インパール作戦とは、1944年(昭和19年)に日本陸軍がビルマ(現ミャンマー)から英領インドのインパール方面へ侵攻した作戦です。
目的は、英印軍の拠点であるインパールを攻略し、英軍の戦力を分断・弱体化させること、あわせてインド独立運動への影響を期待する点にありました。
主力は第15軍(司令官:牟田口廉也中将)で、険しい山岳地帯と未整備の補給路を越えて進攻したのでうが、補給の破綻、英軍の反攻、モンスーンの到来により壊滅的損害を被り、作戦は失敗に終わりました。
戦後の研究において、このインパール作戦と、それを指揮した牟田口中将は、今なお、批判され続けています。
主な批判点は、以下の通りです。
(1)補給計画の欠如
食糧・弾薬・医療物資の補給が現実的に成り立たず、「現地調達」への過度な依存が兵の大量餓死・病死を招いた。
(2)非現実的な作戦立案
地形・気候(雨季)・敵戦力の分析が甘く、成功可能性の低い作戦を強行した点が批判されている。
(3)上層部の独断と精神主義
現場の反対意見や中止進言が無視され、「精神力で克服できる」とする非合理な判断が続いた。
(4)指揮統制の混乱
作戦途中でも方針が一貫せず、撤退判断が遅れ、被害を拡大させた。
(5)兵士の生命軽視
戦略的成果に比して犠牲が極端に大きく、日本軍史上でも最悪級の失敗例として位置づけられている。
このインパール作成は、ミッドウェイ開戦より、酷い扱いを受けています。で、その理由が
―― 牟田口廉也中将は、戦後においてもインパール作戦の根本的な誤りを認めず、一定の正当化を続けた
という点が挙げられます。
ただ、私は、このことに対して、理非を論じたい訳ではありません。
当時の日本陸軍全体が「精神主義」「上意下達」「兵站軽視」だったのは事実でしたし、その場(戦場)にいなかった私が、軽々しく「戦争責任を内面化できなかった指揮官」と評することはできません。
ーー と、ここまでが前置きです。
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私が、このインパール作成のことを覚えているのは、
―― 雨が降りしきり、道行く先には腐敗が進む死体の山
―― 死んでるのは兵士や軍属ばかり
―― 将校と下士官は死んでいない
という内容のメモと、
『小休止後、立ち上がらない兵士が、その場で死んでいた』
という内容を覚えていたからです。
言うまでもないことですが、「小休止が兵士を殺した」というのは、当然ながら「ミスリーディングのロジック」です。
これは、インパール作戦の酷さを語る一節であれば良いのです。
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昨日から、私がPCとバトルを繰り返しているのは、『PCに小休止を与えないことによる、カーネルパニックを避ける処理』です。
「Windows + Radeon iGPU が“完全アイドル”に入る瞬間を作らない」ことで、負荷が高い時ではなく、何もしていない時に起きるカーネルパニックを回避する方法を、ChatGPTと相談しながら進めています。
不安定な省電力復帰を「起こさせない」ための保険として、"GPU keep-alive 常駐"という処理を組み込んでいます。
つまり、『PCに小休止を与えない』ことで、PCの連続稼働率を上げる作戦です。
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で、まあ、このようなPCのセッティングを行っている私(江端)は、牟田口廉也中将みたいなのかな ーー などと思ったりしています。



