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MATSim 連載準備用

ここの記載を参考にしてoutputの情報を作っていうのですが、via-appを使うのが迂遠です。 もっと簡単にMATSimのシミュレーションを動画にする方法はありませんか?

via-app 不要の「最短・自動」動画化スクリプト "animate_matsim.py"を作って貰いました。
これを配置する場所は、
output_events.xml.gz、output_network.xml.gz (MATSimで生成したもの)
2つのファイルが置かれている場所に、

[animate_matsim.py]

import gzip
import xml.etree.ElementTree as ET
from collections import defaultdict

import numpy as np
import matplotlib.pyplot as plt
import matplotlib.animation as animation

# ========= 設定(あなたの環境に固定) =========
EVENTS_GZ   = "output_events.xml.gz"
NETWORK_GZ  = "output_network.xml.gz"
OUT_MP4     = "matsim_equil.mp4"

FPS = 20
DT  = 1.0          # 1秒刻みで描画
MAX_T = 24*3600    # 24時間
# ============================================

# events の「位置更新に使うタイプ」
POS_TYPES = {"vehicle enters traffic", "entered link"}  # equil の実ログに合わせている

def load_network_midpoints_gz(network_gz):
    """
    output_network.xml.gz を読み、
    linkId -> (midX, midY) の辞書を作る。
    """
    nodes = {}
    link_mid = {}

    with gzip.open(network_gz, "rt", encoding="utf-8") as f:
        for ev, elem in ET.iterparse(f, events=("end",)):
            if elem.tag == "node":
                nid = elem.attrib["id"]
                nodes[nid] = (float(elem.attrib["x"]), float(elem.attrib["y"]))
                elem.clear()
            elif elem.tag == "link":
                lid = elem.attrib["id"]
                fr = elem.attrib["from"]
                to = elem.attrib["to"]
                if fr in nodes and to in nodes:
                    (x0, y0) = nodes[fr]
                    (x1, y1) = nodes[to]
                    link_mid[lid] = ((x0 + x1) / 2.0, (y0 + y1) / 2.0)
                elem.clear()

    return link_mid


def load_position_events(events_gz):
    """
    output_events.xml.gz を iterparse で読み、
    車両(or person)の「リンク入場系イベント」だけ抜き出す。

    戻り値:
      events_by_agent[agentId] = [(time, linkId), ...] (timeで昇順)
      all_times = sorted unique times
    """
    events_by_agent = defaultdict(list)
    all_times = []

    with gzip.open(events_gz, "rt", encoding="utf-8") as f:
        for ev, elem in ET.iterparse(f, events=("end",)):
            if elem.tag != "event":
                elem.clear()
                continue

            etype = elem.attrib.get("type", "")
            if etype not in POS_TYPES:
                elem.clear()
                continue

            # equilでは entered/left は vehicle しか持たないので vehicle を優先
            aid = elem.attrib.get("vehicle") or elem.attrib.get("person")
            t = elem.attrib.get("time")
            lid = elem.attrib.get("link")

            if aid is None or t is None or lid is None:
                elem.clear()
                continue

            t = float(t)
            events_by_agent[aid].append((t, lid))
            all_times.append(t)

            elem.clear()

    # agentごとに時刻順に整列
    for aid in events_by_agent:
        events_by_agent[aid].sort()

    all_times = sorted(set(all_times))
    return events_by_agent, all_times


def build_time_index(events_by_agent):
    """
    アニメーションの高速化のため、
    agentごとに「次に参照すべきイベント位置」を保持する。
    """
    idx = {aid: 0 for aid in events_by_agent.keys()}
    return idx


def main():
    link_mid = load_network_midpoints_gz(NETWORK_GZ)
    events_by_agent, all_times = load_position_events(EVENTS_GZ)

    if not link_mid:
        raise RuntimeError("network の link が読めていません。NETWORK_GZ を確認してください。")
    if not events_by_agent:
        raise RuntimeError(
            "位置更新イベント(vehicle enters traffic / entered link)が読めていません。"
            "events の type を確認してください。"
        )

    # 描画範囲(networkから)
    xs = [v[0] for v in link_mid.values()]
    ys = [v[1] for v in link_mid.values()]
    xmin, xmax = min(xs), max(xs)
    ymin, ymax = min(ys), max(ys)

    fig, ax = plt.subplots()
    ax.set_xlim(xmin - 50, xmax + 50)
    ax.set_ylim(ymin - 50, ymax + 50)
    ax.set_aspect("equal")

    scat = ax.scatter([], [], s=10)

    # アニメーション時刻列を作る(0〜MAX_TをDT刻み)
    times = []
    t = 0.0
    while t <= MAX_T:
        times.append(t)
        t += DT

    agents = list(events_by_agent.keys())
    idx = build_time_index(events_by_agent)

    # 現在位置(未出発は None)
    current_pos = {aid: None for aid in agents}

    def update(frame_idx):
        tnow = times[frame_idx]

        # 各agentについて、tnowまでに起きた entered link を順に反映
        for aid in agents:
            evs = events_by_agent[aid]
            i = idx[aid]
            while i < len(evs) and evs[i][0] <= tnow:
                _, lid = evs[i]
                if lid in link_mid:
                    current_pos[aid] = link_mid[lid]
                i += 1
            idx[aid] = i

        pts = [p for p in current_pos.values() if p is not None]

        if pts:
            scat.set_offsets(pts)
        else:
            scat.set_offsets(np.empty((0, 2)))

        ax.set_title(f"t = {tnow/3600:.2f} h")
        return scat,

    ani = animation.FuncAnimation(
        fig,
        update,
        frames=len(times),
        interval=1000 / FPS,
        blit=False
    )

    ani.save(OUT_MP4, fps=FPS)
    print("saved:", OUT_MP4)


if __name__ == "__main__":
    main()

として、

python3 animate_matsim.py

とすると、
matsim_equil.mp4
という動画ファイルができます。  但し、かなり時間がかかります。止っているのか、と思えるくらいには。

止っているかを確認する方法としては、

$ top
で、

が、出てくれば動いていると思います。
または、

$ ps aux | grep ffmpeg
で、
ffmpeg が動いている → 動画生成中(正常)
ffmpeg が一切いない → events→trajectory 作成中 or 停止中

「点が出る時刻が存在するか」を一発確認する方法としては、以下を使えます。

python3 - <<'PY'
import gzip, xml.etree.ElementTree as ET
POS_TYPES = {"vehicle enters traffic", "entered link"}
times = []
with gzip.open("output_events.xml.gz","rt",encoding="utf-8") as f:
    for ev, elem in ET.iterparse(f, events=("end",)):
        if elem.tag=="event" and elem.attrib.get("type") in POS_TYPES:
            times.append(float(elem.attrib["time"]))
        elem.clear()
print("pos-events:", len(times))
print("min time:", min(times))
print("max time:", max(times))
PY

これで、

pos-events: 727444 (描画対象の更新回数)
min time: 28800.0  (8.00 時スタート)
max time: 92526.0 (25.07 時 終了)

ということが分かります。

 

で、今も計算中です。出てきたら動画ファイル張りつけますね。

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「電子申告・納税等に係わる利用者識別番号等の通知書」というのが、郵送で届いたんですが ーーー なんで、いつも"こう"なるのかなぁ。

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以下に、博士論文の学術的・技術的・構成的な観点からの評論を示します。必要に応じて本文中の要点には

tomoichi-ebata-thesis

を付しています。


■ 総評:本論文は「社会的接触機会」という新規テーマを、交通・都市計画・社会心理・MAS を統合して構築した先駆的研究である

本論文は、公共交通が「住民の接触機会」を生み出すという社会的機能に着目し、それを
共時空間(Co-Exist)RCM(Repeated Chance Meetings) の2軸で構造化し、
さらに MAS によって定量化まで可能にした点に明確な独自性がある。

これまでの交通研究では、公共交通の価値は「移動効率」「利便性」「需要」に偏っており、
住民の出会いや交流、社会的つながりの創出という本質的価値は「質的記述」に留まっていた。

本論文はその欠落部分を、
空間データ・PT調査・GIS・DBSCAN・時空間キューブの統合
という技術的アプローチで補完する構成になっており、特に、

  • 1日単位の PT 調査の構造的限界の分析

  • 実人口と同数のエージェント生成

  • 共移動/共滞在の厳密な定義付け

  • MAS による高解像度の接触構造の再現

    tomoichi-ebata-thesis

  • 8シナリオ比較による交通施策の社会的影響の可視化

が論文全体の中核を形成する。

本研究の学術的価値は 3 点に整理できる。

  1. 住民接触を「公」と「私」の2側面に分けた理論的枠組み

  2. PT調査を MAS と GIS で補完する具体的な定量化手法

  3. 交通政策の影響を「交流機会の構造変化」として測定できる実践的ツール

この三点は、都市計画・交通計画・社会心理・社会実装のいずれの分野から見ても新規性が高い。


■ 構成の強み

① 背景→課題→目的→定義 が体系的で論文として強固

背景では、

  • 少子高齢化

  • 公共交通の縮小

  • SC/SWBとの関連

  • PT調査の構造的制約

が丁寧に整理されており、接触機会の必要性が自然に導かれている。
問題設定が自然で、説得性が高い。

特に PT 調査の限界についての記述は本論の必要性を強固に支える(例:記憶依存・粒度の粗さ・経路情報欠損など)

tomoichi-ebata-thesis

② 共時空間・RCM の概念定義が明確

図1-1・図1-2 によって概念が即座に理解できるようになっている。
「住民接触」を曖昧にせず、空間・時間・繰り返し性の3要素で分解して記述した点は極めて重要。

③ MAS の限界と改良への論理が通底

PT調査とMAS双方の欠点(粒度、代表性、計算量など)を明確にし、
その弱点を補完する設計を行っている点は技術論文として高い完成度。

④ プログラム設計の説明が非常に具体的

  • エージェント生成

  • トリップ展開

  • 空間分割

  • DBSCAN

  • 時空間キューブ

など個別プログラムの構造が丁寧に記載されており、再現性が高い。

図表も多く、理解しやすい。

⑤ 8シナリオの構造比較が政策研究として優れている

単なるモデル研究に終わらず、
現実の人口予測・交通施策に基づく社会シナリオで検証
している点は強み。

特に、2045年×交通縮小のシナリオで
「共時空間が消失し、RCM が偏在・縮退する」
という結果は政策的含意が大きい

tomoichi-ebata-thesis


■ 改善が望まれる点(研究深化の余地)

以下は「弱点」というより、「今後さらに強化できる方向性」の指摘。


1. SC/SWB との「定量的リンク」は未着手(本論文の方針としては正しい)

要旨でも述べられている通り、本論文では
SC・SWB の効果測定はスコープ外
と明確にしている。

これは賢明な判断であるが、
論文としては「将来展望」で触れられているように、
接触機会 → 社会的成果
の因果関係が不在であることは、若干の物足りなさも残す。


2. 共時空間の閾値(ε, minPts)の最適化に関する議論のさらなる深掘りも可能

DBSCAN の説明は詳細だが、
・パラメータの決定根拠
・ロバスト性
・感度分析
がより丁寧に議論されれば、再現性がさらに高まる。


3. エージェントの「性格」や「目的選択ロジック」の拡張は今後の課題

本論文は PT 調査の再現に重点を置いており、
個人属性は反映されるが心理モデルは含まれていない。

ただし、博士論文としては十分であり、
行動学習を組み込むのは未来課題として適切に整理されている。


4. システム名称(住民接触機会解析システム)はやや機能記述型

機能を正確に表す一方、
都市計画系の読者にはややハードウェア的印象を与える可能性がある。
ただし本質的問題ではない。


■ 総合評価

本論文は、
公共交通の社会的価値を「接触機会」という数量で再構築した、日本で初めての体系的研究
と言ってよい。

  • 現象の定義

  • データ構造の整備

  • システム化

  • 実証分析

  • 政策的含意

の流れが極めて明快であり、
博士論文として必要な内容はすべて満たしている。

特に、

「公共交通=移動」ではなく、「公共交通=社会的接触の生成装置」

という新概念の提示は学術的価値が高く、
政策側・自治体研究側にも利用可能な普遍性を持つ。


■ 本論文は、今後どの分野にも引用されうる「基盤研究」として成立している

  • 交通計画

  • 都市計画

  • 地域福祉

  • 社会関係資本研究

  • 高齢化研究

  • MAS研究

  • まちづくり研究

いずれの分野から見ても参照価値がある。

特に「RCM」という指標を地域交通に導入した例は国際的にも希少であり、
今後の研究の基準点になる可能性が高い。

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先ほど、たまたまこのようなものが公開されているのを見つけ、ドキドキしながら読みました(できれば本人にも知らせてくれてよかったのでは、とも思います)。

https://ynu.repo.nii.ac.jp/record/2002103/files/tomoichi-ebata-review.pdf

tomoichi-ebata-review

「対外発表論文は、以下の1編の査読付き論文集への登載と2件の国際学会での英語発表があり、学位取得に必要な内規(1編以上)を満たしている」という一行を読んだ瞬間、血の気が引きました。

『とにかく出せるものは出しておけ』と言わんばかりに、片っ端から新しいネタを翻訳してあちこちの学会へ投げ続けていましたが、そのお陰で首の皮一枚で繋がっていたのだという事実に、あらためて青ざめています。

=====

論文本体も公開されていました。

https://ynu.repo.nii.ac.jp/record/2002103/files/tomoichi-ebata-thesis.pdf

tomoichi-ebata-thesis

2025,江端さんの忘備録

これまでの仕事でも勉強でも、私は外国出身の人に何度も助けられてきました。
In both my work and studies, I have been helped countless times by people from abroad.

深夜のデバッグに付き合ってくれたり、膠着したロジックの解法を示してくれたり、議論を通じて互いの理解を更新していった仲間も多くいます。
Some stayed up with me for late-night debugging, some showed me breakthrough solutions to stuck logic, and many deepened our mutual understanding through discussions.

そうした経験を積むと、「国籍で人を判断する」という発想が、どれほど知性の欠落したショートカットであるかが自然と分かってきます。
After enough of those experiences, you naturally see how intellectually bankrupt the idea of judging someone by their nationality really is.

私は、人を出身国で分類して評価するほど暇でも聡明(頑迷?)でもありません。
I’m neither idle nor foolish enough to classify and judge people by their country of origin.

私にとって重要なのはただ一つ ―― 「その人は信頼できるか、私の役に立つか」です。
For me, only one thing matters: whether the person is trustworthy and valuable to my work or life.

性別、性癖、宗教、国籍といったラベルを判断基準にするほど、私は"暇"じゃないんですよ。
I’m not nearly “free” enough to make judgments based on labels like gender, sexuality, religion, or nationality.

-----

私にとって嫌な相手とは、"私に嫌な行動をした個人"のことであり、国家でも組織でも政府でもありません。
A person I dislike is simply someone who misbehaved toward me—nothing to do with their nation, organization, or government.

「個人の属性で憎しみの発動条件を単純化する」という行為は便利かもしれませんが、その便利さは思考停止の代償、または無能の対価によって成り立ちます。
Simplifying the trigger for hatred by using personal attributes may be convenient, but that convenience is a product of intellectual shutdown—or the price of incompetence.

ですから、「〇〇の国の人間はどうだ?」と問われても、私は返答できません。
So when someone asks me, “What do you think of people from country X?”, I can’t answer.

知りもしない人間のことを語るような技術(魔法)を、私は持ち合わせていないからです。
I don’t possess the kind of magic that lets me speak wisely about people I’ve never met.

そのような魔法がない私にとっては、国家を個人にまで拡大解釈する感性は、あまりに粗雑で理解しがたく、下品に感じます。
Without such magic, the mindset that extends a nation’s traits to individuals feels crude, incomprehensible, and, frankly, vulgar.

外交問題を個人憎悪に転化するという行為は、人間的怠惰の極みです ーー というか、バカじゃないの? と思います。
Transforming diplomatic issues into personal hatred is the height of human laziness—honestly, it’s just stupidity.

自分で考えず、理解を深めようともせず、ただ他者の怒りに乗っかって"正義の側"に立ったような気分になりたいだけの「代理怒り」にすぎません。
It’s nothing more than “borrowed anger”: avoiding thinking, avoiding understanding, and just riding someone else’s outrage to pretend you're on the side of justice.

仮にある国が政治的に摩擦を起こしたとしても、私と肩を並べてコードレビューをし、夜通しデバッグをしてくれた同僚を憎む理由にはなりません。
Even if a country creates political friction, that gives me no reason to hate the colleague who reviewed and debugged code with me all night.

これは"倫理"の問題ではなく、単純な"論理(ロジック)"の問題です。
This isn’t about ethics—it's simple logic.

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"個人"として見るなら、私は好きな人も嫌いな人も、"3分間"で語って見せましょう。私は「嫌いな奴を『好き』」とは絶対に言えませんから。
On an individual basis, I can easily tell you whom I like or dislike for three minutes. I will never pretend to “like” someone I genuinely don’t.

評価基準は、「その人がどう振る舞ったか」だけであり、「どこの国の出身か」なんぞ、私の知ったことではありません。
My criteria are purely about how someone behaves; where they’re from is none of my concern.

私にひどい仕打ちをしたのは日本人だったこともありますし、最も助けてくれたのが外国人だったこともあります。
Some of the worst treatment I’ve ever received came from Japanese people, and some of the most significant help came from foreigners.

私は、「国籍などの属性で個人を評価すること」のバカバカしさを心底思い知っているのです。
I know firsthand how absurd it is to judge individuals based on attributes like nationality.

私の世界観は極めて単純です。
My worldview is extremely simple.

―― いい人はいい人。悪い人は悪い人。それだけ。
Good people are good. Bad people are bad. That’s it.

国家間の衝突を個人の憎悪にまで変換するほど、私は"暇"ではありません。
I’m not nearly “free” enough to convert international conflict into personal hatred.

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むしろ、そこまで雑な世界観で生きられる人の方が、よほど"精神的にタフ"なのかもしれません。
If anything, people who can live with such a sloppy worldview must be mentally more challenging than I am.

あるいは、単に"考えていない"だけかもしれませんが。
Or perhaps they simply aren’t thinking at all.

まあ、単に"暇"なんだろうな、と思っています。
Well, I suspect they’re just “free” and bored.

国家は国家として外交を行い、個人は個人として目の前の人と関係を築けばいいだけです。
Nations should conduct diplomacy as nations, and individuals should build relationships as individuals.

その切り分けを怠ると、世界は痴呆の泥沼に沈みます。
Failing to separate the two drags the world into a swamp of idiocy.

哲学的に言えば、それは「抽象概念の誤用」によって、世界と自己を同時に貧しくする行為です。
Philosophically speaking, it is the misuse of abstraction—a behavior that impoverishes both the world and oneself.

私には、不必要な憎悪や偏見を心に住まわせるだけの余裕がないんですよ。私は、私の憎悪や偏見を、私の観察と主観だけで決めます。
I don’t have the mental room to host unnecessary hatred or prejudice. Whatever dislike or bias I do have is based solely on my own observation and judgment—nothing else.

私は、生き延びるための実用的判断として、「国籍で人を裁く"暇"はない」という、超低コストの価値観に辿り着いただけです。
As a practical way to stay sane, I adopted the ultra-low-cost principle of “not wasting time judging people by nationality.”

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最後に、一つ付け加えておきましょう。
Let me add one last thing.

国籍で人を憎んで満足している方々には、ぜひそのまま、その"シンプルな世界"を守り抜いてもらっても、私は文句は言いません。
To those satisfied with hating people by nationality: please, keep protecting that simple little world of yours—I won’t complain.

まあ、複雑な事実を読み解く力もいらず、相手の個性を見る手間もいらず、現実を理解するための想像力すら必要ないし、その程度の知性の発動も必要としないのでしょう。
After all, it requires no ability to interpret complex facts, no effort to see individual personality, and no imagination to understand reality—your level of intellect doesn’t demand it.

なんてコスパの良い人生でしょうか ―― 心底、羨ましい。
What an incredibly cost-efficient life—you have no idea how envious I am.

"考えずに済む"という特権を持てることは幸せなことなのです(本当に)。
Being blessed with the privilege of “not having to think” must be true happiness. Really.

自分の頭を使わずに生きられるという、その天賦の才能をどうか失わないでください。
Please, never lose that natural-born talent for living without using your own mind.

安心してください。あなた方の"浅さ"を、私は奪いませんし、奪う価値もありません。
Rest assured: I won’t take your shallowness away. It’s not worth taking.

私はその"慎ましやかな脳内平和"を、遠くから羨ましく眺めるだけです。
I will simply admire your modest mental peace from afar.

『日本の相互理解の手段は、世界に通用しません。自分の国の常識は、自分の国でのみ有効です。他国の人に適用しませんし、その努力は徒労に終わります』

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こちらのYouTubeで紹介されている、M-1グランプリの評価点数補正 は、公平で正確なものです(分散または標準偏差を用いて、スコアを変換する方法)。
これに対して、多分、反論が出てくると思います。
その反論例を考えてみて下さい。
もちろん、論理的である必要はありません。

以下に、「分散・標準偏差によるスコア平準化方式(偏差値的補正)」に対する “ありそうな反論例” を列挙します。
目的は「実際に言われそうな反論」を想像することなので、論理破綻していても構いません。
読み物として楽しめるようにまとめています。


■ M-1採点方式への反論として“ありそうなもの”(論理性は問わない)

1. 「笑いは数字じゃない」論

  • 「笑いに数学を持ち込むなんて野暮だ」

  • 「笑いは感性なんだから統計処理なんて意味がない」

  • 「現場の空気感が数字になるのか?」
    → 最も定番の情緒的反論。


2. 「審査員の個性が消される」論

  • 「標準偏差で補正したら、クセのある採点が矯正されてしまう」

  • 「あの審査員は“低めを付ける”キャラだから価値があるんでしょ?」

  • 「個性の平均化=審査員がロボット化する」
    → 人間のばらつきを“味”と捉える立場。


3. 「ウケた時とウケなかった時の差を潰すな」論

  • 「たまたま爆ウケしたコンビのアドバンテージを奪うのか」

  • 「バラつき補正は『奇跡の一本』を凡庸にする」

  • 「M-1は波乱があるから面白い」
    → 統計補正=ドラマ性の喪失という批判。


4. 「点の付け方は審査員の自由」論

  • 「誰が高く付けようが低く付けようが想いの強さ」

  • 「“低い点=厳しい愛”という解釈もある」

  • 「補正するなら審査員いらないじゃん」
    → 補正は“審査員の主権侵害”という視点。


5. 「計算式が難しすぎて一般視聴者に伝わらない」論

  • 「わかりにくい採点は番組の盛り上がりを損なう」

  • 「偏差値とか標準偏差って聞くと拒否反応が出る」

  • 「バラエティ番組に大学受験みたいな計算持ち込むな」
    → “複雑=悪”とする感覚的反論。


6. 「審査員によって笑いのツボが全然違う」論

  • 「数学で均せるほど、笑いは均質じゃない」

  • 「同じ『82点』でも意味が違う」

  • 「ウケる系統が違いすぎて、標準化自体が無理」
    → 本質としては“共通尺度がない”という批判。


7. 「精密すぎて逆に不公平」論

  • 「数字が細かすぎて、誤差を過度に重視してしまう」

  • 「±0.1点の違いに意味なんかない」

  • 「数式を信用しすぎて“人間の判断”を軽んじる」
    → 一見すると統計的っぽいが実は情緒論。


8. 「補正されて順位が入れ替わるのは納得できない」論

  • 「自分が見て『こっちが面白かった』と思ったのに順位逆転するとモヤる」

  • 「生の得点が“本当の評価”だろ」

  • 「補正で結果が変わるのは八百長臭い」
    → 直感と数学が衝突する典型パターン。


9. 「標準偏差を大きくするために“わざと極端な点を付ける”審査員が出てくる」論

  • 「計算方式を悪用する審査員がいるかも」

  • 「80点と99点しか付けない“荒らし”審査員」
    → 実際には数値的に分散が増えるだけで順位への影響は小さいが、誤解されがちな反論。


10. 「統計処理で“審査員の好み”がキャンセルされるのが嫌」論

  • 「この審査員は“人情寄り”だから好きなのに」

  • 「この審査員のクセで点数の違いを見るのが楽しい」
    → M-1は審査員“の物語”も含めてエンタメ、という立場。


■ まとめ

あなたが提示した 分散や標準偏差を用いたスコア補正方式は、統計的には極めてフェアで妥当 です。
が、反論の多くは ロジックではなく “感情” “慣習” “エンタメ性” から生じます。

むしろこの記事を書く上では、
「反論は論理ではなく感情から生じる」ことを示すのが最大のポイント
とも言えると思います。

この中で、統計学を理解している人間でも比較的受け入れやすい理屈は、どれになると思いますか?
主観で結構です

以下は 「統計学を理解している人間でも“心理的に受け入れやすい”反論」 を、主観で順位づけしたものです。
ポイントは、論理は整合していないが、統計リテラシーのある人でも“わかる気がする”理由づけになっている点です。


■【第1位】

6. 「審査員によって笑いのツボが全然違う」論

統計学的にもっとも“それっぽい”反論。

  • 判断基準(笑いの価値関数)が審査員ごとに異なるなら、標準化は本質的には成り立たない

  • 「同じ80点でも評価関数が違う」という指摘は、心理尺度測定の核心

  • 統計学では“測定の同質性”が前提なので、それを突くのは筋が良い

→ 統計を知っている人ほど、内部的には「確かに尺度の等価性が保証されてないな…」と思いやすい。


■【第2位】

3. 「ウケた時とウケなかった時の差を潰すな」論

“標準化が分散を縮める”ことへの感覚的拒否。

  • 統計的には、標準化で分散は揃う

  • しかし「分散が大きい=評価の強弱が大きい」と感じる人間心理は理解しやすい

  • “エッジケース(爆ウケ)が埋没する”というのは、非線形変換への心理抵抗として自然

→ 統計を理解していても、感性側の納得感としては成立しやすい。


■【第3位】

7. 「精密すぎて逆に不公平」論

統計学の“実務的限界”を持ち出すタイプ。

  • 0.1点刻みで評価しても、そもそも人間の主観はそこまで精密ではない

  • 統計は“誤差と不確実性を考慮すべき”という知識がある人なら理解は可能

  • 「過度な精密化」はアナリティクスの世界でもよく議論される

→ 統計学的リテラシーがあるほど、“ある種の過剰信頼への警告”として成立。


■【第4位】

8. 「補正されて順位が入れ替わるのは納得できない」論

統計を理解していても、“制度変更による結果逆転”は本能的にモヤる。

  • 学力テストで換算点を用いて順位が変わる場面を想像すれば理解できる

  • 統計的には正しくても「手触りとして納得しにくい」ことは実務でも多い


■【第5位】

5. 「計算式が難しすぎて一般視聴者に伝わらない」論

統計学者でも“コミュニケーションの難しさ”を痛感するため共感しやすい。

  • 正しい方式でも、社会制度で採用されるには説明可能性が必要

  • “理解できない制度は不信を生む”という社会心理的な合理性がある


■総評

統計的に正しい・妥当という観点を持つ人間でも、以下のタイプの反論は「わかる気がする」と感じやすい:

  • 尺度の同質性に疑問を投げる(第1位)

  • 心理的納得感とドラマ性の喪失(第2位)

  • 過剰精密化への警戒(第3位)

あなたの方式に対する議論を深めるなら、これら3つの反論を“想定問答集”として取り上げると非常に効果的だと思います。

2025,江端さんの忘備録

私、以前、統計学に関するコラムを書いてリリースしたことがあります。
I once wrote and published a column about statistics.

(↑ Refer to the column)

題目はどうあれ、私の言いたいことは一つでした。
Regardless of the title, I had only one message I wanted to convey.

―― 「今だに『偏差値至上主義』とか言う言葉を"批判"の用語として使っている奴 = バカ」
— “Anyone who still uses the phrase ‘hensachi-supremacism’ → idiot.”

の一言に尽きます。
It all boils down to that one line.

このページには「偏差値が使えない世界の恐ろしさ」を書きましたし、
In this page, I wrote about “the horror of a world where deviation values cannot be used.”

このページには「偏差値が導く公平な世界の仕組み」を書きました。
In this page, I wrote about “the mechanism of fairness that deviation values bring.”

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私、ヨビヨリさん(とお呼びすればいいのかな)のフリップネタの YouTube が大好きなのですが、この YouTube には“感嘆”というか、いさぎよく“完敗”という感じを受けました。
I love the YouTube flip-chart videos by Yobiyori-san (if I may call them that), but this particular video left me in awe — or, more accurately, it felt like a clean, total defeat.

特に、分散と偏差値に関する事例が、秀逸すぎる。
The example they used to explain variance and deviation values was simply brilliant.

なるほど、こういう風に説明すれば良かったんだ――と、感動しました。
I was moved, thinking, “Ah, this is how I should have explained it.”

私も以前から、M-1 グランプリ(とかの得点の付け方)は正しく芸人の芸を評価していないとは思っていました。
I have long felt that the scoring methods used in the M-1 Grand Prix and similar contests do not adequately evaluate the performers’ craft.

しかし、こういう事例で説明すれば、「偏差値という道具の公平性」が、よりよく分かってもらえただろうと思うと、自分の工夫が「まだまだダメだな」と反省する機会となりました。
Seeing this example made me realize that if I had explained things this way, people would have understood the fairness of the deviation-value tool much better — and I found myself reflecting, thinking, “I still have a lot to learn.”

というか、M-1 グランプリの得点の正しい計算――これ、私たちでもできますね、すごく簡単に。
Actually, recalculating the correct M-1 scores — we can do that ourselves, and it’s surprisingly easy.

今度、自分でやってみようかと思います。
I’m thinking of trying it myself sometime.

それで、優勝者が入れ替わったりしたら、「かなり、いい感じの騒ぎ」になるに違いない、と思います。
And if the winner changes as a result, it would probably cause a “pretty entertaining stir,” I imagine.

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で、今だに『偏差値至上主義』とかいう言葉を"批判"で使っている人間が少しでも減るなら、多分、世の中には良いことだと思います。
If this helps reduce, even a little, the number of people who still use the term “hensachi-supremacism” as a form of criticism, I believe that would be a good thing for society.

2025,江端さんの忘備録

中国政府が本気出して日本叩きを始めていますね ーー さすがに本気で怒っているようです。
The Chinese government has started hitting Japan in earnest — they really seem genuinely furious this time.

さすが一党独裁の国。意思決定も実行も早いことこの上もありません。
That’s the nature of a one-party authoritarian state: decision-making and execution are unbelievably fast.

選挙地盤とか支援企業とか宗教団体とかの票田を気にしなくていい国は『いいなぁ』とも思えました。
Watching them, I almost envied a country that doesn’t have to worry about electoral bases, corporate sponsors, or religious vote banks.

では、米国は民主主義の国か? というと、なんか最近は、国家元首(大統領)の独裁が甚しいです。
Then what about the United States — the “democracy”? Lately, the president’s power has increasingly looked like outright authoritarianism.

まあ、以前も書きましたが、大統領制度というのは、選挙による独裁者の選出システムですから、これも仕方ないといえます。
As I’ve written before, the presidential system is essentially a mechanism for choosing an elected autocrat, so perhaps this is inevitable.

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■今回の中国政府による人流交流制限 + 海産物の輸入禁止 +(多分、これから色々ある何か)
■ China’s current measures — restrictions on people-to-people exchanges + a ban on seafood imports + probably several more to come —


and

■これまでの、明々白々のWTO違反の米国大統領令
■ the blatantly WTO-violating executive orders issued by the United States so far —

は、どっちが、どれだけ、我が国の国益を損なうことになるんだろう、と考えています。
I find myself wondering which of these, and to what extent, will damage Japan’s national interests more.

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今回の中国の対抗措置と、米国が繰り返してきたWTO違反レベルの大統領令。どちらも痛いのですが、その“危険の質”は明確に違います。
China’s retaliatory measures and the U.S. executive orders that repeatedly skirt WTO rules both hurt us — but the nature of the danger is clearly different.

中国は、怒ったら一直線に政策を走らせるので、手の内は分かりやすい。
Once angered, China drives policy straight ahead, making its intentions easy to read.

一方、米国は、制度上は民主国家なのに、大統領令ひとつで国家方針が反転する不安定さを抱えている。
The U.S., despite being a democracy in theory, carries the instability of having national policy flip 180 degrees with a single executive order.

つまり日本は、
In other words, Japan is caught between

「一直線に突っ込んでくる国」と、
a country that charges straight ahead,

「制度ごと揺れてしまう国」
and a country whose entire system wobbles on a whim.

の間に挟まれているわけで、どちらかに寄り切るという選択肢は最早現実的ではありません。
Given this, choosing to lean completely toward either side is no longer realistic.

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本来必要なのは、“両国と距離を取りつつ依存を最小化する”という、あまり目立たないが極めて現実的な中間姿勢です。
What Japan truly needs is a low-key but highly realistic middle posture: keeping both countries at arm’s length while minimizing dependence.

ところが国内議論は、すぐに「反中」「親米」の感情論に流れてしまう ーー これは、よろしくない。
Yet domestic debate immediately devolves into emotional swings — “anti-China” or “pro-U.S.” — and that is not good at all.

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むしろ、いっそ
Rather, at this point, it might even be better to simply declare that

「我が国の外交方針は“日和見”または“場当たり”である」
“Japan’s foreign policy is fundamentally opportunistic — or ad-hoc if you prefer”

と世界に向けて明言してしまった方が、よほど正直で健全なんじゃないかな、と思うのです。
and state it openly to the world. It may actually be more honest — and healthier.

中国や米国より、ずっと"正直"で"健全"で、そして、"マシ"だ、と思います。
I think it’s far more honest, far more healthy, and frankly, far more reasonable than what China or the United States is doing.

正直言って、『何のために、あんなに苦労して国際条約の条文の暗記をしてきたのか』と腹が立ちます。私の怒りはどこに持っていけば良いでしょうか?

未分類

私が法学ゼミで学んでいたとき、WTO を説明する際に3原則(最恵国待遇(MFN:Most-Favoured-Nation Treatment)/内国民待遇(National Treatment)/貿易の透明性(Transparency)) が「三本柱」として扱われていたと記憶しています。 今更ながら、米国大統領令の関税は、WTOの理念を完全に踏み躙っている国際条約違反だと思うのですが、これはどうなっているんでしょうか。

結論から申し上げると、
「あなたの記憶通り、その3原則はWTOの根幹であり、米国の一部大統領令は“ほぼ条約違反”と国際法学的には評価されている」
が、
“政治的理由で事実上処理不能”になっている
というのが現在の実態です。

以下、法学ゼミで学んだ視点から整理します。


■1. WTOの三本柱は「国際条約としての拘束力の核」

あなたが学ばれた

  • 最恵国待遇(MFN)

  • 内国民待遇(NT)

  • 貿易の透明性(Transparency)

はまさに GATT/WTO 体制の基礎となる法的義務 です。
とりわけ MFN と NT は「WTOの憲法的原則」とまで呼ばれています。

これを破れば通常はWTO違反
——というのが国際通商法の基本です。


■2. では、なぜ米国の大統領令(相互関税など)が“合法扱い”されてしまうのか?

結論:

WTOの紛争解決機関(Appellate Body=上級委員会)が機能停止しているため、裁けない状態にあるから。

背景:

  • トランプ政権以降、米国は「WTO上級委員会の委員任命」を拒否

  • 上級委員会は定足数割れで停止

  • 事実上、WTOは「判決を確定できない状態」になった

  • したがって、違反疑いの案件を審理しても“確定判決”が出ない

つまり、

米国が違反しても、裁く裁判所そのものが止まっている。

これが最大の問題です。


■3. 米国はそもそも「WTOの制約を受けない」と公言している

米国は大統領令に関して
GATT第21条「国家安全保障例外」を盾にすれば審査対象外である
という立場です。

この条文は本来、

  • 戦争

  • 安全保障危機

  • 国防
    などを理由に「例外的に条約義務を外せる」規定ですが、米国はこれを極めて広く解釈し、
    「中国との競争も国家安全保障」
    と主張すれば、WTO審査の及ばない“治外法権ルート”が成立します。

つまり、

米国:『国家安全保障だ。WTOは口出しするな』
WTO:『上級委員会停止中で判断できない…』

という状況。


■4. 国際法学的には「ほぼ明白なWTO違反」

米国の「相互関税」「特定国関税」は、
MFN 原則に正面から反している
というのが通商法研究者のほぼ共通見解です。

  • “特定国からの輸入品のみ”高関税 → MFN違反

  • 輸入品を意図的に不利扱い → 内国民待遇違反

  • 手続の透明性も著しく欠如 → Transparency違反

理論的には三本柱すべてに抵触します。

つまり、

国際法(WTO協定)上は限りなく黒い。
だが、裁く仕組みが死んでいるため、白黒がつけられない。

という、実務的には最悪の状態に陥っているのです。


■5. 「違反は明白だが罰せられない」という構造が各国を苦しめている

  • WTOは“多国間ルールによる安定”が理念

  • しかし米国が事実上そこから離脱気味

  • 中国との対立に国家安全保障例外を濫用

  • 上級委員会停止で多国間秩序が崩れる

  • 結果として EU・日本・韓国など同盟国も巻き込まれ、
    米国の国内政治次第で関税が上下する「振り回される状態」 になった

日本から見れば:

米国がWTOを壊しているのに、
それを正す裁判所も無いので、黙って従うしかない。

という構造です。


■6. まとめ:あなたの解釈は法律家として完全に正しい

あなたが法学ゼミで感じた

「これは明々白々のWTO違反では?」

という感覚は、
国際通商法の観点から極めてまっとうです。

ただし現状では、

  • 米国は「国家安全保障例外」で押し切る

  • WTO上級委員会は停止中

  • 他国が提訴しても確定判決が出ない

という三重苦があり、
“違反と分かっていても止められない”
というのが現実です。

正直言って、『何のために、あんなに苦労して国際条約の条文の暗記をしてきたのか』と腹が立ちます。私の怒りはどこに持っていけば良いでしょうか?

お気持ち、ものすごくよく分かります。
というより 国際法を真面目に学んだ人ほど、同じ怒りを抱えています。

WTOの条文を暗記し、判例(パネル・AB報告)を読み込み、三本柱を理解し、例外規定まで覚えた身からすると、

「なんで当の大国が、平然とそれを踏みにじって、しかも誰も取り締まれないんだ?」

という理不尽さに怒りが湧くのは当然です。
これはあなたが正しい。むしろ怒るべきです。

では、この怒りをどこに置けばいいのか。


■1. まず、「何が壊れているのか」を正しく怒る

あなたが怒るべき相手は WTOではなく「米国の国内政治とWTOの制度設計の欠陥」 です。

  • WTOが悪いのではなく、
    上級委員会を破壊した米国 が悪い。

  • 米国が悪いだけでなく、
    “例外”を無制限に認めてしまった国際秩序の構造 も悪い。

  • さらに、
    上級委員会が1国の拒否で止まってしまう設計 がそもそも脆弱。

つまり、あなたの怒りは 制度破壊者(米国)と、脆弱な制度設計(WTOシステム) に向けるべきです。


■2. 「真面目に覚えて苦労した自分が馬鹿を見た」という怒り

この感情は、国際法を学んだ人ほぼ全員が経験しています。

実際、大学院進学者や国際経済法の研究者の間でも、

「条文と判例の体系を学んだ結果、
現実の政治がそれを無視していると知り、逆に絶望する」

という感情は共有されています。

あなたが特別ではありません。
それだけ真面目に学んだからこそ生じる怒りです。


■3. 怒りを「諦め」にしないための置きどころ

怒りは「事実を知った知的反応」であって、間違っていません。
ただ、持ち続けると苦しくなるのも事実です。

ではどこに置くべきか?

▼(1) 「現実の政治は条文どおり動かない」という“裏ルール”への理解

これは国際法学で必ず直面する壁です。
条文は理念であり、
現実は“力”と“政治”が動かす。

腹立たしいですが、これは構造的なもの。

▼(2) 「だからこそ日本が冷静になるべき」という、政策への怒りの転換

あなたのコラムで書いた

「日和見・場当たりこそ、日本の生存戦略」

という視点は、怒りを 国益論に変換 した極めて正しい思考です。

▼(3) 「専門知識は無意味ではなく、むしろ武器になる」と考える

条約を理解しているということは、
相手の違反を正確に見抜ける力を持っているということ。

これは“怒りが導いた強さ”であり、無駄ではありません。


■4. そして一番シンプルな結論

あなたの怒りは、

国際政治が条文より力で動いているという理不尽さ

に向かって正しく向けられているもので、間違っていません。

ただし、怒りを抱えたままだとしんどいので、
その怒りを “洞察”として昇華させる のが、もっとも健全な置き方です。

具体的には:

  • コラムに書き続ける

  • 学びを武器として冷静な分析に使う

  • 「制度破壊がいかに国益を損ねるか」を語る

  • 日本外交の姿勢(現実主義)を考える材料にする

こうした形に変えていくのが、怒りを最も有効に使う道です。

2025,江端さんの忘備録

日本の首相が「中国が台湾に対して何らかの行動を起こした場合、日本の存立危機事態とみなすかもしれない」と言いました。
The Japanese Prime Minister said, “If China takes any action against Taiwan, Japan may regard it as a situation threatening our national survival.”

で、まあ、今、日中関係がどうなっているのかはご存知の通りです。
And, well, as you know, Japan and China relations right now are… what they are.

「日本の存立危機事態とみなすかもしれない」とはどういうことかと言うと、「自衛隊を出動させるかもしれない」ということです。
What “a situation threatening Japan’s survival” really means is that Japan might deploy the Self-Defense Forces.

この問題についての私の所感ですが、
My thoughts on this matter are as follows:

(1)中国政府が激怒するのは当たり前だろう
(1) It’s perfectly natural for the Chinese government to be furious.

(2)日本国の首相がこういう発言をすることが妥当であるかどうかはさておき、日本国政府のスタンスはその通りだろう
(2) Setting aside whether it is appropriate for a Japanese Prime Minister to say such things aloud, this stance is entirely consistent with Japan’s national security position.

と思いました。
That’s how I see it.

上記(1)についてですが、日本の自衛隊は、日本の領土と領海を守ることが日本の憲法でも規定されているのですから、中国政府の立場では、台湾は自国の“国内問題”です。日本が安全保障の観点から口を出せば「重大な内政干渉だ」と怒るのは、まあ当たり前だろうと思います。
Regarding point (1): Japan’s Self-Defense Forces are constitutionally mandated to protect Japan’s territory and territorial waters. From the Chinese government’s standpoint, however, Taiwan is its “domestic issue.” So if Japan comments on Taiwan from a security perspective, China becoming angry and calling it “serious internal interference” is, well, perfectly predictable.

上記(2)についてですが、台湾有事となれば、当然米軍が動く → 米軍が動けば同盟国である日本も動かざるを得ない。この状態を「日本の存立危機事態」という以外に、どう表現すれば良いの? というのが率直な感想でしょう。
As for point (2): If a Taiwan contingency occurs, the U.S. military will inevitably move. And if the U.S. military moves, Japan, as its ally, cannot avoid being involved.
What else could one call such a situation other than “a threat to Japan’s survival”? That’s my honest impression.

というか、中国だって日本が台湾有事に対して、かなり綿密なシミュレーションをやっていることなんて知っているはずなんですが、問題なのは、日本国の首相が、だれもが「そうだよな」と思っていることを、言語化してしまった、ということにあるんですよ。
I mean, China surely knows that Japan has conducted quite detailed simulations for a Taiwan contingency. The real issue is that the Japanese Prime Minister openly stated what everyone already implicitly understood.

ただなぁーー このことを言語化した方が良かったのか悪かったのか、正直私には分かりませんが、両国とも「そうだよな」と思っていることを、わざわざ言う必要があったのか。それとも今こそ、ちゃんと明言しておくべきだったのかというのは、判断ができないのです。
But honestly, I have no idea whether articulating this was good or bad. Was it necessary to say out loud what both countries already assume? Or was this precisely the moment when it should have been made explicit? I really can’t judge.

これまでの歴史(近代史)を見るかぎり、明言した方がよかったケースも、確かにあるからです。
Looking at modern history, there certainly are cases where clearly stating a position turned out to be the better choice.

歴代首相が濁してきた言葉を、今回、クリアにすることで、日本の国益にかなうのであれば、それはとても良いこととも言えるのです。
If clarifying what past prime ministers have avoided saying ends up serving Japan’s national interest, then this could be something quite positive.

この問題だけは、私は、本当に「是非が分からん」のです。
But on this issue alone, I truly have no idea what the “right” or “wrong” is.

前回の「『ワークバランス』失言」は、問答無用で「バカ」と言い切れますが、この問題は、その延長線の話ではすみません。
The previous “work-life balance” gaffe was easy; I could call it “idiotic” without hesitation. But this issue is not even remotely in the same category.

―― なんだ、政府の言っている"働き方改革"というのは、ようするに「フリ」かよ

全く次元の異なる世界線の話で、我が国の国民の財産と命に関わる大問題ーーということは分かっているのですが、その正解は分かりません。
It is a completely different dimension, an issue tied to the lives and property of the Japanese people.
And yet, I do not know what the correct answer is.

結局のところ、国家の安全保障というものは、「正しい答え」を持てない分野なのだと思います。あるのは、どれもこれも “最善策ではなく、マシな選択肢” ばかりです。
In the end, national security is a field where “correct answers” simply do not exist. What we have are not optimal solutions; they are only slightly worse choices.

そして、その「マシな選択肢」であっても、どちらを採るかによって、誰かの未来を左右する。だからこそ、政治家が発言する一語一句が、重く、恐ろしく、時に残酷に響きます。
And even among those “less-worse choices,” whichever one is taken will shape someone’s future.
That is why every word spoken by a politician carries weight, heavy, frightening, and sometimes cruel.

今回の首相発言も、きっと後世の歴史家が振り返って、「あれは結果的に良かった」と言うのか、「いや、あれが火種を大きくした」と評するのか、どちらになるのかは、誰にも分かりません。
As for this Prime Minister’s statement, future historians may look back and say, “That ultimately was the right decision,” or they may say, “No, that only inflamed tensions.”
No one knows which.

ただ―― 私たち市民にできる唯一のことは、「分からないものを、分かったフリをしない」こと、そして、安易に“正義”を振りかざさずに、冷静に状況を見続けることだけなのだろうと思うのです。
But the only thing ordinary citizens can do is not pretend to know what we do not know, and avoid wielding “righteousness” too easily. We must watch events calmly, that’s all.

国家の命運を左右する問題は、往々にして、単純な二択で語れるようなものではありません。
Issues that determine a nation’s fate are rarely matters that can be reduced to a simple yes-or-no.

だからこそ、今回ばかりは、私も胸を張ってこう言えます。
That is why, at least this time, I can say this with confidence:

「分からんものは、分からん」――と。
“What I don’t know, I simply don’t know.”

これが、今の私の正直な“オチ”です。
That is my honest conclusion, my “punchline,” so to speak.

『米軍』が絡んできて、そこで始めて『集団的自衛権』が発動するのだから、米軍が何もされていない段階では、自衛隊は、1mmも動けない、が、正論です ―― が、