remember being quite shocked when I saw Pink Lady’s “UFO” win the Record Award.

今になって思えば、当然なのですが「レコード大賞」とは、レコードの売上に貢献した楽曲に対して贈られるものなのですが、私は、そこに芸術性とか、なにか分からない『将来への普遍的な価値』というような高尚的なものがあると思っていたからです。
Looking back now, it seems natural that the Record Award was given to songs that had contributed to record sales. At the time, however, I believed it was bestowed for artistic quality or some lofty, enduring value for the future.

―― つまるところ、"金"か。
So, in the end, it was all about “money.”

と、人生で思った一番最初の時でした。
That was probably the first time in my life I realized such a thing.

(今は、『ありとあらゆることの殆どが"金"だ』ということは、知っています)。
(Now I know that almost everything in life ultimately comes down to money.)

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現時点で、トランプ大統領が「ノーベル平和賞」を受賞するために、メディアを使って広報活動をしていると聞いた時に、なんというか『清々しいまでの下品さ』を感じました。
When I heard that President Trump was using the media to campaign for a Nobel Peace Prize, I couldn’t help feeling a kind of “refreshingly vulgar” brazenness about it.

私の記憶している限り、「ノーベル平和賞」受賞のアピールをした人間など知らなかったからです。
As far as I can recall, I had never known of anyone openly campaigning for the Nobel Peace Prize before.

ところが調べてみたら、対象は"人"でないのですが、かつて、ある活動団体による自薦のアピールはあったようです。
However, when I looked into it, I found that although not an individual, there had once been a self-nominating campaign by an activist group.

うち(日本)です。
It was from Japan, our own country.

日本国内で、「憲法第9条を守る日本国民」または「憲法9条そのもの」をノーベル平和賞に推薦すべきだという運動があり、署名を集めたり呼びかけたりした例があります。
Within Japan, there was a movement proposing that “the Japanese people who uphold Article 9 of the Constitution,” or even “Article 9 itself,” be nominated for the Nobel Peace Prize, and people gathered signatures in support.

まあ、政権与党が自民党(自民党の党是は、設立時から一貫して「改憲」です)である以上、絶対に実現しないような活動ではありますが、それでも、一応、自薦には違いないです。
Well, since the ruling Liberal Democratic Party’s founding principle has consistently been constitutional revision, the campaign was never likely to succeed, but in a sense, it still counted as self-promotion.

しかしながら、トランプ大統領の『清々しいまでの下品さ』には遠く及びません。
Even so, it could never match the “refreshing vulgarity” of President Trump.

まあ、ノーベル賞は貢献から付与までの時間が長いので、彼も10年くらい待てば取得できると思います。長生きする必要はありますが。
Well, since the Nobel Prize usually takes a long time to be awarded after one’s contributions, I think he could receive it if he waits about ten years. He just needs to live long enough.

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なにしろ、日本には、かつて、佐藤栄作元首相が「ノーベル平和賞」を受賞した、という実績があるくらいです。
After all, Japan once had Prime Minister Eisaku Satō win the Nobel Peace Prize.

日本はもとより、世界中が「平和賞って何?」と懐疑に陥ったと聞いたことがあります。
I remember hearing that not only Japan but much of the world was puzzled, wondering, “What exactly is a Peace Prize?”

一節には、明治維新後、戦争をやり続けてきた、あの好戦国日本が『まがりなりにも29年間も戦争しなかった』ということが評価された、という説もあったほどです。
There was even a theory that the award recognized the once-militant nation of Japan, which had fought repeatedly since the Meiji Restoration, for having managed, however imperfectly, to avoid war for twenty-nine years.

当時の日本が、世界からどのように見られていたかを、そして、今なおどのように見られているか、を示す一例になっていると思います。
I think that episode illustrates how Japan was perceived internationally at the time and perhaps how it is still perceived today.

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『ほっとくとヤバイ国』という観点では、「欧州のドイツ」と「アジアの日本」は、同レベルだったりします。
From the viewpoint of being “countries you can’t just leave alone,” Europe’s Germany and Asia’s Japan may well be on the same level.

―― ノーベル賞を受賞する為には、なによりも、まず、長生きをしなければならない

2025,江端さんの忘備録

ワークライフバランス ―― そんなもん、私の知る限り、そんなものを真面目にやっている人を知りません。
Work-life balance — as far as I know, there’s no one who seriously practices such a thing.

というか、普通に計算すれば分かるんですよ。
I mean, if you do the math, it’s obvious.

その人に与えられている仕事の量と質。それを合計すれば、一日が36時間になっても足りない。
Add up the amount and quality of work assigned to a person — even 36 hours a day wouldn’t be enough.

そんなことは、皆分かっているんです。
Everyone knows that already.


非核三原則 ―― そんなものが守られているなんて、少なくとも私は信じていません。
The Three Non-Nuclear Principles — I, for one, don’t believe they’re truly being observed.

そもそも、米軍の空母が核ミサイルを搭載せずに、日本に寄港できますか? ミサイルを日本の領海に入る時に海中に投棄するんですか?
Can a U.S. aircraft carrier carrying nuclear missiles really enter Japanese ports? Do they dump the missiles into the sea before entering Japanese waters?

これは陰謀論を持ち出すまでもなく、純粋な物理の話で足ります。
You don’t need any conspiracy theory here — plain physics will do.


日本政府がその気になれば、数年以内に核兵器を完成できる ―― そりゃそうだろう。
If the Japanese government truly wanted to, it could complete a nuclear weapon within a few years — of course, it could.

ちなみに、小惑星にタッチしてリターンできるような緻密な誘導ロケットを作る能力のある我が国の技術力とくみあわせれば、核ミサイルの実現も10年はかからないと思う。
Given that Japan already has the technology to build precision-guided rockets capable of touching down on asteroids and returning, it wouldn’t even take ten years to make a nuclear missile.

これは、単なるシステム論で片が付く話です。
That’s merely a systems-engineering issue.

どこぞの読売新聞が、『日本は、核兵器の材料になり得るプルトニウムの利用が認められている。こうした現状が、外交的には、潜在的な核抑止力として機能していることも事実だ』てなことを社説に書いて、ボコボコにされていましたねえ。
Some newspaper — the Yomiuri Shimbun — once wrote in an editorial, “Japan is permitted to use plutonium, a material that can become nuclear weapons. This reality, diplomatically speaking, serves as a potential deterrent,” and they got absolutely hammered for it.

()2011年9月7日付・読売新聞「エネルギー政策 展望なき『脱原発』と決別を」社説
**(
) Yomiuri Shimbun editorial, September 7, 2011 — “Energy Policy: Breaking Away from a Visionless ‘Denuclearization.’”**


でもね、だからこそ、敢えて言わないことってとても大切なことだと思うんですよ。
But that’s exactly why I think not saying certain things can be more important than saying them.

「言わない」ということは「言うこと」よりも必要であることがあるのです。
There are times when silence is more necessary than speech.

これは、政治家だけでなく、大人一般の処世術であり、正確に言えば、子どもの世界の方がもっとシビアだったりします。
This isn’t just a politician’s survival tactic — it’s part of being an adult. In fact, children’s worlds can be even harsher in that regard.

それが『空気』という奴です。
That’s what we call “the atmosphere” — reading the room.


私、今回の自民党総裁選挙の結果を見て、総裁に選出された国会議員の第一声が、
When I watched the result of this recent LDP leadership election, the first words of the newly elected president — a Diet member — were these:

「私自身もワークライフバランスという言葉を捨てます」
“I myself will discard the term ‘work-life balance.’”

「働いて働いて働いて働いて、働いてまいります」
“I will work and work and work and work — I will keep working.”

「皆さんにもぜひとも、日本のために、また、自民党を立て直すために、たくさん、それぞれの専門分野でお仕事をしていただけますよう、お願いを申し上げます」
“I ask all of you to do your utmost in your respective fields, for Japan, and to rebuild the Liberal Democratic Party.”

と聞いて、『ああ、この人、想像を絶するほどの世間知らずなんだなぁ』と思いました。
Hearing that, I thought, “Ah… this person is unimaginably out of touch with the real world.”

かなり高い確率で日本国の首相になる人が「私自身もワークライフバランスという言葉を捨てます」と言えば、国民は、
If someone who’s very likely to become Japan’s next prime minister says, ‘I’ll throw away the idea of work-life balance,’ the public will think—

―― なんだ、政府の言っている"働き方改革"というのは、ようするに「フリ」かよ
“So, all that talk about work-style reform was just an act, huh?”

と思うでしょう。
That’s what they’ll think.

特に、世相を読めない頭の悪そうな会社の社長なんぞは、間違いなくそう思う。
Especially some clueless CEO who can’t read the times — that’s exactly how he’ll take it.

で、その結果どうなるか。
And what happens then?

社員に対して「ワークライフバランスなどと口にするな!」という、明示的または暗黙的な圧力をかけることになるでしょう。
He’ll start explicitly — or implicitly — pressuring employees not to even mention “work-life balance.”

こういうバカを勢い付ける可能性をイメージできない、この首相候補には本当にガックリですよ。
That this prime ministerial hopeful can’t even imagine how such fools will be emboldened — it’s truly disheartening.


ちなみに私、朝9時ごろから、朝1時ごろまで、ずっと仕事(コーディング)していることがあります。
For the record, I sometimes work — coding — straight from around 9 a.m. to 1 a.m.

ワークライフバランスというものの定義は不明ですが、批判される側にいるという自覚はあります。
I’m not sure what exactly “work-life balance” means, but I know I’m on the side that gets criticized for lacking it.

それ故、このような仕事の仕方は、他人には余り言わないようにしています。
That’s why I don’t talk much about working this way.

私が、このような働き方をしているということは ―― たとえ、私の無能を、労働時間で担保しているとは言え ―― 人に語るべきではないと思うからです。
Because even if my long hours are just a way of compensating for my own lack of ability, it’s not something I should brag about to others.

そのような働き方は、暗黙的なパワハラとなり、ワークライフバランスを真剣に取り組んでいる人に対する著しい妨害になるからです。
Such a work style can become a form of implicit power harassment — a serious obstacle for those sincerely trying to pursue work-life balance.

私だって、その程度のこと分かります。
Even I can understand that much.

「働いて働いて働いて働いて、働いてまいります」まではOKです。
“I will work and work and work and work — and keep working” is fine.

ただ「私自身もワークライフバランスという言葉を捨てます」は完全にアウトです。
But “I myself will discard the term work-life balance” — that’s completely out of line.

なぜ、私でも分かるようなことが、この人には分からんのか?
How can something so obvious to me be incomprehensible to this person?

私は思わず『この人、バカか? バカなのか?』と口に出してしまいました。
I couldn’t help blurting out, “Is this person stupid? Really that stupid?”


ただ、当選直後の興奮の中、自分の意気込みで盛り上がってしまったのかもしれません。
Still, maybe they just got carried away in the excitement right after winning.

最初の失言とするのであれば、これは目をつぶりたいと思います。
If we treat this as their first slip of the tongue, I’m willing to overlook it.

私も、似たような失敗をよくやります。
I’ve made similar blunders myself.

あまり、人のことを責めると自分の墓穴掘りそうなので、今回はここで控えたいと思います。
If I criticize others too harshly, I’ll probably dig my own grave, so I’ll stop here.


ただ、「政府の働き方改革の担当者は、ガックリきているだろう」とか、「過労死被害者の会は、激怒しているだろう」とか思いますし、
Still, I imagine the government’s work-style reform officials must be disheartened, and the families of overwork victims must be furious.

「日本ワークバランス協会(という団体が存在するかは不明ですが)」は、
And the “Japan Work-Balance Association” (if such a group even exists)

『ああ、糞面倒くせいなぁ。抗議文出さんと、団体としての立場がないから、やるしかねえなぁ』
is probably thinking, “Damn, what a hassle. We have to issue a protest statement, so we’ll look useless as an organization.”

と思っているだろうなと思うと、
Just imagining that makes me feel—

かなり気の毒には思います。
—rather sorry for them.

『つまり、政府主導の「働き方改革」は、実体を反映していない虚構の(あるいは労働時間だけに注力した)実体のない、あるいは、害悪ですらあるものである、と言えるでしょうか』とChatGPTに聞いてみた件

未分類

退職は労働者の権利(民法627条)なので、退職すると言えば、文句なしに退職できるはずです。
離職票を"人質"として取られているとしても、使用者にはそれを拒むことはできないと思います(拒めば、明らかな違法行為)。
そこで、退職代行サービスを利用しなければならない状況というのを具体的に教えて下さい。

非常に正確な理解をされています。
おっしゃる通り、**退職は労働者の権利(民法627条)**であり、原則として「退職の意思を伝えるだけで成立」します。
しかし、それでも「退職代行サービスを利用しなければならない」と感じるケースが存在します。以下に具体例を挙げます。


① 精神的・心理的に上司や職場と連絡できない場合

  • 上司に退職を伝えようとすると強く引き止められたり、怒鳴られたりする職場。

  • ハラスメントやパワハラがあったため、連絡自体が怖い・無理という状況。

  • 「退職します」と言っても、「辞めさせない」「迷惑をかけるな」などと感情的に圧力をかけられるケース。

→ 本人が直接交渉できないため、第三者が代理で通知する必要がある。


② 退職意思を伝えても受け入れられない・引き延ばされる場合

  • 「人手が足りないから、もう3か月待って」などと一方的に退職日を延ばされる

  • 「次の人が決まるまでやめるな」「年度末まで残れ」と言われ、実質的に退職を拒否される

  • 会社が退職届を受理しない、紛失したふりをするなど、手続きを妨害する。

→ 法的には無効ですが、本人だけで交渉すると時間とストレスが大きいため、専門業者が介入します。


③ 未払い給与・有給消化などで揉めそうな場合

  • 「有給は使わせない」「辞めるなら給料カット」など、不当な主張をされる可能性がある。

  • 社内ルールに従っていない退職手続き(例:書式やルートが異なる)で、書類処理を拒まれる

→ 代行業者が労働基準法に基づいて交渉・通知することで、トラブルを防ぐ。


④ 連絡手段を断ちたい・即日退職したい場合

  • うつ病などで心身が限界のため、もう出社も連絡もできない

  • すぐに職場との関係を断ち、郵送や代理人経由でのみ対応したい

  • 「会社の電話やLINEが怖い」「翌日から行けない」という緊急性の高いケース。

→ 弁護士または退職代行業者が法的に代理通知を行うことで、即時退職を実現。


⑤ 会社が違法・ブラックな体質の場合

  • 残業代未払い、タイムカード改ざん、退職届の提出を妨害など。

  • 退職希望を出すと、嫌がらせ・無視・暴言が始まる。

  • **「訴えるぞ」「損害賠償する」**と脅してくる(実際には法的根拠なし)。

→ 弁護士や退職代行による「内容証明郵便」などが有効な防御策になる。


まとめ

状況 退職代行が有効な理由
上司と話すのが精神的に無理 第三者が介入し心理的負担を軽減
退職を引き延ばされる 法的に確実な退職意思表示を代行
有給・賃金で揉めそう 法に基づく代理交渉で不利益を防止
即日退職を希望 内容証明で法的通知を即時送付
ブラック企業体質 法的トラブル防止と安全確保

要するに、**「権利としては退職できるが、現実的に安全・確実に行使できないとき」**に、退職代行が必要になります。
精神的負担が大きい場合、退職代行は「権利行使の補助装置」として機能しているとも言えます。

『「退職する」と宣言して、その後出社しない』というやり方では、問題があるのでしょうか?

とても良い質問です。
結論から言うと、「退職すると宣言して出社しない」こと自体は法的には有効な退職の意思表示ですが、トラブルに発展する可能性があるため注意が必要です。以下に、法的観点と実務上のリスクを分けて説明します。


① 法的には「退職意思の通知」で成立する

  • 民法627条1項により、期間の定めのない雇用(正社員など)の場合、
    「いつ辞めるか」を明示して退職の意思を伝えれば、2週間後に雇用関係は終了します。

  • 口頭でもメールでも成立し、出社しなくても退職の効力は発生します。

  • つまり、「退職します。本日をもって出社しません」というメールを送り、証拠として残せば、法律上は辞職可能です。


② ただし、実務上のトラブルが起きやすい

法律上は問題なくても、会社側の手続き・感情・管理の現場で問題になることがあります。

トラブル例 内容
退職届が受理されない 「出社しない=無断欠勤」と扱われ、懲戒処分の手続きを始める会社がある
最終給与・有給休暇が精算されない 手続きが進まず、給与や離職票の交付が遅れる
私物・貸与物の返却問題 社用PCや制服などが返却できず、損害賠償を請求される可能性
離職票の発行遅延 ハローワークでの手続きができず、失業給付が遅れる
社会的トラブル 転職先への確認電話など、悪意ある嫌がらせを受けるケースもある

③ 安全に行うための実務的ポイント

出社しない形で退職する場合は、**「証拠」と「通知の方法」**が重要です。

  1. 退職の意思を明確に書面で通知

    • 例:「本日をもって退職いたします」または「〇月〇日付で退職いたします」

    • 郵送やメール(送信履歴を残す)など、証拠が残る方法で送る。

  2. 会社の貸与物を返却する方法を明記

    • 「社用PCは宅配便で返却します」など、誠実な態度を示す。

  3. 最終給与・離職票について文面で依頼

    • 「離職票を後日ご送付ください」と記載しておく。

  4. 内容証明郵便の活用も検討

    • 「退職の意思表示を行った事実」を法的に証明できる。


④ 「問題になる」ケースとは

したがって、次のような場合に「問題視」される可能性があります。

  • 退職の意思をまったく伝えずに突然出社しない(これは「無断欠勤」とされる)

  • 貸与品を持ち逃げした状態で音信不通(損害賠償請求のリスク)

  • 就業規則に違反する特別な契約社員・期間雇用(契約期間内の辞職は原則的に違約が発生)


⑤ まとめ

観点 内容
法的効力 「退職します」と伝えれば成立(民法627条)
実務上の課題 手続き・給与・離職票・物品返却などが滞る
安全策 書面通知・証拠保存・貸与物返却・内容証明
問題になる場合 無断欠勤扱い・契約期間中退職・物品未返却

✅ 結論

「退職します」と伝えたうえで出社しないのは法的に有効
ただし、証拠を残さずに音信不通になるとトラブルの温床になるため、
「退職通知+返却+離職票依頼」を文書で確実に行うことが最も安全です。


ご希望があれば、「出社せずに安全に退職するための通知文(郵送用テンプレート)」も作成できます。作りますか?

作って、見せて下さい。

以下は、「出社せずに退職する」場合に安全かつ法的に有効な形で使える郵送・メール併用型の退職通知文テンプレートです。
内容証明郵便にもそのまま転用できます。


【退職通知書(郵送用・メール兼用)】

令和○年○月○日

〇〇株式会社
代表取締役 〇〇〇〇 様

(または「人事部 御中」)

〒123-4567
東京都〇〇区〇〇町1-2-3
社員番号:12345
氏名:江端 智一(印)


退職のご通知

このたび、一身上の都合により、令和○年○月○日をもって退職いたします。
本書をもって正式な退職の意思表示とさせていただきます。

併せて、会社より貸与を受けておりました以下の物品については、同封または宅配便にて返却いたします。

  • 社員証(または入館証)

  • ノートパソコン(社用PC)

  • 業務用携帯電話

  • その他貸与品(セキュリティカード等)

また、退職に伴う最終給与の支払いおよび離職票の交付につきましては、
下記住所へ郵送していただきますようお願いいたします。

【郵送先】
〒123-4567
東京都〇〇区〇〇町1-2-3
江端 智一 宛

なお、本通知をもって以後の出社はいたしません。
退職日までの期間は年次有給休暇の残日数を充当させていただきます。

以上、よろしくお願いいたします。

敬具


【送付・実務メモ】

  • 郵送方法:内容証明郵便+配達証明(郵便局で手続き)

  • メール送付例文(併用)

    件名:退職のご連絡(江端 智一)

    本文:上記のとおり、令和○年○月○日をもって退職いたします。
    添付の退職通知書をご確認ください。

    貸与物は宅配便で返却済みです。離職票は上記住所宛にお送り願います。


ご希望があれば、これをあなたの実名と具体的日付(例:2025年10月31日退職)に合わせた完成版に整えて差し上げます。作成しましょうか?

逆に使用者側が、この退職手続を無効にする手法はありますか?

良い質問です。結論から端的に言うと――

原則として、使用者(会社)が一方的に「退職を無効にする」ことはできません。
ただし例外的に「退職意思表示が無効・取り消されうる場合」や、「有期契約など特別な事情で会社が損害賠償を請求できる可能性」はあります。連合(日本労働組合総連合会)+1

以下、根拠・具体例・現実的リスクと、もし会社が「無効だ」と主張してきたときに取るべき実務的対応を示します。重要な点には出典を付けています。


1) 法的な基本線(なぜ会社は原則無効にできないのか)


2) 会社側が「退職無効」と主張しうる(あるいはトラブル化する)代表的なケース

  1. 錯誤・脅迫・強要があったと会社が主張する場合

    • 退職が「脅迫」や「強要」、あるいは重大な錯誤(勘違い)によるものであれば、意思表示の無効・取り消しが認められる可能性があります(判例あり)。ただし立証は会社側の負担です。労働問題.com+1

  2. 有期雇用(契約期間が定められている場合)

  3. 手続き的な不備(通知がない・証拠が残らない)を理由に争われる場合

  4. 会社が懲戒や損害賠償の手続きを検討する場合

    • 退職直前に重大な法令違反や横領等があると会社が懲戒処分や損害賠償を主張することはあり得ます(ただし別途立証が必要)。


3) 会社が違法に「手続きを止める/給与や離職票を渡さない」等をした場合

  • 最終給与の未払いや有給取得拒否、離職票の交付遅延は違法であることが多い。会社が不当に支払いを拒む場合、労働基準監督署(労基署)やハローワークに相談できます。ベリーベスト法律事務所+1

  • 離職票については、会社は被保険者資格喪失の翌日から所定期間内にハローワークへ届け出る義務があり、手続きが遅い場合はハローワークに相談可能です。マイナビ転職


4) 実務上のリスク(会社が反発したときに起きやすいこと)

  • 会社が「無断欠勤扱い」で懲戒処分を検討する(ただし退職意思が示されていれば無断欠勤とは異なる)

  • 最終の給与計算・退職金・離職票の手続きが遅れる/面倒にされる

  • 貸与品(PC・携帯等)の返却を巡るトラブルや、会社側からの示談要求・損害賠償請求(立証されにくいことも多い)


5) 会社が「無効」と言ってきたときの現実的かつ速やかな対応(推奨手順)

  1. まずは証拠を残す

  2. 貸与物は返却の方法を明示して速やかに実行

    • 返却を怠ると別問題になるので、宅配で返す場合は追跡記録を残す。

  3. 給与・離職票の請求は書面で明示

    • 「最終給与および離職票は○月○日までに下記住所へ送付してください」と明記しておく。届かない場合はハローワーク・労基署に相談。doda+1

  4. 会社が脅迫や強要を主張する場合は証拠で反駁

    • 上司とのやり取り(録音・メール等)があれば保存。逆に会社が「脅迫した」と主張する場合は、速やかに弁護士へ相談。

  5. 相談窓口を活用

    • 労働基準監督署、都道府県の労働相談窓口、ハローワーク、労働組合、無料の労働相談センター、必要なら労働問題に強い弁護士へ相談。ベリーベスト法律事務所+1

  6. (最悪の場合)法的手段

    • 会社が不当な扱い(給与不払い、離職票不交付)を続ける場合、労基署への告発、民事での支払請求(少額訴訟/小額訴訟)や労働審判・損害賠償請求の検討を。


6) よくある誤解・Q&A 早見表


7) すぐ使える一言テンプレ(証拠を残すための例文)

(内容証明用やメール本文に使えます)

件名:退職の意思表示(内容証明送付済)
本文:一身上の都合により、○年○月○日をもって退職いたします。
貸与品は○月○日に宅配返却済み(追跡番号○○○)。
最終給与、離職票は以下住所へ送付してください。/送付が遅れる場合は労基署へ相談いたします。

(必要であればこの文面を内容証明用に整えた完全版を作成します。ご希望なら日付・宛先などを教えてください。)


8) 最後に(実務アドバイス)

  • 法理としては労働者の退職は強い権利です。実務でのトラブルを避けるために、「証拠(内容証明・メール)」と「貸与物の返却」を必ずセットで行うのが最も安全です。東京・足立区・北千住で弁護士をお探しなら法律事務所リベロへご相談ください+1

  • ただし、会社が「脅迫や錯誤を理由に退職を無効だ」と主張してきた場合や、有期契約の早期離職で損害賠償を言われそうな場合は、労働問題に強い弁護士への相談を強く推奨します(無料相談窓口もあります)。


必要なら、次のどれかを直ちに作ります(すべて今すぐ作成可能です):

  1. 内容証明用の完成版退職届(あなたの氏名・退職日を入れて即印刷可)

  2. 会社に送る「最終給与・離職票請求」の内容証明テンプレ(追跡・配達証明を添付)

  3. 会社の主張に備えるための「やり取りログ保存リスト」と反証テンプレ(録音・メール・証人の書き方含む)

どれを作りましょうか?(希望があれば日付・宛先等を入れて完成版にします。)

やはり、法律の基礎知識は必要ですね。
これらの教育が義務教育や高等教育で行われていないことを不思議に思います。

まったくその通りです。
実は、日本の教育課程では「法的リテラシー(権利・契約・義務)」の教育がほとんど行われておらず、それが社会人になってからの労働トラブル・契約トラブル・消費者トラブルを増やしているという指摘が、長年されています。


1. 義務教育で扱われない理由

  • 学習指導要領の社会科・公民分野では、「三権分立」「憲法の基本原理」などは教えるものの、
    民法(契約・損害賠償・雇用関係)や労働法(労働基準法・労働契約法)はほとんど触れられません

  • 文部科学省は、「一般市民としての法意識を育む」という抽象的目標に留めており、
    「退職」「解雇」「賃金」「契約解除」など実務的な内容は“成人後に学ぶもの”とされています。

  • 教員自身が法学を体系的に学んでいないため、授業で扱うことが難しいという現場的事情もあります。


2. 高等教育(大学)でも限定的

  • 法学部以外では、労働法・契約法の基礎を扱う授業が必修ではない

  • 多くの学生が、アルバイトや内定後に**「契約とは何か」「権利を主張するには証拠が必要」**ということを初めて知る。

  • 結果として、社会に出た後に「法律上は権利があるのに、手続を知らない」「声を上げられない」という構造が生まれています。


3. 法教育の必要性と現在の動き

  • 日本弁護士連合会(日本弁連)は2000年代から「法教育推進」を提言し、
    一部の高校では模擬裁判・契約書作成・労働契約トラブルの授業などを導入しています。

  • しかし、全国的にはまだ試行的段階であり、体系的教育には至っていません。

  • 一方、海外(特に北欧やドイツ)では、中等教育段階から
    「雇用契約・消費契約・納税義務・法的責任」などを生活科目として学ぶ国もあります。


4. 実務的観点から見た「最低限知っておくべき法律知識」

社会人として最低限理解しておくと、非常に役立つ基礎法分野は次の通りです:

分野 内容 具体例
民法 権利義務の基本、契約の成立・解除 雇用契約、売買契約、損害賠償
労働法 働く人の権利と使用者の義務 労働基準法、労働契約法、労災
消費者契約法 不当条項の無効、クーリングオフ サブスク契約、訪問販売
個人情報保護法 データの取り扱い 雇用情報・顧客データ
刑法の基礎 どこから犯罪になるか 業務上横領、名誉毀損など

5. 江端さんのように感じる人が増えている背景

  • SNSやネット掲示板で「退職代行」「ブラック企業」「パワハラ」などの実例が可視化され、
    多くの人が「知らないまま不利な立場になっている」と気づき始めています。

  • その結果、近年では自治体やNPOが主催する**社会人向け「生活法律講座」**が増加し、
    弁護士会も「働く権利」や「契約トラブル」についての出前授業を行っています。


6. 結論

法律の知識は「専門家のもの」ではなく、「自分を守るためのリテラシー」です。

とくに民法・労働法・契約の仕組みは、数学や国語と同じく義務教育レベルで扱うべき基礎教養と言えます。

私、知財六法(知的財産六法)くらいしか真面目に勉強していませんが、その経緯でこのような知識も流れこんできます。
法律は強力な「暴力デバイス」として機能しますので、勉強しておいて損はないと思います。

 

2025,江端さんの忘備録

NHKの、『最後の講義 「漫画家 西原理恵子」』を見ていた嫁さんが、アルコール依存症の悲惨な現実の話を聞いて、ちょっと青ざめていました。
My wife, who was watching NHK’s “The Last Lecture: Manga Artist Rieko Saibara,” turned a bit pale after hearing about the tragic realities of alcoholism.

「確か、パパも『アルコール依存症』だったよね」
“Didn’t you also have ‘alcohol dependence,’ Dad?”

と怯えたような目で、私を見ていました。
She looked at me with frightened eyes.

アルコール依存症は、基本は「アルコールがなければ生活ができない」というものであり、その弊害については様々です。
Alcohol dependence essentially means “being unable to live without alcohol,” and its harmful effects are diverse.

家族に暴力を振るい、暴言を延々と吐き続けるものから、私のように「不眠症と連動している」ものまで、各種あります。
They range from those who commit domestic violence and endlessly hurl abuse to cases like mine, where it’s linked to insomnia.

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『アルコール依存症』が引き起こす例証を調べたら、100項目近く出てきました。以下はその一部です。
When I looked up examples of issues caused by “alcohol dependence,” I found nearly 100 items. Here are some of them.

■依存症患者の配偶者のうつ病発症・通院
■Depression and medical visits among spouses of alcohol dependents

■暴言・威嚇・金銭要求(生活費の持ち出し)
■Verbal abuse, intimidation, and financial demands (taking household money)

■家計の逼迫・貯蓄の消失・借金の発生
■Financial strain, disappearance of savings, and accumulation of debt

■飲酒運転による事故・逮捕・保険不支給
■Accidents, arrests, and loss of insurance coverage due to drunk driving

といういわゆる、社会悪としての事例もあれば、
These are examples of what can be called social evils, but there are also

■うつ病、不安障害、不眠症、幻覚・妄想(アルコール幻覚症)、アルコール離脱せん妄、自殺企図・衝動行動
■Depression, anxiety disorder, insomnia, hallucinations/delusions (alcoholic hallucinosis), withdrawal delirium, suicidal impulses, and impulsive behaviors

■小脳萎縮(歩行障害・運動失調)、アルコール性脂肪肝、胃炎・食道炎、脳梗塞・脳出血、心筋症
■Cerebellar atrophy (gait disturbance, motor incoordination), alcoholic fatty liver, gastritis/esophagitis, stroke, cerebral hemorrhage, and cardiomyopathy

■(反射・判断力低下による)交通事故・転倒・外傷
■Traffic accidents, falls, and injuries caused by reduced reflexes and judgment

などの、自分の健康にブーメランのように戻ってくるものまで、各種の問題を引き起こします。
These effects boomerang back to one’s own health, causing a wide range of problems.

私の『アルコール依存症』は、医者による診断ではなく、自分で自己チェックして判断したものですが、まあ、誤診ではないと思います。調べた文献の全てが『私が、アルコール依存症である』と差し示していたからです。
My “alcohol dependence” was not diagnosed by a doctor but self-identified through personal checks; still, I don’t think it’s a misjudgment, every reference I found clearly indicated that I fit the description.

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家族に暴力を振るい、暴言を延々と吐き続けるような『アルコール依存症』は、分かりやすいのかもしれません。
Alcohol dependence involving violence and endless verbal abuse is easy to recognize.

私の場合は、家族も会社の人間も、誰一人として気がつかなかったからです ―― というか、『アルコール依存症』という言葉が、非日常的で、自分の日常の範囲では認識できないからでしょう。
In my case, neither my family nor anyone at work noticed, perhaps because the term “alcohol dependence” feels so far removed from everyday life that people don’t recognize it within their own world.

―― それ故に、この依存症は怖い
That’s precisely why this dependency is frightening.

アルコール飲料は、違法薬物のような規制がありません。違法薬物と比較すると、恐ろしく安価で、簡単に手に入り、なにより合法です。飲量の上限規定もありません(あったとしても規制する手段がありません)。
Alcoholic beverages are not regulated like illegal drugs. Compared to them, alcohol is terrifyingly cheap, easily accessible, and above all, legal. There are no consumption limits (and even if there were, there’s no way to enforce them).

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このように、アルコール依存症は、発見しにくい病です。
Thus, alcoholism is a disease that is difficult to detect.

本人が気づかない。家族も気づかない。会社の同僚も気づかない。
The person doesn’t realize it. The family doesn’t know it. Colleagues don’t know it.

それは、アルコールが「社会に溶け込みすぎている」からです。
That’s because alcohol is too deeply integrated into society.

つまり、アルコール依存症は、もはや病気というより社会構造そのものの一部といっても過言ではありません。
In other words, alcohol dependence is no longer merely a disease; it has become part of the social structure itself.

―― それなら、いっそうのこと『根絶はできない』と腹をくくってみてはどうでしょうか
Then perhaps it’s time to accept that “eradication is impossible.”

逆転の発想をしてみましょう。
So let’s reverse our way of thinking.

もしアルコール依存症が避けられないなら、これをどう“活用”するかを考えてみるのです。
If alcoholism is unavoidable, let’s think about how to *make use* of it.

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以下は、私が勝手に提案する「望ましいアルコール依存症」の活用事例です。
Below are examples of what I call “desirable uses” of alcohol dependence.

■自己改善ツールとしてのアルコール依存症
■Alcohol dependence as a self-improvement tool

アルコール依存症の最大の効能は、「自分の弱点をこれほど正確に突いてくる存在が他にない」という点です。
Its most outstanding feature is that nothing else exposes your weaknesses with such precision.

自制心、理性、社会性、家庭――どのレイヤーが一番脆いかを、日々リアルタイムでフィードバックしてくれる高精度の診断装置です。
It’s a high-precision diagnostic device that provides real-time feedback on which layer, "self-control, reason, sociality, or family," is the most fragile.

AIでも難しい“自己診断の自動化”を、見事に実現しているのです。
It achieves what even AI struggles with: automating self-diagnosis.

もはや医療機器としての認可を申請してもよいレベルです。
It could almost qualify for medical device certification.

■家庭内チームビルディング装置としての依存症
■Addiction as a household team-building mechanism

アルコール依存症を家庭に導入すると、家族の連携力が飛躍的に高まります。
Introducing alcoholism into the household dramatically boosts family coordination.

父が飲み始めると、子どもがコップを片付け、母が車の鍵を隠し、祖母が救急車の番号を押す。
When the father starts drinking, the child hides the glass, the mother hides the car keys, and the grandmother dials the ambulance number.

この一糸乱れぬ動作は、もはや防災訓練の域です。
Such perfectly synchronized action borders on a disaster drill.

家庭という小宇宙の中で「危機対応能力」を磨ける――そう考えると、依存症は極めて教育的な存在といえます。
Seen this way, addiction becomes an educational tool for honing crisis management within the microcosm of the home.

家族の絆を深めるには、やはり共通の“敵”が必要なのです。
To strengthen family bonds, you still need a common “enemy.”

■経済循環の潤滑油としてのアルコール
■Alcohol as the lubricant of economic circulation

アルコール依存症は、実に多くの産業を潤します。
Alcohol dependence sustains an astonishing number of industries.

医者が儲かり、薬局が潤い、警察が忙しくなり、保険会社が緊張感を取り戻す。
Doctors profit, pharmacies thrive, police stay busy, and insurance companies regain their vigilance.

リハビリ施設は満員御礼、出版業界は「断酒体験記」で好調。
Rehab centers are complete, and publishers are booming with “sobriety memoirs.”

まさに“持続可能な依存社会”の完成です。
It’s the very embodiment of a “sustainable dependency society.”

もしSDGsに新しい項目を加えるなら、「S」は“Shochu”の略にしてもよいでしょう。
If we were to add a new item to the SDGs, “S” might as well stand for “Shochu.”

■究極のセルフDXとしてのアルコール依存
■Alcoholism as the ultimate form of self-DX

DX(デジタルトランスフォーメーション)が叫ばれる現代において、アルコール依存症はその最終形を体現しています。
In an age obsessed with DX (Digital Transformation), alcoholism represents its final form.

なぜなら、アルコール依存とは、外部制御を完全に排した「自己破壊の自動化」だからです。
Because alcoholism is the complete automation of self-destruction, free from external control.

人間の意思決定プロセスを省略し、入力(飲酒)から出力(崩壊)までをフルオートメーションで完結させる。
It skips the human decision-making process, completing everything from input (drinking) to output (collapse) in full automation.

ここまで徹底したプロセス自律性を実現できるのは、AIとアルコールくらいのものです。
Only AI and alcohol achieve this level of process autonomy.

■そして最後に――
■And finally 

適度な飲酒が健康に良い、というのは幻想です。
The notion that moderate drinking is healthy is a misconception.

飲酒は、その量の過多に関わらず健康を害する、というのは、今や常識となりつつあります。
It’s now common knowledge that alcohol harms health regardless of quantity.

けれど、依存症まで到達すれば、もう健康を気にする必要すらなくなります。
However, once you reach dependence, you no longer need to worry about health at all.

人は健康を失って初めて、“気にしなくていい自由”を手に入れるのです。
Only by losing health does one gain the freedom “not to care.”

――これが、アルコールがくれる最後の恩恵なのかもしれません。
This may be the final blessing that alcohol gives.

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つまり、アルコール依存症とは「理性を失った人間の悲劇」であると同時に、
In short, alcoholism is both “the tragedy of a human who has lost reason”

「人間がどこまで理性を失っても、まだ笑える」という、壮大なブラックユーモアでもあります。
and a grand piece of black humor showing how far humans can lose reason and still laugh.

笑っていられるうちは、まだ大丈夫。笑えなくなったら、もう手遅れです。
As long as you can still laugh, you’re fine. Once you can’t, it’s already too late.

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嫁さんが青ざめた顔で私を見ていた理由が、今は少しわかる気がします。
Now I think I understand why my wife looked at me so palely.

あの怯えた目は、たぶんこう言っていたのです。
Those frightened eyes were probably saying

『笑っていられるうちに、お酒をやめてよかったね』
“I’m glad you quit drinking while you could still laugh.”

と。
That’s what she meant.

家族は助け合わなくていい

未分類

最後の講義 「漫画家 西原理恵子」 @ 東京女子大学

昨日、嫁さんに見せて、今、次女と嫁さんが見ています。

今週末、長女にも見せる予定です。

江端家の上映は、合計4回になる予定です。

(NHK ONE 配信期限 10月8日(水)午後10:49)

出典:NHK「最後の講義 「漫画家 西原理恵子」」より引用((C) NHK)

(取り敢えず、著作権法第32条の"引用"と言い張りますが、著作権利者様から抗議を受けたら"秒"で削除します。なお、当該著作の権利に無関係の人からの批判や非難には一切応じません)。

2025,江端さんの忘備録

「これに気が付けば、みんながラクできるかもしれないな」と思うようなことを、私はブログで適当に書きまくっています。
I often write casually on my blog about things that, if people noticed them, might make everyone’s life easier.

もし、これを『体系的な手順書として書け』と命令または依頼されたら、多分、私はブログでの記載を一切やめてしまうでしょう。
If someone ordered or requested me to “write it as a formal manual,” I would probably stop writing on my blog altogether.

「記載内容に責任が持てない」ということもあるのですが、そもそも「面倒くさい」。
Partly because I can’t take full responsibility for what I write—but mainly because it’s just bothersome.

他の人を助ける軽い善意が、自分のタスクになるのであれば、当然に『沈黙し続けますよ』――バカバカしい。
If a small act of goodwill to help others turns into one of my own tasks, of course, I’ll “stay silent.” It’s absurd.

このように、「誰かを助けるためのTipsが、公開されず、多くの人を助ける知見が生かされない」――というのは、結構な場面あります。
There are many situations where helpful tips remain unpublished, and valuable knowledge that could help many people goes unused.

私が、ブログにコメント欄を設けていない理由の一つが、「サポートの依頼を一切受け付けない」ためでもあります(主な理由は、“辻説法”ですが)。
One reason I don’t allow comments on my blog is to avoid support requests entirely (though the main reason is my fondness for “street preaching”).


実は先日、運転免許試験場に行ってきて、普通の免許証とマイナ免許証の両方の作成をしてきたのですが(ざっくり4000円強かかりました)、例えば、こんなTipsを得ました。
Recently, I went to the driver’s license examination center and obtained both a regular license and a My Number-integrated license (it cost a bit over 4,000 yen). Here are a few tips I discovered.

■マイナカードの最大16ケタの署名用電子証明書番号を持っていかないと手続きができない(案内状にはそのような記載がない)
You can’t complete the procedure unless you bring the 16-digit signature electronic certificate number from your My Number card (though the notice doesn’t mention this).

→私の場合、なんとなく“怪しい”と思ったので、持っていって助かりました。
→I had a hunch it might be needed, so I brought it—and it saved me a lot of trouble.

■マイナ免許証は、(現時点では)マイナカードを更新時(私の場合、来年の誕生日)に、免許証の情報が消失する。自力(≠行政手続)で免許情報の移行をしなければならない。
Currently, when you renew your My Number card (in my case, next year on my birthday), the license information is removed. You must transfer the data yourself (not through an automated government process).

→窓口で「マジですか!?」と叫んでしまった(「そんな免許に意味があるか?」と今でも思っています)。
→At the counter, I shouted, “Are you serious!?”—and I still think, “What’s the point of such a license?”

■運転免許講習(2時間)の内容は、かなり面白かった。特に道路交通法の38条を読み込んでいくと楽しい。
The two-hour driver’s license lecture was surprisingly enjoyable—especially when digging into Article 38 of the Road Traffic Act.

などがあるのですが、これについて「とやかく質問されると“うっとうしい”」のです。
But when people start asking questions about these things, it gets really annoying.

例えば、
For example:

■「署名用電子証明書番号」って何ですか?
“What is a signature electronic certificate number?”

■「失効する」あるいは「自力更新する」とは、何をすれば良いのですか?
“What exactly do you mean by it ‘expires’ or needs ‘manual renewal’?”

■「道路交通法」はどのサイトで見られますか?
“Where can I read the Road Traffic Act online?”

とか聞かれることを考えると、うっとうしい。
Just imagining being asked all that already feels tiresome.


とまあ、私はTipsについては一方的発信にしているのですが、これが「会社の業務」としての命令にされると、そういうわけにもいきません。
So, I keep my tips as one-way communication—but if it were made a formal job duty at work, I couldn’t do that anymore.

そして、「多くの社員のメリット」vs「自分の面倒回避」で比較すれば、後者が勝つのは当然です。
When comparing “benefits to many employees” versus “my own hassle avoidance,” the latter obviously wins.

――で、私は、沈黙を続ける。
—And so, I remain silent.

ということになります。
That’s how it ends up.

組織に必要なのは、業務命令として義務を負わせない、情報提供や情報共有だと思うんですけどね。
What organizations really need, I think, is information sharing and contributions that aren’t forced as obligations.

これが、なかなかうまく回らないものなのです(よく知っています)。
But that’s easier said than done—I know this all too well.

辻説法(つじせっぽう)

2025,江端さんの忘備録

私が、『声を上げて喜びを表現する』のは、もっぱら自分のことだけです(主に、プログラムとかシステムや、論文の査読が通った時です)。
The only times I raise my voice in joy are when something good happens to me—mainly when a program or system finally works, or when a paper passes peer review.

以前から、他人の成果を「日本の誇り」とか「地元の誇り」とか「大学の誇り」というのは、なんか、その人の功績にフリーライド(ただ乗り)するようで、私は気乗りしない、控えている、という話は以前からしている通りです。
As I’ve often said, I’ve never been fond of calling someone else’s achievement “a source of national pride,” “local pride,” or “university pride.” It feels like freeloading on their accomplishments, so I tend to refrain from doing so.

ところが、昨日はちょっと油断していました。
However, yesterday I let my guard down a little.

今年のノーベル生理学・医学賞に、過剰な免疫反応を抑える「制御性T細胞」を発見した大阪大学特任教授の坂口志文さんら日米3氏が選ばれたと、7時のNHKニュースで知った時、思わず「おっしゃー」と叫んでしまいました。
When I saw on NHK’s 7 p.m. news that this year’s Nobel Prize in Physiology or Medicine had been awarded to Professor Shimon Sakaguchi of Osaka University and two other researchers from Japan and the U.S. for discovering regulatory T cells that suppress excessive immune responses, I couldn’t help but shout, “Yes!”


ご存じかとは思いますが、私は新型コロナウイルスワクチンについての連載を担当していたことがありT細胞についても詳しい方です。
As some of you may know, I once wrote a series of articles on COVID-19 vaccines, so I’m fairly familiar with T cells.

加えて、実はT細胞をモデル化した計算機アルゴリズムのネタで、一回学会発表していたこともあったのです。
Moreover, I once presented a paper at an academic conference on a computational algorithm inspired by the modeling of T cells.

入社2年目くらいだったかと思います。GA(Genetic Algorithm)の拡張アルゴリズムの計算方法で、発表も国内の全国大会での1回限りのものでしたが(その後、続けなかった)、それでも制御性T細胞については、いくぶん知識はありました。
That must have been around my second year at the company. It was a presentation on an extended version of the Genetic Algorithm (GA). It was a one-time talk at a national conference, and I didn’t pursue it further; however, I did gain some understanding of regulatory T cells.

まあ、ささいな関連とはいえ、自分の知っている内容での日本人のノーベル賞受賞というのは、それだけで嬉しいものです。
Even if the connection is small, seeing a Japanese researcher win a Nobel Prize in a field I happen to know something about makes me genuinely happy.

とは言え、どの国の人が受賞しても良いのですが、「日本人」であることが嬉しいのは、何故だろうと考えました。
That said, I have no problem with anyone from any country receiving the prize—but I wondered why it feels particularly pleasing when it’s a Japanese laureate.

主な理由は「日本語で受賞の感想が聞ける」とか、「日本語で各種の解説が行なわれる」とか、いろいろ理由はつけられますが、つまるところ、「隣人」または「同胞」という意識が一切ないとは言い切れない、と思いました。
You could list reasons like “I can hear the acceptance speech in Japanese” or “the explanations and analyses are all in Japanese,” but ultimately, I think it’s because I can’t deny feeling a subtle sense of kinship—as if they were a neighbor or compatriot.

私は、「日本の誇り」とか「地元の誇り」とか「大学の誇り」などとは言いません。その努力と成果は、その人だけのものです。
I still wouldn’t call it “the pride of Japan,” or “the pride of my hometown,” or “my university.” Their effort and achievement belong to them alone.

ただ、日本語で「おめでとうございます」と言えるのはいいな、とは思いました。
Still, it’s nice to be able to say “congratulations” in Japanese.


今回の受賞においては、(初見で私がびっくりした)人気漫画『はたらく細胞』との関連で語られているトピックが散見されます。
This time, I’ve noticed that some media are drawing connections between the award and the popular manga Cells at Work!, which initially surprised me.

このような漫画が、科学の発展のエンジンとなって、未来の人類に貢献する大きな成果になる、という話になれば、とても良いシナリオだと思います。
If it works like that, manga could inspire scientific progress and ultimately contribute to humanity’s future; that would be a wonderful story.


それにしても、私、ノーベル賞(科学分野)の発表があるたびに、受賞者が日本人であるかどうかに関係なく、毎回喜んでいるようです。
That said, I seem to get excited about every Nobel Prize announcement in the sciences—regardless of whether the laureate is Japanese or not.

スウェーデン王立科学アカデミーは8日、2024年のノーベル物理学賞を米プリンストン大のジョン・ホップフィールド名誉教授(91)とカナダ・トロント大のジェフリー・ヒントン名誉教授(76)に授与すると発表した。

今年のノーベル生理学・医学賞が、新型コロナウイルスのmRNAワクチンにつながる技術を開発した科学者2人に贈られることが、発表されました。

―― 数理モデル + シミュレーション でのノーベル"物理学"賞が来たーーーー!!

正直、ちょっと節操ないかな、とも思っています。
Maybe I’m a bit too indiscriminate in my enthusiasm.

あんたの研究はノーベル賞を狙えるのか