2013,江端さんの忘備録

日本国憲法は、太平洋戦争終結後の、日本を占領した連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)、というか、米国政府によって押しつけられたものである ――

という主張を良く聞きます。

―― でも、それが何だと言うのですか?

と私は、逆に尋ねたいのです。

権力の濫用を防ぐ「三権分立」の考え方は、モンテスキューに押しつけられたものですか?

法治主義は、我が国が、近代ドイツ法学を押しつけられれたものですか?

もっと言うのであれば、漢字は中国に押しつけられたものですか。近代医学はドイツに押しつけられたものですか。化学や微分や積分の概念は、欧米に押しつけられたものですか。

―― どーだっていいじゃん、そんなこと。

日本国憲法の発生のプロセスがどうであれ、それをがんばって運用してきたことで、日本国憲法は、我々日本人のものになったのです。

日本人は、よくがんばってきたと思います。

憲法第1条(象徴天皇の規定)なんて、大陸法的観点からも、コモンロー的観点からも「完全に意味不明」な条文です。

はっきりいって、憲法第1条は「法律ではない」と言い切ってもいいと思う。

しかし、誰が起草しようが、それが、単なる理想や理念を語っていようが、法律と呼べるかどうか疑義があろうが、我が国において半世紀以上も運用され続け、

そして、(それは単なる運が良いだけであったとしても、または形式的であれ)、我が国は、国際紛争を解決する手段としての戦争はしなかったという、

―― どえらい実績がある

とは、言えるんではないでしょうか。

まあ、同盟国(米国ですが)の戦争を山ほど手伝っていますし(朝鮮戦争から湾岸戦争、そしてその後も)、日米安保条約がなければ、とっくに他の国に占領されていただろうなぁ、と、私ですら思います。

だから、「平和憲法が、平和をもたらしてくれた」とは、直接的には言えないことも、よく分かってはいます。

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憲法第9条2項の改正は、法治国家としての対応としては、確かに正しいと思う。

しかし、その改正をしないことによって、ぼんやりとしたものであっても、私達の過去の反省が伝わり、誰かが安心し、我が国としてのの誠意が、届けられるのであれば、

沢山のバンドエイドやら、包帯やらを巻きつけながら、ゼーゼーいいながら、なんとか存在していたとしても、

憲法第9条2項は、「そのままでも、いいよ」と、言ってくれるのではないか、と、

私は、そう思いたいのです。

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「憲法第9条2項の改正は必須だ、もう我々は待てない」という方に対して、私ができることは、お願いをすることくらいです。

あと、20年ちょいくらい、待って貰えませんか(もっと早いかもしれません)

私は、「『嘘つき』ではない人生を生きた」と、これまで出会って話をしてきたアジアの人に、言いたいのです。

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だめ? そんなに長くは待てないですか?

じゃあ、あと数年、いや2年でもいいです。

「背負っている赤ちゃんってね、死ぬといきなり重くなるんだよ」と言った母に、

「戦後、あなたたちは、この国の平和憲法を立派に守りきったのだ」と語りかけて ―― 送ってやりたいのです。

江端さんのひとりごと 「尊敬され得る人々」

 

2013,江端さんの忘備録

昨日の続きです。

我が国の最高法規である憲法に、「矛盾」があり「ねじれ」がある、というお話をしました。

「矛盾」や「ねじれ」を、それを「ない」状態にしようとすることを、私は、正面から批判することはできません。

でもね ―― と、私は思うのですよ。

日本国憲法は、「我が国の最高法規」であると同時に、「人類の考えうる究極の理想論」でもあるのだ、とか、

あるいは、「日本国憲法第9条は『夢と魔法の国』の話である」とか、「日本国民の共通理念であり、信仰である」とか、

―― それじゃ、ダメですか?

夢だっていいじゃないか。

世界中から嘲笑されたっていいじゃないか

と。

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「今さら、それを言うか!」「卑怯だぞ!!」

これまで、ロジックや法律論で、色々なコラムを寄稿し、反論を封殺してきた江端が、その論旨展開はないだろう、という罵声が、パソコンの前までにも聞こえてきそうです。

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でも、やっぱり、私は「日本国憲法」は、やっぱり「念仏」や「聖書」や「コーラン」であって欲しいと思う。

例えば、新約聖書(の、マルコ福音書)に出てくる、あの超有名で、未だに私には訳が分からないフレーズ

『神よ、神よ、なぜ私をお見捨てになったのですか(エリ、エリ、レマ、サバクタニ)』

を、

「このフレーズを残したままでは、新約聖書の解釈の一貫性を欠く」

「山ほどの解釈があって、面倒だ」

「うん、そうだな。今後は、聖書から、このフレーズは削除しよう」

というくらいの「乱暴さ」を感じるのです。

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「詭弁だ!法律と宗教を一緒くたにするとは、お前こそ乱暴にも程があるぞ!!」

という声も聞こえてきました。

うん、うん。分かっています。

もう少しだけ、我慢して聞いて下さい。

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私は、これまで、一人旅をしてきたアジアの国々で、太平洋戦争中の日本軍による非道行為に関して、うんざりする程、非難(正確には「お前は、日本軍が何をやってきたか知っているか?」という質問を)されてきたのです。

正直、『文句なら、当時の日本人に言ってくれよ』とは思いました。

でも、その国の人達は、無茶ぶりを承知の上で、旅の途中にあった日本人の若者に、どうしても「それ」を伝えたかったのだ、ということは、本当によく分かりました。

その想いが、あまりに、強く、切なく、悲しすぎて、私にそのような発言をすることを躊躇させました。

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私は、以下のように応えていました。

「私自身は『申し訳ない』とは言えません。私はそこにいなかったからです」

「でも、我が国は法治国家の最高法規である憲法で『いかなる形においても、絶対に戦争をしない』ことを明文化しています」

「日本人は、絶対に、この憲法を未来永劫守っていくはずです」

「日本人が、この憲法を守り続けることで、私達日本人の過去の反省と未来の誠意を、どうか信じて貰えないでしょうか」

―― と言ってしまったのですよ。

そう。かなり、たくさんのアジアの人たちに。

だって、私にとって、日本国憲法とは「神聖にして犯されざる法典」と信じ、そして、それを全く疑ったことがなかったからです。

その「法典」の内容を、削除・変更することを、我が国の国民が「支持する時代がくる」など、予想もできなかったのです。

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―― 私は、やっぱり「嘘つき」になるのかなぁ

と思うと、切ない気持になります。

(続く)

2013,江端さんの忘備録

私が学生だったころ(25年くらい前)、法律を勉強していた友人が、

「さっさと『9条』を改正すればいいのよ」

と言って、私の度肝を抜かせたことがあります。

当時の私は、大学の自治寮の寮長であり、思想的には「左」で、自動的(?)に『9条』に関しては「護憲」の立場であったと思います。

その私に正面切って「9条改正」を言い切ったのは、後にも先にも彼女だけでした。

まあ、私のスタンスを「全然知らなかった」だけかもしれませんが。

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日本国憲法第9条は、前文と併わせて、我が国の憲法の三大原則の一つである「平和主義」を規定しているものです。

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■第1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

■第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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彼女が言っていた「9条」とは、正確には「第9条2項」の、いわゆる「戦力不保持」を示しています。

「自衛隊の存在との不整合」が発生することに対する、法律を勉強する学生としての、一種のストレスだったんだろうなぁ、と今では思えます。

なお、この当時、まだ、「自衛隊を海外に派遣する」などという観念すら存在していなかったことに、留意しておいて下さい。

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現在、この「日本国憲法第9条2項」は、沢山のバンドエイドやら、包帯やらを巻きつけながら、ゼーゼーいいながら、なんとか存在している、という感じがします。

というのは、この9条2項は、どう考えても「そりゃ、ちょっと無理があるのではないか」という解釈論で逃げまくってきたからです。

いろいろな解釈があるのですが、一番有名な政府解釈を、私なりに書き下してみると、こんな感じでしょうか。

■第1項では、(1)国際紛争解決としての戦争は「ダメ」だけど、(2)自衛戦争は「ダメ」とは言っていないよね。

■第2項にいう「交戦権」とは、(1)のことを言い、(2)の自衛戦争を含まない、と読めるよね。

■だから、自衛隊の存在は「合憲」だよね。

私が思うに ―― 多分、法律家も政治家も、これを日本人であれ外国人であれ、こんな話を、その人たちに説明するのが、本当に面倒くさいんだろーな、と思うのです。

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私も最近、法律(といっても特許法ですけど)の勉強を開始して、この気持が分かるようになりました。

「解釈(定説、反対説、その他)を2つ以上覚えるのは面倒なんだよ」

「私の脳のキャパはそんなに大きくないんだから、とっとと成文化してくれよ。本当に勘弁してくれよ」

と、泣きたくなることがあります。

まあ、特許法などの知的財産権法は、2年おきにくらいにコロコロと変わりますので、別の意味で泣きたくなることもありますが。

それはさておき。

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憲法はその国の法律の最高法規ですから、この憲法に「逆らわないように」それ以外の法律が作られることになります。

その最高法規に「逆らうような」もの(例:自衛隊等)を運用している、という状態は、

多分、我が国の最高意思決定機関の長の人達にとって、

『これ以上もなく、気持の悪い状態』

ということは、想像に難くありません

私のような、知財法の初学の下っ端でも、法解釈では「イライラ」させられるくらいなのです。

そのような方々にとって、9条2項の改正というのが「悲願」というのは、本当によく理解できるのです。

(続く)

2013,江端さんの忘備録

法律はその一文一句に至るまで、きちんとした理由付けがされていることを知ったのは、特許法の勉強を始めてからのことです。
■この法律のこの条文の趣旨は何か。
■そして、この法律のこの条文ができしまうと、誰の利益になり、誰の不利益になるか。
■さらに、この条文は、正義やロジックを含めた社会通念上、妥当と言えるか。そして、国際的な潮流とマッチしているか。
■これらを全体的に考慮すると、この条文制定することは「我が国の国民に利益がある」と言える。
という、論理付けが、全ての法律の、全ての条文の、全ての一句に至るまで、かっちり作られている ―― それを知った時に、
「まあ、なんとまあ、『法律を作る』ということは、大変な作業なのだろう」と、驚いたことを覚えています。
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例えば、「特許法第17条の2(補正)」を挙げてみるとこんな感じになります。
■特許出願を、出願後に補正、つまり「修正する」ことは、あとから別の発明を「追加」できることになるから、ダメ。
■でも、我が国の特許権は「早い者勝ち(先願主義)」を採用しているから、「全部ダメ」とすると、発明者が「かわいそう」すぎる。
■でも、「無制限」に、何回でも修正することを許すと、特許庁も「ダルい」し、権利内容が後からコロコロ変ると他の人にも迷惑がかかる。
■という訳で、本条では、補正できる「範囲」と「時期」をきっちり決めて、出願人も、特許庁も、他の人も、「ま、いいか」と言える範囲の補正だけ許すことにするよ。
という感じの理由づけが、ちゃんと記載されています。
この他、スポーツのルール、校則、社内規則、なんでも良いのですが、それらには、必ず、誰が見ても「なるほど、そういうことか」と納得できるだけの理由が必要なのです。
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今朝、嫁さんに車で駅まで送って貰った時のことです。娘(長女)の学校の前を通り直ぎるときに、嫁さんが言いました。
嫁さん:「お、手を繋いで、校門にかけこんでいるカップルだよ。珍しいなぁ」
実際に珍しいのです。
娘の通っている中学は、男子と女子の建屋が分離している共学なのです(正直、その制度趣旨が、私には、よー分からんのですが)。
私:「この学校って『男女交際禁止』の校則があったけ」
嫁さん:「ないよ」
私:「ま、そうだよね。今時、そんな・・」
嫁さん:「あ、でもね。娘(長女)の所属している演劇部は『部内恋愛禁止』なんだって」
私:「はぁ?なんじゃ、そりゃ? その理由は?」
嫁さん:「面倒くさいことになるから」
私:「・・・?」
嫁さん:「演劇部の中で、恋愛トラブル起こされたら、当事者は勿論、他の部員の演技にも影響が出て、『面倒くさいことになるから』だって」
私:「はあ、確かになぁ。運動部や他の文化部ならともかく、演劇部の活動において、人間関係のギクシャクは、演技に対して、決定的に致命的と言えるな」
嫁さん:「逆に、演劇部員以外との恋愛はどーでも良い、となっているらしいよ」
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こういう「恋愛禁止令」であれば、理系の法学初学のエンジニアでも、とても分かりやすくて、良いです。

2013,江端さんの忘備録

私が、リュックを背負って、アジアを歩き回っていた時のことです(「バックパッカー」と言われていました)。

バックパッカーの旅行者と一緒に、タイのバンコクを回っていた時、彼の仲間との待ち合わせに付きあったことがあります。

しかし、所定の時間になっても、その仲間は姿を現わしませんでした。このような旅では、よくあることでした。

しかし、その待ち合わせでは、確か「帰国フライトのチケット」の手渡しという重要な内容で、下手すると、彼は、帰国する手段を失うかもしれないという事態でした。

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私が驚いたのは、その後です。

「必ず何かのメッセージを残しているはずだ」と言いながら、彼はその周辺を探し出して、電柱から飛び出している針金に引っかかっている紙を見つけました。

「お、これだ、これだ」

その紙には、『落ち合う時間と場所の変更』を記載した手書きの文章が記載されていました。

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携帯電話もメールもない時代、ましてや海外における連絡手段が絶無であった時代において、

我々、海外一人旅の旅行者は、ほとんどこのような、―― 現代にあっては信じられないような原始的な方法で ―― 海外の旅を生き延びていたのです。

2013,江端さんの忘備録

海外で生活した人は、口を揃えて「日本の運行ダイヤの緻密さ、正確さ」を褒め称えます。

列車運行管理システムは、もとい、我が国が誇る、最高傑作の作品です。

その最高作品ですら、コントロールできないのだから、仕方がないのだ、

―― と、言い聞かせないと「切れそう」な自分を感じています。

なんで、30分の余裕を見て、なお、重要な会議に「遅着の連絡」を入れなければならないのだ。

なんで、私の出張の日の、その時間をピンポイントとして、人身事故が起きるのだ。

と。

私も、「自分だけに都合の悪いことが起っているという思い込みは、錯覚である」ということは、判っているのですが。

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文明国の所業にあるまじき非道であり、人権の観点からも許されざる行為であり、

人道上も、倫理上も、衛生上も、なにより、列車運行の安全上、大問題であることは分かっていますが ――

『人身事故で、バラバラになった遺体の破片を終日放置したまま、通常運転を強行する』

なんか、そういう現実と対峙したくなるなぁ、という想いを抑えられないことがあります。

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昔、ラジオ番組で聞いたことがあるのですが、高校生が、警察にお願いして、飛び込み自殺の現場写真を貸与して貰い、それを文化祭で展示したことがあったそうです。

もちろん、極めて真面目な自殺問題に対する取り組みの一貫として、です。

「凄いことを企画する高校生がいるもんだなぁ」とびっくりしたので、よく覚えています。

もの凄い反響があったようで、良い意味での自殺への「幻想破壊」がされた、ということのようです。

でも、今同じことをして、同じような効果が得られるか 私には判断つきかねます。

そのようなコンテンツは比較的簡単に入手できるようになってしまったからです。

それでもなお、私は、世の中にある、現実を、文学でも、絵画でも、写真でもなく、五感のリアルで感じ取ることを、―― それが、心に酷い怪我をさせることになったとしても ―― 必要ではないか、と思っています。

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例えば、「死刑執行の立ち会い制度」などは、その運用に関しては、まず死刑囚の同意を絶対的条件として、何重ものチェックや審査を行ったとしても、国民に開示する制度を用意すべきではないかと考えます。

我が国の国民の多数が「是」としている制度なのですから、その制度の実施状況を、国民自身でチェックできないというのは、やっぱり変だと思うのです。

その結果で、死刑制度の「是」が強化されても、「非」に転換が図られても、それは、どちらでも良いと思うのです。

法律は国民の合意で成立されているものなのですから、その運用を国民はチェックする権利と義務があると思うのです。

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「そんな厳しい場面に対峙したくないし、そもそも、私には、そのような場面に係わることは一生ないはずだ」という方もいると思います。

それは、また、その通りだと思います。

私は、私達の全てが世の中の森羅万象に対峙して敢然と立つ必要があるとは、思っていません。

見たくないものは、目を瞑って通り過ぎる、で十分です。

ただ、現在の所、回避する可能性が絶無である「死」についてだけは、そろそろ直面する時代ではないかなぁ、とも思っています。

まあ、たまたま、今私が、そういう立場に立っているだけ、ということかもしれませんが。

2013,江端さんの忘備録

東京都議会選挙の結果は、どうでも良いのですが、その投票率を見て愕然としました。

"30%"に達していない。

このことをもって、「未来を放棄している」と非難するのは簡単ですが、有権者にも言い分はあります。

「お前たち(立候補者、各政党)の言っていることは、分からん」

起きている時間の大半を、政治的な活動をしている政治家たちと違って、有権者である私達は、日々仕事や育児、子どもの教育などで、毎日忙しいのです。

候補者が投票して欲しいのであれば、政治について考える時間が「一日5分以下」の我々に向けた「プレゼンテーション」を考えろ、ということです。

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この「プレゼンテーション」で一番効率的なやり方は、「経済効果」です。

「経済効果」は、「一日5分以下」どころか、「一日の時間のほぼ全部の時間」に対するアピールになるからです。

「経済効果」とは、詰るところ「金」です。

原発問題でも、高齢者福祉問題でも、少子化問題でも、若者の就労問題でも、全部「金額」に換算して計算すれば助かるのですけどね。

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そうなると、有権者側にも、金額に対するスケール感が必要になります。

これは「教育」が担当する範囲になります。

例えば、・・・

と書き出してから、ちょっと国家予算について、調べてみたのですが、これが良く分からんのです。

一般会計とか特別会計とか、ぐちゃぐちゃで、一度、自分で理解してみないと、とても、書けそうにありません(ので、また別の機会に)。

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前にも書きましたが、娘たちには、「国家に関する金であれば、とにかく、1億(人分)で割ってみろ」とは言っています。

■日本のGDPが、だいたい500兆円だから、国民一人あたりが稼いでいるとみなせるお金は、年間500万円

■日本の国債発行残高が、だいたい1000兆円だから、国民一人あたりの借金は1000万円

■「宇宙兄弟」で有名になった、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の3,390億円は、国民一人あたりの負担でいうと、年間3390円くらい、―― 映画館に年2回いく位の感じ。

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街頭演説は、「あなたの財布から○○円貰います」「でも△△の為に有効に使います」と、数値で語れ。

政治に関しても、いつまでも、「1円、2円、3円、・・・たくさん」では、立候補者も有権者も、恥かしい。

未分類

昨日、特許のお話をしたので、その続きということで。

特許権に関する幻想を持っている人って多いと思うのですが、我々研究員からすれば、発明は単なる業務です(なお、上記の内容は古い上に、若干の嘘もあります。特許法は殆ど隔年で改正されていますから)

江端さんのひとりごと「それでも貴方は特許出願したいですか?」

もっと直接的に言えば「ノルマ」。

「発明」がノルマでできるのか、と思われるかもしれませんが、特許発明というのは、一種の小説とかコミックマンガと同じような「創作物」でもあるのです。

「発明」を記載する明細書には、物語、すなわち「ストーリー」が記載されなければなりません。

それを読む特許庁の審査官を、「感動」させなければならないからです。

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特許明細書の内容は、概ね、こんな感じになっています。

(Step.1)まず、巨大な悪の帝国を記載します(課題)。この巨大な悪の帝国を滅ぼす為の兵器を登場させます(課題を解決する公知の技術)。

(Step.2)ところが、この兵器が全く悪の帝国の帝国軍に太刀打ちできず、自由同盟軍は敗走します(公知技術でも解決できない課題)。

(Step.3)そこに、自由同盟軍の新型兵器が登場します(本願発明)。この新型兵器は、誰も見たことがなく(特許法29条1項)、そして誰も思いつくことができな かった(同2項)ものです

(Step.4)自由同盟軍の新型兵器が、帝国軍のくりだす全ての兵器を撃破し、自由同盟軍は最終的に勝利を収めます(本願発明の効果)。

こうして、皆が幸せになることで、物語・・・もとい、明細書は終了します。

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前回の特許明細書で、私は8割を書き上げたところで、「あれ?」と気がつきました。

―― この新型兵器では、悪の帝国の反撃で、撃破されてしまうじゃないか?

こうなると、最初からストーリーを組み直すことになります。

仕事の大半がパーになって、かなり泣けます。

とはいえ、もっと優れた新型兵器をホイホイ発明するのは難しいです。

ですから、ストーリーの再構築に際しては、姑息な手段を考えることになります。

例えば、―― 悪の帝国を最初から「弱く」設定しておく、とか。

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特許明細書という楽しくもない文章を、特許庁の審査官に読んで貰うには、それ相応の技も必要なのです。

2013

私は、基本的に言語以外のコミュニケーション(身振り、手振り)で、多くの国で何とかしてきました。

もちろん、ビジネスでは通用しませんが、旅行程度であれば、世界中どこでもなんとかしてみせる ―― という、漠然とした自信があります。

ですので、私は、言語に関しては「語彙」を重視する立場で、「発音」など本当にどうでもよいと思っていました。

しかし、先日のNHKのラジオ英会話番組で、私のこの考え方を根本から破壊しかねない事例が紹介されていました。

―― 英語のコミュニケーションの相手は、「人間」ではなく「機械」になる

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確かに、覚えがあります。

米国赴任中、電話をつかって予約をしようとしたとき、電話自動応答システムが対応してきて、色々と質問をしてきました。

『あんたは、何をしたいんだ。次の1~5の中から選べ』

と、まあ、この程度はよいのですが、

『どの空港から、どの空港へ、何日の何時の飛行機に乗りたいのか』

との、問いに対する自動音声システムは、ほぼ100%、

『ごめん。わかんない。もう一度言ってくれないかな(I am sorry, I don't understand what you said. Would you please try it again?) 』

と、の応答してくる。

で、同じ質問を三回された挙句、"Sorry, See you again" と言われて、一方的に電話を切られる。

そして、電話の受話器を持ちながら、呆然と立ちすくむ私がいる、と。

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相手は自動音声システムですから、身振り手振りが通じないのは当然として、聞き返し(Pardon?,Sorry?) や、「私は、あの有名な日本人なんだ(I am a Japanese, you know well)」が、通じない。

これは辛い。

これは、いわゆる私が主張してきた、「江端メソッド」を根底から破壊されかねないトレンドと言えましょう。

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私は、以前、寄稿コラムで、「日本の製造メーカーですら、日本語のマニュアルを作らなくなった」というお話をしました。

このような潮流が、自動音声システムにまで拡張しないと、誰が断定できるでしょうか。

コールセンタの無人化は、経費削減の観点から、絶対に止まりようがありません。これは、システムのエンジニアとして断言します。

そして、多言語対応なんぞ論外。対応言語を一元化したいと思うのは当然のことです。

TPP等によって、生保、医療、その他の分野のサービスが日本への流入してくることは確定でしょう。

日本語対応するが莫大な経費がかかる企業が勝つか、日本語対応しないが安価なサービスを提供できる企業が勝つか、今の段階では断言できません。

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我々には2つの道があります。

A:徹底的に英語の、特に発音に関する教育を徹底的に「破壊」して、機械とのコミュニケーションの芽を今のうちに手折る、という戦略。

B:機会とのコミュニケーションを前提に、発音を最重視する英語学習にシフトする戦略

私としては、どっちの対応も嫌です。

私の第三の戦略は、「C:このようなトレンドが、あと10年来ないことをひたすら祈り続ける」です。

2013,江端さんの忘備録

先日、同人誌関係の方へのインタビューを行っていた時のことです。

ノートにメモを取りながら、「どうにも、全体感が掴めんなぁ」と、頭を掻きながら、愚痴っていた時です。

『だったら、江端さん、コミケに参加したらいかがですか』

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コミックマーケット、通称「コミケ」。30年以上の歴史をもつ日本最大の同人誌即売会。

通常は、年2回、夏と冬に東京国際展示場(東京ビックサイト)全ホールを使って開催され、のべ入場者数約50万人という、おそらく世界最大規模のイベント。

断片知識として、「入場に6時間かかる」という話も聞いたことがあります。

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冗談ではない。

体力もないけど、ディズニーランドで20分待つのも嫌いな私が、素人のコンテンツ売買イベントなんぞに、参加できる訳がありません。

著作権問題が解決されていない作品の取引を見ているだけで、私は怒り出すかもしれない。

無用な紛争を起こすことが判っていて参加するなど、愚の骨頂です。

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『いえいえ、そうじゃないです、江端さん。出店の方です』

―― 出店? 私に漫画なんぞが描けると思っているのですか?

『いや、そうじゃなくて。コラムやエッセイを出せばいいじゃないですか。江端さんのブログを纏めて冊子にしてもいいと思いますよ』

―― え? コミケって、文章も出せるのですか?

『コミケの精神は、「ノンセクションの自己表現」です』

自慢されてしまったようです。

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うーん、そう来たか。これは、予想もしなかった展開です。

「初音ミクコンサート」の参加は娘に随伴を断わられましたが、消費者でなく、提供者としての参加というのは、ちょっと、そそられるものがあります。

同人誌関係は、法律からのアプローチしかしていないが、現場を踏むという想定はしていませんでした。

これは、なかなかコラム魂に火が付く話です。

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―― しかし

今迄、寄稿してきたコラムの内容を省みると、コミケ会場で、関係者から袋叩きにあうんじゃないか、という恐怖が、皆無という訳でもありません。

おそらくは一冊も売れないであろう、私のブログ印刷物を見ながら、ブースに座り続けるのは、相当な苦痛でもあろうと思われます。

そのブースで、一人、黙々と原稿を書いている自分が、簡単に想像できてしまいます。

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結論:うん、やっぱりダメだな。

あの時は「考えておく」と言いましたが、現時点で、その気はなくなりました。

しかし、これを読んだ編集担当者さんから『是非行って下さい』と言われたら、ちょっと困るな。