2022/01,江端さんの忘備録

昨夜と今朝、実家の遺品整理代行業者(2社)に来てもらって、見積をして貰いました。

Last night and this morning, I had two companies come to my parents' house to give me an estimate for the removal of their belongings.

少なくとも、四十九日の法要が終わるまでは、何もしないつもりですが、金額の「規模感」を知っておきたい、と思いまして。

I'm not going to do anything until at least the 49th day memorial service is over, but I wanted to know the "scale" of the amount.

2つの会社の人に見てもらったのですが、概ね、同程度の見積金額となりました。

I had people from two different companies look at it, and the estimates were generally about the same.

なんか、貰うモノはないかな、と、見回してみたのですが、

I looked around to see if there was anything I could get.

■PCディスプレイ

-PC display

■チェーンソー

-Chainsaw

■電動ドライバー

-Electric screwdriver

など、私が持ち込んだモノか、私が購入したモノばかりでした。

These were all things that I had brought in or purchased.

ちなみに、父が残したオーダーメードの服などもありました。

Incidentally, there were also some custom-made clothes left by my father.

しかし、業者の方から『洋服は、どれも取引対象になりません。和服もごく一部の種類が、僅かなお金で取引されるだけです』と断言されました。

However, the vendor assured me that none of the clothes would be traded. Only a few types of kimonos are traded for a small amount of money, they said to me.

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とは言え、元家具職人でもあった父の作ったテーブル、ライティングディスク、食器棚等は、私から見ても、しっかりしたモノであると思います。

However, as a former furniture maker, my father's tables, writing discs, cupboards, etc., are still very solid, even from my point of view.

膨大な数の布団などは、必要なところ(難民キャンプ等)では役に立つと思いますが、搬送の手段がありません(搬送料金で、新品が購入できる)。

A huge number of beddings and other items would be useful in places where they are needed (refugee camps, etc.), but there is no way to transport them (for the price of transport, you can buy new ones).

つまるところ、

In short,

―― 遺品は、そのほとんどがゴミになる運命にある

"Most of the relics are destined to become garbage"

ということです。

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父と母が、私達姉弟に残したものは、結局「思い出」だけだったな、と、思いました。

In the end, all that my father and mother left for us siblings was "memories".

しかし、価値のある「思い出」を共有できました。

However, we were able to share some worthwhile "memories".

『しんみり』というよりは、姉弟で『大爆笑』できる思い出というのは ―― これはこれで、"プライスレス"だと思うのです。

Rather than being "heartbroken," I think the memories of having a good laugh with my sister and brother are priceless.

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今回の、父と母にまつわる、姉との会話で最高傑作だったのが、

The best part of this conversation with my sister about my father and mother was...

―― 私たち姉弟は「『村上水軍』の末裔かもしれない」という大変眉唾な話

" We may be the descendants of the "Murakami Navy", a very eyebrow-raising story"

でした。

村上水軍 ―― いいじゃないですか。

Murakami Suigun -- That's good, isn't it?

中央権力(宮家や摂関)にも属さず、成り上がりの権力者(織田信長等)にも屈せず、反権力の独立自尊の戦闘集団。

It is an independent and self-respecting fighting group that does not belong to the central power (the imperial family or the regent) and does not bow down to upstart powers (such as Oda Nobunaga).

今回、姉と話して分かってきたことなのですが、

This time, after talking with my sister, I've come to understand...

『銭金は問題じゃない。一度闘うと決めたら、最後まで徹底的に闘い抜く』

"Money is not the issue. Once we decide to fight, we will fight to the bitter end"

というのは、どうやら、「江端家の家風」だったようです。

This seems to have been "the family style of the Ebatas".

私は、これまで色々やらかしてきましたが、これも私のせいではなく、私の「血」のせいのようです。

I've done a lot of things in my life, but it seems that they are not my fault, but my "blood".

未分類

母の葬儀が終った翌日、シバタ先生と私の共著によるコラムを読んで頂いている方から、3週間近くも前にメールを頂いていることに気がつきました(削除フォルダに入っているのを見つけました)。

新型コロナワクチン接種について、複雑な条件(体調、持病)を抱えていらっしゃって、深くお悩みであるという状況がある、ということがよく理解できる内容でしたので、その日の夜にお返事を致しました。

私のメールの部分のみを公開致します。

江端智一

1月13日(木) 22:35 (2 日前)

お返事が遅れまして、誠に申し訳ありませんでした。

ご質問に関しまして、私の個人的見解を申し上げたいと思います。

(1)ブレインフォグにつきまして

この話をシバタ医師から頂いたとき、私は勿論EE Times Japan編集部も相当な衝撃を受けました。これは「感染すれば、発病(軽度の発熱、重篤、死)に至らなくても、体に障害を与えるという話だからですらです。

ブレインフォグが確定的な事実であれば、無症状感染になりやすい子どもたちを、今、現在進行形で攻撃しているはずで、ゆゆしき問題です。ただ、無症状感染は、当然のことながら研究対象となりいくいため、学会でも十分に研究されておらず、世間には出にくいという問題もあります。

何年か後に、私達は、『接種を最優先すべきだったのは子供だった』という後悔を歴史に残す恐れがあるかもしれません。

「ブレインフォグ」という言葉自体が、あまり知られていませんが、一応、罹患後の患者の後遺症の話を聞くと、まずまず事実と認定できるのではないかと、私は考えております。

(2)ワクチンに関する恐怖について

従来のワクチンは、実際の病原菌を無毒化したものを投入するものですが、mRNAワクチンの本体は、本当に適当な塩基配列であり、スパイクタンパク質(外面)だけを、本物にみたたハリボテですので、

『絶対的な意味において、mRNAワクチンによって新型コロナに感染することはできません。不可能です』

問題は、ハリボテを本物と勘違いして攻撃をする私達の抗体反応の方です。これが、あまりに過激な攻撃活動をするので、それが副反応(高熱等)として私達の体に表われてしまうのです。

私の母は、第一回のコロナ接種後に、肺水症を引き起こして入院しましたが、これは「新型コロナウイルス」が原因ではなく、「母の免疫機能」が、眠ったままでいた持病を活性化させてしまったからだと思っております(その母も、3日前に永眠しましたが、これもコロナとは関係のない誤嚥性肺炎に伴う衰弱死でした)。

ワクチンによって新型コロナに感染することはないですが、抗体の過激活動が飛び火して、体の病理を活性化させる可能性までは、私は否定できません(というか、むしろ肯定します)。

ですので、『休眠状態の持病を持っている人は、ワクチン接種が持病を活性化させるかもしれないので、止めた方がいい』と、私は他の人に進言しています。

ただ、これは「どの休眠状態の病状が発火するか」が、実際にワクチンを打ってみないと分からないところに、この問題のいやらしさ/難しさがあります

ですので、ワクチン(ファイザーとモデルナのmRNAワクチン)によってコロナになるという心配は、全くの杞憂ですが、その抗体反応によって「いらんことが起きる」という可能性までは、私は否定できないのです。

と、まあ、仕組みの話としては、これくらいにして、あとは数字(確率)の話をします。

昨年の冬、我が国は、これまで日本中の学校を学級閉鎖に追い込んできたインフルエンザを完全制圧しました(発病者を1/1000以下にした)。

しかし、そのような完全に近い公衆衛生社会において、コロナウイルスは、1週間の感染率が6日間で2~3倍になる勢いの感染力を持ちます。

ですので、私の単純なかけ算の計算では、インフルエンザウイルスと比較して、コロナウイスルの感染率は、約10000倍あり、死亡率(これは、私が退院できなかった人から計算したのですが)は20~40倍あります。

つまり超単純な計算で、インフルエンザと比較した場合のコロナの危険性は、20万倍から40万倍ということになります(ちょっと計算が乱暴に過ぎますが)。

私の場合、この20万倍から40万倍の危険性に対して、アナフラキシーの発生率は0.00005という、驚異的な少数です。そういう訳で、私は『圧倒的にワクチン接種の方が美味しい』という結論に至りました。で、私は「喜んでワクチン接種に出かけに行った」という次第です。

ただ、これは、あくまで、数理研究員のビジョンであって、他の方に押し付けられるものでもありませんし、理解して貰えるものでもないと思っています

つまるところ「怖いものは怖い」が正しくて、それで良いのです。

「怖い」はロジックではありませんし、事実ロジックで安易な数値を振り回すことで、酷い目にあってきました。例えば、福島原発(を含む日本国の原発)は、研究者の叩き出した数値から「原発の安全神話」ができてしまって、私達日本人は、それで酷い目に合わされました

さらに、新型コロナワクチンは、「自己責任が取れる」珍しい対象です。他人に感染を移さない生活をしているかぎり、自分の「怖い」を最優先して頂いて全く問題ないと思います。

(3)お子さんへのワクチン接種について

しかしながら、お子さんは、自己責任の対象外であり、保護者は子供の命を守る義務があります。子供への症状のある感染はレアケースですし、死亡例は(現時点では)絶無に近いです(ただし、数は少数ですが世界で死亡している子どもはいます)

実際、私も「ブレインフォグ」の話がでてくるまでは、『子どもは、自然感染に任せてほっとけ』と思っていた一人です。

ただ、(前述した様に)無症状感染での体組織破壊の話(ブレインフォグ)の話を聞いて、私は青くなりました。

お子さんが、持病または、休眠状態の疾患を持っていないのであれば、年齢が若いほど、ワクチンの副反応の影響は出にくいと思います(逆に、発熱等は大人よりも激しいかもしれませんが)。

結論として、現時点での私の持ちうる全ての知識を動員した上での結論を申し上げるのであれば、「お子さんへのワクチン接種をお勧めします」。

5年後、10年後、『この子どもへのワクチン接種は、殺人行為だった』と言われる可能性を、私は否定はしません。ただ、今の、現時点の世界と私の持っている知識では『ワクチン接種は、子どもこそが、もっとも安全である』と考えています。

また、世界中にあるウイルス性の病気で根絶できたものは、たったの一つしかないことを考えると、これからも世界は、コロナウイルスとともに生きていくしかありません。

何十年もずっとワクチンを回避しながら、無感染のまま生き続けるのは、無理じゃないかなぁ、と思っています。

とは言え、「自分は接種しないのに、子どもに接種させる」ということが、どれほど心理的に重いものであるのかは、想像に難くありません。ただ、重いながらも、その判断を、(多くの人には理解して貰えないかもしれませんが、少なくとも私は)合理的で倫理的な判断であると断言します。

シバタ医師のような病理医学に詳しい方や、私のような数理研究者であれば割り切れるロジックが、多くの人には通用しないことはよく分かっています。

つまるところ、接種する/しないのいずれの選択もイバラの道です。それでも、私達は、明日の自分と子ども達のために、選択をしなればならないのです。

(4)すでにコロナ感染したのにワクチン接種をする必要があるのか、について

私もこの辺のことは分かっていませんが、感染後の後遺症の改善にワクチン接種に効果があったことは、医学論文等で発表されておりますので、その点では接種には意義があると思います。

ただ、正直、私にもその理由がよく分からないのですが、残存したコロナウイルスが固体内で変異して、小規模な攻撃を続けているとしたら(この仮説には無理があると、私ですら思うのですが、このコロナウイスルに関しては、従来のウイルスの動きでは説明できないことが多いのです)、効果があるのは自然なことだと思います。

また、ワクチン接種した方が、中和抗体の量が多くなるという厚生労働省の発表もあります。この事実も私には、やっぱり???とは思うのですが、これはデータが示している事実です。

この事実は、生ワクチンよりも、コンピュータで計算した(mRNA)ワクチンの方が優れている、ということになります(それはそれで、ITエンジニアとしては嬉しかったりするのですが)。

ただ上記の『???』については、変異株になる度に感染している人がいることや、ブレークルー感染の多発の状況と鑑みれば、一応筋は通るかなぁ、とは思っています。

従前のウイルスと、コロナウイルスは、分けて考えた方が良いかもしれないと思います。

結論として、本件は「『感染してもワクチン接種した方がいいようだ』と、データが語っている」という話になると思います、

(5)「私(江端)を信じてワクチン打ってみませんか?」

かなりハードルが高いのですが、私がお勧めするのは、『誰の意見も聞かずに、新型コロナウイルスとワクチンについて、自力で調べて理解をして判断をする』です。人の意見では、不安になるだけですし、人の意見では、最悪の結果に対して、その人を責めるだけではなく、自分自身を責めることになります。

しかし『それができないから困っているんだ』と言う声が聞こえてきそうです。実際、ウイルスやワクチンの内容は難しいのです。私もシバタ先生のレポートを解釈するのに、想像を絶するほど勉強して、今、ここに「開き直った私がいる」という状況です。

そこで提案ですが、いっそうのこと「私(江端)を信じてワクチン打ってみませんか?」

それで、お子さんに不幸が見舞われたら、私を訴えて、呪って、私の生きてる限り非難し続けて、必要なら私に復讐(殺害を含む)して頂いても結構です。さらに、その事件の裁判ではこのメールを証拠として提出して頂き、さらには全世界にこのメールをばらまいて頂いても結構です。

SNSなどを見ていると『私のコラムを読んで、ワクチン接種を決断した』という人が、日本には少なからずいるようです。私は、「その人達をそそのかした当事者として、断罪される」覚悟があります。

多分、世界中のお医者さんは誰も「絶対大丈夫」とは言ってくれないと思います。

「江端を信じる」というのは、本当に最後の、しかも、あまり懸命とは言えないジャッジかもしれません(最悪のチョイスかも)。しかし、もしそれで、あなたの苦しい状況が改善されるなら、私を自由に使って頂いて結構です。

長文になりましたが、貴方のご判断の材料になれば幸いかと存じます。

江端智一

2022/01,江端さんの忘備録

今日は、姉と二人で、母の病歴追跡リレーをしていました。

Today, my sister and I were working on a medical history tracking relay for my mother.

母が、介護老人保健施設(老健)に入所したのは、10年前です。

It was 10 years ago that my mother was admitted to a geriatric health care facility.

そこから、母の入院歴を辿って、3つの病院を訪問して、母の入院の履歴を調べていました。

From there, I traced my mother's hospitalization history, visiting three different hospitals to find out more about her.

■頭蓋骨陥没骨折

-Depressed skull fracture

■うつ病

-Depression

■洞不全症候群・ペースメーカー装着

-Sinusoidal failure syndrome, pacemaker installation

■不眠症

-Insomnia

■鬱血性心不全

-Depressive cardiac insufficiency

■脳梗塞

-Cerebral infarction

■胃瘻増設

-Expansion of gastrostomy

■胆石胆嚢炎

-Gallstones cholecystitis

■脳梗塞後遺症

-Femoral infarction sequelae

■右肘打撲

-Right elbow bruise

■誤嚥性肺炎

-Swallowing pneumonia

■神経因性膀胱

-Neurogenic bladder

■帯状発疹

-Exanthem subitum

■肺炎

-Pneumonia

■慢性心不全増悪

-Chronic cardiac insufficiency additions

■洞不全症候群

-Sinusoidal failure syndrome

■誤嚥性肺炎

-Swallowing pneumonia

■死亡(2022年1月10日)

-Death (January 10, 2022)

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これが、この10年間の母の激痛の歴史です。

This is the history of my mother's severe pain for the past ten years.

いずれも、現在の司法の「尊厳死」判断には該当しません。

None of this falls under the current judicial "death with dignity" decision.

そもそも、母が「尊厳死宣言」をしていませんでしたので、絶対に無理ですが。

In the first place, my mother was not declared to die with dignity, so it is absolutely impossible.

私たちと意思疎通ができなくなってからは、母が何を考えているのかも、全く分かなくなりました。

After she stopped communicating with us, I had no idea what she was thinking.

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私が申し上げたいことは一つです。

I would like to say one thing.

―― もうすぐ、あなたにも、この拷問が日々が始まる。そして、誰もが、そこから逃げることはできない

"Soon, the days of this torture will begin for you, too. And no one can escape from it"

ということです。

今から思えば、母には2回ほど、この長い拷問の開始を、自分で止める機会があったように思えます。

In hindsight, it seems that my mother had two opportunities to stop this long torture from starting on her own.

1つは「胃瘻建造」、もう1つは「ペースメーカー装着」です。

One is "gastrostomy construction" and the other is "pacemaker installation.

この2つは、人類が生み出した「英知」であり、同時に「呪い」です。

These two things are the "wisdom" and at the same time the "curse" created by humanity.

それでも、この2つを選んだのは「母自身」でした。

Nevertheless, it was "my mother herself" who chose these two.

だから ―― もう、母のことはいいのです。

So - I don't need to worry about my mother anymore.

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でも、忘れないで下さい。

But don't forget.

意思疎通ができなくなったら、(少なくとも現状の司法システムでは)あなたは、「死を選ぶ権利」の行使は、一切できなくなります。

If you are unable to communicate, you will not be able to exercise your "right to choose death" at all (at least in the current judicial system).

これは、絶対的な事実です。

This is an absolute fact.

自分を救えるのは自分だけで、そのチャンスは恐しく分かりにくいところにあります。

The only person who can save you is yourself, and the opportunity is frighteningly difficult to grasp.

2022/01,江端さんの忘備録

父親の時にも実施しましたが、今回の母の死去に伴った、除籍謄本リレーをやっていました。

We had done the same thing with my father, and now I am doing the relay of the removal of my mother's name from the register with her death.

母親の人生(の場所)を巡る旅 ―― お役所クルーズです。

A journey through the life (and place) of a mother -- The bureaucratic cruise.

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私:「何の為にこんなことをするんだろう?」

I: "What am I doing this for?"

姉:「私達が知らない兄弟姉妹を探す為だよ」

Sister: "It's to find our brothers and sisters we don't know."

つまり、父や母に「隠し子」がいた場合に、その子供にも財産付与の権利が発生することになります。

In other words, if my father or mother has an "illegitimate child," that child will also have the right to be granted property.

そのような子供がいないことを、「法律的に確定」しないと、たとえ、こずかい程度の預金残高であろうとも、私達は受け取れないのです。

If we don't "legally establish" that we don't have such a child, we won't be able to receive even the smallest amount of money in my mother's bank account!

正直 ―― 面倒くさい、と思います。

Honestly -- it's a hassle, I think.

『その金、いらん』と思うこともあります。

There are times when I think, 'I don't need that money.

しかし、放置しておくと、それらの残金は国庫に回収されます ―― つまり、お国に召し上げられる、と。

However, if left unchecked, the remainder of the money will be collected by the treasury -- in other words, taken by the government.

私が受けとれないのは、全く構わないのですが、それを「国」が受けとることは、絶対に認容できません。

It's perfectly fine if I don't get it, but it is absolutely unacceptable for the "state" to get it.

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私の場合、そう考えるだけで、日本中を車で走り回り、地方に除籍謄本の申請手続をするのも、それほど「苦」と思えないのです。

In my case, just by thinking about it, driving all over Japan and going through the process of applying for a copy of the registry in a local area doesn't seem so "painful" to me.

2022/01,江端さんの忘備録

先程、葬儀の全イベントを終えて、実感に帰宅しました。

I just finished the whole funeral event and came home to realize it.

今、私の両親は、実家で、夫婦揃って遺影として飾られています。

Now, my parents are displayed as a couple of posthumous portraits in my parents' home.

コロナ禍中のイベントということもありまして、最小人数開催をお願いしましが、『最後に姉の顔を見たい』というご希望があれば、それは応じなければなりません。

During the Corona disaster, I asked for a minimum number of people to be held, but I had to accept the request to 'see the faces of my mother at the end'.

まあ、そのお陰もありまして、母の出生の話や、それだけでなく、私の幼少期の性格 ―― というか『戦略』―― も色々と知ることができました。

Well, thanks to that, I was able to learn a lot about my mother's birth story, as well as my childhood personality -- or rather, my "strategy.

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母は厳しい人で、なかなか私が欲しいもの(おもちゃ等)を買ってくれない人だったそうです。

My mother was very strict with me and did not buy me what I wanted (toys, etc.).

そして、私は、その母に要求に応じさせるために、『床の上を転げまわって泣いてで要求を通す』というプレゼンテーションを行っていたそうです。

And I heard that I was giving a presentation to my mother, 'rolling around on the floor and crying to get my demands through.

「対"母"決戦戦略」です。

It was a final strategy against my mother.

一方で、私は、母以外の人間にはそんな戦略は実行しない、大人しい子どもだったそうです。

On the other hand, I heard I was a quiet child who would not implement such a strategy on anyone.

私は、そのことを覚えていないのですが、火葬場の待ち時間で、3人の人間が証言していましたので、客観的な事実だと認めざるを得ません。

I don't remember any of this story, but I must admit that it is an objective fact, since three people testified about it, while waiting at the crematorium.

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しかし ―― 私は、問題解決の一つとして、

But -- one way to solve the problem is that a method of

『問題を、恣意的に悪化・炎上させることで、事態を明みにすることで、問題を解決する』

"Arbitrarily exacerbate or inflame the problem to make it go away"

という手段を用います。

つまり、今、私が使っているソリューションは、「母」という「仮想敵」がいたことで、培われてきた、と言って間違いなさそうです。

In other words, the solution I am using now has been cultivated by having a "virtual enemy", my mother.

これまで、私のこのソリューションによって被害にあった人は、少なくはないと思いますが、

I'm sure there are more than a few people who have been affected by this solution of mine.

―― それは、私の責任ではなく、母の責任である

"It's not my fault, but my mother's fault"

と断言して良いと、本日確信しました。

Today, I was convinced of it.

2022/01,江端さんの忘備録

昨夜、母が突然他界してしまいました。

Last night, my mother suddenly passed away.

今朝、始発の新幹線に乗って、本日17:00-からお通夜、明日8:30から本葬という仕儀に至っております。

I took the first bullet train this morning, and today the funeral wake will start at 5:00 p.m., and the funeral will start at 8:30 a.m. tomorrow.

コロナ禍の中ということもあり、出席はできるだけご遠慮頂き、数名で葬儀を執り行う予定です。

In the middle of the Corona disaster, we ask that you refrain from attending as much as possible and plan to hold a funeral service for a few people.

という訳で、暫く、日記の更新が滞るかもしれませんが、悪しからずご了承下さい。

So, please understand that I may not be able to update my diary for a while.

2022/01,江端さんの忘備録

年末から正月にかけて、体重の変化(特に重くなる方)には気をつかってきまして、最終日を許容範囲内で抜けた時には、ホッとしたものです。

From the end of the year to the New Year, I've been paying attention to my weight changes (especially the heavier ones), and I was relieved when I made it through the last day within the acceptable range.

ところが、ここ数日間、訳の分からない体重増に、頭を抱えています。

However, for the past few days, I've been struggling with an inexplicable weight gain.

一度、「過渡現象」で体重増加を説明できないか、試したことがあるのですが、この時は派手に失敗しました。

Once I tried to see if I could explain my weight gain with "transient phenomena" but at this time I failed spectacularly.

今回のケースが「7日間」という、超長期の遅延定数ではないだろう ―― と、思っています。

I am sure that this case is not a very long delay constant of "7 days" -- I am sure of that.

しかし、年末の食事量に体が慣れてしまい、過食状態が継続してしまっている、というのが、妥当な原因かと思います。

However, I think it is reasonable to say that my body has become accustomed to the amount of food I eat at the end of the year, and I am still overeating.

まあ、ここのところ、とにかくお腹が減るのです。

Well, these days, I'm hungry anyway.

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私、一日一回、もっとも体重の減る時間と場所を狙って、体重測定をしています。

I weigh myself once a day, targeting the time and place where I lose the most weight.

その為には、体重計の乗り方にも色々工夫をしています。

In order to do this, I have been working on various ways to get on the scale.

■トイレに行って、出せるものは全部出し

I went to the bathroom and took out everything I could.

■当然、全裸(パンツは除く)になり、

Naturally, I was completely naked (except for my pants).

■まず、体重計を廊下に出して、冷やして、センサーの感度を低下させ、

The first thing to do is to take the scales out into the hallway, let them cool down, reduce the sensitivity of the sensors.

■体重計を、床の木材の方向と直行する方向に配置し、

I install the scales in a direction perpendicular to the direction of the wood on the floor.

■体重計に乗る時は、重心点を体重計の外に出るように前かがみになり、

When I get on the scale, bend over so that my center of gravity is outside the scale.

■体重計が確定値を出す時間を逆算して、体に軽い単振動運動を発生させて、もっとも軽い体重で確定するようにする

By counting backwards from the timing the scale gives me a definite value, I can generate a light single oscillating motion in my body to determine the lightest weight.

などの、各種の工夫をして、毎日「体重計を欺(あざむ)く」闘いを行っています。

I have been fighting to "cheat the scales" every day by using various methods like that.

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『そこまでするなら、体重計に乗らなければ良いのに』と嫁さんには言われていますが ――

My wife says to me, "If you're going to go that far, you shouldn't be on the scale".

『体重計の数値が与える精神的ダメージ』こそが、ダイエットに一番効果があるのは、ご存知の通りです。

As we all know, the "mental damage caused by the scale" is the most effective way to lose weight.

『仮にそうだとしても、"体重計を欺く"ことに意味はあるのか』と問われれば ―― 私は、こう思うのです。

If you ask me, "Even if that's the case, what's the point of cheating the scales?"

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どんなに残忍な殺人事件を起こし、検察側、弁護側、双方が事実認定に齟齬がないとしても ――

No matter how brutal the murder, and no matter how consistent the prosecution, defense, and both sides are in finding the case--

殺人事件の被疑者は、弁護側が考えうる最大限の弁護をし尽した上で、刑量が判断されるべきである。

A suspect in a murder case should be judged on the amount of sentence after the defense has exhausted all possible defenses.

特に「死刑判決」という極刑については、『もうこれ以上の弁護はできない』という、最大級の弁護の機会を与えられなけえればならない ――

Especially when it comes to the extreme penalty of the death sentence, we have to be given the maximum opportunity to defend ourselves, to say, like 'I can't defend myself any more'.

と。

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しかるに、「体重計」という裁判所が、「私の体重」という罪状を確定するのであれば ――

Therefore, if the court of "scales" establishes the charge of "my weight," then--

私は、あらゆる弁護の機会「あらゆる体重(の値)を減らす為の努力」が尽くすべきである

Every opportunity to defend "every effort to reduce weight (value)" should be exhausted.

―― と、私は信じているのです。

I believe that

未分類

N-BOXのテールゲート(後ろのドア)が開かなくなったので、ディーラに相談しに行きました。

そしたら『単なるゴムパッキンが接着していて開けにくくなっていただけで、力づくで開けられた』だったようです。

ただ、開閉に電磁的なスイッチを使っているので、開閉しない状態を1秒以上躊躇しているとコンピュータが半ドアと判断してしまう、という電磁的な問題だったようです。

つまり、テールゲートは、「一瞬」かつ「力づく」で「こじ開ける」ことが必要である、ということです。


半ドアになった状態から、こじ開ける方法も教えて貰ってきました。

まず、半ドア状態になっている時に、ここに指を差し込みます。

この段階で、テイルゲートのボタンを押して、両手の力で引き開けます。


また、手動でテールゲートを開く方法も教えて貰いました。

で、この中は、こんな風になっています。

で、この中に小さなフックがあります。

で、マイナスドライバ(青色)で、フック金具(赤色)を押して、内側からテールゲートを押し出すと、開きます。

以上

2022/01,江端さんの忘備録

私は、日本のアニメーションが好きですが、これまで『アニメおたく』と呼ばれることはありませんでした。

I love Japanese animation, but I've never been called an "anime otaku" before.

この理由について、次女と話をしたとき、『パパは、アニメに狂っている感じがしない』と言われました。

When I talked to my second daughter about this reason, she said, 'Dad, I don't feel like you're crazy about anime.

江端:「そんなことはないぞ。例えば、『シュタイイズゲート』とか、『シュタインズゲート・ゼロ』とか、十分に狂っている自覚がある」

Ebata: "That's not true. For example, I think that I am crazy for 'Steins;Gate' and 'Steins;Gate Zero'.

次女:「特定コンテンツに突出しているし、『ロジック』で言語化できる程度の『愛』では、『おたく』には足りない」

Daughter: "You are prominent in certain content. Moreover, the degree of 'love' that can be verbalized in 'logic' is not enough for an 'otaku'."

どうやら、「おたく」と呼んで貰えるようになるには、

Apparently, the only way to get people to call me "Otaku.", that

自分の視点でのみで世界が完結し、そこに他者の思惑や常識は介在しない ―― というレベルの狂気が必要

"I need a level of insanity where the world is complete only from my point of view, and the thoughts and common sense of others do not intervene"

ということのようです。

She said that,

一言で纏めるのであれば、『究極の主観』といったところでしょうか。

If I had to sum it up in one word, it would be "ultimate subjectivity".

「物理法則や数学の定理すらも捻じ曲げるような狂った愛」がなければ、「おたく」の称号は貰えないようです。

It seems that I have to have a "crazy love for twisting the laws of physics and even the theorems of mathematics" to get the title of "Otaku.

それはさておき。

Aside from that.

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私の「客観的なアニメへの愛」という観点で言えば、その出発点は「宇宙戦艦ヤマト」にありますが、その次に登場してくるのは「うる星やつら」でしょう。

In terms of my "objective love for anime", the starting point is "Space Battleship Yamato", and the next one would be "Urusei Yatsura".

「うる星やつら」の世界観は、単なる「ドタバタコメディ」という枠組みを越えて、『私がどんなに努力をしても、絶対辿りつけない才能がある』ということを、私に思い知らせた、人生最初の経験だったと思います。

The world of "Urusei Yatsura" is more than just a slapstick comedy, it was the first experience in my life that made me realize that no matter how hard I try, there is a talent that I will never reach.

今となっては、私の銘となっている、

It has now become my epithet.

―― 努力は、天才に勝てない

"Hard work is no match for genius"

を形作った、最初の事例です。

This is the first example of my epithet.

今となっては、「『天才に勝つ』必要って何?」にまで昇華していますが。

Nowadays, it has been changed to 'Do you need to "beat the genius"?'

ともあれ、「うる星やつら」は、私の人生の大切な道標の一つだったのです。

Anyway, "Urusei Yatsura" was one of the most important guideposts in my life.

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この「うる星やつら」が、1981~86年に放送されたテレビアニメ以来、約36年ぶりにテレビアニメ化されると聞き、驚いています。

I was surprised to hear that "Urusei Yatsura" will be adapted into a TV anime for the first time in about 36 years, since the TV anime that aired from 1981 to 1986.

この大役を担う声優が、なんと

The voice actor who will play this major role is...

「諸星あたる:神谷浩史」

"Morohoshi Ataru: Kamiya Hiroshi."

です。

たしかに、『現在の声優の世界にあって、この大役を担えるのは、神谷さんくらいだろう』と納得の人選です。

Indeed, I am convinced that only Mr. Kamiya is capable of taking on this major role in today's world of voice acting.

「ラム:上坂すみれ」さんについては、申し訳ありませんが、あまり詳しくは存じておりません。

I'm sorry, but I don't know much about "Ram: Sumire Uesaka".

ただ、初代ラムを努められた、平野文さんにつきましては、「生徒会役員共」に登場する「古屋(先輩)」の役で登場されていることを知って、『さらに美しくなった声』に、深々と感動していました。

However, I was deeply moved by the beautiful voice of Fumi Hirano, the first Ram, when I found out that she was playing the role of Furuya (senior) in "Student Council Members".

最近では、「ブルーピリオド」の「佐伯(先生)」の声を聞いて、

Recently, I heard the voice of "Saeki (teacher)" in "Blue Period".

―― あのラムが、ここまで落ち着いた大人になって・・・

-- "Ram" has become such a calm, mature adult...

と、言語化できない(そして、他人と共有できない)感動に浸っていました。

I was immersed in an emotion that I could not verbalize (and could not share with others).

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私は『アニメおたく』ではないようですが、長く生きているからこそ得られる感動が、アニメにもあります。

I don't think I'm an "anime otaku," but there are some emotions in anime that I can only get from living long enough.

2022/01,江端さんの忘備録

私、浪人生のころ、スーバーカブで新聞配達のバイトをやっており、学生になってから、姉からYAMAHAのDT-125(モトクロスバイク)を譲って貰いました。

I used to work part-time delivering newspapers on a Suber Cub while preparing the exam. When I became a college student, my sister gave me a YAMAHA DT-125 (motocross bike).

我が家では、長女がバイクにはまって、中型免許を取得しています。

Now, our senior daughter is addicted to motorcycles and has obtained a medium-sized license.

嫁さんが事故を心配し、私がバイクの防寒性を心配した結果、長女は「ビックスクーター」型を購入して、日々、乗り回しているようです。

As a result of my wife's concern about accidents and my concern about the bike's thermal protection, my senior daughter has purchased a "big scooter" type and is riding it around on a daily basis.

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先日、長女が、我が家の自動車を使っていた時に、嫁さんから、次女を駅まで迎えに行くように言われました。

The other day, when my senior daughter was using our family's car, my wife asked me to pick up my junior daughter from the station.

江端:「いや、車がないよ」

Ebata: "No car here"

嫁さん:「(長女の)バイクに二人乗りで戻ってくれば、いいじゃん?」

Wife: "Why don't you two ride back on (senior daughter's) bike?"

と言いました。

バイク乗りでない人間は、これがいかに『無茶』なことでであるかが分かっていません。

People who don't ride motorcycles don't understand how 'reckless' this is.

まず、自分が日常的に乗っていないバイクは乗車自身が危険であり、さらに二人乗りは、その危険を二乗にするくらい危険です。

First of all, riding a motorcycle that we do not ride on a regular basis is dangerous in itself, and two ride back on is even more dangerous.

『4人家族を、一瞬で2人家族にしてもいい、という覚悟があるなら、やってもいいけど』

"If you're willing to turn a family of four into a family of two in an instant, I'm willing to do it"

と言ったら、諦めてくれたようです。

I told her, and she seemed to give up.

バイクは、ルールを守って正しい手順で使えば、それほど危険なものではありませんが、それでも、自動車に比べて、圧倒的に怪我や死亡率は高いです。

Motorcycles are not that dangerous if you follow the rules and use the correct procedures, but they still have a much higher injury and death rate than cars.

だから、街中で徒党を組んで爆音立てて珍走しているバカは ―― 『人類史上考えうる最低最悪のバカである』と断言できます。

That's why I can say that the idiots who are running around the streets in gangs and making noise are the worst idiots in the history of mankind.

それはさておき

That aside...

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TVアニメ「スーパーカブ」に影響された、ということもあるのですが、最近、私の中でバイク熱が高まってきました。

I was influenced by the TV anime "Super Cub", but lately, my enthusiasm for motorcycles has been growing.

もっとも、嫁さんからは、『次女が大学を卒業するまでは、止めてくれ』と言われていますので、もう暫くはガマンするつもりですが、

However, my wife has asked me to stop until my second daughter graduates from college, so I'm going to be patient for a while longer.

―― これからの老後のことを考えると、バイクというのは、良い選択肢ではないかな?

"Isn't a motorcycle a good option for my future retirement?

と思うことがあります。

Sometimes, I thought it.

いや、私も間違いなく、将来は移動困難者となり、かつ認知症も発病すると思います。

I definitely think I will have mobility problems in the future and also develop dementia.

一方、私は、父や母から移動手段(自動車)を奪ってから、彼等のQoL(Quality of Life)の劇的な劣化も、よく覚えています。

On the other hand, I also remember well the dramatic deterioration of their QoL (Quality of Life) after my father and mother were robbed of their means of transportation (cars).

高齢者の自動車運転が危険であることは、もはや、社会的合意に至っていると思います。

I believe that we have reached a social consensus that it is dangerous for the elderly to drive a car.

そこで、考えてみたのです。

So I thought about

―― ならば、高齢者のバイク運転はどうだろうか?

"Then how about elderly people driving motorcycles?"

と。

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『江端。お前、真正のバカなんじゃないのか?』という声が聞こえてきそうです。

"Ebata. Aren't you a real idiot?" I can almost hear you saying.

自動車が危険なら、バイクの危険性がさらに高いのは当然です。

If cars are dangerous, it stands to reason that motorcycles are even more dangerous.

私が、バイク事故で、私が死ぬのは ―― まあ、どうでもいいです。

It doesn't matter that I will die in a motorcycle accident.

しかし、『高齢者であれば、バイクによって、他人を死亡させるような事故の発生率は、低いのではないか』とも思います。

However, I also think that 'the incidence of accidents that cause death to others by motorcycle is low for elderly people.

まず、バイクであれば、アクセルとブレーキの踏み間違い、ということは、(構造的に)ないはずです。

First of all, if you are riding a motorcycle, there is no way (structurally speaking) that you can mistakenly step on the gas pedal and brake.

スロットルを誤動作するくらい認知症が進んでいるのであれば、まずバイクに乗ることができないと思います。

If your dementia is advanced enough to cause the throttle to malfunction, you will not be able to ride a motorcycle first.

しかし、バイクが建物や歩行者に突っ込んでいくリスクはあります。

However, there is a risk of motorcycles crashing into buildings and pedestrians.

ですので、バイクで人に怪我をさせる可能性はあります ―― が、バイクが加害者として殺傷するほどのケースは、そんなにない、と、思っています(珍走しているバカを除けば)。

So, it is possible for a motorcycle to injure a person -- but I don't think there are that many cases where the motorcycle is the aggressor and kills or injures (except for the idiots on the road).

で、ちょっと調べてみたのですが、バイク加害による事故データが見つかっていません(知っている方はURLを教えて下さい)

So, I did some research, but I haven't found any data on accidents caused by motorcycle assault (if you know of any, please let me know the URL).

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とは言え、認知機能を失ったライダーの運転するバイクは、かなり怖いとは思います。

Nevertheless, I do believe that a motorcycle driven by a rider who has lost cognitive function is quite scary.

それに、逆走したバイクを避けることなんかできません。確実に、そのライダーを跳ね飛すと思います。

Besides, there is no way to avoid a motorcycle that is going the wrong way. I would definitely hit the rider.

自分が、そんな事故の加害者にさせられら、たまったものではないでしょう。

It would be awful if I were made to be the perpetrator of such an accident.

これは、珍走するバカよりも、もっとたちの悪い『暴走老人』と認定されると思います。

I think this would qualify as a "runaway old man," which is even worse than a running idiot.

ですので、これは、社会的な(高齢者の移動手段の確保と、交通事故発生との)トレードオフの問題です。

So, this is a social trade-off (between the availability of transportation for the elderly and the occurrence of traffic accidents).

検討は必要ですが、

Further study is needed, however,

―― 高齢者にこそ、移動手段にバイクを

"Motorcycles as a means of transportation for the elderly"

というパラダイムは、もしかしたらありえる未来の一つかもしれない、と期待しています。

I am hopeful that this paradigm may be one of the possible futures.

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ここから本論に入ります。

The main argument comes in.

どなたか、あの"DT-125"と同じフィーリングを得られるバイクをご紹介頂けないでしょうか?

Can anyone recommend a bike that gives me the same feeling as the "DT-125"?

御礼は、私が、その購入したバイクを乗り回している写真でいかがでしょう?

Would you like to give you a picture of my riding on the bike I bought?

いらないか。

Who wants it?

うん、いらないだろうな。

Well no one would want it.