2014,江端さんの忘備録

北朝鮮の衛星実験用のロケット発射が、国際連合安全保障理事会決議(以下、安保理決議)に違反ということで、現在国際的な非難を浴びています。

一方、日本は、あの「はやぶさ」を含めて、多くの人工衛星を打ち上げているのですが、こっちは安保理決議には引っかかっていないようです。

どこに違いがあるのかと、ちょっと気になったので、調べてみました。

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○「安保理決議1874」というものが、この対象らしい。

○概要は、2009年6月12日に国際連合の安全保障理事会で採択された朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に関する決議。

○背景は、北朝鮮が2009年5月25日に行った核実験。

○内容は、経済制裁、公海上、海港、空港での兵器または部品などの強制検査し、破壊する権限を加盟国に与えること。

○ちなみに、安全保障理事会を構成する国、15カ国、全会一致で可決された。

(ちなみに常任理事国とは、米国、英国、中国、仏国、露国の5カ国、非常任理事国は、持ち回りで、今は、オーストリア、ブルキナファソ、コスタリカ、クロアチア、日本 、リビア、メキシコ、トルコ、ウガンダ、ベトナムの10カ国)

と、ここまでが客観的事実。

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以下、私の主観。

ということは、安保理決議は、国際条約ではない。いわゆるパリ条約やTrip条約のようなものではないのです。

つまり、<北>には、この決議を遵守する法的根拠はなく、そして、守らないからといって、国際司法裁判所に引っ張られる訳でもないことです。

そもそも、その成立プロセスからして、法的拘束力が生じる訳がない。

成立プロセスを擬人化して語れば、

(1)乱暴者で、隣の家に時々火を投げつけたりする、皆から評判の悪い"K"君がいた。

(2)彼が学校を欠席していた時に、『K君がこれ以上悪いことする、またはしそうになったら、皆で文句をいってもいいし、必要ならやっつけてもいい』というルールを、「K君抜き」で作った。

(3)K君は自分で作った花火を試してみたいと思っている。けど、回りの皆が、それは、K君のクラスの友達の家を放火する為の予備的な実験だ、と決めつけて、『みんな(ただしK君を除く)で決めた、(K君にだけ使われる)ルールなのに、ルール違反だぞ』と言っている、と。

まあ、こんな感じですかね。

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「はやぶさ打ち上げ」と「今回の<北>のロケット打ち上げ」の間には、本質的な差はない、ということです。

ただ、「これまでの<北>の所業が悪すぎて、国際的に額面通りに信じて貰えていない」という、この一言に尽き、「北」から見れば、「卑怯な欠席裁判をやられた」と思えるでしょう。

# いや、実際には、出席してヤジっていたと思うけどさ。

そこへ行くと、我が国は国際的な優等生です。(但し戦後の常任理事国支配の体制下で、という意味ですけど)

我が国は、間違っても、人工衛星ロケットに核弾頭を乗せて、どこかの国に飛ばす、というような疑いはかけられていない訳ですよ。

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「北」は勝手にルールを作られるだけの所業をしてきたし、していると思う。

少なくとも、この点において、私に疑義はない。<北>を擁護する言葉など、一言もない。

しかし、だ。

(1)国際法と国内法の調整や論理の組立てで、法律の学者が実務者が、どれほど苦しい理論を作りだして、非常に長い時間を経て、それを定説にまで高めていることを知っている ―― ちょっとばかり条約や法律を勉強している私としては、

(2)

(a)現時点で、世界を100回近く全滅させる程度の核兵器を保有し、自然環境を根底から破壊するような核実験を2000回以上やってきた常任理事国ふぜいが、

(b)「安保理決議」を、国際法、または国際条約のように語り、あたかも絶対的正義のごとく主張しているという事実や、

(3)
(a)我が国は、全ての核兵器保有国(<北>は勿論、常任理事国も含む)に対して、何の後ろめたさもなく彼らを批判できる絶対的優位な立場にありながら、

(b)「安保理決議」の意義や効力について、国民に何も知らせることなく、だらだらと報道を続けるだけの我が国の政府やマスコミを、

―― 心底から、不快に思う。

2012,江端さんの忘備録

たまたま見た、ドラえもんのアニメだったと思います。

ストーリは概ねこんな内容だったかと。

(1)のび太が、タイムマシンで見てきた未来を、「占い」として皆にしゃべっていた時、元高角三という小説家を目指しているもののデビューできずにいる男から、『自分が作家になれるか否かを占って欲しい』と言われる。

(2)のび太は、5年後へ見に行くが、彼は作家としてデビューできていなかったので、その旨を告げると、彼は「きっぱり諦める」といって去っていった。

(3)のび太は、再度、5年後の未来へ行って彼の様子を見にいくと、彼は、アルバイトを続けながら、小説を書き続けていた。

(4)のび太が「どうして、やめなかったのか」と尋ねると、彼は「小説を書いていることが、楽しいから」と笑顔で応えた。

(5)その時、沢山のテレビ局や新聞社の人が家にやってきて、彼の小説が文学賞を受賞したという報告を受ける。

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この話、(5)があっただけで、全てが台無しになった。

(4)で終っていれば、名作中の名作で終った筈なのに、「立身出世」「成功賛美」を描いただけの駄作に堕ちた、と思う。

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「楽しい」だけで、自分の好きなことを続け、世間に対して揺がない人生は、

『それ自体が「奇跡」と呼べる程の大成功である』

というメッセージを送れる、稀有な機会であったはずなのに、と思えるのです。

2012,江端さんの忘備録

私はいわゆる「テレビドラマ」が嫌いです。

家族で食事をしている時、テレビドラマの視聴は厳禁としていますし、それ以外の時には、私がテレビの音が聞こえない所まで逃げ出します。

世の中には、ほっといたって不幸や不運が溢れかえっているのに、なんで不幸や不運の「創作物」まで見なければならないのか、と思えてしまうのです

テレビドラマは、一般的に主人公に感情移入するように作られていますが、どうにも冷めてしまう。

例えば、「水戸黄門」を「暴力と権力の濫用」と、自然に見えてしまう私は、生まれながらにして、テレビドラマを見る資質を欠いているのです。

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「じゃあ、どんなテレビドラマを見たいの?」と尋ねる嫁さんに、

○家族皆がいつもニコニコしていて、

○子供はきちんと勉強して、順当に成績が伸びて受験に成功して、

○奥さんはご近所とのおつきあいで素晴しいコミュニケーション力を発揮して、

○旦那は仕事で努力を重ねて順当に出世を続け、

○お爺さんやお婆さんは、病気が直って仕事を再開し、若者の規範となり、

○世界から紛争がなくなって、皆が安心して幸せに暮せる世の中になる、

という、テレビドラマなら、是非見たい。

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「視聴率取れるか!」という、嫁さんのツッコミは、まあ、正しい。

2012,江端さんの忘備録

清水義範の「読み違え源氏物語」を読んでいます。

○夕顔の死因は、六条御息所の怨念ではなく、

○空蝉、惟光を共犯とする、頭の中将の陰謀であり、

○夕顔は空蝉と同一人物で、しかも死んでいない

という、ぶっ飛んだ、「源氏物語殺人事件」に仕上がっています。

こういう本は楽しい。

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ところで、私が「夕顔」「六条御息所」「頭の中将」とかの名前をスラスラ出せるのは、

「文部科学省の指導要項による古文の教育の成果」などでは、

『断じて無く』

全て、

大和和紀による漫画コミック、

「源氏物語 あさきゆめみし」

の内容を完全暗記していることと、

そして最近では、

魔夜峰央による漫画コミック

「パタリロ源氏物語!」

で、内容の理解が再強化されている為です。

源氏物語に関しては、文部科学省の指導要項(要するに古文の教科書)は不要でした。

# というか、むしろ邪魔。

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文部科学省は、(教育を統制する機関としてのメンツと立場もあるのだろうけど)、

「古典をつまらなくする為に存在しているのだろうか」

とまで邪推することがあります。

なんで、源氏物語を、わざわざ読みにくい原文で記載するのかな。

漫画とまでは言わないけど、現代訳で「内容」を楽しませるのが先だろうが。

そして、現在の価値観に照らして、

『「光源氏」に殺意を覚える』

というくらいまでの親近感を持たせることが大切だと思うんですが。

どうでしょうか。

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付録

源氏物語の「『光源氏』批判」としては、あまりに著名な「笑う大天使」(川原泉)より、長文抜粋。

---- ここから -----

(1)校則違反(?)の罰として、源氏物語の全文読破とレポート提出を課せられた3人の女子高校生の、レポート作成中の会話

「女癖は悪いし、くっだらねえ事で悩むし泣くし」

「マザコンでロリコンで不倫大好きの変態だよな」

「この平安人は恋愛沙汰以外にな~んも考えとらんぞ」

(2)提出されたレポートの結言

『――結論

…だから光源氏とゆー人は、女の人の迷惑も考えずやみくもに本能のまま行動し、知的ブレーキのあまり利かない性格か或はブレーキ自体が存在しない質であり、いわゆる「歩く煩悩様」の典型的な例だと思われます。(更科柚子)』

『――結論

…ゆえに光源氏とゆー人は、性的衝動の赴くまま、他を顧みる事無く自らの欲望を満足させなければ気がすまないミーイズムの人であり、このよーなタイプはさしずめ「性衝動人」と申せましょう。(司城史緒)』

『――結論

…つまり光源氏とゆー人は、独りよがりの悩みで周囲の人々を不幸に巻き込むだけでなく、さらにその執着心と多情さで不幸を拡大させるとゆー得意技がパターン化された「増殖ワラジムシ」であるといえる。(斎木和音)』

---- ここまで -----

2012,江端さんの忘備録

「浮気」というものに関して、私はその定義を知りませんし、それをモラルの観点から、どうこう言うつもりもありません。

ただ、「浮気」というのは

『隨分と、コストがかかるんじゃないのかなぁ』

という漠然とした予想があります。

# ここでいうコストとは、「金」と「時間」のことだけです。「リスクコスト」は勘案しません。

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少し気になったので、

「浮気の経済学」

「浮気の時間捻出法」

「浮気の最適化問題」

などのキーワードで、ちょっと調べてみたんですが、客観性を担保した学術論文や特許などは、見つけることができませんでした。

ちなみに、

「30日完成 浮気」

「チャート式浮気方法」

「たった2年で浮気できる方法」

などの、「浮気」未体験者に対するハウツー本は発見できず、

「浮気で儲ける方法」

のようなビジネスモデルは、絶無でした。

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私は、「飲み会」に行く金があれば、その金で「GPSの固定アンテナを自宅の屋根に設置したい」と考える人間です。

# 「GPSの計測誤差から、地震予知ができるかもしれない」という話を聞いてから、週末研究者をやって、自力で調査してみたいなぁと思っていまして。

「浮気」というものが、どういうものか良く分かりませんが、多分それは、「GPSのアンテナを自宅の屋根に設置する」よりは、圧倒的にマジョリティ(多数派)なのだということは、なんとなく理解できます。

取り敢えず、本スレッドに関しましては、私は「GPSアンテナを、自宅の屋根に設置した」後に回します。

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私が、「英語」「ネットワーク」「特許法」のレベルで、「浮気」を語れるようなったら、改めてご報告致します。

2012,江端さんの忘備録

ニュートリノが「光より速い」の実験結果は、装置の接続不良による誤りだった可能性があるそうです。

私は、「ニュートリノの高次元空間通過説」を期待しているので、追試による検証が待たれます。

# けど、5月の再実験は長いなぁ。

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GPSの研究をやって分かるのですが、光の速度って実際遅いんですよ。

1ナノ秒に30cmしか進まない。

はっきり言って「のろい」。

この程度の速度に拘束されて、宇宙空間の大部分に行くことができないなんて、本当に悲しいことです。

私は、ジェームズ・P・ホーガンの「創世記機械」の愛読者ですから、せめて生きている間に、亜空間移動の可能性を信じて、あの世に逝きたいのです。

それはさておき。

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仮に今回の実験が測定誤差であったとしても、GPSの時刻精度に関する関心が高まったという点は、よかったと思います。

700km離れた地点で5ナノ秒という同期精度を作り出せることに、世界は驚愕・・・していないかな。

皆、あんまり興味ないか。

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今仕事で、時刻同期のことを調べているのですが、サブマイクロ秒(100ナノ秒オーダ)の精度の信号(1パルス/秒 1PPS)を出すGPSモジュールが、1800円で購入できることを知りました。

高感度GPSで、アンテナなしで屋内で時刻同期信号を作れて、しかも1PPSのピンが剥き出しで出ているという、いたれりつくせりのモジュール。

時刻同期システムのパラダイムシフトは、意外に早くやって来るかもしれません。

(屋根を貫いて)宇宙から時刻を貰えるのであれば、QoSが常時変動するネットワークを使った時刻同期(NTP、IEEE1588等)なんぞ、不要になるからです。

なんたって、1PPSピンを具備したGPSモジュールを、機器に乗っけるだけでいいんだから。

2012,江端さんの忘備録

小惑星探査機「はやぶさ」は、5本 映画化されるそうです。

凄い話ですよね。

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昨日、「はやぶさ 遥かなる帰還」を見にいってきました。

「はやぶさ」が危機に陥いる場面での技術者達の対応が『凄い日常感』。

ネットワークエンジニアとしての私としては、

○「1bit通信」や「全空間全周波数探索」の凄さや、

○「プログラムをマシン語(×C言語等の高級言語)で記述している理由」

を、周りの席の人に解説したいという衝動に駆られました。

# 誰も聞きたくはないだろうけど。

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しかし、この映画、いわゆるハリウッド的な「感動」を求める人にはお勧めできません。

「はやぶさの正しい歴史」を、エンジニアの視点から坦々と綴った記録映画として、価値があります。

特に、「システムダウン」で青くなった経験のあるシステムエンジニアの皆さんには、強くお勧めできます。

自分達のテスト環境に感謝できます。

100メートルも離れていないテストルームに置いてある代替機で、すぐにデバッグできたり、ネットワークモニタできる。

少なくとも3600万キロメートルの彼方にあるマシン(応答時間40分)で、ぶっつけ本番のシステム再起動をする必要はないのですから。

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『この状態(供給電源が定格値を超えている)で、システムルックアップ(多分、ブートのこと)すると、システム全停(全面停止)の可能性があるぞ』

というセリフの意味を、役者さんが理解していたかどうかは不明ですが、

少くとも私は、映画館の中で青ざめていました。

2012,江端さんの忘備録

実家に一冊の本が置いてあります

「兵士たちの連合赤軍」という本です。

# 学寮の先輩の部屋にあったものを、拝借し、その後、返却していないだけです。

連合赤軍の兵隊達は著名な大学の出身者であり、基本的に善人であり、世の中の仕組みを変えて、多くの人を助けたいという理想主義者という点で共通しています。オウム真理教にしても同様です。

私は、『革命やら宗教ふぜいに救って貰おうとは思わん。大きなお世話だ』と思うけど、「人を助けたい」と思うそのマインド自体は悪くないと思っています。

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しかしですね、「人を助けたい」というマインドが、「集団リンチ」や「毒ガス散布」になるという理屈が、よー分からん。

で、私も、それらの組織の「教義」やら「方針」やら「理念」について、ちょこっと調べてみたんですよ。

いわゆるコモンセンスから逸脱すること甚しいのですが、一応、細いながらも「一本の糸」のように論理付けはできているようです。

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無理があるのは、この論理付けの中間に「善意の殺人」という概念が入り込むところです。

『教義に従って死ねば天国に生まれる→教義の名による殺人の肯定』

『革命の敵(身内も含む)を排除すれば人民の救済に繋る→革命の名による殺人の肯定』

こんなこと、今更言うまでもないことですが。布教や革命成就の為の暴力を肯定している宗教や政治結社はゴマンとあるのは、ご存知の通りです。

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ようするに、善意で構成されている彼等は、「筋の通った論理」に対抗する力がなかったと言うことです。

「論理」に対しては「論理」でしか立ち向えないというルールを作って、それを守るという律儀さがあった。

集団リンチにしろ、毒ガス散布にしろ、そこに「正当な論理付け」をされ反論ができなければ、それに逆らうことができなかった。

暴力や殺人などのテロを、無条件で「否」と言えない弱さ。

唾棄すべき弱さ。

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この時代にあって、今、我々に求められる力とは、

『あなたには、ついていけません。さいなら』

と言い放って、何もかも放り出して逃げだす勇気、

「逃走力」

かもしれません。

「転向力」といっても良いかもしれません。

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と、ここまで読んだ、あなたは、

「また、江端のあの『停滞主義』論か」

と、うんざりされたかもしれませんが、そうではないのです。

ここから、この文章の論旨は、大きく飛躍し、

「新型うつ」

の話にシフトするのです。

(続く)
http://www.amazon.co.jp/兵士たちの連合赤軍/dp/4882026996

2011

私の人生で、あれほど怖い4日間はなかった。

あの恐怖を味わうのは、もうご免だ。

2011

人間失格 (まんがで読破) [文庫] 」という、太宰の「人間失格」をコミック化したものがあるようですね。

アマゾンの「なか見!検索」で、ちょっと読んでみたのですが「悪くない」。

著書とはコンテンツを楽しむものであり、その手段は何だって良いのですから。

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先日、NHKの番組で、年配の男性が「本とは、辞書を引きながら読むものだ」というような、言っていました。

私は、『阿呆なことを言っとるなぁ』と思いましたが、まあ、それを他人に押しつけなければ、それは個人の所感として自由です。

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前にも書いたかもしれませんが、「何故、勉強をするのか」という問いに対して、私の答はいつも決まっています。

「世の中の本を、全部『ドラえもんコミック』にする為」だ、と。

図書館にある本(文学、芸術、法律、理学、社会、歴史、その他なんだって)が、や、世界中にある建物、遺跡、人物、その他が、「ドラえもん」や「ワンピース」と同じように楽しめたら ――

どこにいたって、何をしていたって、人生は、どこだって「漫画喫茶」であり、「映画館」であり、「カラオケボックス」であり、そして「ディズニーランド」となるはずです。

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じゃ、お前は、今「ディズニーランド」の中にいるのか、と問われれば、

『通信パケットの挙動を突きとめて、作成した通信ドライバの最初の通信に成功した時』や、『ゼミ試験で良い点数が取れて、帰宅している時』などは、

拳をグルグル回しながら、軽やかなスキップをしてしまう様な「ウキウキ感」はあります。

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しかし『24時間いつでもディズニーランド』とするには、まだまだ勉強が必要そうです。