2011,江端さんの忘備録

今朝、朝食を取りながら、出社前にニュース番組を見ていました

緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)のシミュレーション結果を公開しなかったことに対して、コメンテータのタレント達が、

「公開しないシステムなら、そもそも不要ではないか」

「『最悪値』であるという説明を尽くせば、パニックなどは起きないはずだ」

と、文部科学省の対応を批判していました。

# ま、これはもっともな意見なのですが。

------

仮に、SPEEDIのシミュレーション結果を開示して、パニックによって死傷者が出た場合、この人達は、多分、平気でこんなこと言うだろうなー、と思いながら、パンを齧っていました。

「我々にとって理解できない数値やシミュレーション結果を、むやみに開示して何の意味があったのだろうか」

「文部科学省は、(今回のような)パニックなどの発生も予想して、敢えて開示しないという選択も取り得た筈である」

「被災も被爆もしていない人達が、無意味に死傷したことに対して、政府は情報をコントロールしなかった責任がある」

とかね。

彼らは、『例え、暴動が発生したとしても、それは我々が選んだ道だ』とは、決して言わない。

コメンテータとは、後ろから事件を見て適当なことを喋れって、お金を貰える商売のようです。ちょっと羨しい。

------

私個人の所感ですが、残念ながら、今、この段階においてさえも、

○ミリとマイクロの単位の違いを理解をしようともせず、

○シーベルトとベクレムの単位の意味も理解しようともせず、

○危険と安全の判断を、あいかわらず「お上」に任せっきりにしている、

(ついでに言わせて貰えば、○避難してきた子供に『放射能が伝染る』とかほざく、アホガキに、科学的にきちんとした被曝の知識を教えるこものできん、低能な保護者や教師が存在する)

そんな国の国民に、

文部科学省も、SPEEDIのシミュレーション結果を開示するという勇気はなかったんだろうなーーと思っています。

でも、これも元をただせば、文部科学省が義務教育過程で、「『安全神話信仰』の国家基本方針」に基づき、原子力に関する教育を完全に放り投げてきた結果です。

------

はっきりいって、リトマス試験紙が赤になろうが青になろうが(嫁さん語録)、どーでもよいです。

○致死に至る被曝量や、半減期の意味、体内被曝と体内被曝の違いを、小学校で教え、

○加圧水型軽水炉(PWR)と沸騰水型軽水炉(BWR)の違いと、さらには高速増殖炉(FBR)の構造や、その長所と短所(どこをやられるとヤバいか、等)を、中学校で教え、

○中学入試や高校入試では、「あー、まさか、『高速増殖炉』が出てくるとは思わなかったー!」という受験生の声が聞こてくる、

というくらいにして貰いたいものです。

2011,江端さんの忘備録

20代の頃、あまり安全と言えない国を放浪してきました。

そのお陰で、リスク回避の本質みたいなものを体得したような気がしています。

基本的には、

◯危い気がしたら、誰になんと思われようとも、すぐ逃げる。

→ 例:変な言動をしている奴が接近してきたら、即座にその場所から去る

◯妙な正義感やプライドは持たない。

→ 例:被害者を捨てて、自分一人で逃げる

◯妙な音(爆発音)、変な臭い(異臭)を感じたら、後ろを見ないで、全力疾走でその場から離れる。

→ 例:『何が起こったか』などという確認は絶対にしない

◯現段階で見えているリスクで、自分で潰せる範囲のものであれば、完全に潰しておく。

→ 例:相手が自分より弱いと認めたら、強くなる前に潰しておく

などがあります。

基本的には、「誰も信用せず、自分の判断のみに従って行動し、その結果が的外れであったとしても、また、他人に非難されるようなものであったとしても、自分を恥じない」ということです。

すぐに逃げ出す私を嘲笑する人もいるでしょうが、逃げ出すタイミングを逸して死ぬよりはマシと思っています。

-----

◯コンピュータ2000年問題で、食料を貯め込んで田舎に疎開したという人。

◯今回の福島原発の放射能汚染を心配して、塩を大量に購入してしまったという中国の人

この人達の行動は正しいと思います。

少くとも、その時点において、リスクがなかったと判断できる人は、誰もいなかったのですから。

◯震災直後に食料や水の買占めをした多くの日本人

◯移動する手段として、ガソリンスタンドに長時間並んだ日本人

あの時点で、余震で更なる被害の拡大がなかったと断言できる人がいるでしょうか。

また、原発の放射能汚染が100kmオーダに及び、ガソリンがなくて逃げ出せずに被曝する可能性を否定できる人がいたでしょうか。

生き残る為、逃げ出す為の準備をしていた全ての人を、私は絶対的な意味で「肯定」します。

-----

事故の翌日にすでに判明していた「レベル7」を隠蔽した政府の対応は、国民にパニックを与えなかったとして高く評価されるのかもしれません。

あの時点で「レベル7」を公表していれば、恐らく日本中は大パニックに落ち入り、商店、店舗の強奪、またガソリンスタンドの襲撃など、高速道路事故の発生等、果ては、放火・暴動・騒乱で、多くの人が、全く意味のない死傷していたかもしれません。

または、戒厳令宣言や自衛隊の治安出動などもありえたかもしれません。

-----

それでもなお、「レベル7」を隠蔽し続けた政府に対して、私は、

―― また、騙しやがったな

と思ってしまうのです。

-----

同じ死ぬなら、計算された権力の掌の上で選別して殺されるくらいなら、(私も含めて)無知蒙昧な民衆の暴力で死んだ方がマシ、と思えるのです。

2011,江端さんの忘備録

命からがら逃げてきて、今日の命を生きているのがやっとの人たちに、

電気があって、御飯が食べられて、ゆっくり寝られる人達が、

よくもまあ、あれほど簡単に、

「がんばれ」

を連発できるものだと思っています。

「かならず復興する。日本人は強い。信じている」

復興する為に、被災地の人は、がんばらなければならないのか?

アンタが信じていたら、それが一体何の役に立つというのか?

-----

違うだろう。

「がんばる」のは被災地の人ではない。

幸いにして被災地にいなかった人だ。

『いままで本当に大変でしたね。当面、私達にやらせて下さい。今は頑張らなくていいんですよ』

『もう帰ってこない人もいて辛いと思うけど、でも、できるだけ早く、また同じように生活できるように、私達ができることはするから。途中で逃げたりしないから』

と、なぜ言ってあげられない。

-----

13年前、私が被災地に入って、ほんの少し(3日間)だけボランティアで働かせて貰った時のことです。

被災地のレポートを開示したのですが、その時に貰ったリプライへの「すさまじい違和感」を今でも覚えています。

例えば、――『被災地のハザードマップを組み込んだGPSを開発して、被災地に送ってはどうか』

あるいは、―― 『通信インフラを確保する、自律型の通信中継器を開発して、提供してはどうか』

この意見は、誠に建設的かつ実用的、加えて有用な提言ではありますし、私も、被災地に出かけていかなかったら、間違いなく同じことを言っていたと思うのです。

でも違うんです。

-----

『違うんだ!今、本当に必要なのは、「水」「食い物」そして「屋根」だ!』

と、叫びそうになって ―― でも、黙っていましたけど。

そんなことを言ったら、誰もが萎縮してしまって、何も言わなくなってしまうと思ってしまったからです。

それは良くないことだと思いました。

-----

そして、残念ながら、今私が毎日書いている日記が、上記と同じような、的外れなことを言っているのだろうことを――

そして、また、命を守る為の日々を生き、また、命を賭けて闘っている最前線の多くの人を、無造作に傷つけているのだろうことを――

どこに向かって申し上げれば良いのか分からないまま、今、天を仰いで、お詫びしたい、と思っています。

2011,江端さんの忘備録

ルドルフ:

―― 目下の所、君達が作ることを許そうと思っている発電所はどういう種類のものなんだい?

彼らはいつでもどんな発電所にでも反対してきたじゃないか

火力も地熱も、最も綺麗なエネルギーといわれる水力も環境破壊を理由に反対する

だが太陽熱発電には広大な土地が必要だし風力だって景観上の問題はどうしようもないだろう

海洋エネルギーは環境を支配している媒介変数の絡みも把握できていないし必要なデータも簡単には手に入れ難い

もしそれらが経済的に見合うようになってもだよ・・・何の問題もない方法などありはしないんだ

だから、・・・もし君が、それを覚悟の上でAなら我慢するがBは認めないと言うならばそれもいいだろう。だが、何も譲りたくないが分け前だけは欲しいと言うならオレは何も話したくない ――

(三原順著 「夕暮れの旅」)

-----

よろしい。

彼(ルドルフ)の言っていることは、筋が通っている。私も決めることにしよう。

-----

といっても、我々が取り得る案は、大きく以下の2つしかないと思います。

第1案:「A(電力が足りないこと)なら我慢するが、B(原発の存続)は認めない」

「我慢」とは、

◯毎年の季節毎の計画停電を認める

◯日本国の経済成長の停滞または下落を認容する

◯従来通り娯楽が享受できないことも諦める

◯経済大国の地位を放棄し国力の低下を容認し、他国から屈辱的な取扱(戦争や侵略等も含めて)を諦める

-----

第2案:「A(放射能汚染の可能性)なら我慢するが、B(電力が足りないこと)は認めない」

「我慢」とは、

◯危険水準ギリギリまでの放射能汚染下での生活を覚悟する

◯危険な放射能汚染区域からの突然の退去を容認する

◯放射能の危険(衣食住全般)を折り込み済みで今後の人生を生き、更に子供達や子孫にもそれを強いる

-----

「どっちもいや」は、もう許されません。

あなたは、どちらを選びますか。

私は、決めました。

2011,江端さんの忘備録

1.背景

(1)先日(3月23日)、福島原発の事故の影響で、東京都の浄水場の水道水から、乳児の摂取制限の規制値を超える放射性ヨウ素が検出さた。

(2)当該検出された放射性物質は、乳幼児以外には深刻な影響を与えるものではないにも関わらず、東京ではミネラルウォータの買占めが発生した。

(3)かかるミネラルウォータは、乳幼児の授乳用のミルクに不可欠であるので、かかる買占めを行うべきではないが、将来、成人をも対象とし得る水質汚染が発生する可能性は否定できない。

2.研究の目的

(1)本研究の目的は、2011年03月26日に報告した研究報告『「お茶」で「うどん」を作る』の続報である。

(2)今回は、甘味系清涼飲料水の中でも、最もクセがあり強烈な甘味と刺激を有する「コーラ」を用いて、我が国の代表的料理である「カレー」を製作し、その食用性の成否について検討したものである。

3.結論

「コーラ」で製作された「カレー」は、食用に耐えない。

4.実験経緯

(1)カレー製作のプロセスにおいて「水」の代りに、同量の「コーラ」を使用すること以外に、特記する事項は特になし。

(2)カレールーを入れる前の段階までは、甘味の鶏肉の野菜煮込み風味であり、新しい料理への可能性が示唆されたと考える。

(3)但しこの味付は、報告者の人生において体験したことのない最初の味覚であり、これまでのいかなる料理とも比類し得ない、新規なる珍味であった。

(4)カレールーを入れて、さらに砕いた唐辛子を入れて、コーラの甘味に対抗しようとした。味見を続けている内に、米国のコロラドで食した酢豚を覚醒させるに至った。

なお米国においては、豚をジャムに合わせる調理が一般的であり、また一般的ではないが、御飯にイチゴジャムを乗せて食すという若者もいる(見た)。

(5)コーラで食材を煮たてると、水分が相当早く失われるようであり、止むなく、追加してコーラを追加させたが、この段階から、本格的な味の崩壊が始まったと推認される。

(6)完成したカレーは約4人分。小皿に取って何とか一皿を試食したが、とてもライスと合わせて食せるものではなかった。その理由について以下に考察する。

(a)まず、視覚はこの料理を「カレー」と認識するが、味覚は「カレーではない」と拒否する。

(b)脳は、過去のデータベースに基づいて、この料理に最も近い料理を検索するものの、事例を発見できず情報処理機能が破綻する。

(c)脳は、観念から「けっしてマズくはないが、このコーラが煮つかったカレーような物体は何だ?」と問い、各種の消化器に対して、食材を拒否する指令を出す。

(d)これは一種の「嘔吐感」と呼ばれるものと類似の生体反応であったことを、研究者としての報告者は否定してはならないであろう。

5.考察

(1)甘味系飲料(特にコーラの様に甘味が強烈なものは)、例え辛味系食材であったとしても対抗できない。少なくともコーラは、全ての食材の味を破壊すると考えて差し支えないであろう。

(2)しかし、(これは負け惜しみではなく)「お茶」であれば、カレーは問題なく成功したと考える。要するに、料理の最大の障害は「甘味」であると推認される。

(3)我々は非常用飲料水として、(「水」が望ましいことは言うまでもないが)可能な限り、甘味系飲料水を避けるべきである。甘味系でなければ、震災時、被災時にも、応用性の高い使用(料理への転用)などが可能である。

(4)上記について、特に国、地方自治体、NPOの各種団体に対して、強く勧告するものである。

以上

2011,江端さんの忘備録

緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)というシステムがあるそうです(今まで知らなかった)。

緊急事態が発生した際に、六時間先までの希ガスによる外部被曝線量や甲状腺等価線量などをシミュレーションすることができるものだそうです。

ところが、事故発生後から、この情報の開示を色々な団体が政府に請求してきたが、全く開示されないと言う問題があり、国民からは不満・・・というよりは、不信の声が上っていました。

そこで、この非開示とされてきた理由を「邪推」してみました。

-----

ところで、実は私、パソコンに触れた時から今日まで、色々なシミュレーションをやってきました。

具体的には、

○アルバイト先の塾の生徒の成績予想、
○半導体の電圧・電流等の挙動、
○歩行ロボットの歩行パターン
○ファジィ推論によるパン焼き炉の温度や電子レンジのサンマとサバの判別方法
○大阪梅田駅を想定した大量歩行者の歩行挙動
○エイズの免疫機構をヒントにした最適解探索

など。

結構楽しかったです。

条件設定パラメータを弄ると、結果が様々に変化して、夜が明けるまでコンピュータの画面に喰い入っていました。

-----

ところが、逆に、シミュレーション結果を妥当な値にする為の、「初期値パラメータ」を探すことは、とても難しいです。

特に気象・流体系のシミュレーションの場合は、計算結果から初期値を求めることはできません(これを「不可逆」といいます)。

初期値に対してセンシティブ(敏感)なシミュレーションの場合、初期値の与え方によって、計算結果が、それはもう、「信じられないくらい滅茶苦茶な結果となる」からです。

-----

SPEEDIは、政府の持ち物なので、基本的には行政府の行動を、論理的・科学的にに裏づけしなければならないと思うのです。

今回のSPEEDIのミッションは、「政府の避難指示の妥当性」を出さなければならなかったと『邪推』してみます。

-----

SPEEDIに入力される情報には、気象観測情報、アメダス情報と放出核種、放出量等の情報があり、これは「点」の情報として入力されます。

また、さらに高さ方向の情報も入力しなければなりませんが、当然、地上1000メートルとかに固定されているセンサなんぞある訳がありません。

そうなるとですね、非常に少ない計測地点だけを使って、計算をしなければなりません。平面(二次元)の状態を把握するのでも相当難しいのですが、当然汚染は大気にも広がっています。

すると、3次元の空間をシミュレートする必要があるのですが、もうこれは、相当に難しいと推認されるのです。

イメージを言えば、

◯北海道の稚内で測定した海水温度と、
◯沖縄で測定した気温から、
◯福島の河川の温度を計る、

というような、難しさ(ちょっと大袈裟か)。

そもそも、問題となっている事故が進行中の原発から放射された「放射性物質の総量」が全然分からんのですから、「今日の天気が、晴れか曇りか雨かは教えないけど、本日の最高予想気温を出せ」と言うような感じでしょうか(これも大袈裟かな)。

で、決定的なデータ不足の中でシミュレータを稼働させているのではないかな、と。

多分、空間をメッシュ状の単位で区切って、その単位内で各種の計算(流体計算とか)線形・非線形補完をする計算方式を採用しているのだろうと思います。

この計算式は結構膨大なものですから、どうしてもスーパーコンピュータ(スパコン)クラスのパワーが必要になってきますが、求める精度によっては、相当の時間(数時間~数十時間)が必要になるのではないかと思っています。

-----

で、恐らく、その計算を行った科学者は、その計算結果を見て、「愕然」としたのではないかと「邪推」するのです。

――― なんだ、これ?

例えば、

◯中国やロシアまで、放射性物質が拡散しているという計算結果が出てしまった。

間違いなく前代未聞の国際問題に発展するでしょう。
政府は、国際的な非難を浴びることを回避する為、公開できません。

◯地元でなく、東京や北海道の方が汚染濃度が高い計算結果が出てしまった。

政府が定めた避難範囲(半径20-30km)の意義をぶち壊してしまう為、公開できません。

◯汚染が全く見られないという計算結果が出てしまった。

「そのSPEEDIというシミュレータは、オモチャか!」という非難を受け、「そんなシステムに税金使うな」の大合唱で予算が無くなるのを回避する為、公開できません。

再計算する度に、訳の分からん計算結果が出てくる。

国民からは計算結果を出せと言われているが、こんな結果を出したら、間違いなくSPEEDIの来年度予算はなくなるし、諸外国の政府・研究機関からは笑いものになる。

困った。どうしよう。

-----

少し「邪推」の程度が酷すぎますかね。
私も本当にこんなことがあったとは、信じていません(というか、信じていいよね)。

でもね、仮に、

そういう無茶苦茶な計算結果があったとしても、
それが日本の技術者の名誉を損うことになったとしても、
それでも公開するのが、政府系研究機関の義務でしょう。

SPEEDIに血税を払っているのは、我々国民なのですから。

2011,江端さんの忘備録

11年前に私が調べた時は、47基だったのですが、増えていたんですね。

当時も今も、リンクの様な資料が見つけられずに困ったことを思い出しました。

-----

原発を放棄するか、それとも共存するかは、我々に課せられた重い課題です。
もし「共存」を選択するのであれば、私としてはいくつかの条件があります。

(1)「安全神話」の完全放棄
全てのシステムは、全て故障と制御不能を前提として作られています。
原子力発電システムにおいても、例外として取り扱わないこと。

(2)地震災害と同程度の避難訓練の実施
現行の災害の日(9月1日)とは別に、原発の日(3月11日)を設けて、原発事故を想定した避難訓練を実施すること。

(3)4年に1度程度の、県外脱出を想定とした模擬避難
数万人のエグゾダス(大脱出)と、その受け入れ体制を、少なくとも1週間程度の規模で実施すること。

(4)原子力教育の教育義務化
◯過去の原子力事故の体系的な歴史教育
◯シーベルト、ベクレム、半減期、人体に対する被曝の影響とその回避方法などの基本的知識の取得
◯ガイガーカウンター等の使用方法等の、技術的または心理的な教育を徹底すること。

-----

『悪魔』と共に生きていくという選択なら、『悪魔』と決別できるまでの日々を ――― それが何十年か何百年かは不明ですが ――― 生き抜く技術が必要です。
http://www.kobore.net/20110323org00m040022000p_size8.jpg

2011,江端さんの忘備録

先日(3月23日)、福島原発の事故の影響で、東京都の浄水場の水道水から、乳児の摂取制限の規制値を超える放射性ヨウ素が検出されました。

このニュースの第一報は嫁さんの実家からの電話で知りました。

-----

警告があったのは1歳未満の乳幼児であり、それ以外の子供や大人は、警告対象外だったのですが、嫁さんが、その1時間後にスーパーマーケットに行ったところ、すでに、ミネラルウォータは完売。

お茶のペットボトルがかろうじて手に入る程度だったそうです。

-----

基本的に利己主義で凝り固まった私ですら、『これは、よろしくないぞ』と思った次第です。

ミルクを作る為に、水だけは、乳幼児に残しておかなければ。

乳幼児以外は、原則として害はない(という発表のよう)のだし、我々の水分摂取は、お茶でもジュースでも何とでもなる。

-----

しかし、これからのことを考えると、1キロあたり300ベクレル以上の水質汚染が行われることは、十分にありえます。

しかし、放射性ヨウ素は半減期8日と短いので、連続して300ベクレル以上が毎日連続して続く可能性は低いと思います。

とすれば、暫くの間は、少し前に購入した水分で過せば良いということです。

-----

問題は、食事です。

もっとも原材料をそのまま齧っていれば、生命を維持するのに何の問題もないのですが、ガスや電気に問題がないなら、できるだけ日常の生活を維持したいと思うのは人情です。

-----

水分はある。

しかしそれは「水」ではなく、「お茶」であったり「オレンジジュース」であったり、あるいは「コーラ」であったりする。

では、「水」以外のもので、食事を作ったらどうなるか?

これは興味深い研究テーマです。

-----

本日は、第一回の実験結果を報告します。

実験テーマ:

「お茶」で「うどん」を作る

実験プロセス:

麺つゆを、水ではなくお茶(今回は、パック麦茶)で作るだけ。なお、出汁には「追いがつおつゆ」を使ってみた。

実験結果:

味は悪くなかった。麺つゆにお茶の渋みが加わって、なかなか深い味わいとなった。念の為、普通の水を使ったうどんとも食べ比べてみたので、決して誇張したり捏造した結果報告ではない。

考察:

今回は麦茶を使用したが、緑茶であれば、更に良い味になったと思われる。

今後は、

○お茶を使ったインスタントラーメン、

○コカコーラを使ったカレーライス、

○オレンジジュースを使ったビーフシチュウ、

も追加して検証をしてみたいと思う。

が、私個人では限界があるので、本研究の共同研究者同志諸君を募りたい。そして、結果をどんどん私に報告して欲しい。

-----

結論:

日本の大人達。腹を括れ。

我々は汚染された土地と水の中で生きていくのだ。

それには、なにより、先ず子供達を守ることが必要だ。

「お茶」で「うどん」は作れる。

しかも、旨い。

2011,江端さんの忘備録

昨日、食堂で同僚の方から、尋ねられました。

『江端さんに、怖いものなんてあるんですか』

-----

勿論、あります。

2011,江端さんの忘備録

私には嫌いなものが沢山あるのですが、その中でも、

「それは君の為になる/ならない」

というセリフは、その一つです。

-----

「『私』の為になる/ならない」ことが、一体アンタに何の関係があるのか、と問い返したいと思うのですよ。

私が私のやったことでえる「不利益」は、私が自分で判断して全力で選びとった純然たる「不利益」であり、私の貴重な財産ですからね。

他人にとやかく言われるものではありませんし、言われることは愉快ではないのです。

つまりは、「君のやる/やらないことは、私の不利益となる」ということですよね。分ってはいるんですが。

# でも、はっきりとそう言ってくれた方が、気持ちは良いんだけどなぁ。

-----

私がホームページやブログに記載していることは、凄く私に不利益を与えています。

法律違反を推奨したり、恥しいできごとを暴露したり、政治家を批判してみたり、自分の過去の思想を開示することは『私に、滅茶苦茶に不利益』です。

長く社会人をやっていると、それを実感します。

好きなこと好きなように言い回る奴は、必ず社会や世間一般から、ゆっくり、かつ、じっくりと、長期に渡って、有形または無形の形で、報復され続けます。

言いたいことを言わずに我慢している人の忍耐や努力を考えれば、概ね妥当な「報復」と思いますし、また、そういう忍耐や努力を続ける人が、社会的に報われることは、正しい社会のあり方だと思うのです。

-----

極めて稀ではありますが、私は、娘達に対して、怒号の如く叱ることがあります。

「娘たちの為になる/ならない」ことは明快であっても、それは問題ではなく、「誰か(私を含む)を不快にさせる行為が許されないこと」と言うことです。

私が絶対に許さないことは、『自分以外の誰かに不利益を与えている』ということだけでです。

娘達の不利益は、娘達の責任で娘達が負えば良いのです。

----------

我々は、

○『無知』と『貧困』は恐しく仲良しで、
○『貧困』が『暴力』の隣りに住んでいる、

という冷然たる現実を、7時のNHKのニュースを見るまでもなく知っています。

『愛』を慈しむのに『金銭』は十分条件ではないですが、必要条件であることも知っています。

また、『食事』を摂取することが保証されない人生で、筋の通った思考ができないことは、たった一食の食事を抜いただけで、誰もが簡単に理解できてしまいます。

一方、『無知』-『貧困』-『暴力』の連鎖の中でも、人から尊敬され、敬愛される人は確かにいます。

しかし、そのような人は絶望的に少なく、そして、何より、多分私達の殆どが、『そういう選ばれし人』ではないのです。

-----

私は、娘の中学受験の願書にある「(保護者が)本校を志望した理由」の欄に、

『自衛力の為』

と書きました(本当)。

# 勿論、表現は変えていますが、嫁さんも賛成してくれました。

「『無知』-『貧困』-『暴力』の連鎖の、一番最初の『無知』を叩き潰すことで、『子供を守る』という親としての最低限の責務を果す為」という内容で、願書を記載しました。

-----

「勉強しなさい」という親の叱責は、

○「勉強をしないとアナタが不幸な目に会うよ」

ではなく、正直に記載すれば、

○「『勉強をしないこと』を看過したことで、アナタを不幸にしたという、ワタシの自責の念を負うのが嫌なのよ」

ということでしょう。

ですから、親は、子供が勉強してくれることを切々に望みます。

それは純然たる親のエゴでありますが、このエゴは、時々、子供にも役に立つこともありますから、親はエゴを強行するのです。

-----

ですから、子供であるアナタは、親の前では、

『一生懸命、勉強をしているフリをする』

という親孝行をしましょう。

勉強をさせていないという親の自責の念から、親の気持ちを楽にして上げれます。

勿論、勉強をしないことによる不利益は、自分自身に課して下さい。

不利益な人生を選ぶ自由は、アナタにあるのです。