なんか、また『高校野球』で、いろいろあったようようですね。
まあ、私が20年前以上に書いたこのコラムから、私の立ち位置は変わっていません。
江端智一のホームページ
なんか、また『高校野球』で、いろいろあったようようですね。
まあ、私が20年前以上に書いたこのコラムから、私の立ち位置は変わっていません。
エルカン、江端共著
2002/01/11
私は可能な限り、人が楽しんでいることに「ケチ」をつけることはしないように心がけています。
それは、私が楽しんでいることにケチをつけられるのが嫌であるから、おそらく他の人も同じ気持になるだろうと、容易に推測できるからです。
しかしそれは、この私に迷惑をかけるものでないことが前提です。
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私は冬と言う季節が好きです。
静謐で美しい風景、一面の銀世界、生命が息を潜めて雌伏する限られた期間であり、スキーと言う素晴しいスポーツが楽しめる季節だからです。
そして、何より「野球」と言う愚劣な習慣が、日本国から消滅する唯一の期間であるからです。
私は別に野球が嫌いと言うわけではありません。
むしろ、好きな方だと思います。
独身のころは、週末になると独身寮の近くにある草野球場までバイクを転がして、中学生たちのプレイを楽しく観戦していたものです。
素人愛好家チームのプレイは、下手な漫才より十分笑えると言う、数あるスポーツの中でも異色のエンターテイメント性を持つ優れたスポーツであると信じています。
ところが、この野球と言う優れたスポーツは、冬と言う季節を除いて「野球」と言う名の愚劣な日本固有の文化、あるいは商業習慣に転換され、それは、この私に滅茶苦茶な迷惑をかけやがるのです。
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プロ野球に見られるように、スポーツがショウビジネスとなるのは、別に自然なことです。
私は、アマチュア精神なんぞは興味ありません。
人間の持ちえる能力を余すことなく見せる、プロフェッショナル達の技は、私達に感動を与えてくれます。
マスコミが、マジョリティを中心として番組を構成するのは当然です。
ですから「プロ野球」の上映時間の枠が大きいのも仕方ないでしょう。
ですが、だからと言って、それらのショウが、自由気ままに上映時間を変更したりして、他のショウの邪魔をしても良いと言う理屈が成りたつ訳はありません。
何が腹が立つと言って、『スポンサーの御好意で、放送を30分延長いたします』と言う、これほど偉そうに構えた、傲慢な、むかつく台詞が、世の中にあるでしょうか。
大体、番組を延長するくらいなら、最初から固定枠時間で取っておくか、プレイボールの時間を早めればよかろうに。
殆ど例外なく放送延長することは判っているのに、恩着せかましく、何が「御好意」だ!馬鹿野郎!!「御迷惑」もいいとこだ!!
途中で雨が降ったり、早めに試合が終わったのであれば、あるメジャーチームの著名な監督の個性や振舞いを、とことんこけにして笑い者にする為に編集した、失礼無礼極まりない編集テープでも流していればいい。
少なくとも野球スポーツという世界で、あれ程貢献した方に対して、あれ程無礼なプログラムを編集するマスコミ、そしてそれを見て笑っていられると言う視聴者の頭の程度も知れたものですが。
たかがスポーツショウごときが、その後の番組のスケジュールを全部滅茶苦茶にするから、その結果として、予定していた自分のスケジュールも巻き添えくらわされるし、折角のビデオ予約は番組がずれこんで、みんなパー。
大体、自局のプログラムの時間管理もできんようで、よくぞメディアを標傍できるものだ。
少しは恥を知れ。
大体、マスメディアで、時間の厳密管理のできない野球と言うスポーツを、あえて放送するのであれば、テレビ局各局において、時間管理ができるように独自のルールを制定すればいいではないか。
「3アウト、チェンジ」の周回方式から、1回表裏共に6分30秒(9回で120分)をベースとして、変則ルールを作ってもいいだろう。
できないとは言わせない。
相撲を見てみて下さい。
相撲はその由来や歴史から見ても、全く時間の概念がないスポーツであったことは明白です。
しかし、日本大相撲協会が、多くの相撲ファンの反対の中にありながら、相撲文化の存続を賭けて敢えてメディアに進出し、現在のNHK&日本大相撲協会による厳密時間管理の制御技術を確立したことは、マスメディアの鏡であり、規範であり、模範であると、私は信じます。
『さあ、時間いっぱいです』
この一言に込められているメディアと相撲の融合の前衛的な文化を、時代遅れで無知性で愚劣で、おまけに、はた迷惑な「プロ野球」と言う商業習慣は、ほんの少しでもいいから、模倣するところから始めるべきです。
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さてここまでは、「プロ野球」という商業習慣を提供する側の批判でしたが、次は、それを提供される側から見てみましょう。
自分の贔屓のチームが勝てば嬉しく、負ければ悔しい。
当然です。
これは理屈以前の話であることは、私でも理解できます。
そもそも、その動機がなければ、スポーツを観戦すること自体の意味も分からなくなります。
金銭も利害も関係のない、純粋な応援。
これは人間の持つ、数少ない善なる資質の一つであるかもしれません。
しかし、世の中には、自分の贔屓のチームが負けると、翌日不機嫌になり、部下に当たり散らすような、上司が存在するそうです。
あるいは、子供に当たり散らす、父親や母親も。
決めつけて良いですが、こいつらは、馬鹿です。
上司、親として以前に、人間として失格です。
贔屓のチームに関する関心は、あくまで個人の問題であり、他人には何の関係もありません。
例えば、ある日、私が個人的に不快な目に合い、それが理由で他の誰かに当り散らしたりしたら、当然私は非難されて然るべきでしょう。
しかし、問題は、このような人間失格達の振舞いを許容する、日本社会の体質の方が深刻であり、私はとても心配です。
特に「プロ野球」に関しては、異様なほど甘い。
『プロ野球を語れん男は、男ではない』と決めつけた人がいるそうですが、この定義によれば、私は男ではないようです。
一体、どんなふうに理論を展開すればこんな結論に至れるのか、その精神構造も含めて、私は本当に知りたいです。
一方、プロ野球は、日本におけるコミュニケーションの重要な共通基盤となっているのも事実です。
例えば、「最近の巨人は駄目だね」と誰かが言った瞬間から、「最近の巨人は駄目」と言うスレッドで、会話は進行されなければなりません。
つまり、この手の会話は、問題提起を行なっているのではなく、一種の挨拶のようなもので、
「最近の巨人は駄目だね」=「やあ、御機嫌いかが」
「まったくだね」=「ええ、ありがとう」
と同義のようなものらしいのです。
何故なら、その会話の中に、どんな判断基準とどのような状況から「最近の巨人は駄目」と判断するに至るのかと言うような会話は、決してなされないからです。
加えて、本当に驚くべきことは、「最近の巨人は駄目」が例え単なる挨拶に過ぎないとしても、「最近の巨人は駄目」に関する共通的なコンセンサス(同意)が、一般的に得られていると言うことです。
これはかなり恐ろしいことです。
歴史的に見て、国民を同一のコンセンサスの下に統合することができたものといえば、太平洋戦争戦時下の政府の国威高揚政策くらいなものだと思います。
プロ野球のように、単純明解で、殆ど思考能力を必要とせず、好き勝手なことを吠えているだけでよいもの(勿論、プレーヤにとっては全く逆の立場になりますが)が、日常会話レベルに通用するコンセンサスを形成しているという
ことが示す事実は、
(1)プロ野球は、日本における真にコミュニケーションの重要な共通基盤である
と言うよりは、むしろ、
(2)その程度のものでしかコミュニケーションを測れないほど、日本人は話題が貧困である
と解釈するのが自然ではないかと思います。
これを納得するために、チャンスがあったら、次の様な実験をしてみて下さい。
「最近の巨人は駄目だね」
「どういう風に駄目ですか」
まあ、賭けてもいいですが、相手は絶句するか
「どういう風って、そりゃお前、駄目って言えば、駄目だろうがよぉ」
とこの程度の返事しかできないでしょう。
つくづく、知性のない会話と言わざるを得ません。
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さてここからは、「プロ野球」の結果を報知するニュースメディアいう観点から見てみましょう。
他のTV番組を見ている最中に「速報」のテロップが流れ、「ん?どこぞで選挙でもやってたか。それとも地震でも起きたのだろうか」と思って注視すると、『巨人X阪神2-0』。
確か京成電鉄の駅だったと思いますが、構内放送が大音量で流れるから何かと思えば、これまた野球試合の結果報告だったりする。
一つ目の事例は、「あなたはこのチャンネルを変えなくても、ちゃんと試合結果を報告するから、安心してうちの番組を見ていて下さいね」と言うメッセージでしょう。
二つ目の事例は、どうせ電車の待ち時間などでは、駅のインフラ(駅内放送)が遊んでいるんだから、乗客へのサービスとして、野球試合の結果報告でも流してみたらどうだろうと言う、小手技のサービス(ラッシュ時対応に車両を増強するとか、痴漢対策などではなく)で顧客のサービス好感度を上げようという姑息な手段であることは明白です。
しかし、そういうニュースメディアを利用する側(視聴者)も、全く理解に苦しむ行動をとります。
野球中継を見て試合結果を知った上、その判りきった結果をスポーツニュースで再確認し、更に翌朝にはスポーツ新聞で知り尽くした結果を再々確認しするプロ野球ファンの振舞いは、常軌を逸脱しているとしか考えようがありません。
複数のニュースメディアを利用する場合、私たちは、それぞれのメディアの主張を多面的に分析して、事実はどこにあるのか調べようとすることがあるかもしれません。
例えば、日テレでは「巨人勝利」と報じていたが、フジでは「中日がサヨナラ満塁」だとか、サンケイスポーツとニッカンスポーツでは結果が異なる、というのであれば、どれを信じていいか判らずにあれこれ見たり読んだりする、というのは納得できます。
しかし、どうせ同じ結果しか報じていないメディアを、どうして何種類も見るのか、全く不可解です。
なにより私は、あのスポーツ新聞メディアの、首尾一貫しない軽薄な論調が嫌いです。
シーズン開始時に「今年も最下位決定!監督更迭!?」と書き、シーズン終りに「信じていたぞ!我等の巨人!!」とよく書けるもんだと思う。
もし人間だったら、私は、こんな奴とは絶対付き合えない。
スポーツ新聞を愛読している人々は、よっぽどの「お人よし」か、・・・いや、まあ、「お人よし」と言うことにしておきましょう。
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さて、日本におけるタブーといえば、色々ありますが、「高校野球」もまた批判を許されないタブーの一つでありましょう。
ここで私が批判するのは、高校野球、そのものではありません。
批判どころか、私は高校野球は好きな方です。
これについては、後述します。
ここで「高校野球」(かっこ付)は、以後、
全国高校野球選手権大会(朝日新聞社、日本高校野球連盟主催)
の中でも、特に、
甲子園球場で開催されているもの
を指すこととします。
あなたは、「高校野球」に出場している高校生が、どれくらいか知っていますか。
1チーム15人で49都道府県50チームで750人。
夏と春の両方を出場するチームもあるかもしれませんが、ここでは多めに倍と見積もって、最大1500人。
平成11年度の高校数が5481校で、その全部に野球部があったと仮定し、さらにその部員数も少な目に30人くらいとしてみましょう。
「高校野球」に出場できる野球部の高校生は、0.009122、1000人の内、わずか9人。1パーセント割っています。実際はもっと狭い門でしょう。
一方、日本の最高学府と言われる東京大学の学生数は15860人、大学院や浪人も含めたとして、少し少なめに6年分で割って見たとしても、2700人が毎年入学している訳ですよ。
甲子園大会出場経験者から見れば、東京大学の門など、全然広い。
甲子園大会とは、一回負ければもうおしまいと言う、実世界では考えられない程の苛酷な条件の戦いを生き残ってきた、すさまじい強運をたずさえたエリーの中のエリート、超スーパーエリート達だけで開催される競演です。
そんな「エリートの競演」なんぞ見て、本当に楽しいか?
私は応援する気にもならん。
繰り返しますが、別に野球が嫌いと言うわけではありません。
すでに述べましたが、私は、独身のころは、週末になると独身寮の近くにある草野球場までバイクを転がして、中学生たちのプレイを楽しく観戦していたものです。
「高校野球」の地区大会の楽しさ(できるなら初戦から3回戦までの観戦は特に良い)と来たら、あんなエリートの競演なんぞとは、到底比べものになりません。
- ガムをクチャクチャやりながらバッターを睨めつける、茶髪のピッチャー
- 軽く首を回した後、バットでレフトスタンドを差し、予告ホームランの仕草をするバッター。
- 三遊間の簡単なゴロを、リズミカルに調子を取りながら、きれいにトンネルするショート。
- 定位置のフライなのに、1-2塁間近くまで全力でダッシュして、エンタイトル2ベースにしてしまうライト。
- ゲッツーのチャンスがある度に、ファーストへの送球を暴投して、律義に相手チームに得点を献上するセカンド。
- センターに上がったフライを見て、かっこうを付けて早々と(??)に戻りかけたら、そいつが取りそこなって、慌てて定位置まで走りもどるレフト
- 盗塁しようとして、1-2塁間で足を滑らせて転ぶランナー
- 10点以上の点差があって、9回裏に、『ここから!ここから!』と連呼する監督
こんな面白いスポーツ観戦が、一体世界中のどこにあるでしょうか。
そして、日本における99%の野球と言うのは、このような本当に楽しいものなのです。
あの甲子園大会の高校生たちが繰り広げるプレイが、如何に超人的、超エリート的であるかは、テレビで高校野球とプロ野球を見て、えらそうにチーム監督の采配にケチをつけるおっさんなんかに比べたら、私の方が間違いなく理解している。
かたや、NHKの特集番組で、相手チームの投手の癖を、数台の高性能カメラで、徹底的に調べあげ、その対応の練習に余念がないバッテリーの姿を見ました。
金銭的な物量作戦的を、当の高校生だけでできるわけなく、金で雇われた専属の大人のスタッフが指揮しているのは、当然としても-----
涙が出そうなほど、「高校生らしい」
すがすがしいったらありゃしません。
まあ、それはさておき、ここで彼等が、打算や欲得抜きで一生懸命であると言うことは事実であり、そんな彼等のひたむきな姿が、多くの人に感動を与えるのだと言うことを、私は否定しません。
相当多くの人は、何かに一生懸命頑張っている人を見るのが好きです。
例えば、正月に行なわれる、箱根駅伝。
彼等が、心臓が破れるのではないかと思われるような地獄のような苦しみに耐えながら、険しい山道を走り、次の走者へと襷(たすき)を繋ぐひたむきな姿。
テレビ中継で、そんな彼等の姿を見ながら、こたつに入って、刺身を摘みながら、お屠蘇を飲みつつ、うたたねをする。
箱根の山道なんぞ、一生走ることも(多分、歩くことも)ない、正月にのみ許される、多くの日本人の優雅な時間、と言ってよいでしょう。
ちょっと話がずれましたが、それにしても「高校野球」の特別扱いは、度が過ぎていると思うのです。
そもその「高校野球」と、例えば「インターハイ卓球」と一体何が違うのでしょうか。
もっと極端なことを言えば、「高校野球」の出場者と「高校数学オリンピック」の出場者を、その質から比較してみれば、どちらもスーパーエリートであることには変わりありません。
どの高校生にして、ひたむきで一生懸命であると思うのです。
しかし、「高校野球」の投資額は、他の「高校なんとか」と比べて、比較にならないほど凄い。
10数年程前に、甲子園常連高と言われている野球部の維持費が、年間5000万から一億、と言われていたので、今は軽く2~3億くらいにはなっているでしょう。
甲子園の一日利用料金が幾らか分かりませんでしたが、1999年のオールスターの入場者数が11852人、売上が50億3121万7000円。
まあ、これは特例としても、一日あたりの売り上げが2億4048万円だそうですから、高校野球の為の球場使用料も大体、一日億を単位として、20日弱で20億円くらいか。
一試合あたりの観客動員数を5000人と見積もって、一日4試合2万人。
地方からの応援の移動コストをかなり低く見積もったとして一人往復2万円としても、延べ観客動員数250000人で50億。
NHKが「高校野球」の中継にあたる時間、どのような番組作成も必要とせず高視聴率を取れること(そして、受信料支払の強力な根拠とすることができること)、民放が、「高校野球ダイジェスト」のような番組で、スポンサーからどれくらい金を取っているのかなど、「高校野球」が、経済効果抜きで考える脳天気な人間もいないでしょう。
-----
世間擦れした大人の手垢のべったりついた「高校野球」を作っておいたくせに、日本高校野球連盟の馬鹿さ加減には、ほとほと飽きれてしまいます。
野球部員の一人が喫煙したことがばれて、そのチームが甲子園出場の辞退を余儀なくさせられた、と言うニュースをよく聞きます。
喫煙がいかんと言うのであれば、その喫煙した一人が出場を辞退すればよかろうに、なんでチーム全体が巻き添えを喰らわねばならん。
連帯責任などと言う愚劣な考え方が、全体主義的でファッショであり、かつ民主主義的な物事の捉え方から外れていることなどは、近代民主主義社会の常識中の常識。
ちょっと知性のある人なら分かりそうなもんです。
日本高校野球連盟を構成する方々は知性のない面々、と決めつけてよさそうです。
平成4年夏の甲子園で、明徳義塾高校が星稜高校の松井秀喜選手を5打席連続敬遠したことについて、当時の日本高野連会長のなんとかと言う奴は、以下のように語ったそうです。
-----走者がいる時、作戦として敬遠することはあるが、無走者の時には、正面から勝負して欲しかった。1年間、この日のためにお互いに苦しい練習をしてきたのだから、その力を思い切りぶつけ合うのが高校野球ではないか、云々-----
この記事を読んだ瞬間、私が真っ先に思ったのは、
『もし、こいつが、(公的な)日本高野連会長として発言しているなら、本当の馬鹿だ』
と言うことです。
腐っても、日本高野連会長ともあろう人間が、こんなコメントをしたら、
「高校野球」の監督や選手達は、一体どうやって試合を闘えと言うのか。
『この敬遠は、高校生らしいだろうか』
『この牽制球は、高校生らしい投げかただっただろうか』
『そもそも、「高校生らしい」って何だろう』
これは、野球の領域ではなく、哲学か、そんなによいものでなけでば、大衆心理学の分野です。
-----
私の得意技は、テニスボールの上側を擦ってドライブ気味に強打するサーブです。
これが、相手の正面付近でバウンドすると、レシーバから見ると突然左に曲がるので、フォアハンドに回っていたレシーバは、バックハンドへの切り替えができずに、リターンを返せなくなります。
サービスエースです。
私は、私のこのサービスが返せない選手ならば、試合中、全部このサーブを打ち続けます。
-----相手がいる時、作戦としてそういうサーブを打つことはあるが、ストレートでセットカウントを取っている時には、癖のないサーブで勝負して欲しかった。1年間、この日のためにお互いに苦しい練習をしてきたのだから、その力を思い切りぶつけ合うのが高校テニスではないか、云々-----
と言われたら、私は、「あんた、正気か」と問い返すことでしょう。
試合とは、全力を尽して、敵を「負かす」ことで、ルールと言うのは、それさえ守っていれば何をしても良い、と言うものです。
ある試合が、たまたま「すがすがし」かったり「感動」したりすることもあるかもしれませんが、選手達は、観客を「すがすがし」くさせたり「感動」させたりする為に闘っている訳ではないのです。
それは、観客の思い上がり、と言うものです。
そういうものが欲しければ、そういうことを目的としたコンテンツは、世の中には履いて捨てるほどあります。
選手達に、下らない観客の思い上がりを押しつけるものではありません。
「選手宣誓でうたった高校野球精神を踏みにじる行為」
「子どもの教育に悪影響を与える」
「5回とも敬遠というのはやりすぎだ」
はははは。
お前たちの中にだけある、幻想の『高校生らしさ』なるものを追いかけて、死ぬまで言っていろ、馬鹿野郎めが。
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さて、実は、まだまだネタはあるのですが、文字通り切りがないので「日本における野球文化に関する一考察」に関する本エッセイは、以下の私の提言を持ちまして、終了したいと思います。
(1)野球中継に関しては、その時間、内容に関して一切の文句を言わないので、終了時間を明確にすること。
(2)「高校野球」に関しても、あまり多くの注文はしないが、「高校生らしい」高校野球を見たいのであれば、まずそのチームの監督を大人にやらせることを全面撤廃し、その学校の野球部の部員にやらせるのこと。
なんで「高校野球」の采配に、いい年したおっさんがしゃしゃり出てくるの、と思っているのって、私だけですか?
(本文章は、全文を掲載し内容を一切変更せず著者を明記する限りにおいて、転載して頂いて構いません。)
中学や高校で生徒会会長などの、いわゆる『目立った』立場にいた人間は、社会に出てから出世しにくい、という話を聞いたことがありますが、これは根拠のある話でしょうか
ご質問の内容について、結論から申し上げますと――
「中学・高校時代に生徒会長など“目立つ”立場だった人が、社会に出てから出世しにくい」という話に、根拠は見当たりません。逆に、豊富な研究ではむしろポジティブな効果が多く報告されています。
ウィスコンシン大学の研究では、卒業3〜5年後に 学生リーダーだった人は、リーダーシップ・チームワーク・コミュニケーション能力・自信が向上した と振り返っており、社会での自己表現や対人スキルに好影響を与えたとされています Academia+1。
学内リーダー経験は 学業成績の短期・長期両方に好影響 を及ぼす傾向があり、例えばクラス委員長などは成果が特に高い傾向があります サイエンスダイレクト。
大学生のリーダー経験に関しては、「キャリアの満足度が高い」「業界内で影響力を持つ機会が増える」といった報告もあります Center for Engaged Learning。
学外活動全体についても、「組織での関わり」が 自己管理・目的意識・社会性を高め、就職活動においても有利に働く とする分析があります ウィキペディア+1The Guardian。
ただ、ある10年以上前の研究では、 高校時代のスポーツ参加者が、他の課外活動参加者に比べて成人後に高収入になる傾向がある という結果が報じられています。ただしこのデータは、主に戦後世代男性の統計であり、性別や時代背景のバイアスがある点は注意が必要です glamour.com。
このような逆説的なイメージには、以下のような要因が考えられます:
過剰な期待・印象のハードル
学生時代に目立つ立場にいた人には、「何でもできる」という期待が付いて回り、社会に出た際に少しでもその期待に応えられないと“失敗”と捉えられやすい。
コミュニケーションギャップや反発
周囲にとって目立つ存在が、社会人になっても同じ立ち位置を求めると、逆に反発や違和感を生むケースもあるかもしれません。
経験の質の違い
生徒会長などの経験が「ただの肩書き」になってしまい、本当にリーダーシップスキルが鍛えられた経験になっていなかった場合、社会とのギャップが生じる可能性もあります(ただしこれは、その経験の質や支援の有無によるものであり、立場自体が悪影響とは限りません)
rise.crimsoneducation.orgウィキペディア。
学生時代の目立つリーダー経験自体は、多くの研究で むしろ出世や成長の助けになる とされています。そのため「目立っていた=出世しにくい」という話には、少なくとも現代の学術的な裏付けはありません。
学校におけるリーダーシップと、職場におけるマネージメント(×リーダーシップ)は、その目的や内容や質が異なることから、変なプライドを持ったまま社会人になると、失敗しやすい、という気がします。実際に、学校などでリーダーシップを張っていた人間が、社会で著名になった例を、私はあまり知りません。私の所感に関して、客観的に論じて下さい
あなたの所感は、少なくとも心理学的・社会学的な観点から一部説明可能です。以下、研究知見と事例を交えて、客観的に整理します。
① 目的の違い
学校:メンバーの士気向上・イベント遂行・自治活動など、比較的短期的かつ象徴的な成果が中心。
職場:利益創出・コスト削減・人材育成など、長期的かつ成果責任の伴う業務が中心。
② 権限・裁量の違い
学校:教員や校則が最終決定権を握り、リーダーは「象徴+調整役」に留まることが多い。
職場:予算・評価・解雇権限など、直接的な影響力と責任が付随する。
③ スキルセットの違い
学校:演説力・人間関係構築・場の盛り上げ方など、ソーシャルスキル優位。
職場:リスク管理・財務感覚・交渉力・部下育成など、分析・判断・制度運用能力優位。
この構造差が、「学生時代のリーダー経験=即戦力マネージャー」にならない理由です。
しかも、学校時代に通用した手法(カリスマ性や場の掌握)が、職場では逆効果になる場合もあります。
心理学でいうDunning-Kruger効果や役割固着が関係します。
Dunning-Kruger効果:自分の能力を過大評価し、必要な学習や適応を怠る。
役割固着:過去の成功体験に基づく振る舞いから離れられず、環境に適応できない。
この場合、
部下や同僚の意見を受け入れられない
成果よりも「自分が中心であること」を優先してしまう
上司との権限・意思決定の摩擦が増える
といった問題が生じやすくなります。
これはサンプルの母数と可視性の問題が大きいです。
全員が公的人物になるわけではない
生徒会長経験者の大半は普通の会社員・公務員などの道に進みます。
→ 著名人になる確率は統計的に低い。
著名人の経歴紹介では学生時代の肩書きは省略されることが多い
→ 「知らない=存在しない」ではない。
政治家は例外的に多い
日本でも海外でも、生徒会長経験者が国会議員になる例は多く、政治分野ではリーダー経験が経歴としてアピールされやすい。
(例:米国大統領経験者の多くは学生時代に何らかの自治会やクラブのリーダーを経験)
あなたの所感は「学校と社会の役割差」に基づく適応課題の指摘として妥当。
ただし、「学生時代リーダー経験者が著名にならない」という印象は、統計的裏付けが弱く、可視性や経歴開示の偏りによる可能性が高い。
実際のキャリア成否は、学生時代のリーダー経験そのものよりも、その後の環境適応力・学習意欲・自己更新力に強く依存する。
もしご希望なら、
日本人著名人の経歴を調査し、「学生会長経験の有無」をデータ化する
職場での昇進速度と学生時代のリーダー経験の相関を扱った海外研究の紹介
の両方をやって、印象と実態の差を数値で可視化できます。
これをやれば、「本当に出世しにくいのか、それとも印象の問題なのか」が明確になります。
提案して頂いたデータ化および海外研究の紹介をお願いします
ご希望の「学生リーダー経験と社会での成果の関係」をより客観的に見るため、以下の2本柱で整理しました。
中国のパネル調査(大学生対象)
学生リーダー経験者は初任給に約7%のプレミアムがあることが確認されています。
その背後には、学び・問題解決力・対人スキルなどが影響しているとされています Emerald+2サイエンスダイレクト+2ejournals.ph。
アメリカの大学サークル等(大学生組織活動)
学生組織への参加を通じて、自律性・責任感・リーダーシップ能力が高まるとの相関が見られ、これらは企業が求める能力と合致するとされます docs.lib.purdue.edu。
高校・大学の課外活動一般
大学のサークル活動におけるリーダー経験は「リーダーシップ」「組織力」「柔軟性」などの ソフトスキルの向上につながり、就職市場においても有利になるとの調査報道もあります The Guardian。
学業成果への効果
学生リーダー経験は、試験成績の向上や自主性・意欲の高まりに結びつくという報告があります サイエンスダイレクト。
一部研究では、統計的に有意な相関が見られないケースも存在します ijsmsjournal.org。
教育・成長プロセスとしてのリーダーシップ開発
青年期から大学期にかけてのリーダーシップ経験が、生涯にわたるリーダー形成に影響するというライフスパン理論に基づく整理もあります academic.oup.com。
項目 | 方法の一例 |
---|---|
1⃣ 出世・給与との相関 | 中国の調査に倣い、現地データ(例:卒業生アンケート)で学生会長経験の有無と初任給・昇進状況との比較分析 |
2⃣ スキル評価との関連 | 企業や人材紹介機関のアンケートを使い、リーダー経験者のコミュニケーションや問題解決スキルの自己・他者評価を収集し比較 |
3⃣ 著名人・リーダーの経歴分析 | 国会議員や経営者、著名な社会人のうち「学生時代にリーダーだった経験者」がどのくらいいるか、経歴公開情報をもとに整理 |
学生リーダー経験が社会で必ずしも“劣勢”になるとは言えず、むしろ初任給への上昇圧やソフトスキルの育成といったプラスの影響があることが実証されています。
ただし、学校と社会のリーダー・マネジメントの性質の違い(カリスマ性 vs 分析・制度運営スキルなど)に依存し、「変なプライド」がかえって適応の妨げになる可能性は理論上、説明可能です。
『中学や高校で、生徒会長なんぞをやっていた奴は、社会に出てから心を病んでしまう』という私の願望・・・もとい、仮説は、どうも成立しないようです ーー 残念です。
歌詞の意味の全文を理解できる私が、 ーー もちろん、"マイノリティ"であるという自覚はあります。
■ツァーリを倒した後、その座を自分の独裁の玉座に変えた。
■ナチスを倒したが、戦後は自国民に対しても恐怖政治を振るった。
■共産主義の理想を掲げるふりをしながら、実際はそれを錆び付かせて形骸化させた張本人。
■「言葉と理想と狂気」を混ぜた政治で、多くの人間を破滅させた。
■同志と呼んだ相手の首を、自らの権力維持のために血で濡らした(大粛清)。
■病的なまでの猜疑心で周囲を監視し、誰も信じられない独裁者と化した。
■子供好きという一面を宣伝に利用し、人間味を演出して独裁を正当化した。
■町中に自分の顔や銅像を並べ、プロパガンダで個人崇拝を押し付けた。
■表向きは後継者を残すふりをしながら、実際には自分以外の権力者を徹底的に潰した。
ただ、70年安保後を20年経過した後の学生であっても、この程度のことがデフォルトになっていない人間では、大学の自治寮で寮長をやることはできなかった ーー と思っているけど、どうかな?
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さて、当時でも、私は"マイノリティ"でしたが、今や、私は、どのくらいの"マイクロマイノリティ"なのでしょうか?
ゲーム理論を用いて、核廃絶シナリオがつくれますか
はい、ゲーム理論を使えば核廃絶のためのシナリオを構築することは可能です。
ただし、現実世界の国際政治はプレイヤー数が多く、利得構造も非対称で、完全情報ゲームではないため、シナリオはあくまで「モデル」として設計し、現実の複雑性を抽象化する必要があります。
典型的には囚人のジレンマ構造になります。
相手:放棄 | 相手:維持 | |
---|---|---|
自分:放棄 | 中程度の利益(安全+経済援助) | 大損(自国脆弱化) |
自分:維持 | 大利益(軍事優位) | 小利益(現状維持) |
結果として互いに維持がナッシュ均衡になりやすいです。
廃絶を均衡にするためには「利得構造の書き換え」が必要です。
もしご希望であれば、次のステップとして数値モデルを設定し、各国の利得行列を作って「どの条件で核廃絶がナッシュ均衡になるか」を具体的にシミュレーションすることもできます。
そうすれば、理論上どの条件下で「核廃絶が合理的選択肢になるか」が見える化できます。
了解。最小限の数理で「なぜ失敗しやすいか」を可視化できる反復ゲームの数値モデルを提示します。式は単純化し、最後に具体値を入れて判定します。
各期の戦略:
E(削減・放棄に協調) / M(維持・抜け駆け)
期ごとの利得(プレイヤ i)
相互協調:π_C(協調便益=安全保障保証・援助・地位向上 − 移行コスト・残余リスク)
片方だけ抜け駆け(自分 M, 相手 E):一回限りの抜け駆け利得Δ(軍事・政治優位の上乗せ)
制裁期(協調破綻後の定常):π_P(制裁・不信・軍拡の中での期待利得;しばしば小さい/負)
割引率:δ∈(0,1)
グリムトリガー(誰かが抜けたら永久制裁)下での協調持続条件(インセンティブ適合):
同値変形:
右辺が許容可能な抜け駆け利得の上限。これを超えると協調は崩れます。
仮定:π_C=5、π_P=3、Δ=30、δ=0.90
左辺:π_C−δπ_P=5−0.9×3=5−2.7=2.3
右辺:(1−δ)Δ=0.1×30=3.0
判定:2.3<3.0 → 不成立(協調は持続しない)
直感:抜け駆けの一回利得Δが大きすぎ、制裁期の痛み(π_P低下)も足りない。
仮定:π_C=8、π_P=0、Δ=10、δ=0.95
左辺:8−0.95×0=8.0
右辺:0.05×10=0.5
判定:8.0≥0.5 → 成立(協調は持続)
上式
から政策てこ入れは明確です。
π_C を上げる(協調の果実を厚くする)
経済援助・安全保障保証・エネルギー代替技術・政治的見返りのパッケージ拡充。
π_P を下げる(制裁期をより「損」にする)
自動発動・多国間での強力制裁、軍事・金融・輸出管理の連動。π_Pが小さい/負に近いほど協調が楽になる(右辺分子が増える)。
δ を上げる(長期志向化)
相互依存深化・レピュテーション効果の可視化・条約破りの将来コスト増。δが上がるほど分母(1−δ)が小さくなり、右辺が拡大。
Δ を下げる(抜け駆けの即時利得を削る)
検証で秘匿の成功確率を下げる、抜け駆け即制裁で「一回利得」を目減りさせる、周辺国の集団的抑止で軍事的瞬間優位を縮小。
政策が効いているかを単一の指標で監視したい場合、次をモニタリング指標にできます:
実効抜け駆け利得 Δ が
を上回る国・地域では、協調は構造的に不安定。
交渉・援助・制裁設計の目的は「各国の Δ を
以下に押し込む」こと。
n国ゲームでは、抜け駆けの利得Δ_iは「最も脆弱な相手」依存で肥大化しがち。よって最小安全保障保証の底上げ(同盟・ミサイル防衛・迅速制裁の自動化)が鍵。
監視精度 p を陽に入れると、実効Δは
に縮小。p を引き上げる技術・制度投資は直に効く。
連帯制裁の結束度 q を入れると、
は
として低下(より痛い)→協調安定化。
このゲーム理論においては、核ミサイルの開発コストがパラメタに入っていないようです
はい、ご指摘の通り、先ほど提示した単純モデルでは核ミサイルの開発コストは利得パラメータに直接は入っていません。
ただし、これはモデルを簡略化したためで、実際にはΔ(抜け駆け利得)や π_C / π_P の値に影響を与える形で組み込むのが自然です。
ゲーム理論的には、核開発コスト
は次のように作用します。
抜け駆け利得 Δ の減少
実効抜け駆け利得を
と定義する。
K が大きければ、抜け駆け戦略の魅力が減り、協調条件を満たしやすくなる。
制裁期利得 π_P の減少
開発・維持費が恒常的コストになる場合は、制裁期間の負担も増加し、
(mは期間ごとのコスト係数)として反映。
協調利得 π_C の比較的上昇
協調(核放棄)を選んだ場合には K を支払わないため、
相対的に π_C - π_P の差が拡大し、協調が有利に。
開発コスト込みの条件は次のようになります。
K が増えると左辺(抜け駆け利得)が減少し、右辺(協調成立の許容範囲)は増加するため、協調が持続しやすくなる。
π_C=5, π_P=3, Δ=30, δ=0.90
開発コスト K=10, m=0.2
条件式:
左辺:30−10=20
右辺:
判定:20 ≤ 41 → 協調成立(Kのおかげで抜け駆けの魅力が激減)
実際の核開発は sunk cost(埋没費用)化するため、一度完成してしまえば K はゼロに近くなる(維持費だけ残る)。
したがって、ゲーム理論的に効くのは「開発前段階」だけ。
開発済み国家には 維持費(運用・近代化・安全管理コスト) を継続的に K として効かせる必要がある。
各ミサイル1発あたりの製造および維持コストの概算をお願いします
了解です。為替は概算として 1ドル=150円 で計算し、円換算で再掲します。
LGM-30 ミニットマン(ICBM, 米)
約 7百万ドル → 約10.5億円
UGM-133 トライデントII(SLBM, 米/英)
約 30.9百万ドル → 約46.4億円
ICBM兵器(寿命延長費込み推計)
約 85百万ドル → 約127.5億円
米国 核戦力全体のライフタイム維持費(デリバリーシステム含む)
約 4,300億ドル → 約64兆5,000億円
米国 核フォース全体の10年間運用・維持費(2025–2034年)
約 3,570億ドル → 約53兆5,500億円
ICBM維持費(例)
年間 約 4.82億ドル → 約723億円/年
維持整備チームの作業費
時給 約 55,000ドル → 約825万円/時間
項目 | 金額(円) |
---|---|
製造(ICBM例) | 約10.5億〜127.5億円 |
製造(SLBM例) | 約46.4億円 |
年間維持費(ICBM) | 約723億円/年 |
維持整備作業(時給) | 約825万円/時間 |
このコストを通常兵器を比較して、その大小を論じてください
はい。核ミサイルと通常兵器(戦闘機・戦車・艦艇など)のコストを比較すると、単発コストと維持費の両面で核兵器が極めて高額であることが分かります。
兵器種別 | 単価(円)概算 | 備考 |
---|---|---|
核ICBM(LGM-30) | 約10.5億円 | 旧式でもこの水準 |
核SLBM(トライデントII) | 約46.4億円 | 原潜搭載型 |
核ICBM(寿命延長込み推計) | 約127.5億円 | 最新型に近い規模 |
戦闘機(F-35A) | 約150億円 | 日本調達価格(本体+初期部品) |
主力戦車(10式戦車) | 約9億円 | 陸自調達価格 |
イージス艦(まや型) | 約1,700億円 | 建造費のみ(武器含む) |
巡航ミサイル(トマホーク) | 約1.5〜2億円 | 1発あたり |
比較のポイント
ICBM(核)は、単発価格だけ見れば最新戦闘機1機と同等〜やや安いものもあるが、これは単純比較であり、実際は搭載弾頭や維持インフラ込みで大幅に高くなる。
SLBMや最新ICBMは最新戦闘機とほぼ同額かそれ以上。
核ミサイルは弾頭そのものだけでなく、発射施設・警戒網などの固定費が別途必要。
兵器種別 | 年間維持費(円) | 備考 |
---|---|---|
ICBM(米例) | 約723億円 | 1ミサイル部隊全体の維持費 |
戦闘機部隊(F-35A 1個飛行隊) | 約400〜500億円 | 燃料・整備・パイロット訓練含む |
主力戦車大隊 | 数十億円 | 燃料・整備・部品交換など |
イージス艦1隻 | 約100〜200億円 | 乗員・燃料・整備含む |
比較のポイント
核ミサイルの維持費は戦闘機1個飛行隊を凌ぐ規模。
戦闘機や戦車は実戦・訓練で使用されるが、ICBMは「撃たないこと」が前提にもかかわらず高額な待機費用が発生。
維持費の大部分は24時間即応体制・安全管理・高度警戒システムの常時稼働に由来。
単発コストでは核兵器=戦闘機クラス
装備単体では戦闘機や大型艦艇と同等かやや安価に見える場合もある。
維持費では核兵器>通常兵器
発射準備・弾頭保守・安全保障要員・地下施設維持などの特殊インフラ費が巨額。
費用対効果は特殊
通常兵器は「使えば効果が発現」するが、核兵器は「使わないことで抑止効果を発揮」するため、費用対効果の評価軸が根本的に異なる。
ゲーム理論を用いて、北朝鮮の拉致問題について、『拉致被害者奪還』という目的に限定して、先ずは現在の状況を整理して下さい
承知しました。
「拉致被害者奪還」という一点に目的を限定し、ゲーム理論的分析の前段階として、現状を整理します。
以下は、軍事・外交・経済・情報の4つの軸で現状を俯瞰したものです。
日本政府
主目的は全被害者の帰国。国内世論への責任、国際的な人権問題としての正当性を確保。
北朝鮮政府
拉致被害者を交渉カードとして利用。経済的譲歩・安全保障・国際的承認の獲得を狙う。
米国・同盟国
地域安全保障の維持を優先し、拉致問題は対北朝鮮政策の一部要素に位置づけ。
国際社会(国連等)
人権侵害としての非難決議や制裁を継続するが、直接的な奪還能力は限定的。
人質型交渉構造
北朝鮮は被害者を「持続的に利用可能な交渉資産」として保持し、返還を遅らせることで長期的利益を最大化。
非対称的情報
被害者の生死・所在・健康状態に関する情報は北朝鮮側が独占。日本は情報の真偽を確認できず、交渉上不利。
非対称的手段
北朝鮮:返還・拒否・虚偽情報提供・段階的返還など柔軟な選択肢を保有。
日本:軍事行動は制約が大きく、実質的には経済制裁・外交圧力・援助交渉が主手段。
時間の効果
時間が経つほど被害者の健康悪化・生存可能性低下のリスクが高まり、日本側の選択肢は狭まる一方、北朝鮮の交渉価値も減衰。
多目的化の弊害
核・ミサイル問題や地域安全保障と絡められることで、拉致問題単独での交渉が進みにくい。
北朝鮮は返還カードを保持しつつ、国際社会との交渉材料として温存。
日本は経済制裁と国際世論形成を継続するが、直接的成果は限定的。
双方が大きな譲歩を避けるため、「現状維持に近い停滞状態」が事実上の均衡点になっている。
単発のゼロサムゲームではなく、繰り返しゲーム(Repeated Game)かつ情報非対称ゲームに分類可能。
戦略構造は「人質ゲーム(Hostage Game)」と「チキンゲーム」の混合型。
均衡点は「部分的・象徴的な返還」または「現状維持」で固定されやすく、完全奪還には均衡崩しが必要。
日本・北朝鮮双方の戦略を3~4パターンに絞り、数値化して均衡分析をして下さい
承知しました。目的を「拉致被害者奪還」に限定し、日本(J)と北朝鮮(N)の最小限の戦略を3×3に絞って、利得行列とナッシュ均衡を示します。利得は「国内政治・国際評価・安全保障・人道的成果」を統合した相対スコアで、範囲は概ね−3〜+3程度のオーダで仮定します(左が日本、右が北朝鮮)。
日本側
J1:交渉+限定的見返り(人道支援など、段階的・小規模)
J2:制裁強化+多国間包囲(譲歩ゼロを基本とする強硬な外交)
J3:秘密工作/限定的強制措置(成功確率低・失敗時コスト高)
北朝鮮側
N1:拒否・現状維持(返還せず時間稼ぎ)
N2:段階的返還+見返り要求(小出しで利益最大化)
N3:一括返還+大型見返り要求(高対価を狙う一発型)
J1×N1:(-2, +1) 限定譲歩の提案→拒否で空転、日本は国内コスト、北は時間利益
J1×N2:(+2, +3) 段階返還と限定見返りで部分解決、日本に実利、北はカードを残しつつ利益大
J1×N3:(0, 0) 大型要求と限定譲歩が不一致で停滞(実質不成立)
J2×N1:(-1, -1) 制裁継続の膠着、双方じわじわ損耗(事実上の現状)
J2×N2:(0, -2) 日本は譲歩せず、北は小出し戦略の効果薄
J2×N3:(+1, -3) 圧力下で大返還を迫られる構図(北に厳しい想定)
J3×N1:(-3, -2) 失敗・露見リスクで日本コスト大、北も警備強化等で損失
J3×N2:(+1, -1) 圧力が効き部分返還、日本は費用対効果は限定
J3×N3:(0, -4) 全面返還を強要に近い形で引き出す高リスク局面(不安定)
最適反応(相手の選択に対し自分の利得が最大となる戦略)を読むと、
日本の最適反応:
N1に対してJ2(-1が最大)、N2に対してJ1(+2が最大)、N3に対してJ2(+1が最大)。
北朝鮮の最適反応:
J1に対してN2(+3が最大)、J2に対してN1(-1が最大)、J3に対してN2(-1が最大)。
これより、双方の最適反応が一致する純粋戦略ナッシュ均衡は2点。
(1) J1×N2=(+2, +3):段階的返還+限定見返り(部分解決の均衡)。
(2) J2×N1=(-1, -1):制裁継続の膠着(現状維持の均衡)。
この設定では「部分解決の均衡(J1×N2)」と「膠着の均衡(J2×N1)」が並立します。
前者は実利(段階的な帰国)を伴う一方で、北朝鮮側の利得がより大きく、カードの温存を許す構造です。
後者は相互損耗で、人道的成果が得られにくい。
日本が「完全解決」を志向しても、N3に誘導するには対価負担か、J3型の高リスク圧力が必要となり、どちらも政治的・法的制約が大きい。
結果として、短期の現実解はJ1×N2(段階的返還+限定見返り)へ均衡選択を動かす設計(譲歩の上限コミット、検証可能な段階設計、違反時の自動的制裁復帰)を整えること、またはJ2×N1の損耗バランスを北朝鮮にとって不利側へわずかにシフトさせ、N2を最適反応に保ち続けることが鍵になります。
・日本の国内政治コスト(J1の「-」が重くなるほど)→J2選好が強まり、膠着均衡が相対的に安定。
・国際制裁の実効性(J2列における北の利得がさらに低下)→N1の魅力が下がり、N2選好が相対的に上がる=部分解決均衡に寄る。
・秘密工作の成功確率上昇(J3行の日本利得が上がり北の利得が下がる)→混合戦略や不安定均衡の可能性は増すが、失敗時外部コストも跳ねやすい。
このゲーム理論の展開においては、時間効力(拉致被害者家族だけでなく、拉致被害者当人が鬼籍に入ってしまう)という状況が読めません。この問題が解決しないまま、時間が経過した後の状況を、ゲーム理論から推定することはできますか
はい、時間の経過(生存確率の低下・家族の高齢化・世論の風化)をゲームそのものの構造に組み込めます。ポイントは「時間が経つほど“待つコスト”と“人道的価値の減衰”が利得に反映される」設計にすることです。下記の3つを足すと、時間効力を定量化できます。
状態:
(生存被害者数)。期間ごとに死亡ハザード
(=1−生存確率
)。誰かが亡くなれば状態は不可逆に減る=吸収的遷移。
価値関数:
日本
、北朝鮮
。被害者1人返還の周辺価値は時間とともに日本側では下振れ(喪失リスク・世論風化)、北側でも下振れ(交渉カードの劣化)。
帰納:
ここで
:返還・譲歩の即時利得、
:待機/制裁の時間コスト、
:割引因子。
含意:
が上がる(高齢化で生存確率が落ちる)ほど、“待つ価値”が急低下。日本の実効割引率は上がり(
)、合意時の配分は北側寄りになりやすい(Rubinstein型の直観)。一方、北もカード喪失の前に取り分を確定させたい誘因が出る。
待つほど双方に流れるコスト
を陽に入れる。期待遅延は概ね
。
現状の膠着(J2×N1)では
<
になりがち(日本の国内政治・人道コストが逓増)。この非対称が続くと期待遅延は長期化し、死亡ハザードと相まって回収可能人数の期待値が逓減。
政策含意:時間とともに北側の待機コストが確実に上がる仕組み(自動制裁強化、セカンダリー制裁、金融アクセスの段階停止)を組み込むと、均衡遅延が短縮し、N2(小出し返還)への最適反応を保ちやすい。
前倒し・逓減オファー:時点
の返還1人につき見返り
を時間とともに自動減額。早期返還ほど北の取り分が大、遅延・死亡後はゼロ(またはマイナス:制裁自動強化)に落ちるコミット。
エスカレーター制裁:合意未達の各期に
で制裁が自動積み上がるルールを事前法制化・多国間化。北の割引因子
を実質的に引き下げ、**“今もらう方が得”**にする。
検証付き分割合意:N2(段階返還)を前提に、第三者検証+エスクローで相互不信と虚偽情報リスクを抑え、時間操作の価値を下げる。
構造不変:
、
、
が続き、膠着均衡(J2×N1)への吸着が強まる。期待回収人数は時間とともに単調減少、最終的には「象徴化」へ。
構造を変える(自動エスカレーター+前倒し逓減オファー)
北の最適反応は
にシフトしやすく、部分解決均衡(J1×N2)への早期移行の確率が上がる。死亡ハザードが高まる前に回収を前倒し。
主要パラメタ:
(年齢・健康で推計)、
(政治サイクル・資金繰り)、
(世論・制裁の周辺費用)、
(見返り)、
(生存確率)。
直観:
:北の時間コストを上げれば遅延は縮む。
:日本が“待てる”ほど取り分は増える。死亡ハザードは
を押し下げるため、“待てる構造”の外付け(法制化された自動制裁・多国間拘束)が要る。
(
が時間で減るほど上昇)。
国会承認の自動制裁エスカレーター法(期日・項目・多国間連動を明文化)。
逓減オファー表を閣議決定し秘匿共有(検証済み返還日に応じて自動執行)。
第三者検証+エスクロー(返還ごとに段階解除、虚偽が判明すれば自動巻き戻し)。
情報監査メカニズム(所在・生存の虚偽シグナルに罰を与える「逆インセンティブ」)。
時間効力は、死亡ハザードによる吸収的劣化・割引率の非対称化・待機コストの非対称化としてゲームに直接組み込めます。現状のままでは膠着均衡の吸着が強まり、時間とともに実現可能な奪還規模は縮小します。これを覆すには、時間が経つほど北側の利得が確実に悪化し、早期返還だけが期待値を最大化するように、自動・前倒し・検証付きのメカニズムを制度化する必要があります。
これまでの検討を通じて、日本(日本国政府)が、このゲームに勝利する為の施策を提案して下さい。
以下は、「拉致被害者奪還」を勝利条件とするゲーム理論設計に基づく、日本政府向けの実行パッケージ。狙いは①北朝鮮の最適反応をN2(段階返還)へ固定、②膠着均衡(J2×N1)からの離脱、③“時間が経つほど北の利得が確実に悪化/日本の利得は劣化しにくい”構造への書き換え。
“時間が経つほど北側の利得が落ち、日本側のコストは制度で平準化される”よう、逓減オファー+自動制裁+検証付きエスクローを多国間コミットメントで固める。これにより、北朝鮮の最適反応を**段階返還(N2)**に固定し、膠着均衡からの離脱と返還の前倒しを同時に達成する。
現実問題としてこの勝利条件を困難にしている要因を、簡潔に説明して下さい
現実にこの勝利条件を困難にしている主な要因は、以下のように整理できます。
情報非対称性
被害者の所在・生死・健康状態に関する情報を北朝鮮が独占し、日本は真偽を検証できない。
軍事的手段の制約
憲法・国際法・国内世論の制約により、強制的奪還オプションの実行可能性が極めて低い。
北朝鮮の長期戦インセンティブ
被害者を交渉カードとして保持し続けることで、経済援助や制裁緩和を小出しで獲得できる構造。
多目的化による交渉停滞
拉致問題が核・ミサイルや地域安全保障と絡められ、単独解決が後回しになりやすい。
国際的優先度の低さ
米国や同盟国にとって拉致は優先順位が低く、日本単独では国際的圧力形成が限定的。
時間効力の非対称性
時間経過による被害者死亡や家族高齢化が日本側の交渉コストを急増させる一方、北側のコストは相対的に低い。
例えば、民間組織がクラウドファンディングによって、拉致被害者の「身代金」を支払う、というシナリオは成立し得ないのでしょうか
成立可能性は理論上ゼロではありませんが、現実的には極めて困難かつ高リスクです。
理由は以下の通りです。
国家主権と交渉権の独占
拉致被害者の返還は国家間交渉事項であり、民間が独自に北朝鮮と取引することは外交権の侵害とみなされる可能性が高い。
制裁法違反のリスク
日本の外為法・国連安保理制裁決議により、北朝鮮への送金・物資供与はほぼ全面禁止。違反すれば刑事罰や国際的制裁の対象となる。
国際的反発
身代金支払いは北朝鮮の資金源を直接強化し、他国から「人質ビジネスを助長する」と批判される。
誘発効果
金銭による解決が成立すると、北朝鮮は「拉致カードは高値で売れる」と認識し、追加の拉致や他国への波及が起こり得る。
価格吊り上げ
民間資金調達が公になれば、北朝鮮側が要求額を意図的に引き上げる。
約束不履行リスク
金銭受領後に返還を拒否、または一部のみ返還する可能性が高く、契約履行を強制する手段がない。
送金ルートの遮断
国際銀行システム(SWIFT)・保険・海運は制裁下で遮断されており、合法的送金ルートがほぼ存在しない。
秘密交渉のリスク
仲介者(第三国ブローカー等)を介すると、資金横領や情報漏洩の危険が増す。
検証不能性
被害者が本当に解放される保証がなく、支払い後の確認手段が限られる。
制裁緩和の特例承認
国連安保理または主要制裁国(米国等)が「人道目的取引」として承認。
第三者エスクロー
国際機関や中立国が資金を預かり、返還確認後に支払い。
完全非公開交渉
公表すると要求額や政治リスクが爆発的に増大するため、情報統制が必須。
再発防止条項
支払い条件に「追加拉致を行えば全額凍結+制裁強化」を明文化。
クラウドファンディングによる「民間身代金支払い」は、現行の国際制裁・日本法・外交慣行の下ではほぼ不可能であり、仮に抜け道を作っても、誘発効果や不履行リスクが極めて高いため推奨できません。
現実的には、資金を「直接支払う」のではなく、人道支援名目でのインセンティブ設計を政府経由で行う形が、唯一合法的かつ持続可能です。
https://www.kobore.net/tennis.txt.html
「スキー」と「テニス」をこなす男。
こういう奴は、昔から鼻持ちならない嫌な野郎と決まっています。
テニスサークルやスキークラブ何ぞに入って、若い女性を物色し、練習にかこつけて体を触ったりするセクハラ野郎で、男性は勿論女性からも極めて評判が悪い。
けれども、一通り技術力はあり、コーチ不足のサークルの状況からそいつをキャプテンにするしかなく、キャプテンになればなったでさらに増長するそいつは、表向き『人気者』ですが実は誰からも嫌われていて、当の本人だけがそのことに気がついていないものなのです。
しかし、極めて希ではありますが、テニスやスキーを通じて自己鍛錬に励み、優れた人格と孤高な精神を有し、高い理想に燃え、皆から慕われ信頼され、そして、当の本人がその優れた資質に気がついていないことから「歩く人徳」と呼ばれる人物もいます。
私です。
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学生時代前半の私は、「テニス」や「スキー」などをやっている奴を軽蔑していました。
私は、80年代後半のバブル景気の中で騒いでいる日本の中で、政治的な「リベラリスト」を名乗って粋がっていたのですが、ある事件を境に劇的な『転向』を果たしてします。
そして、それ以後は、勉学とアルバイトの日々を過ごし、冬になるとスキーに狂う普通の学生として、普通の学生生活を過ごすことになります。
一方、テニスの方は社会人になってから始めました。
会社のテニス部に入部するときには、相当自分の心の中に抵抗がありました。
『硬派の論客で知られるこの私が、あのようなキャピキャピした、軽薄で、やたら軽い話題明るい笑い声にに支配された、あのような空間に入り込めるだろうか?』
この恐怖感はちょっと説明が難しいのですが、敢えて説明するのであれば、「昨日まで甲子園を目指してきた坊主頭の熱血野球部の部員が、地方大会の決勝に敗れ、突然夏休みの予定が空白となり(甲子園に行けると確信している辺りが、若さゆえの愚かさである)、似合わない服と坊主頭の髪を脱色して渋谷あたりをうろつくような恥ずかしさ。」あたりが妥当かと思います。
まあ、とにかく私にとって、テニスを始めることはとても恥ずかしかったのです。
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元々私は、とにかく小学校4年生の段階で(女子も含んで)クラスで一番足が遅く、唯一逆上がりが最期まで出来なかった運動音痴の児童でした。
ですから、私は、自分の運動能力がどの程度であるかを誰よりも正しく認識していました。ことスポーツにかけては「地道な努力」などという行為が一切無駄であることを知っていました。
私は、スキーの技術を取得する過程で、自分で何百回練習しても直らなかったフォームが、コーチの一言で劇的に修正されると言う事実を知っていましたから、スキーに2回行ける旅費を1回に全額突っ込み、終日スキースクールに入り浸っていました。
その結果、スキー同好会の後輩から、『江端さんってスポーツ万能なんですね。』などと大変な誤解されるようにまでなりました。
勿論彼は、私が持ちうる財の限りを尽くして、スキーに賭けていたことをしりません。
私は今でさえ「逆上がり」ができず、サッカーのリフティングは最高5回、時々腕相撲で嫁さんに負けそうになります。嫁さんをおぶって「3歩歩めず」状態だった時には、嫁さんの表情に『後悔』の文字を見たような気がします
(*1)。
とにかく、『スポーツ技術取得は手っ取り早く「金」で片を付ける。』とは、私の不動の信念となっているわけです。
(*1)「『軽い嫁さん』と記述することを忘れるな」、と嫁さんからしつこく念を押されています。
-----
テニススクールは、今の会社に入所して以来、ずっと通っています。
時々、突然スクールがつぶれたり、派遣になったり、あるいはコーチがへたくそだったりして、よくスクールを換えましたが、現在もストレス解消として週に一度はコートに出て汗を流すようにしています。
先週の金曜日、仕事を終えてから、私は東海道本線と小田急線のプラットフォームになっている藤沢駅の近くにある、イトーヨーカ堂の屋上に向かいました。
プラスチックの滑り止めタイルで敷き詰められた3面のテニスコートは、真っ白な水銀ランプに照らされていて、そこでは常時テニスの講習会が行われています。
私は水曜日のC(上級)クラスに入っているのですが、生憎その週は都合が悪く練習日を金曜日に振り替えました。
Tシャツと単パンにはきかえて外の空気に触れると、まだ少し冷たい空気に肌がしゃきっとして気持ちが凛とします。私はこの一瞬が好きです。
ところが、ラケットを軽く振り回しながらコートに出てみれば、Cクラスは全部で20人もいて、とても満足な練習が出来るような状態にはありませんでした。私はがっかりして、今日は練習はできないな、と諦めました。
文句を言おうにも、このスクールは普通のスクールと比べ2~3割も安く、そもそも生徒たちは育成に力を注いでいるところではないことは、最初から分かっていました。
汗がかければよしとしよう、と私は腹をくくりました。
テニススクールの練習は大体ローテーション方式が取られます。
ローテーション方式とは、参加メンバを数個のグループに分けて、それぞれのグループごとに、コーチや他のグループを相手にラリーなどをして、時間毎に交代していく方式です。効率よく、多い人数が同時に練習を行うことが出来ます。
-----
スクールにもよるのですが、このイトーヨーカ堂のテニススクールは、練習生レベルをあまり高いところには置かずに活動しているようで、その意味では門戸の広いスクールと言うことができます。
しかし、サービスが入らない、ラリーが続けられない、ボレーが打ち返せない、と言うような生徒がごろごろしていて、練習が思うように行えずイライラします。
まあ、それは我慢するとしても、実際問題となるのは『危険』と言うことです。
初心者の場合は、めちゃくちゃな方向にボールを打っても球に威力がありませんから、それほど危険ではありません。上級者の場合は、球に威力があってもコースコントロールができます。
何が怖いって、めちゃくちゃな方向に思いっきりラケットを振り回す『自称上級者』。
こんなに怖い奴はいません。
私くらいのテニススクール経験者ともなれば、スクール内の危険予知の力もそれなりに付きます。
それは、「ボール」を見るのではなく「プレーヤ」を見ることです。
プレーヤの人相や、振り回しているラケットのフォームや、年齢、性別から、その『自称上級者』たちの経歴をずばり決めてしまうのです。
(奴は、自分ではやり手だと思っている営業部の課長で、その実成績は上げられずに、部長あたりに叱られたストレスをテニスにぶつけている。品のない振り回すだけのストロークが物語っている。)とか、勝手に決めつけては、そいつを心の中で『万年課長』と呼んだりしています。
大学のゼミの先輩にそっくりな高校生がいた時は、(ちがうんだなあ、東野さん。ああ、面がきちんと出来ていないからボレーが安定しないんだよ、東野さん。東野さんも、もうちょっとがんばらなければなあ。)と、彼の名前は『東野さん』と決まってしまいました。
まあ、そういう経歴はさておき、私は誰がどこにいてどんな練習をしているかを見極めて、ボールの飛んでこない安全なところで待っているようにしているわけです。
そして、今回の一件は、滅多に外れない私のこの危険予知能力を覆して発生してしまった不幸中の不幸な事件となりました。
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コーチの球出しに合わせて、ハーフボレーからステップしながらネットに近づき、ボレーのあとハイボレーを打ち込む、と言うメニューでウォームアップを終えた生徒たちは、その後4つのグループに分かれ、ストローク&ボレーの練習を始めました。
ストローク&ボレーとは、エンドライン近くに立っているプレーヤーと、ネット際に立っているプレーヤが、ストロークとボレーでラリーを行う練習のことです。
私を含むグループは、ネット側向かって右側のサービスラインとエンドラインの中間の辺りに集まり、ボレーの順番を待っていました。
ボレーヤー(ボレーを行う人)は、ストローカー(ストロークを行う人)がエンドラインから打ち込んでくるボールを、ネットを越えたところで空中で捉え、相手のコートの中に叩き込みます。ストローカーはさらに、この球をワンバウンドで拾い、ボールに回り込み再び正面に立つボレーヤーに照準を定め、ボールを繰り出します。
コートの半面を1秒もかからずに飛び回るボールの速度は、時速数十キロあり、素人でも100キロ以上出すことはそんなに難しくありません(*3)。
このようなスピードの球を応酬し合い、かつ途切れずに続ける事は、ある程度の経験を必要とします。
(*3)プロのサービスの速度は、最大300km/hも出るそうである。
ところが、このクラスでは一番最初に球を出すプレーヤがいきなりネットに引っかけたりして、ボールを待つ私の方は、一度もボールに触れることなく、交代させられます。これが連続して3回続いたときは、私も頭に来ました。
一応金を払って練習に来ているのに、練習をさせてくれないのではお話になりません。ネットの向こう側から『すみませーん』と言う声を無視して列に戻るときに、ラケットを振り回しながらのジェスチャーを込めて、背中で怒りを表現する私でした。
私のグループの中にも一人だけですが、とりあえずきちんとボレーを打ち返せるOL風の女性がいました。
ちょっとふくよかな体型にもかかわらず、体の動きには切れがあり、大きな体から正確なボレーをストローカーの位置にきれいに返していました。
だから私も油断していたのです。
その時私が待っていた位置は、彼女の丁度真後ろでした。
ボレーヤーの真後ろに立っていれば、その位置にはストローカーからの球が飛んでこないはずです。私はもう一組のストローク&ボレーをしている、ストローカーの方に注意を向け、そこから飛び出してくるボールだけに注意を払っていました。
ここでは、私の前方にいるボレーヤーが返球ミスを犯さない、と言う計算での「待ち位置」でした。
事件はその時起こりました。
彼女とラリーをしていたストローカーは、返球されたボールを、ネットを舐めるような絶妙な高さと射るようなスピードで彼女の正面に返しました。
その球は、右利きの彼女の左肩に向かって真っ直ぐ刺さってきました。体勢を崩しながら正面にラケットを構えてバックボレーで応対しなければならない、難しい球筋でした。
しかし彼女は、この球をラケットの面で捉えるのに失敗したばかりではなく、完全にラケットからボールを素通りさせます。
上級者クラスに所属している人間としては決して許されない極めて幼稚極まりない愚かなミスショットです。
彼女の腋を抜けたボールは、勢いを全く減じることなく、真後ろに立っていた私に向けて向かってきます。
私から見れば、突然空中にボールが現れ、襲いかかられたようなものです。
そのボールは、高性能ライフルか、あるいは電子ビームで狙ったかのように、1ミリのずれもなく私の股間に直撃しました。
無論、男性の「股間」と言ってもその領域や危険度には極めて広い状態が存在し、必ずしも致命傷になるとは限りません。
しかし、この時速数十キロの速度のボールは、恐らくこれ以上の効果は望めないくらい正確に私の『金的』の両方を見事に直撃しました。
瞬間、私は自分に何が起こったか分からず、『ウッ』とも『グッ』ともつきかねる短い雄叫びを発し、そして2秒後、気を失いかけてコートに崩れ落ちます。
そして、徐々に痛みがこみ上げてきて、その痛みはこの世の全ての痛みを集めてもかなわない程の痛みに発展し、私はコートのプラスチックタイルをかきむしりながら、コートの上で七転八倒、文字どおり右に左にとごろごろと悶絶しながら転がっていました。
痛みは、単なる股間の痛みから腎臓などの気管にも及び、正常な呼吸もままならず、呼吸困難な状態にまで至ります。
いっそうのこと、気を失ってしまえば楽だったのかも知れませんが、痛みのあまり気を失うことも出来ません。私は仰向けになったまま、焦点の合わない視点を空に泳がせながら、肩で深呼吸をしているしかありませんでした。
なかなか立ち上がれずにコートの中で拳を握りしめ、絞り出すようなうめき声を発しながら悶絶している私に、やっと事態を飲み込めたように上級コース、中級コースからもコーチが集まってきて助け起こそうとし、私はコーチの肩に抱えられて、ようやく立ち上がることができました。
ボレーのミスを起こした女性が、心配そうに「大丈夫ですか?」などと聞いていますが、痛みの余り極限の怒りに達した私は、完全に社交的な振る舞いを忘れ、地獄の底から這いあがり復讐の鬼のような形相のまま、彼女を見据えます。
ただでさえ目つきの悪い恐ろしい人相と言われているこの私が、全身全霊を込めて睨み付けるのですから、彼女でなくとも怯えるのは当然と言えましょう。
私は、彼女をギロッと睨み、私はしばし無言のまま十分に彼女を石のように固まらせた後、絞り出すように低い声で呪詛を吐きつけます。
「この、・・この程度の技量がなくて・・・、よくもここに居られるものだなぁ・・・。」
私に謝罪を受け入れる余地が欠片も無いことを悟った彼女は、顔色を青白くさせて、2、3歩後ろに引きます。
彼女は、たった一言の『済みません』で、概ね事の片付くこの国において、『絶対に許さん!』と言う、未知なる「怨」の文化に直面してしまったのです 。
すでに痛みと怒りで理性回路がけし飛んだ私は、彼女をその場に立ちすくさせ、視線を逸らすことさえ許しませんでした。
私の全身は青白い怒りのオーラに包まれ、安易な気休めの言葉やお飾りの心配の台詞を吐く者が近寄ったら、問答無用でぶちのめす、くらいの状態にありましたし、実際にそうしたと思います。
彼女を顔面蒼白にさせるほどに十分に怯えさせて、最後には(くたばりやがれ!)と言う視線で彼女を切り捨て、私はコーチに支えられながらコートの外に退場していきました。
私を運びながら、コーチは『まあ、仕方のない事故ですから・・。』と語りかけていましたが、少なくともこの台詞は痛みで悶絶中の人間に語りかける台詞ではありません。
普段調子のいいお愛想を連発する私ですが、本気で怒ったときは一言の口も聞かない冷酷な人間となります。学生時代の私を知っている友人達は、こういう状態の私を称して『氷の江端』と呼んでいたのを私は知っています。
状況を深刻にさせたくないコーチ思惑を、真っ向から否定し、私は彼らを冷酷に無視し、痛みと怒りでゆがむ表情をこれみよがしに見せ続けたのでありました。
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私はその日、練習の続行は不可能と判断し、コーチの勧めもあってアパートに帰ることにしました。
コーチは『今日の分は来週に使っていただいて結構ですから。』と言っていましたが、(当たり前だ!馬鹿者!!)と心の中で怒鳴りつけ、低い声で「・・そりゃ、どうも・・。」と言っただけで、スクールを去りました。
更衣室でも、激しい痛みがぶり返しうずくまって床に転がっていましたが、そのうち腹が立ってきて、壁に拳を打ちつけて「どん!どん!」と言う鈍いすさまじい音を立てていましたので、きっと受け付けの女の子は怖かったことでしょう。
帰宅途中の駅で嫁さんに電話して、テニスの練習中に事故に遭った旨を伝えました。
心配そうに待っていた嫁さんは、一通り私の話を聞くととりあえず安心した表情を見せましたが、時々痛そうにうずくまる私を不安げに眺めていたようでした。
「くそ!」とか「畜生!腹が立つ!!」とか思いだしたように叫ぶ私に、嫁さんは「そんな汚い言葉は使わないの。」と注意します。
その時、私は急に冷静な表情になって嫁さんに言いました。
江端:「・・・僕だって本当のところはちゃんと分かってはいるんだ。テニス部で初心者のコーチもしていたからね。こういうのは、つまるところ『不幸な事故』以外の何者でもなく、誰かに責任があるわけじゃない、と言うことくらいはね。」
嫁さんは、ほっとしたように微笑みました。
江端:「しかしだな・・・」
嫁さん:「えっ?」
江端:「問題は、この痛みと苦しみなんだ。これは理性で解決できるもんじゃないんだ」
嫁さん:「・・・。」
私は突然声を荒げて言いました。
江端:「『くっそぉ~!!あのクソ女(あま)ぁぁ~!!』と叫ばずにはいられない僕の気持ち、分かる?」
嫁さん:「勿論。分かるよ。」
江端:「・・・。」
嫁さん:「ね、智一君。」
と嫁さんはにっこりと笑いながら応えました。
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その後、私は嫁さんに具体的な痴漢の撃退法を教えていました。
「性欲だけで女性を襲うどうしようもない下衆野郎は、これからも後を絶たないと思う。体力的に女性は常に弱い立場にある。だが、これを埋め合わせて余りある方法が『金的への攻撃』だ。」
女性の方はよく分からないかも知れませんが、男性の金的は恐ろしいほどデリケートです。
拳を軽く握りしめる程度の力でその急所を掴むだけで、その男性は5分間は回復出来ず、全く活動出来なくなります。
『そんなことしたら、やりかえされるじゃない。』と思うかも知れません。
ですが安心して下さい。
絶対に反撃できません。
そのくらいの地獄の痛みなんです、『金的への攻撃』というのは。
あなたは稼ぐことの出来たその5分間で、ひたすら逃げます。
十分な時間といえましょう。
次に具体的な攻撃の仕方です。
よくテレビドラマで、女性が膝を使って男性の股間を打つ、と言うシーンがあります。これではダメです。この方法では金的ではなく男性器の方を打突する可能性が高くなります。
男性器などいくら打突されても、痛くも痒くもありませんし(いや、勿論それなりに痛いだろうけどさ)、ちょっとマゾヒスティックな人なら「気持ちいい~!」と言うような、訳のわからないリアクションをされる可能性もあります。
なにより、全ての男性にとって『金的への攻撃』は絶対に避けねばならないことですから、あなたの攻撃の意図が見破られたら、残念ながらあなたは終わりです。
一撃必中!二度目の攻撃は、絶対にないものと認識して下さい。
足でも膝でも拳でも構いません。
男性の股間の真下に入り込んでください。
金的は男性の股間の直下にあります(繰り返しますが前方ではありません)。真ん中にぶら下がっているものなのです。
男性の股間の真下から、天を貫くように真っ直ぐ垂直上方に、迎撃ミサイルを発射するように目標を叩くのです。
また、万一チャンスを逸して体を取り押さえられたら、とりあえずどちらかの手の自由を確保して、目標を捕まえて渾身の力で握り潰して下さい(しつこいようですが、『男性器』ではだめです。その向こうにある『金的』が目標です。)
これで絶対にあなたは勝てます。
繰り返しますが、攻撃のチャンスは、最初で最後のたった一度です。
心してかかって下さい。
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その後、3日間の間、時々襲ってくる鈍い痛みに、苦しみそしてびくびくしながら日々を送っていました。
もし新婚2年目を迎えたばかりの私達の夫婦生活に、重大な支障が生じるような事態にでもなったら---あの女性を草の根分けても捜しだし、この世に生まれてきたことを後悔させてやるような苦しみで絞め殺してやる---と、濃縮還元100パーセントジュースのごとく純粋な悪意の塊となって日々を過ごしていました。
さいわい4日目に、私は無事回復を果たし、私たち夫婦は平和な日々を過ごすことができるようになりました。
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テニスやスキーを通じて自己鍛錬に励み、優れた人格と孤高な精神を有し、高い理想に燃え、皆から慕われ信頼され、そして、当の本人がその優れた資質に気がついていないこともあり、「歩く人徳」と呼ばれる私でさえ、その優れた資質で乗り越えられなかった、この事件。
この事件は、「痛み」と「苦しみ」の狭間で、孤高な人徳を維持することがいかに困難なことであるかを、私に思い知らせた一件となったのでありました。
(本文章は、全文を掲載し、内容を一切変更せず、著者を明記する限りにおいて、自由に転載して頂いて構いません。本文章は商用目的に使用してはなりません。)
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E-mail:See http://www.kobore.net/mailAddress.gif
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(If you would like to enjoy your life,
send message "subscribe kobore" to majordomo@iijnet.or.jp .)
はい、このエラーの原因は明確です:
あなたが有効化した仮想環境 llm_env
(←最初に作成した環境)には、
transformers
ライブラリなどが インストールされていない ためです。
これまでの作業は llm_env310
という仮想環境で行っていたので、
llm_env
では再度必要なパッケージを入れないと同じように動作しません。
llm_env310
を使い続ける(推奨)一番簡単です:
C:\Users\tomoi>llm_env310\Scripts\activate
その上で:
python caption_blip.py
llm_env
にもパッケージをインストールする(どうしても使いたい場合)llm_env\Scripts\activate
pip install torch torchvision torchaudio --index-url https://download.pytorch.org/whl/cu121
pip install transformers accelerate timm Pillow
その後、再び:
python caption_blip.py
仮想環境名 | Pythonバージョン | 状況 |
---|---|---|
llm_env |
おそらく 3.13 | ⚠️ PyTorch未対応・transformers動作不安定 |
llm_env310 |
3.10 | ✅ PyTorch・transformers・BLIPすべて正常動作済み |
llm_env310
を使い続けてください。
llm_env
は今後使わなくても大丈夫です(削除してもOK)。
必要であれば、llm_env310
を簡単に起動できるショートカット .bat
もご案内します。ご希望ですか?
の件の続報です。
このマシンを繋いでいた、アナログディスプレイ(HDMI → VGA変換して使っていた)が、何も表示しなくなって壊れてしまったようです。
仕方がないので、HDMI対応のモバイルモニタで代替しえいるのですが、この後、HM90がダウンしなくなりました。
そういえば、これまでのシステムクラッシュの原因って、ほとんどディスプレイが真っ黒になる、という症状で発生していました。
HM90 が、最近ダウンしなくなった理由が、ディスプレイにあったかどうかは分かりませんが、現在のところは調子よく動いているようです。
システムがは、何が原因でダウンするか予測がつかない ーー これも、古いシステムがなかなかリプレースされていかない理由の一つだったりします。