昨日、嫁さんが、正月に放送されていた4時間くらいの漫才の番組の録画を見ていたのですが、彼女は、「最初の30秒を視聴して、その漫才をスキップする」を繰り返していました。
私、PCでアニメを見ているのですが、基本的に作画の品質には興味ありません。
I watch anime on my PC, and I'm not interested in the quality of the animation.
私は、今の時代に必要なのは「積極的無関心」ではないかと思うのです ―― つまり、『人のことはほっとけ。自分のことだけやっとけ』です。
私は、ストーリーの方が好きで、方向としては、明るく、楽しく、能天気なコンテンツが好きです。
I prefer stories and like cheerful, fun, and carefree content.
私、基本的にケチなので、映画館で映画を見る時に、途中退出することはありませんが ―― 最近、映画館で映画を見るのに「苦痛」を感じるようになりました。
I'm basically a cheapskate, so I never leave the cinema halfway through a movie, but recently, I've started to feel “pain” when watching a film at the cinema.
これには、自分でも驚いています。
I'm surprised at myself for this.
これは多分、映画のサブスク(アマプラやネトフリ)の影響があるのかと思います。
This is probably due to the influence of movie subscriptions (Amazon Prime and Netflix).
その映画が、気にいらなければ、その場で視聴を取り止め、他の映画に切り変えてしまう、ということが簡単にできるようになりました。
If I don't like the movie, I can quickly stop watching it and switch to another movie.
つまらない、退屈、嫌いなストーリーが5分間連続で続けば、その場で視聴を止めてしまう、ということは、頻繁にやっています。
If a boring, tedious, or otherwise unpleasant story goes on for five minutes straight, I often stop watching right there and then.
しかし、これは、コンテンツを提供する側(創作者や編集者)にとっては、たまったものではないだろうとは思います。
However, I think this is not good for the people who provide the content (creators and editors).
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文学を含め全ての学問は、ある種の「我慢と忍耐」のコンテンツでした。「勉強」という言葉に「努力と忍耐」は必ず付帯する修飾句でした。
All academic subjects, including literature, required “endurance and perseverance.” Study effort and perseverance were always used as modifiers.
今は、これが「エンタメ」にまで広がってきているようで、私(たち)は、「努力と忍耐」をしてまで、一つのコンテンツを終了しなくなっているような気がします。
Now, it seems that this is spreading to “entertainment,” and I (we) feel that we should no longer end a single piece of content until we have “worked hard and persevered.”
私たちは、人の評価が、自分に当てはまらないことが、別段悪いことではないことには気が付いていますが、それが、サブスクの登場によって、具体的な行動となって現われてきているように思います。
We know that it is not necessarily bad when other people's opinions do not apply to us, but this is becoming a concrete action with the advent of subscriptions.
ちょっと具体例で示しますと、私が熱狂的に好きな「NHKスペシャル」や「BS1スペシャル」は、視聴率から見れば無惨な数値のコンテンツです。つまり、私が「特異」なのです。
To give you a concrete example, the NHK Special and BS1 Special programs I am passionate about are content with miserable viewing figures. In other words, I am a “special case”.
また、昨年公開された、原爆開発のマンハッタン計画を描いた「オッペンハイマー」は、私には、"退屈"を超えて"苦痛"ですらありました。マンハッタン計画については、私が詳しい知識を持っていたから、という背景もあったかもしれません。
Also, Oppenheimer, a film released last year about the Manhattan Project to develop the atomic bomb, was not just boring for me. It was painful. This may have been because I had detailed knowledge of the Manhattan Project.
こんな、サブスク時代にあって、エンタメのコンテンツを提供する側は、恐しく低コストで作成する必要があり、おそらく、その辺を生成AIが担保する、ということになっていくのだろうと思います。
In this age of subscriptions, entertainment content providers need to be able to create it at a very low cost, and I think the AI being developed will probably help ensure this.
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昨日、嫁さんが、正月に放送されていた4時間くらいの漫才の番組の録画を見ていたのですが、彼女は、「最初の30秒を視聴して、その漫才をスキップする」を繰り返していました。
Yesterday, my wife was watching a recording of a four-hour manzai comedy show broadcast over New Year's. She kept repeating the process of watching the first 30 seconds and then skipping the manzai.
これなら4時間番組を1時間以内の視聴に抑えることができます、が ―― 視聴者にこんなことをされたら、テレビ局と番組スポンサーと芸人は、たまったものではないだろうなぁ、とも思いました。
This would mean that a four-hour program could be watched in less than an hour, but I also thought that if viewers did the same actions, it would be terrible for TV stations, program sponsors, and comedians.
―― やっと、"by name"が動き始めたか
【新作Nスぺ】 “冤罪(えんざい)”の深層 ~警視庁公安部・内部音声の衝撃~ 4(土)夜10時~[総合]
“The Deep Roots of False Accusations: The Shocking Inside Story of the Tokyo Metropolitan Police Department's Public Security Bureau”
この番組は、2020年に発生した大川原化工機の社長ら3人が軍事転用可能な機器を不正輸出したとして逮捕された事件を取り上げています。
This program covers the case of the arrest of the president of Okawara Chemical Machinery and two others in 2020 for illegally exporting equipment that could be used for military purposes.
取材班は新たに警視庁公安部内の会議内容が録音された音声記録を入手し、独自の法令解釈で事件化を推し進める幹部と、それに戸惑い抗う部下たちの生々しいやり取りを明らかにしました。
The investigative team obtained audio recordings of a meeting held within the Public Security Bureau of the Tokyo Metropolitan Police Department. It revealed the vivid exchange of dialogue between the senior officers pushing for the case to be made based on their interpretation of the law and the junior officers who were confused by this and resisted.
この音声記録と独自取材を通じて、冤罪が生まれた背景や捜査の問題点に迫っています。
Through this audio recording and our reporting, we are getting to the bottom of the background of the false accusation and the problems with the investigation.
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この事件で、取り調べを担当した警視庁公安部の捜査員3名が、調書の破棄や立件に不利な実験データの削除などの疑いで書類送検されました。
In this case, three investigators from the Tokyo Metropolitan Police Department's Public Security Bureau who were in charge of the investigation were referred to prosecutors for destroying records and deleting experimental data unfavorable to the case.
しかし、2025年1月8日付で東京地検により不起訴処分となりました。
However, on January 8, 2025, the Tokyo District Public Prosecutors Office decided not to prosecute him.
ポイントは2つ。
There are two key points.
(1)「警視庁公安部」という組織ではなく、「警視庁公安部の捜査員3名」が名指し(by name)で起訴されて、
(1) Not the organization “Metropolitan Police Department Public Safety Bureau,” but “three investigators from the Metropolitan Police Department Public Safety Bureau” were indicted by name.
(2)東京地検によって、不起訴処分になった
(2) The Tokyo District Public Prosecutors Office decided not to prosecute.
という点です。
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―― やっと、"by name"が動き始めたか
Finally, “by name” has started to work.
と思いましたが、同時に、(予想はしていましたが)"by name"を妨害する動きも見えてきました。
However, simultaneously, I could see a move to block “by name” (which I had already predicted).
私、以前から、『報復するのは「組織」ではなく「個人」にしよう』と言い続けけてきました。
I have long argued that individuals, not organizations, should take revenge.
実際に、私が腹を立てる対象というのは、「組織」という曖昧なものではなく、「顔と名前の一致する特定の個人」ですから。
What makes me angry are not vague “organizations” but specific individuals with faces and names.
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さて、今回、東京地検が「不起訴」とした理由ですが、「捜査員による調書改ざんや証拠隠蔽の疑いについて、故意性や共謀を立証する証拠が不十分」としています。
As for why the Tokyo District Public Prosecutors Office decided not to prosecute this time, they stated that “there was insufficient evidence to prove intentionality or collusion about the suspicion of investigators tampering with records or concealing evidence.”
しかし、個人的な所感として『「取り調べの証拠"だけ"を破棄する」なんてこと、ありえるかなぁ』と思います。そもそも、証拠が破棄された以上、「証拠が破棄された」ことを立証することができなくなるのは当然です。
However, speaking personally, I wonder, “Is it possible to destroy only the evidence from an interrogation?” It is only natural that once the evidence has been destroyed, it becomes impossible to prove that it has been destroyed.
これは、東京地検からの『ヤバそうなものは、取り敢えず完全に破却してしまえ』『その後は、シラを切り通せ』という、国民への親切な助言なのかもしれません。
This may be the Tokyo District Public Prosecutors Office's kind advice to the public: “If it looks bad, just get rid of it completely for now,” and “After that, just keep your head down.”
国家の組織の目的が「正義」ではなく、「国家の安定存続」であり、その為には、結構な頻度で「個人の権利や尊厳を踏み躙ることもある」ということは良く知っています(学生の頃、京都府警察殿に見せて頂きました)。
I am well aware that the purpose of the organization of the state is not “justice” but “the stable continuation of the state” and that to achieve this, “the rights and dignity of individuals may be trampled upon quite frequently” (when I was a student, I was shown this by the Kyoto Prefectural Police).
たぶん 、これで「by name」での起訴が成立すると、他の事件でも、問題がボロボロでてくるんだろうなぁ、とか考えていました。
I was thinking that if this were successful in getting a “by name” indictment, there would probably be a lot of other problems that would come to light.
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まあ、そういうこともあり、これまで、私は国家の組織の「正義」は信じずに、国家権力に目を付けられないように「ひっそりと生きる」ということに腐心してきました。
Because of this, I have not trusted the state's “justice” until now, and I have been trying hard to “live quietly” so that I don't attract the state's attention.
国家の権力機関とは良好な関係を維持することが一番です。
It is best to maintain a good relationship with the state's authority.
私が威勢がいいのはブログの中だけです。そもそも、私は、二十の冬を最後に政治的な運動には一切参加していません。
I'm only loud on my blog. To begin with, I haven't participated in any political campaigns since my 20th winter.
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東京地検(特捜部)というと、小学生の頃の私は、キラキラした憧れの目をして見ていたものです。
I would admire the Tokyo District Public Prosecutors Office (Special Investigation Department) with sparkling eyes in elementary school.
『元首相(田中角栄元首相)を逮捕するなんて、東京地検とは、なんて凄い「正義」の組織なんだろう』と思った少年は、国の組織の「正義」を信じさせてくれるものでした。
The boy thought, “What an amazing organization of ‘justice’ the Tokyo District Public Prosecutors Office is to arrest a former prime minister (former Prime Minister Kakuei Tanaka) like that. " This made him believe in the 'justice' of the country's organizations.
私のようなヒネた大人に「正義」を見せる必要はありませんが、子どもたちに「国の組織には正義がある」ということを見せることには意義があると思うんですよ。
There is no need to show justice to a twisted adult like me, but I think it is meaningful to show children that there is justice in the organization of the country.
もし、本件を起訴して、証拠不十分で敗訴したとしても、「正義のようなもの」があることを、子どもたちに見せられる ―― それは「勝ち」と言えるんじゃないんでしょうか?
Even if we lose the case due to insufficient evidence, if we can show the children that there is “something like justice” in the world, isn't that a victory?
あんなに、愚直に、真剣に、一生懸命、真面目に、私を育てて生きてきた、あんな立派な人たち(私の両親)の、最期が「あれ」かよ、と。
親の介護を真剣にやったなどとは、口が裂けても言えない私ですが、それでも介護によって、私は、人間の人生を「憎悪」するようになりました。
あんなに、愚直に、真剣に、一生懸命、真面目に、私を育てて生きてきた、あんな立派な人たち(私の両親)の、最期が「あれ」かよ、と。
人生のいきつく先が「あれ」であるなら、何か目指す生き方に意義はあるのか?
私が、『何かを目指す生き方』から、『完全に降りた』と確信したのは、父が死に、それに引き続き、母が死んだ時でした。
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両親には申し訳ないとは思うのですが ―― 多分、息子が社会で活躍して、多くの人から尊敬されることを期待していたと思う ―― けど、私は、もう、誰かや、何かを背負うような生き方は、やめたのです。
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と、ここまで書いて、その後の文章を、ChatGPTに作成をお願いしました。
この後の文章を自由に作ってみて下さい。
それでも、両親の最期を看取ったことは、私の中に一つの「自由」をもたらしました。
「何かを目指す」生き方を降りた私は、同時に、何者かであろうとする重圧や、誰かの期待に応えようとする義務感からも解放されました。皮肉にも、あれほど憎悪していた「人生」というものから、少しだけ距離を取ることができたのです。
両親が人生をかけて示してくれたのは、「努力や真面目さが報われるとは限らない」という冷徹な現実でした。そして、それでもなお、人間として生きる意味や価値を模索し続ける姿勢そのものでした。
彼らの死を通じて学んだのは、結局、何を成し遂げるかよりも、「どのように生きるか」が重要なのかもしれない、ということです。誰にも期待される必要はない。何かに縛られる必要もない。ただ、自分が「生きている」と思える瞬間を、大切にすればいいのだと。
そう考えると、心に少しだけ余白が生まれました。かつての私なら、そこを何かで埋めようと必死になったかもしれませんが、今はその余白をそのままにしておこうと思えます。空っぽのままでいる自由を、ようやく受け入れられるようになったのです。
人生の意味に疑問を持ちながら、それでも生きる。両親が残してくれた、最後の贈り物のように思えます。
そうではなくて、『人生に意義がない』ことを強調するネガティブな文章をお願いします。
人生に意義なんてない――それが、私が介護を通じて悟ったことのすべてでした。
どれだけ真剣に生きようが、どれだけ他人に尽くそうが、その果てに待っているのは、ただの衰えと死。それだけのことです。苦労して築き上げた何かも、記憶に刻まれた思い出も、最後にはすべて霧散する。肉体は弱り果て、意識は曖昧になり、最終的には他人の手を借りて生きるしかなくなる。それが「人生」というものの正体です。
私の両親は、生涯を通じて誠実で、努力を惜しまない人間でした。それでも彼らの最期は惨めでした。尊厳なんてものはとうに消え失せ、他人に世話をされながら、それでも生きることを強いられる日々。その姿を目の当たりにしながら、「こんな終わり方をする人生に意味などあるのか」と、何度も問い続けました。
もし人生に何らかの意義があると信じていたなら、私は今でも何かに挑み続けていたでしょう。しかし、そこに何の意味も見出せなくなった今、私はただ「何も目指さない」という選択をしたに過ぎません。無意味なものに努力を注ぐほど馬鹿らしいことはありません。
「何かを成し遂げること」には価値があるという幻想が、いかに多くの人を欺いてきたことか。その先にあるものがただの虚無である以上、そこへ向かう過程にどんな輝きがあったとしても、それは錯覚に過ぎません。すべては、いずれ消え去る泡のようなものです。
そして、その泡を追いかける行為こそが、人間の愚かさの象徴だと、私は思わずにはいられません。
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私は、こちらの文章の方に「いいね」を付けました。
もし、日本に、世界一厳しいといわれる銃規制の法律がなかったとしたら ―― 米国の学校銃乱射事件と同じように、何人もの死傷者が発生していたということだ、と。
「権力側が銃を持つのであれば、市民側も銃を持つ」というのは、アメリカ合衆国憲法修正第2条(Second Amendment)に明記されています。
The Second Amendment to the United States Constitution clearly states that “if the government has guns, then the people should have guns too.”
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A well-regulated militia is necessary for a free state's security, and the people's right to keep and bear arms shall not be infringed upon.
(よく規律された民兵は、自由な国家の安全に必要であるため、人民が武器を保持し、携行する権利は侵害されてはならない)
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# この引用が妥当かかどうかは、私も「?」とは思うところがありますが、このまま進めます。
# I'm unsure whether this quote is appropriate, but I'll go on.
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日本の銃規制は、「武力による市民の権力奪取を認容しない」ということであり、権力側に著しく有利な規制のようにも思えます。
Japan's gun control policy is based on the idea that “we do not accept the use of force to seize power from citizens,” and it seems to be a regulation that is highly advantageous to the side in power.
しかし、我が国においては、警察官が銃を向けるだけで事件となり、発砲したら大事件になります。
However, in Japan, if a police officer points a gun at someone, it becomes a case, and if they fire, it becomes a significant incident.
また、私が知る限りにおいて、自衛隊が"市民"に向けて武力行使をした、ということもありません("市民"の定義がちょっとキモなんですけど ―― 興味のある人は調べて下さい)。
Also, to the best of my knowledge, the Self-Defense Forces have never used force against “civilians” (the definition of “civilian” is a bit weird - if you're interested, please look it up).
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昨日、私の家の近くの大学キャンパス内の講義中に、学生の一人がハンマーを振り回して、8人の学生が負傷する事件が発生しました。
Yesterday, during a lecture on the campus of a university near my house, one of the students swung a hammer and injured eight other students.
これは大事件なのですが、その時、私はふと思いました。
This was a significant incident, but at the time, I suddenly thought to myself:
もし、日本に、世界一厳しいといわれる銃規制の法律がなかったとしたら ―― 米国の学校銃乱射事件と同じように、何人もの死傷者が発生していたということだ、と。
If Japan did not have the world's strictest gun control laws, then, just like the school shootings in the United States, there would have been many casualties.
そんなことを考えていたら、ゾっとしてきました。
As I thought about this, I started to feel cold.
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銃の所持の正義やロジックがどうであれ、私は「人が簡単に殺されない社会」の方が絶対にいいです。
Whatever the logic or justification for gun ownership, I prefer a society where people are not killed so easily.
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ちなみに、今回の被疑者は韓国籍の学生のようですが、この事件で特定の外国の人全体を差別するようなテンプレなDisは止めましょうね。
Incidentally, it seems that the suspect in this case is a student of Korean nationality, but let's not make blanket generalizations about people from a particular country because of this incident.
そんなことしたら、日本人の過去の事件の中でも「特にもの凄い奴」を持ち出されますよ。
If you do that, they'll bring up the “particularly terrible guys” from among the Japanese people's past incidents.
昨夜、ちょっと面白い夢を見ました。『大石内蔵助と吉良上野介による公開討論会』です。
私の嫁さんは「忠臣蔵は日本人の精神的支柱である」との持論を持っており、近年、忠臣蔵のNHKの大河ドラマが放映されていないことに、強い危機感を抱いています。
My wife believes that “Chushingura is the spiritual pillar of the Japanese people,” she feels a strong sense of crisis that NHK's long-running historical drama series based on Chushingura has not been broadcast in recent years.
というのも、娘たちが、『忠臣蔵? 何それ?』という反応をしたことに、ショックを受けていたことに起因します(と記憶しています)。
This is because she was shocked by the reaction of my daughters, who said, “Chushingura? What's that?” (at least, that's what I remember).
私が、「忠臣蔵」という"コンテンツ"に対して、各種の検討をしてきたことはご存知かと思いますので、今回は割愛します。
I'm sure you know I've done various studies on the “Chushingura” content, so I'll skip that now.
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昨夜、ちょっと面白い夢を見ました。
I had a rather interesting dream last night.
『大石内蔵助と吉良上野介による公開討論会』です。
This is a public debate between Oishi Kuranosuke and Kira Kouzukenosuke.
両者が、(権力(江戸幕府)の息のかかっていない)第三者の屋敷(商人の屋敷)で、庶民を傍聴人として、直接討論を行うというものです。
The two would debate directly in the presence of familiar people, in the residence of a third party (a merchant) who was not under the control of the government (the Edo shogunate).
この公開討論会の目的は、「双方が自分の正当性を主張しあう」よりは、むしろ「この事件に至ったバックグラウンドや動機の情報共有を行う」ことにあります。
This public discussion aims not to “argue over whose side is right” but to “share information about the background and motives that led to this incident.”
その上で、武力行為に及ぶのであれば、それはそれで良い、と。
And if it comes to armed action, it is OK.
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忠臣蔵は、そもそも創作物ですが、日本史上もっとも二次創作が多い作品の一つです。
Chushingura is a work of fiction, but it is one of the most heavily reworked works in Japanese history.
現時点で『大石内蔵助と吉良上野介による公開討論会』という観点の創作は、まだ"ない"のではないかな、と思っています(ウラは取っていません)。
At this point, I don't think any creative work takes the perspective of “a public debate between Oishi Kuranosuke and Kira Yoshinosuke” (I haven't checked).
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今、これを忘れないようにメモしている訳なのですが、まあ、「これを映画にするのは難しい」というのであれば、アバターAIのBOTによる議論、というのも良いのではないか、と考えています。
I'm writing this down now so I don't forget it, but if making this into a movie is challenging, I think it would be good to discuss using Avatar AI bots.
大石内蔵助のAIエージェントと吉良上野介のAIエージェントが、SNSで討論をする、というのであれば、実現性は上がるのではないか、と。
If Oishi Kuranosuke's AI agent and Kira Kouzukenosuke's AI agent were to debate on social networking sites, I think the feasibility would increase.
これ以外にも、歴史上の人物をAIエージェントとすることで、各種の新しいコンテンツが、ネット上で大量発生すると思います。
In addition, I believe various new types of content will be generated in large numbers on the internet using AI agents to represent historical figures.
なにしろ対象は歴史上の人物で、故人ですので、フェイクニュースとかの心配も不要です。
After all, the subject is a deceased historical figure, so there is no need to worry about fake news or anything similar.
あたらしいエンタメの一形態として、面白いのではないかと考えます。
I think it would be an interesting form of new entertainment.
―― という卒論のテーマを提供します。学生の皆様、是非ご検討ください。
I will provide you with a thesis topic. Students, please consider it.
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実は、この手法、国際外交に拡張もできるかなぁと考えていますが、面倒くさくなってきたので、本日はここまでとさせて頂きたいと思います。
I think this method could be extended to international diplomacy, but it's starting to get complicated, so I guess I'll stop here for today.
むしろ「カルトで社会に貢献する」の方が、(人によっては)分かりやすいのではないか、と。
移動中や運動中に音楽が聞けるようになれば、世界は変わり、私たちは幸せになるだろう
If we could listen to music while we move or exercise, the world would change, and we would be happier.
書類を自宅から提出できるようになれば、世界は変わり、私たちは幸せになるだろう
If we can submit documents from home, the world will change, and we will be happy.
移動中や運動中にテレビが見れれば、世界は変わり、私たちは幸せになるだろう
If we could watch TV while we're moving or exercising, the world would change, and we would be happier.
定額で映画が好きなだけ見れれば、世界は変わり、私たちは幸せになるだろう
If we could watch as many movies as we like for a fixed price, the world would change, and we would be happy.
自宅で仕事ができるようになれば、世界は変わり、私たちは幸せになるだろう
If we can work from home, the world will change, and we will be happy.
銀行や役所で列に並ばずにすむようになれば、世界は変わり、私たちは幸せになるだろう
If we can avoid queueing up at banks and government offices, the world will change, and we will be happier.
なるほど「世界は変わった」。でも「私たちは幸せになった」のか?
I see, “The world has changed.” But have “we” become happier?
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もっと具体的に言えば、
To be more specific,
計算機の速度が、今の1000倍早くなって、エクセルで扱えるセルが1万倍に増えたら、一日の仕事は1時間で終ってしまうじゃないか。
If the speed of computers increased 1000 times and the number of cells that Excel could handle increased 10,000 times, then a day's work could be finished in an hour.
そのうち、私たちはやることがなくなるんじゃないか。
Before long, won't we have nothing left to do?
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私は、「そうなってもいい」し、むしろ「そうなるべきじゃないの」って思っています。
I think it's okay if that happens, and I think it should happen.
なのに、なんで、毎年、毎月、毎日、どんどん、息苦しくなっていくんだろう。
So why do I feel like I'm getting more and more suffocated every year, every month, every day?
セキュリティパッチ警告とか、AI倫理基準チェックとか、ライセンス適合性チェックとか、コンプライアンス遵守チェックとか。
Security patch warnings, AI ethical standards checks, license compatibility checks, compliance checks, etc.
もちろん、これらが必要であることは、私も理解してはいるのです。
Of course, I understand that these things are necessary.
ただ、もう、言いようがないほど「息苦しい」。
However, it is so stifling that I can't find the words to describe it.
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昔、コンピュータは、私たち一部の人間だけが扱っていました。
In the past, only a few of us could use computers.
テクノロジーの進化によって、コンピュータを多くの人が使えるようになりました。それは、とても良いことだと思います。
Thanks to advances in technology, computers are now accessible to many people. I think that's a very good thing.
しかし、このコンピュータリテラシーの拡大と発展によって、コンピュータがもたらす問題は、もはや、会社や国家の存続を揺るがしかねないものにまでなってしまいました。
However, due to the expansion and development of computer literacy, the problems caused by computers have become something that could shake the very existence of companies and countries.
『テクノロジーが人を幸せにする』などと尊大なことは言いませんが、テクノロジーが『苦痛を拡大している』という状況の中にいることに、私はジレンマを感じます。
I don't want to sound pompous by saying things like “technology makes people happy,” but I feel a dilemma where technology is “exacerbating pain.”
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たしか、どっかの会社(グループ)の企業理念は、「技術で社会に貢献する」だったように記憶しています。
One company's (group's) corporate philosophy was “to contribute to society through technology.”
しかし、最近の私は、「技術で社会に貢献する」というフレーズ自体が、怪しいんじゃないか? とか、考えるようになってきています。
However, I have recently started to wonder whether the phrase “contributing to society through technology” is suspicious.
むしろ「カルトで社会に貢献する」の方が、(人によっては)分かりやすいのではないか、と。
I think that “contributing to society through a cult” is easier to understand (for some people).
うん、私、やっぱり疲れているんだ、と思います。
Yeah, I think I'm tired after all.
―― なんだ、これなら、「幸せな来世の為に、現世で功徳を尽くせ」と主張している宗教(カルトを含む)の方が、まだマシじゃねーか
もし、日本のアニメやマンガが、「イスラム」や「共産主義」の思想と共存しながら、ソフトランディングさせるコンテンツになるのであれば ―― それらは「聖書」と「資本論」を超える凄いモノになるんじゃね?
私が新人の頃、「マンガやアニメは世界に日本人を語る重要なコンテンツとなる」と熱く語る上司がいました。
As a new employee, I had a boss who was passionate about the idea that “manga and anime are important content that can be used to talk about Japanese people to the world.”
まあ、当時は、ジブリなどが、すでに世界進出を成し遂げていましたが、現在のような巨大なマスとなるとは、私も予想しませんでした。
At the time, Ghibli and other companies had already achieved global success, but I never imagined they would become such a massive mass as they are today.
NHKスペシャル 新ジャポニズム 第1集MANGA わたしを解き放つ物語を見ていて、イスラム社会における厳密な性のタブー(はっきり言えば、同性愛です)を、もしかししたらマンガ/アニメが、『ソフトランディング』させるかもしれない、と考えると、ワクワクしてしまいます。
Watching the NHK Special: New Japonism, Vol. 1: Manga - A Story That Sets Me Free, I get excited when I think that manga/anime might be able to 'soft-land' the strict sexual taboos (or, to be clear, homosexuality) in Islamic society.
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ちなみに、私は、「政教分離」の真逆である「政教一体」にも、一定の価値を認めています。
Incidentally, I also recognize a specific value in “the integration of politics and religions,” which is the opposite of “separation of politics and religions.”
『多様な価値観』というのは良いことだとは思うのですが、これは果てし無く続くフィードバックの連続であり、正直、私のようなシニアには「ついていくのが、しんどい」のですよ。
I think that “diverse values” are a good thing, but this is an endless series of feedback, and honestly, it's hard for seniors like me to keep up.
比して、統一的な価値観はラクです。特に宗教解釈は、変更がされてにくいですし、国家を運営していくには、こっちのほうがコストが安いはずです("権利"だの、"人権"だのと叫ぶ人間が少ないことは、政府には大変ありがたいことなのです)。
In comparison, it is easy to have a unified set of values. In particular, religious interpretations are difficult to change, and it is cheaper for the government to run the country (“It is very much appreciated by the government that there are not many people shouting about ‘rights’ and ‘human rights’”).
# ちなみに、私が語っている「統一的な価値観」とは「宗教をベースとした原理主義」とか「マルクス・レーニン主義」くらいの単純なもので、非常に狭い範囲であることを、あらかじめご了承下さい("稚拙な知識"の批判は甘んじて受けます)。
# By the way, please note that the “unified values” I am talking about are something as simple as “religious fundamentalism” or “Marxism-Leninism” and that they are very narrow in scope (I will accept any criticism of my “shoddy knowledge”).
しかし、統一的な価値観による国家運営は、新しい価値の創生を邪魔し続けることになります。なにより、統一的な価値観は、私の思想の自由(一言でいえば「ブログ」の掲載です)を妨害する方向に働くはずです("必ず"です)。これは、私には困るのです。
However, managing a country based on a unified set of values will continue to hinder the creation of new values. Above all, a unified set of values will work to obstruct my freedom of thought (in a word, the publication of my blog) (“it is certain”). This is a problem for me.
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世界で一番読まれてきた本は、「聖書」です。
The most widely read book in the world is the Bible.
2番目に読まれてきた本は、「資本論」です(以前、私、これを「ドラえもん」と記載しましたが、今回、修正します)。
The second most-read book is “Das Kapital” (I wrote “Doraemon” for this book before, but I will correct it this time).
いずれの本も、世界の価値観を構築してきた、二台巨頭と言える書物です。
Both of these books are the two great books that have shaped the world's values.
で、ふと、考えたんですよ。
Then, I suddenly thought about it.
もし、日本のアニメやマンガが、「イスラム」や「共産主義」の思想と共存しながら、ソフトランディングさせるコンテンツになるのであれば ―― それらは「聖書」と「資本論」を超える凄いモノになるんじゃね?
If Japanese anime and manga can become content that coexists with the ideas of “Islam” and “communism” while making a soft landing, then they could become something even more amazing than the Bible and Capital.
って。
そんなこと考えていると、私はワクワクしてしまうんですよ。
Thinking about things like that makes me excited.
――「日本バンザイ」「日本スゴイ」を真に受けて浮かれて、大転けした過去が、我が国にはある
外国の方の日本食の賞賛や日本移住の褒めたたえる記事を、「そうかなぁ?」と疑問に思いながら読んでいます。
I read articles praising Japanese food and immigration to Japan by foreigners with a sense of doubt, thinking, “I wonder if that's true?”.
そもそも、これらの記事が"日本語"で記載されていることに、不信感を覚えます。
To begin with, I distrust that these articles are written in “Japanese.”
これは、日本語以外で記載されたブログやSNSを、日本人が日本語翻訳しているということですよね。
This means some Japanese people translate blogs and SNS written in languages other than Japanese into Japanese, right?
ならば、当然、翻訳するコンテンツを『意識的に選択している』のは、自然なことだと思います。
Then, of course, it is natural that you are 'consciously selecting' the content to be translated.
「日本バンザイ」の記事は、日本人読者のヒット数を稼げるからです。
They write articles like “Banzai Japan” because they receive many hits from Japanese readers.
それに、私も、自分の住んでいる国を褒めてもらえることは、国民の一人として素直に嬉しいとは思います。
Also, as a citizen of the country, I think it's natural to be happy when people praise the country I live in.
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私が、気持ち悪いなぁ、と思うのは「バランス」です。
What I find weird is “balance”.
■『日本のラーメンなんぞ、喰えんたもんじゃない』とか、
'Japanese ramen is not something you can eat,' or something like that.
■『英語すら通じないって、どんな不便な国だよ』とか、
'What kind of inconvenient country is it where you can't even get by in English?', etc.
■『アニメの中の日本人と、実際の日本人は全然違うぞ』とか
'The Japanese in anime are entirely different from real Japanese people'.
そういう記事が、50%とは言わなくても、10%くらい入っていると、安心感が得られるのですが。
If articles like that were included, even if it wasn't 50%, if it were around 10%, it would comfort me.
統計学的に、そういうコメントが"ない"はずがなく、そういうコメントを読まないと、私は「日本バンザイ記事」も、今一つ、信用できないのです。
Statistically, there is no way such comments would not exist, and unless I read them, I cannot trust the “Japan Banzai article” either.
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ただ、前述した通り、我が国をディスる記事は、これからも登場しません。PVが稼げないからです。
However, as mentioned above, articles that mock Japan will not appear. This is because they cannot make any PVs.
上記の仕組みを理解した上で、私たちが「日本スゴイ」の記事を読んでいるなら問題ないのですが ――
If we understand the above mechanism and read articles about “Japan is amazing,” then there is no problem.
かつて、我が国は、世界最強の軍事国家(当時のロシア)に大勝し、そのまま「日本バンザイ」「日本スゴイ」を自己肥大化させ続けて、別の世界最大(工業力50倍以上)の軍事国家(当時の米国)に戦争ふっかけて、日本の国土を焦土にした過去があります。
In the past, our country won a great victory over the world's strongest military nation (Russia at the time), continued to inflate itself with “Japan Banzai” and “Japan Sugoi,” provoked war with another world's greatest military nation (the United States at the time, with over 50 times the industrial power), and scorched the Japanese land.
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私が何を言いたいのかというと、
What I'm trying to say is that.
――「日本バンザイ」「日本スゴイ」を真に受けて浮かれて、大転けした過去が、我が国にはある
"There was a time in our country when we were so carried away by the idea of “Banzai Japan” and “Sugoi Japan” that we ended up making a big mistake."
ということです。
Windowsのcmdでの /dev/null の書き方
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