2009,江端さんの忘備録

私は名古屋出身者です。

特に、うどん好きという訳でもなったのですが、私は、うどんや、きしめんが、日常的に食される場所で育ったということです。

鍵っ子でしたので、小学生の頃から、土曜日は、井上靖の「北の海」を読みながら、自分で作った味噌煮込みうどんを楽しく食していました。

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京都に住んでいた頃、学生のアルバイトで隔週で四国に出掛けていました。

アルバイト先の隣りの小さなスーパーの片隅の、土間のコンクリートが剥き出した小さな土間に、古びたパイプテーブルが2つ入ったような倉庫のような所で、うどんを食した時のことです。

あのョックは、今でも鮮明に覚えています。

「旨い」

こんな凄いうどんが、こんな辺鄙な店で、菓子パン程度の値段で食せる。
四国は、この地上に出現した「うどん」のパラダイスだと思いました。

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その後、東京に出てきて、「蕎麦」の旨さにはまりました。
関東のそばは本当に美味しくて、驚きました。

もしあなたの近くに名古屋の人がいたら「美味しい蕎麦」という言葉が理解できないのではないかと思います。「蕎麦」は「蕎麦」に過ぎず、そこに「旨い」「まずい」という形容表現に首をかしげるかもしれません。

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それはさておき、

最近、休日の昼食は冷凍うどんばかりを食しています。

これが、本当に美味しいのです。
下手なうどん屋より、麺の味が良く、十分にコシもあります。

乾麺の臭みもなく、生麺のようにグニャグニャすることもありません。

私は、冷凍うどんをどんぶりに放り込んで、麺つゆと水をぶっかけて、そのまま電子レンジに直行させています。
鍋で解凍するよりも、面倒がないだけでなく、確実に味も良いように思います。
熱湯で戻すよりは絶対に旨いと思います。

どんな材料をどんな製法を行って、この冷凍うどんを発明したか知りません。
この発明者には、私から「江端発明賞」を授与したいと、心から思います。

2009,江端さんの忘備録

「NHKスペシャル 十月の悪夢―1962年キューバ危機・戦慄の記録 (NHKスペシャル)」注文してしまいました。

ですから、私は今年は、飲み会に出ません。

年齢傾斜配分を使った支払いであれば、100%出席しません。

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私が飲み会に出席するモチベーションは、「エッセイのネタを拾えるかどうか」です。

上司の悪口、会社の体制批判、誰ぞの結婚話などという陳腐な話題で構成される、退屈で愚劣な飲み会などには興味はありません。

最近、参加して、『元を取ったな』と思われるネタ提供には、以下のようなものがありました。

○我が社を宗教法人化して、現在の研究所を「宗教研究所」とする構想。

『技術で社会に貢献するH社』から、『宗教で社会に貢献するH社』への定款の変更。

研究所のそれぞれの部は、例えば、「第1部 人工知能研究ユニット」は、「イスラム教部、シーア派ユニット」、「第6部 ユビキタス端末ユニット」は、「仏教部 祭典仏具部開発ユニット」と、研究内容を変更。

それぞれのユニットが原理主義を掲げて、他のユニットに宗教戦争をしかけないように、現在の「総務部 管理部門」が、政教分離を規範とした「思想自衛団」を担当。

と、まあ、この程度のネタを提供してくれる飲み会であるなら、傾斜配分の支払いを認容する準備があります。

-----

という訳で、私は静かに刺身を摘みながら、課全員の、「ネタ提供力」を、きっちり見ています。

「ネタ」に新規性や進歩性がない若い研究員の査定は、相当下ります。

# ボーナスや昇進には何の影響もありませんが。

閑話休題

-----

Amazonってやっぱり凄いと思うんですよ。

私がこのDVDの予約を完了した段階で、お勧めリストに出てきたDVDが、

『ニュールンベルグ裁判 [DVD]』

うーん、なんでここまで判ってしまうのか。

衝動買いの衝動抑えるのに、どんだけ大変か。

しかも、あの『東京裁判(DVD)』を私が所有しているのかを、まるで知っているかのように、その広告は打ってこない。

おそるべし、Amazonのピンポイントターゲティング広告能力。

この分野の研究は『撤収』が正しいと思いますが、いかがでしょうか。弊社の方々。

2009,江端さんの忘備録

「NHKスペシャル 十月の悪夢―1962年キューバ危機・戦慄の記録 (NHKスペシャル)」注文してしまいました。

ですから、私は今年は、飲み会に出ません。

年齢傾斜配分を使った支払いであれば、100%出席しません。

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私が飲み会に出席するモチベーションは、「エッセイのネタを拾えるかどうか」です。

上司の悪口、会社の体制批判、誰ぞの結婚話などという陳腐な話題で構成される、退屈で愚劣な飲み会などには興味はありません。

最近、参加して、『元を取ったな』と思われるネタ提供には、以下のようなものがありました。

○我が社を宗教法人化して、現在の研究所を「宗教研究所」とする構想。

『技術で社会に貢献するH社』から、『宗教で社会に貢献するH社』への定款の変更。

研究所のそれぞれの部は、例えば、「第1部 人工知能研究ユニット」は、「イスラム教部、シーア派ユニット」、「第6部 ユビキタス端末ユニット」は、「仏教部 祭典仏具部開発ユニット」と、研究内容を変更。

それぞれのユニットが原理主義を掲げて、他のユニットに宗教戦争をしかけないように、現在の「総務部 管理部門」が、政教分離を規範とした「思想自衛団」を担当。

と、まあ、この程度のネタを提供してくれる飲み会であるなら、傾斜配分の支払いを認容する準備があります。

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という訳で、私は静かに刺身を摘みながら、課全員の、「ネタ提供力」を、きっちり見ています。

「ネタ」に新規性や進歩性がない若い研究員の査定は、相当下ります。

# ボーナスや昇進には何の影響もありませんが。

閑話休題

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Amazonってやっぱり凄いと思うんですよ。

私がこのDVDの予約を完了した段階で、お勧めリストに出てきたDVDが、

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うーん、なんでここまで判ってしまうのか。

衝動買いの衝動抑えるのに、どんだけ大変か。

しかも、あの『東京裁判(DVD)』を私が所有しているのかを、まるで知っているかのように、その広告は打ってこない。

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2009,江端さんの忘備録

「NHKスペシャル 十月の悪夢―1962年キューバ危機・戦慄の記録 (NHKスペシャル)」注文してしまいました。

ですから、私は今年は、飲み会に出ません。

年齢傾斜配分を使った支払いであれば、100%出席しません。

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私が飲み会に出席するモチベーションは、「エッセイのネタを拾えるかどうか」です。

上司の悪口、会社の体制批判、誰ぞの結婚話などという陳腐な話題で構成される、退屈で愚劣な飲み会などには興味はありません。

最近、参加して、『元を取ったな』と思われるネタ提供には、以下のようなものがありました。

○我が社を宗教法人化して、現在の研究所を「宗教研究所」とする構想。

『技術で社会に貢献するH社』から、『宗教で社会に貢献するH社』への定款の変更。

研究所のそれぞれの部は、例えば、「第1部 人工知能研究ユニット」は、「イスラム教部、シーア派ユニット」、「第6部 ユビキタス端末ユニット」は、「仏教部 祭典仏具部開発ユニット」と、研究内容を変更。

それぞれのユニットが原理主義を掲げて、他のユニットに宗教戦争をしかけないように、現在の「総務部 管理部門」が、政教分離を規範とした「思想自衛団」を担当。

と、まあ、この程度のネタを提供してくれる飲み会であるなら、傾斜配分の支払いを認容する準備があります。

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という訳で、私は静かに刺身を摘みながら、課全員の、「ネタ提供力」を、きっちり見ています。

「ネタ」に新規性や進歩性がない若い研究員の査定は、相当下ります。

# ボーナスや昇進には何の影響もありませんが。

閑話休題

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Amazonってやっぱり凄いと思うんですよ。

私がこのDVDの予約を完了した段階で、お勧めリストに出てきたDVDが、

『ニュールンベルグ裁判 [DVD]』

うーん、なんでここまで判ってしまうのか。

衝動買いの衝動抑えるのに、どんだけ大変か。

しかも、あの『東京裁判(DVD)』を私が所有しているのかを、まるで知っているかのように、その広告は打ってこない。

おそるべし、Amazonのピンポイントターゲティング広告能力。

この分野の研究は『撤収』が正しいと思いますが、いかがでしょうか。弊社の方々。

2009,江端さんの忘備録

今度のNHK大河ドラマは「坂本竜馬」だそうです。

正直、もう飽きました。

正月のドラマでは、この4人以外のドラマを見つけるが難しいのではないでしょうか。

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私は、「竜馬が行く」で作られた坂本竜馬の英雄像は、大部分が、後発的に創作されたものと思っております。

色々理由があるんですが、何よりダブルチェックしうる歴史的な資料が、非常に少ないことです。

最近、そういう検証番組も見られるようになってきました。

私の憶測も、あながち的外れではないのかもしれません。

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私には、個人のカリスマと行動だけで、国家の方針が決定したかのような英雄崇拝は、どうも頂けないのです。

2009,江端さんの忘備録

えるかんです。

EBATA Tomoichi さんは書きました:
>         『万国の労働者よ! 停滞せよ!!』
>
> を合い言葉とした、20世紀の最後の思想(+マルクスの『共産党宣言』の
>パロディ)「停滞党宣言」の構想を練っております。

私が会社を休んでいた間に早速書きましたね。

> 事の始まりは、金曜日に年休を取ってエルカンと尾瀬ハイクに出かけた帰り
>、睡魔と闘いながらの高速道路運転を敢行している最中のパラノイア状態に陥
>った時、このアイデアが出てきました。

話の元は、

(1) 我々は現在の仕事に飽きている
(2) なのに日々、工程を管理され、仕事を推進させねばならぬのは苦痛だ
(3) 新製品などを次々と考え出すからこういう目にあうのだ
(4) ならば、もう新製品を開発するのは止めたらどうか
(5) とは言え、H社だけが停滞すると単にH社が潰れるだけだ
(6) ならば同業他社も、ええい、いっそ全世界が停滞すればよいのだ!
(7) 世界の停滞。それは工程に追われる事のないパラダイス・・・。

という事です。
読めば判るように、目先の欲求(楽したいよう・・・)しか考えない、
子供じみた動機が根底にあります。
その情けない動機を隠し、いかに見た目立派な理論に育て上げるかに
我々の力量が問われるでしょう。

まだ我々の思想的基盤は脆弱です。
例えば、江端氏は自分の仕事に関連する分野の停滞は望んでいますが、
一方で自分が単なるユーザであり、日々その便利さの恩恵に浴している
カーナビの進歩には大きな期待を持っているという具合です。

# さすが構想1分の停滞主義。簡単にボロがでる。

> この後、エルカンと私は、まず製造業の研究部門の完全廃止から始まり、あ
>りとあらゆる新規市場の形成阻止に論を進め、政治形態としては、先日返還が
>決まった香港の英国による軍事再奪還、中国における毛沢東思想の復古作戦「
>第二次文化大革命」の構想を論じ、ロシアの再共産化計画、バルト地区の連邦
>復帰計画とそれに伴って発生すると思われるNATOの反発の鎮圧と国連憲章の採
>択方法に至るまで、我々は慎重に論を進め、いかにして世界を「停滞」させる
>かに腐心した。

最初のターゲットは中国あたりでしょうか。
最近では自由主義やら民主化やらと唱え始めているので、大変危険です。
都市部では最新のファッションを身に纏った若者が街を歩いています。
大変良くない事です。
実際、中国のような人口の多い国が先進国並みのエネルギーを消費したら
シャレになりません。

我々は声を大にして言わなければなりません。
「お前等は自転車に乗っていろ!」
「人民服以外は着るんじゃねえ!」

先進国の「退歩」を考えている方もいるようですが、それは停滞主義の
本意ではありません。先進国はただ「停滞」するのみです。
我々はもう不便な生活には戻れないのです。既得権はしっかり守って、
他国の進歩の阻止、いや、さらなる退歩へ全力を注ぐべきでしょう。

とりあえず、「経済成長率1%の遵守」を国連に進言しましょう。
1%を超える経済成長率を達成してしまった国にはしかるべき処罰が
加えられるべきでしょう。
また、教育も重要です。
「発展途上国のさらなる文盲率の拡大」をスローガンに、公的機関は
もとより、民間でもNGOとしてボランティアを派遣し、無知蒙昧な
民を増やすよう努力すべきです。
先進国の国民に対しても、教育は一定の制限を設けるべきでしょう。
文盲までは行かずとも、読み書きと四則演算程度にしておきましょう。
一次方程式くらいは許されますが、微積分などの高等数学は決して
教えてはなりません。

これで必ずや世界は停滞する事でしょう。

停滞主義について詳しく知りたい人は、下記の文献を参照すること。
この2冊は停滞主義のバイブルです。

『停滞への意志』 (えるかん著:えるかん出版)
『進歩---死に至る病』(江端智一著:ケビン書房)

では。

2008,江端さんの忘備録

修士論文のファジィ推論を検証をする為に作成したラジコンカーの写真が出てきました。
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当時としては難しい双方向のデータ通信を無線機を使って実現したにも係わらず、モータ駆動電力をかせぐ為に電力線を引き回したという、訳の判らないシステムでした。
教授:「どうせ線を引き回すなら、そこにセンサと制御のデータも乗せればええんじゃないかのう」
江端:「いえ、それはですね、教授。データの遅延やら運転制御の遅れまでを考慮した推論エンジンの自動学習がですね・・・」
と色々言い訳していましたが、自分でも『意味ねーなー』と思わず呟かずにはいられないシステムでした。
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このラジコンカーは、私に、仮説やシミュレーションと現実の振舞いとの間には、滅茶苦茶な乖離(かいり)があることを、骨の髄まで私に叩き込んでくれた、貴重な教師でした。

https://www.kobore.net/fuzzy_car.PDF

2008,江端さんの忘備録

私は「神が云々」とか「神の~~」というような本にも弱かったりします。

原則的には真面目に、言い替えれば凡庸に行きる術しかない我が身にとって、「オメーがちゃんとしてくれないから、私が楽しくない人生じゃねーか」と、世の中の矛盾を押し付ける存在が必要だからです。

今は、そんなことはなくなりましたが。

以前にも書きましたが、私の「神」に関する結論は

(1)神、または神みたいな奴はいる。

(2)私はそのことは知っている(見た)。

(3)でも、そいつは何にもしてくれないみたいだし、多分、これらも何にもしてくれそうにないように思える(神の気が変わる可能性はあるかもしれないけど)。

(4)結局、世の中の矛盾は、結局、人類が人類なりに、局所的かつ場当たり的に解決していくしかない

です。

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「神は沈黙せず」という著書を読みました。

UFOやら超常現象に関する(筆者の過大な想いによる記載を)全部ふっ飛ばして、楽しく読みました。

私は、本書で登場するコンピュータアルゴリズムである、遺伝的アルゴリズムに関して、高速計算方法の発明者であったりします(ま、出願しただけで、出願審査請求も会社に却下されましたので、単なる「発明者」(特許公開平06-161980 遺伝的アルゴリズムの高速処理方法))。

ただ、このアルゴリズムで色々遊んでいたのですが、「えっ! 嘘!!」という位に高速に解答を見つけるのに驚いていました。

例えば、私(だけ)が知っている問題に対して、遺伝子からなる集団をコンピュータの中に作って、「探せ!」と指示を出すと、滅茶苦茶な速度で、その解を見つけ出していました。

実際の所、私は求解アルゴリズムに関して、そんなに詳しい訳ではないのですが、通常の求解方法(例えばガウスの求解法とか、ニューラルネットワークやファジィ推論)では、コンピュータを起動させる前に、「お願い、今度は見付けてね(ハート)」というような想いで、プログラムを起動していた日々が、阿呆みたいに感じることがありました。

まあ、遺伝的アルゴリズムにしたって、問題の種類によっては苦手な分野もありますし、何より良い解を求める為には、問題求解の為の良い環境を「私」が作っている訳ですから、上記の内容は、甚だしく公平性を欠くコメントだ、とは分っているのですが。

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「神は沈黙せず」において、

■地球は、神のコンピュータシステム。

■人間は、遺伝的アルゴリズムの1個体。

うーん、判りやすい。

私も遺伝的アルゴリズムのアルゴリズム動かしている時、ちょっとしたジェノサイド(大虐殺)を指令する独裁者の気分でした。

『愚劣な大衆は死ね。エリートだけが次世代を継げば良い・・・』

(いや、本当にこういうアルゴリズムなんだってば。興味のある人は、ちょっと調べてね)

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第二次大戦時に、ヨーロッパ全土を焦土と化した某国の独裁者が、同じようなことを、コンピュータを使わずにやりました(つまり、本当にこういうことを実施した→興味のある人は調べましょう)。

私は、私自身が「コンピュータで遊ぶ程度の、無力な、権力なき弱小小市民」であることを、本当に感謝しています2008

2008,江端さんの忘備録

中学の時だったと思います。

かなり年配の教師が、

「戦争(太平洋戦争のこと)の頃の時代には、食べ物がなくて、とても辛い時代であった。君達なら、到底耐えられかっただろう」

と言っているのを聞いて、

中学生ながらに、私は『阿呆か、こいつは』と思ったことを覚えています。

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私はコンテクストのことを言っているのではありません。

「食べ物がない辛さ」というのは、想像を絶する地獄であることを、私は、知識として知っているに過ぎません。

(それに近い状況を、海外の一人旅の時にちょっとばかり体験しただけです)

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問題は、その後の文言にあります。

「君達なら、到底耐えられかっただろう」

この文言には2つ程、私を怒らせる事項を含んでいます。

(1)日本の国民全員がその状況にあって、それを「耐える」という以外の選択肢しかない時に、どんな人間であれ、何ができるかといえば、2つしかないはずです。

「耐える」か「自殺するか」です。

自殺しなければ、耐えるしかない状況下で、その教師が「耐えて」きたことは、何か私達に対して自慢することなのでしょうか。

(2)仮に、私たちが同じような悲惨な戦後食料時代に置かれたと仮定した場合、私たちが「耐える」か「自殺するか」以外の別の選択を取りえるか、ということです。

その教師と同じように、「耐える」しかないでしょう。

その教師は、何か立派なことをした訳ではありません。

「耐える」という誰もがしなければならなかったことを、誰もと同じようにしただけに過ぎないのです。

もっとも、その状況を大変気の毒と思いますし、私がそのような地獄がない世の中で生きられることは心から幸せだと思いますが、それは議論が異なります。

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私は、(あまり長い期間ではなかったけど)、学費を稼ぐために働きながら勉強していた時代がありました。

その話をすると、「立派だ」などと言われることがあるのですが、私は酷い違和感を感じるのです。

その時私には、「働いて勉強を続けるか」「学校を止めて働くか」の選択肢しかありませんでした。

勉強を続けたかったので働きながら勉強しました。それは、それ以外の選択肢がなく、その選択を私が選んだからです。

少くとも、こういうことで「立派だ」という言葉を使うべきではないと思います。

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限定された選択肢の中から、普通に選び取ったにすぎない事項は、特に賞賛され得る行為ではありません。

その教師が語ったことは、(我々が同じ愚を犯さない為にも)後世に伝えるべき必要な情報として、絶対的に伝えていって欲しいと切望するものですが、これらの有益な情報が、どうしてこういう形で発露されてしまうのかは、本当に不思議としか言いようがありません。

こういうことを、情報伝達以外の目的で、自慢するかのようにしゃべる奴は、阿呆だ、と私は思います。

断言します。

2008,江端さんの忘備録

嫌われ者の嫌われる理由は色々あると思いますが、その最たるものが、「どうせ、俺/私は嫌われているから」という開き直りにあると思うことがあります。

嫌われている人は、「どうせ、俺/私は嫌われているから」と自分で認識、または他言することで、免責されるとでも思っているかのように振る舞うことが多いようです。

なにを勘違いしているのでしょうか。

嫌われている人自身が自分で何を考えようが勝手ですが、私はその程度のことで、『私を不快にさせているという事実』を、免責させるつもりはありません。

臭い匂いがする生ゴミであれば、それをできる限り密封したビニール袋に入れる努力をするのは、当然でしょう。 「俺は生ゴミだから」といえば、生ゴミを放置しても良いという理屈が成立する筈はありません。

生ゴミとして生きることを押し通すのであれば、(1)人のまったくいない場所へ静かに立ち去るか、(2)匂いがしないようの最大限の努力をする、という2つの選択肢しかないはずです。

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私は、立ち去ることを選択しませんでした。

ですから、匂いを発しないように、二重三重のビニールコーティングをする努力をして生きているのです。

下らない理屈で甘えないようにしましょう。