2012,未分類

特許明細書が書き上がりません。

最近、クリスマスの思い出と言うと、特許を執筆していた記憶以外にありま せん。 時期的にも、下期の特許提出の時期にぶつかることもあって、私にとって、 「クリパ」と言われれば、クリスマスパーティなんぞではなく、クリスマスパ テント(特許)です。

本当は、このような愚にもつかない駄文を書いている間に、明細書の第二の 実施例を執筆しなければいけないのですが、システム構成図を書き直すのが面 倒なのです。 なんとか手を抜けないかと、現実逃避の考案をしている時、私の駄文執筆能力は、最高潮に達するようです。

嫁さんの気質や思想やポリシーに影響されるところ大なのですが、私は、結 婚してから色々なことから解放され自由になり、人生が楽に、そして楽しくな りました。 また、嫁さんとは関係なく、結婚というシステムの観点からだけでも、いく つかのことから自由になったことがあります。 その中の一つに、「クリスマス脅迫症候群」とも言うべきものがあります。

この時期、駅前、商店街、デパート、繁華街、どこにいても出現する緑と赤 の装飾、巨大なクリスマスツリーの電飾イルミネーション、そして、どこまで もしつこく追いかけてくるクリスマスソング。 会社の帰りに、夕食のコロッケを買っているところに、ユーミンや山下達郎 なんぞ、出現させるんじゃない(ちと古いが)。

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若い頃、私は、

――  一人で街を歩いたら、いかんのか!

と怒鳴りたくなる衝動にかられていました。

そのようなものから逃げる為に、イブの夜に嫁さんに担保をお願いしていた 若い頃の自分は、愚かだったと思います。 だが、この青春の愚かなプロセスなくして、今の家庭や家族がないのも、ま た真実です。 その時、若さ故の愚かさを、シニカルに笑っていただけなら、今、食卓を囲 んで家族で笑っていることはできなかったでしょう。

逆説的な結論ではありますが、「クリスマス脅迫症候群」によって「クリスマス脅迫症候群」から離脱する、というこの一連の理論は、物質が他の物質に 変化するプロセスで、一時的に高エネルギー状態に至らなければならないとい う「励起状態」を思い起こさせます。

いずれにしても、今の私には、街中のクリスマスソングも、電車の中で若い 恋人達がいちゃつく様も(そして愚にもつかない彼等の会話も)、まるで、梅が 咲きほこる雅な茶会の席で、俳句をしたためながら、ホトトギスの声を遠くに 聞くくらい、気になりません。

ともあれ、こういう下らない脅迫観念から離脱できただけでも、結婚は私に とって意義があったと断言できます。

閑話休題。

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実際のところ、一体どれ程の効果があるのだろうか良くわからない「英会話ス クール」ですが、この不景気日本にあって、しぶとく生き残っているようです。

先日、先輩と話していた時に、「英会話スクール」の目的は、勿論英会話の 向上にあることの他、「異性と出逢う場」としての役割もあるそうです。

なるほど。 そういうことなら、あのふざけた高価な授業料も、投資としてはむしろ安い。

個人を主体とする現代の社会構造上、異性と出逢うチャンスがないと言うの は、至極当然のことではあるのですが、出逢いを求めている当の本人達にとっ ては、深刻な問題です。

近い未来、自力で彼氏や彼女を見つけてきた者は、会社や地元の自治会から 表彰されるような未来がくる、と私は真面目に考えております。 実際、政府が国営のお見合い期間の設立に動いています(2002年11月14日の 朝日新聞より)

これは本当の話ですが、私は10年も前に、日立のスーパーコンピュータのア プリケーションとして「お見合いシステム」を提言していました。

スーパーコンピュータの性能と言うと、円周率の計算くらいしかやることが ないように思われていますが、これからのスーパーコンピュータはスペックは、 MIPSやディスクアクセス速度、トランザクション処理数などではありません。

目標は、単位時間あたりに、どれだけの大量のカップルを生成させることが できるか、そして、そのカップルをどれだけの時間維持させえるか、さらには、 定着率(結婚率)などが競われるようになる、と予言していました。

MTTR(Mean Time To Repair 平均修復時間)は、システムの平均復旧時間から、 カップルの平均復旧時間へと解釈が変更され、MTBF(Mean Time Between Failure 平均故障間隔)は、言うまでもなく、カップルの平均交際停止間隔と 解釈される訳です。

こんな風に考えていくと、「システム」と「恋愛」は恐しく良く似ているこ とに気がつきます。 セキュリティの観点から言えば、機密性、可用性、抑制機能、予防機能、回 復機能等、メンテナンスの観点からは、初期不良、経年劣化、リプレース・・・

まあ、この辺で止めておきましょう。

結婚の問題とは関係なく、異性と付き合うことは、それ自体が人生を豊かに するし、そもそも楽しいものです。 勿論、苦しさや面倒も半端じゃありませんが。

この機会を、英会話スクールが提供しているのだとすれば、大変コストパフォー マンスな「場の提供」と言えるでしょうし、次世代の新しいコミュニティ創成 の場として大変有望なものであると、私は考えました。

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「そうかな?」

私が得意げに、「英会話スクール出逢い機関論」を唱えていると、嫁さんが 異議をはさんできました。

私 :「どうして? 出会い系のメールやWebなどに比べて、身元や面が割れ る分、健全で安全で安心だし、勉強で集うと言う点も、さらに高品 質のフィルターを通っているとも解釈できるぞ」

嫁さん:「『出逢う』為には、男性と女性が、少なくとも同じクラスにいなけ ればいけないよね」

私 :「そりゃ、まあね」

嫁さん:「で、まあ当然、英会話を始める人なら、初級コースから入会するよね」

私 :「そうだろうね」

嫁さん:「自然に無理なく親しくなるためには、それなりに時間もかかるよね」

私 :「あからさまに、『異性を探しています』てな感じの奴なんて、いや だろうからな」

嫁さん:「英会話クラスの初級コースなんぞに、うだうだといつまでも居残っ ている男ってことは、『私には将来性がありませんよ』と宣言して いるようなものじゃない? 私なら、私と同じクラスにいるような 男は嫌だな」

私 :「・・・あっ」

盲点でした。

確かに、そんな将来性の見えない異性を探しすために、金を出しているとし たら、投資以前の問題です。 金をドブに捨てているようなものです。

嫁さんの提示したアンチテーゼは、英会話スクール以外にも、テニススクー ル、その他のスクール全部に適用が可能のようです。 いつまでたっても、初級コースから抜けられない野郎と付き会いたい女性は 少ないだろうからです。 むしろ、検討除外の明確な指針となってしまう恐れもあります。

まあ、別の異性へのアクセスのポインタくらいにはなるのかもしれませんが。

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「出逢い」が難しい時代になりました。

「出逢い」を構築するために、自分ではない、不本意な自分を演出する必要 性に苦しんでいる人も多いと思います。 口ばかりが上手くて、綺麗に装うのが上手い奴だけが、出逢いの門に立てる のだろうかと問われれば、私は自信を持って答えることができます。

その通りです。

ですから、「一緒になって貰うために、地に這いつくばい、泥をすすり、自 尊心を投げうって、彼女の足を舐めるような屈辱を経て、結婚を承諾して貰った」(http://www.kobore.net/mail8.txtより抜粋)と言う、私の尊敬する人の言葉が、私の胸を熱く打つのです。

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クリスマスイブの今日、私より皆さんに、新約聖書の「マタイによる福音書」 7章13節を贈ります。

「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きくその道は広い。そして、そこ からはいって行く者が多い。命にいたる門は狭くその道は細い。そして、それ を見いだす者が少ない」

最後に、江端による福音書、第3節A項の第5号にて、今日はお別れしたいと 思います。
皆さん、よいクリスマスを。

「狭い門から入る必要なんぞないし、できれば避けたいのは山々だが、本当の 自分を好きになってくれる人と出逢う為の門は狭い。天国の門なんぞお話にな らんくらい狭い。ナノテクノロジーですら解決できないほど狭い。とにかくうんざりするほど狭い。それを見いだす者は、かなり運が良い」

(本文章は、全文を掲載し、内容を一切変更せず、著者を明記する限りにおい て、自由に転載して頂いて構いません。)

2012,未分類

2002年12月24日
書き人知らず

Tomoichi Ebata さんは書きました: >
> クリスマスプレゼント、と言うことで。

江端さんのひとりごと「英会話スクール出逢い機関論」

共に秀逸なコンテンツでした。
久しぶりに駄文の妙味というものを味わわせてもらったと思います。

> その中の一つに、「クリスマス脅迫症候群」とも言うべきものがあります。

最近は不景気のせいで沈静化した感があったが、まだバブルの残滓が漂ってい た90年代前半頃までは、ホテルが軒並み予約で満杯であったという。 今思えば、当時の若人は何と愚かしい真似をしていたことか。

> 若い頃、私は、
> 一人で街を歩いたら、いかんのか!
> と怒鳴りたくなる衝動にかられていました。

確かに誰彼なく殴りつけたくなるような、荒んだ心象風景を抱えねばならなかっ た時期もあった...(遠い目)

> ともあれ、こういう下らない脅迫観念から離脱できただけでも、結婚は私に
>とって意義があったと断言できます。

この脅迫観念から解脱する解として、もう1つ「枯れてしまう」という解もあ る事を忘れてはなりません。
小生はもう何年も前から、この方法による解脱に成功し、

> いずれにしても、今の私には、街中のクリスマスソングも、電車の中で若い
> 恋人達がいちゃつく様も(そして愚にもつかない彼等の会話も)、まるで、梅が
> 咲きほこる雅な茶会の席で、俳句をしたためながら、ホトトギスの声を遠くに
> 聞くくらい、気になりません。

という境地に立っており、サカリのついたオスとメスが演ずる茶番を、 完全なる「他人事」として相対化する視線を獲得し得ております。

それは、あたかも路傍の石を眺めるがごとき視線です。

イブの本日、みっともなくも若い衆の中には、本当は何の用もないのに そそくさと定時速攻で退社し、周囲にプライベートな用件があることを 無言でアピールする哀しい連中もおります。

無論、解脱した小生はそのようなみっともなさとは無縁であります。

本日は断固として圧倒的に残業を敢行し、小生にはプライベートな用件など 微塵も存在しないことを雄雄しくも広く天下万民に知らしめ、 もって「枯淡の域」とはいかなるものかを、無知蒙昧なる大衆に身をもって 示す所存であります。

※ 本当はね、まるっきり用件がない訳でもなくて、一人で呑み屋に行くの。 そんで、明日は明日で野郎ばかりで寿司屋で呑むの。

2023,江端さんの忘備録

意外に思われるかもしれませんが、私、動物が好きで、特に犬と猫が好きです。

It may come as a surprise to you, but I like animals, especially dogs and cats.

子どもの頃、当時の私たち家族は、家族同然の犬と猫の『最期』を看取りました。

When I was a child, our family at that time took care of the "end" of our dog and cat, who were like family members.

『血を吐くほど泣く』という現象は、中島みゆきさんの歌で知っていましたが、『それが、私の中にあった』ことを知って、素直に驚きました。

I knew the phenomenon of "crying so hard you spit up blood" from Miyuki Nakajima's song, but I was honestly surprised to learn that "it was in me.

私の両親が死んだ時も、これほどまでには悲しみませんでした。

When my parents died, I did not grieve as much.

父も、祖母が死んだ時に、全く同じことを言っていました。

My father said the same thing when my grandmother died.

『親子だなぁ』と思いました。

I thought, 'We are Parents and children.'

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なにしろ、私の両親の葬式では、通夜の時に、親戚と一緒になって、故人の思い出話で爆笑していたくらいです ―― 父も母も、ネタ満載の人生でした。

After all, at my parents' funeral, I even joined my relatives at the wake and laughed at their memories of the deceased -- both my father and mother had a life full of stories.

私:「いやー、通夜っていうのは、子どもが知らない、故人の隠れた話(結構、凄い話)が、ボロボロ出てきて、楽しいね~」

Me: "Well, a wake is a lot of fun because there are hidden stories (quite amazing stories) about the deceased that the children don't know."

嫁さん:「いや、そうじゃない。『あなたの親の人生が、あまりにも特殊すぎる』のだと思う」

Wife: "No, I don't. I think 'your parent's life is just too peculiar.'"

私:「そうかな?」

Me: "Really?"

『私も滅多に見たことがない、満面の笑顔の父です』

それはさておき。

Aside from that.

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私は、ペットの死を今でも鮮明に覚えていて、その後、どうしても、犬や猫を飼う気になれませんでした。

I still vividly remember the death of my pet, and after that, I couldn't bring myself to get a dog or cat.

それでも、私の娘たちが、それを強く希望しれば、それに『折れる形』で、所有を認めようと思っていました。

Still, I was willing to 'give in' and allow my daughters to own it if desired.

夕焼けの中、犬を抱き抱えた娘といっしょに歩きながら、定番のセリフ 『お前が、ちゃんと一人で面倒を見るんだぞ』と言う、というのを予想していたのですが ――

I was expecting to walk with my daughter with the dog in her arms at sunset and say the classic line, "You're going to have to take care of him all by yourself" --

娘:『犬を、飼いたいけど、散歩や餌やりは面倒なので、(私に)やって欲しい。という訳で、管理はよろしく』

Daughter: "I want to keep a dog, but it is too much trouble to walk and feed it, so I want (me) to do it. So, please take care of it."

とか、なめたことを言ってきましたので、当然、娘の提案は一蹴しました。

Thus, my daughter said such dumb things, and naturally, I kicked her proposal.

その中でも、この「故人を『笑って』偲ぶ」という葬儀は、素晴しい文化のトップクラスに入ると思っています。

2018,江端さんの忘備録

(2)本葬の喪主挨拶

(2) Greetings from the mourning of the funeral

『本日はお忙しいところ、お集り頂き誠にありがとうございます』

"Thank you very much for your time, even though you are busy today."

『生前は、父、江端一夫と、親しくして頂き、本当にありがとうございました』

"I appreciate your close relationship with my father, Kazuo Ebata."

『本日お集りの皆様のお顔を拝見致しますに、皆様、私のご身内といっても良い方々のようです。ですので、ここからは、気軽に、皆さんと父を思い出していきたいと思います』

"Now, I am looking at your faces today, and I think you are almost my family. So from now on, I would like to feel free to remember Father with you."

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『うちの父は、息子から見ても、結構、無茶なことをする人だったように思います』

"My father seems to have been quite active, even from his son's view."

『例えば、小学生であった私を、腰まであるような雪を掻き分けて、川場の釣りのポイントまで連れていき、極寒の中で川釣りに付き合わせるとか・・・子ども心に、"なんてところに連れていくんだ"と思ったものです』

"For example, when I was a primary school student, my father pulled me through deep snow, brought me to the point of fishing around a river, and let me fish in the extreme cold. Though I was a child, I thought, "What on earth is he thinking ?"

『しかし、私は、父が、単純に、善意で、"自分が楽しいと思えることを、他の人にも楽しんで貰いたい"という思いで溢れていただけ、ということも知っていました』

"However, I knew well that he was overflowing with his mind, "he would like others to enjoy what he felt was fun."

『父を語る言葉があるとすれば、自分の思いを、真っ直ぐに ―― 時々迷惑だったりしましたが ―― 相手に届けようとする"誠実"。それが、父の本質であったと思います』

"If there is a word to express the father, it must be "honesty," to try to deliver his thoughts straight to the others --- sometimes it was annoying. I think that was the essence of my father.

『"誠実であること"は、多くの場合、損をすることが多いものです。特に会社を経営していた父にとっては、良いことばかりではなかっただろうと思います』

"To be honest" often means a lot of losses. Especially for my father, who had operated the company, I think that it was not all good for him.

『しかし、私もこれまでの人生で、"誠実であること"が"誠実でないこと"に、決して負けるものではないことを知るに至っております』

"However, in my life, I have come to know that "honesty" is never inferior to "not honesty."

『そして、誠実であり続けた父の人生こそが、ここにいる皆さんから親しくして頂けたことの、何よりの証明であると思っています』

"And I think my father's honest life is the utmost proof of what he got from all of you.

『それを、今、私の胸に強く焼きついて、私のこれからの人生、一生持ち続けていこうと思っております」

"I will burn it strongly to my heart now; I think I will keep it in my future life."

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『さて、皆様には、父とのお別れの際に、父の顔をご覧頂くことになると思うのですが、・・・ なんとなく、父の顔、生前よりも"かっこいい"感じがして、私なんかは違和感を感じるんです』

"Well, I want you to see the father's face after my greeting. I am afraid my father's face feels "cooler" than before, and I feel a sense of incompatibility."

『そこで、皆さんにお願いなのですが、皆さんには棺の父の顔ではなく、この遺影の父の顔を、皆さんと思い出ともにお持ち帰り頂きたいのです』

"So, I would like to ask you that you will take my father's memory with this father's picture, not that of the coffin.

"My father has a full smile face I have rarely seen.

どうか、この父の笑顔を覚えていて頂けますよう、お願い申し上げます』

Please remember this father's smile."

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『簡単ではございますが、喪主の御礼と挨拶とさせて頂きたいと思います』

"It is easy; however, I would like to express my gratitude and greetings to you."

『本日は誠にありがとうございました』

"Thank you very much for today."

2018,江端さんの忘備録

米国赴任中、私の隣りのパーティションのマイクが亡くなり、私は、米国での葬式を体験することになりました。

During my assignment to the US, "Mike," who was next to my partition, died, and I experienced a funeral in the United States.

教会の中には、ちょっとしたコンサート会場のようなホールがあり、そこには、街中の人間全員かと思われるほどの沢山の人が集まっていました。

There was a hall like a little concert venue in the church, and many people were as if everyone was in the town.

何人かの人が、そのホールのステージで故人の思い出話を語り、そして、参列者はその話を聞いて

Several people talked about memories of the deceased at the stage of the hall, and the participant listened to the story and raising

―― 大爆笑

"thunderous laugh."

していました。

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故人がテニスをしていた時の話では、

In the story when the deceased was playing tennis,

「ファイナルマッチになった時、相手が打ち込んだスマッシュが、コートぎりぎりで入り、私たちが残念そうな溜息を付い時、彼は、大声で叫んだのです ―― 「アウト!」と」(*)

"When it became a final match, the opponent's smash came in at the end of the court, and we got a sorry sigh. But He shouted out loud - "Just!" (*)

(*)一般のテニスでは、このようなセルフジャッジで、試合をします。

(*) In general, in tennis, we play games with such a self-judgment.

つまり、『故人は、勝ちに拘る、ズルくて、面白い奴だったんですよ』と楽しげに語って、会場の笑いを誘っていたのです。

In other words, he said, "he was a funny and fun guy that the deceased is various about winning," and he was inviting the laughter of the venue.

私は、2年間の米国赴任で、『米国には、素晴しい文化と、素晴しくない文化が、だいたい半分くらいづつある』という所感を持っていますが、

I have been in the US for two years and feel that "there are about half a wonderful culture and a non-wonderful culture in the United States."

その中でも、この「故人を『笑って』偲ぶ」という葬儀は、素晴しい文化のトップクラスに入ると思っています。

Among them, I think the funeral "to remember the deceased with smiling" goes into the top class of a wonderful culture.

(但し、あそこ(フォートコリンズ)は、米国の中でも、先進的で大きなIT会社と州立大学からなる、エリートが集まる学園都市であったということは、差し引いて考える必要はあると思いますが)

(However, you need to think a little that among the United States, "Fort Collins" in Colorado had large IT companies and a state university, and most people were intellectual people)

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比して、我が国の葬式を見直すに ――

In comparison, to review the funerals in our country

■辛気臭い意味不明なお経と、線香の匂い

- Odorless meaning Unknown senescence, the smell of incense sticks

■うつむいて歩いて焼香するだけで、それ以外何もできない参列者

- Participants who can not do anything other than burn incense by walking

■何をしゃべっているのか分からない上に、我が社の新人のプレゼンよりも滑舌の悪い坊さんの説教

We did not know what they were discussing- a Buddhist sermon, worse than our newcomer presentation.

■ありきたりで、代わり映えのない、喪主挨拶

- With ordinary, no substitute greetings by the mourner

『一体、誰の為の何の葬儀なのだろう』

"What on earth is it for anyone?"

『葬儀とは、その故人を偲ぶ為のものではないのか』

"Is not the funeral to remember the deceased?"

と思ってしまうのです。

I always think about it again and again.

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前日の通夜の挨拶で、「スピーチ失敗」との自己評価を下していた私は、本葬での喪主挨拶での挽回を画策していました。

I was self-evaluating "Speech Failure" on the previous evening's greeting and planning to recover from the mourning greeting at the central funeral.

「どこにでもいるような人物」の話ではなく、『私の父の話を、私の気持と、私の言葉で語る(しかも、1分以内で)』と ――

It is not a story of "people like everywhere." I will talk about my father's story with my feelings and in my words (and within a minute)."

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誰もいない深夜の通夜の会場で、棺の中にいる父を前にして、私は、スピーチの内容の推敲を続けていました。

At the venue late at night without anyone, I continued to elaborate the contents of my speech by myself in front of my father in the coffin.

2023,江端さんの忘備録

かつて、日本人は、イスラエルの人々に対して、ハマスと同じことをやったことがあります。

The Japanese once did the same thing to the Israeli people as Hamas.

テルアビブ空港乱射事件です。

Tel Aviv Airport Shooting.

空港で、非武装の26人の民間人が殺害され、80人が重軽傷を負った、日本赤軍(*)の無差別テロです。

It was an indiscriminate terrorist attack by the JRA(*) that killed 26 unarmed civilians and seriously injured 80 others at the airport.

(*)日本赤軍と連合赤軍は、異なる組織ですが、ここでは、日本赤軍と称呼することにします。

(*) The Japanese Red Army and the United Red Army are different organizations but will be called the JRA.

この時、日本人の大半は、日本赤軍ののテロを憎悪し、日本国民および日本国政府は、イスラエル国に対して最大級の謝罪を行ったと聞いております。

At that time, the majority of the Japanese people hated the JRA's terrorism, and the Japanese people and the Japanese government made one of the biggest apologies to the State of Israel.

『あいつら赤の他人。ただのバカ』と済ませないところが、日本人です(褒めています)。

They are Japanese in that they don't just say, "They are strangers and just idiots."

その後、日本国政府(警察)は、日本赤軍(と連合赤軍)の壊滅作戦に乗り出しました。

The Japanese government (police) then embarked on a campaign to destroy the JRA (and the United Red Army).

そして、2000年代以降は組織としての活動は確認されていません。

And since the 2000s, no organizational activity has been confirmed.

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ハマスと日本赤軍の違いは、民衆の支持率にあると思います。

The difference between Hamas and the JRA is in the level of popular support.

ハマスはガザ地区の人から一定の支持があります(当然だと思います)。

Hamas has a certain amount of support from people in the Gaza Strip (and rightly so).

比して、日本赤軍や連合赤軍は、ともに、民衆の支持は絶無に近かったですが、それでもラディカルな学生の一部からの支持は得ていました。

In comparison, the JRA and Rengo-Sekigun had almost no popular support, but they still had the support of some radical students.

しかし、日本赤軍のあさま山荘事件の「集団リンチ」の実態が明かになった後、そのかすかな支持すらも喪失しました。

However, after the revelations of the JRA's "mass lynching" of the Asama-Sanso incident, even that faint support was lost.

それはさておき。

Aside from that.

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イスラエルという国は、イスラエルに対する攻撃に対して、必ず報復をしてきました。

The country of Israel has always retaliated against attacks on Israel.

私の知る限り、報復率100%です。

As far as I know, the retaliation rate is 100%.

ただ、テルアビブ空港乱射事件に関しては、イスラエルの日本に対する報復は確認されておりません。

However, about the Tel Aviv airport shooting incident, there has been no confirmation of Israeli retaliation against Japan.

しかし、その可能性は十分にあったと思います。

However, I think there was a good chance of that happening.

もちろん、米国の軍事同盟国である日本に対して、イスラエルが直接的な軍事行動を起こすという可能性は限りなく低いです。

Of course, the likelihood of Israel taking direct military action against Japan, a U.S. military ally, is infinitesimally small.

とはいえ、イリーガル(非合法戦闘員)を潜入させて、報復活動を行うことはできたはずです。

Nevertheless, they could have infiltrated the Illegals (illegal combatants) to carry out retaliatory activities.

そうなれば、少なからぬ日本の民間人の被害者も出ていた可能性もあったはずです。

If that had happened, there would have been a possibility that a small number of Japanese civilians would have been killed.

『日本国民が、「日本赤軍」を見放していて本当によかった』と、私は胸をなでおろしています。

I think that they were lucky that the Japanese people had given up the JRA.

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これは仮定の話ですが ――

This is a hypothetical story,

日本赤軍の拠点を壊滅することを目的として、イスラエル空軍が日本国土を空爆して、関係のない民間人を巻き添えに殺害するようなことになれば ―― 日本国民は、それを許さない、と思います。

If the Israeli Air Force bombed Japanese soil to destroy the JRA's strongholds, killing uninvolved civilians as collateral damage -- the Japanese people would not allow that to happen.

少なくとも、私は絶対に許さない。

At least, I would never forgive them.

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今、ガザ地区で行われていることは、そういうことです。

That is what is taking place in the Gaza Strip right now.

『ハマス幹部一人を殺害するのに、その巻き添えで殺される子どもの数』というような、血も涙も感情もモラルもない"悪魔の計算"は、私の十八番です。

2023,江端さんの忘備録

ソーシャルキャピタル(社会関係資本)の計測手法について研究している研究員としては、

As a researcher studying methods for measuring social capital, I am interested in the question,

―― 今(*)、解散総選挙をやったら、一体何がどうなるか?

"What exactly would happen if we held a general election now?"

ということに興味があります。

(*)与党会派による国会議員100人レベルの裏金事件、通称「自民党パーティー券"キックバック疑惑"」。あのリクルート事件レベルの事件と言われている。

(*) A case of slush funds at 100 Diet members by a ruling party faction, commonly known as the "LDP Party Ticket Kickback Scandal. The case is said to be on the level of the recruiting case.

ふーん、20万円どころか、1000万円を越えても、納税しないでいいんだぁ~

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私は、

I

(1)こういうシミュレーションがやりたくて

(1) want to do this kind of simulation,

(2)私の作ったシミュレータがどんな解を出すかを知りたくて、

(2) want to know what kind of solution my simulator will give, and

(3)その答え合わせをしたい

(3) want to verify the answers

のです。

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今、総選挙をやったら、本当に困るのは私たち国民です。

If we hold a general election now, we, the people, will be in trouble.

本当に、こんな選挙になるでしょう。

It will be this kind of election.

■例えるなら、「強盗」と「詐欺」と「スリ」のどれがいい、みたいな、選挙。

- To put it another way, it was an election, like which is better, "robbery," "fraud," or "pickpocketing."

■「どこがいい」ではなくて、「どこだと(私たち国民の)被害が少ないか」を考える選挙

- The election was not about "where is better," but "where would cause less damage."

―― 「どこがいい」ではなくて、「どこだと被害が少ないか」を考える選挙

マジで、私たちは、『投票率が1ケタになる選挙』を、目撃することができるかもしれません。

We could witness an 'election where turnout is in the single digits.'

2023,江端さんの忘備録

若い頃は、議論して勝つことは気持ちの良いことの一つだったですけど、今、私は、そういうことには興味はありません。

When I was younger, arguing and winning were some things that felt good, but now, I am not interested in that kind of thing.

そもそも、私は、自分の知識や理解が『不十分』である、という前提から出発します。

訓練されたエンジニア/研究員は、自分が「間違っていること」を前提に行動します。

To begin with, I start from the premise that my knowledge and understanding are 'insufficient.'

だから勉強をして、人の話を聞いて、自分に納得できるのであれば、自分の中に取り込みます。

So I study, I listen to others, and if it makes sense to me, I take it in.

「論破」という言葉は、私には、もの凄く下品な言葉に思えます。

"Argumentation" seems to me to be a vulgar word.

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私のようなエンジニアには、「論破」という考え方は、それほど必要ではないのです。

For an engineer like me, " argumentation" is not so necessary.

私の思考形態は、大体こんな感じです。

My thought form is roughly like this.

(1)考えて何かを作る、

(1) Think and make something,

(2)それが動けば「正しい」、動かなければ「間違っている」、

(2) If it works, it is "right"; if not, it is "wrong",

(3)間違っていれば、正しく動くように直す、

(3) If it is wrong, fix it so that it works correctly,

(4)それが正しいかどうか、今日分からないのであれば、明日以降に分かるかもしれない

(4) If I don't know whether it is right today, I may find out tomorrow or later.

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もちろん、その考え方(上記の(1))が完全にニュートラル(中立)から始まることはありません。

Of course, the idea ((1) above) does not start completely neutral.

基本的には感情(主に"怒り")から出発することは否定しません。

I do not deny that I begin from emotions (mainly "anger").

それがなかったら、取り組みを開始することすらできません。

Without it, I cannot even begin to think.

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以前もお話しましたが、エンジニアや研究員は「負け続ける」ことが仕事です。

As I have told you before, engineers and researchers must "keep losing."

「続ける」以上、次の勝負に出られなくなるような「大きな負け」は回避しなければなりません。

As long as I "keep losing," I must avoid "big losses" that prevent me from playing the next game.

「小さく」負け続け、まれに勝った時にも、あまり目立たないように「小さく勝つ」ようにすることが肝要です。

It is essential to keep losing "small" and, on the rare occasions when I win, try to "win small" in a less conspicuous way.

エンジニアや研究員の勝利条件というものがあるとすれば、勝敗がどうあれ、それを「小さく見せる」ことだと、私は思っています。

I believe that if there is such a thing as a winning condition for engineers and researchers, it is to "make it look small," no matter what the winners and losers are.

これは、しばしば「謙虚」というものに、『勘違い』されることが多いようです。

This is often 'mistaken' for 'humility.'

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私にとって、「謙虚」は、美徳ではなく、生存戦略です。

For me, "humility" is not a virtue but a survival strategy.

「誠実」が戦略であるように。

Just as "integrity" is a strategy.

ただ、最近は、このような「謙虚」という生存戦略が、近年の日本の技術進歩を妨げている要因かもしれない、と思うことが多いです。

Recently, however, I have often wondered if this survival strategy of "humility" might have hindered Japan's technological progress in recent years.

その件については、また後日。

I'll get back to you on that.

2023,江端さんの技術メモ

で「エクスポートをクリック」 → map.osmがダウンロードされる

JOSMで表示する

フィルタを選択

Ctrl-aで選択

「編集」→「座標をコピー」で、座標コピー

ここで、エディター等に(test.csvなどとして)コピーする。

【QGIS】緯度・経度をもつCSVデータを読み込み、地図に表示する

を参照して、test.csvをQGISで表示する。

このように座標が取得できているのが確認できました。

根岸線を削除する場合、JOSMで場所を指定して丹念に削除していく

で、この座標さえ取れれば、

Go言語で、BusRouteの点で繋がれた線とみなして、trackingDataの各点から、その線からの最短距離を算出するようなプログラムの改造をお願いできますか?

が使えるようになる。

ダメ。これで取得した座標は、出現順番がバラバラになっているので、補正処理が必要となる。
今回の場合、南北方向にのみ伸びているので、緯度で並べかえれば良いが、そうでない場合は、別途処理が必要となると思うが(今回は必要ないので、これは省略)

この後であれば、上記のプログラムが使えるはず。

 

ちなみに、
osmosis --read-xml map.osm --tf accept-nodes railway=* --write-xml railway_nodes.osm
osmosis --read-xml map.osm --tf accept-relations railway=* --used-way --write-xml railway_data.osm

は、上手く動かせませんでした。

 

 

2023,江端さんの技術メモ

データベース(DB)のデータのインポートを開始して、すでに3時間が経過しようとしています。このインポートが、これまで作ってきたDBのテーブル全部を吹き飛ばすことがなかろうかと、とても心配しています。

User

dockerを使ってPostgresqlでDBを作っています。特にパラメタのセットとかはしていません。このような場合、DB容量の上限値をざっくりとで結構ですので、教えて下さい。

ChatGPT
Dockerコンテナ内でPostgreSQLをデフォルトの設定で実行する場合、データベースのサイズに特別な制限は設定されません。制限はDockerコンテナ自体のディスク容量に依存し、PostgreSQL自体は通常制限を設けません。

Dockerコンテナのディスク容量は、ホストマシンのディスク容量に依存し、Dockerコンテナが実行されているディスク領域によって決まります。したがって、デフォルトの設定であれば、PostgreSQLデータベースの容量制限はホストマシンのディスク容量に影響されます。

したがって、特定の容量制限を設定していない場合、PostgreSQLデータベースの上限容量は、ホストマシンのディスク容量に依存し、通常は制約を受けません。ホストマシンのディスク容量に制約がある場合、それが制限となります。

PostgreSQL自体にはデータベースサイズの制約を設定する設定がありますが、通常はデフォルトの設定で制限を設けることはありません。したがって、Dockerコンテナ内で特別な設定を行っていない場合、PostgreSQLデータベースのサイズは通常はホストマシンのディスク容量によって制約されます。


このような回答を得て、先ずは安堵していますが、それでもやっぱり怖いです。
Dockerコンテナの丸ごとバックアップを試みるべきでしょうか。
以前やったときは、データ本体がスッポリ抜けていたような、嫌な記憶があります。