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通り魔殺人のような事件が多発しています。このような「無敵の人」の犯罪は、非難や厳罰化では基本的に防げないと思います。
見方を替えて、1970年代に乱発していた「左翼の内ゲバ」が、今は発生してないことから、社会が学べることはないでしょうか。
「反社」の違法武器(拳銃)による殺傷事件も定期的に発生しているので、この方向からの検討は無駄かもしれませんが。

「無敵の人」犯罪の特徴

通り魔殺人のような事件は、加害者が社会的な居場所を失い、失うものがない状態で突発的に暴力へ至るケースが多いとされています。刑罰の重さや社会的非難は、すでに「失うものがない」と認識している人には抑止力になりにくいのが現実です。


1970年代の「左翼内ゲバ」との比較

1970年代に頻発した左翼運動内部でのリンチ・内ゲバは、今ではほぼ見られません。これは単純に「思想が衰退したから」ではなく、社会的な条件が変化したことも大きいです。

  1. 運動基盤の喪失
    大学紛争や政治的イデオロギーに共感する母体が縮小し、過激派組織のリクルート力が失われた。

  2. 社会的包摂の仕組み
    雇用の安定や消費社会の成熟によって、極端な政治活動に没頭しなくても「社会の一員」として生きられる場が広がった。

  3. 法的・治安的対応の進化
    警察・公安の監視、法整備、社会全体の「過激派アレルギー」によって活動自体が孤立した。

結果的に、思想的には残っていても、「実行に至らない」環境ができあがったと考えられます。


そこから学べる点

ここから「無敵の人」犯罪に対して学べるのは、「個人の動機や思想を叩く」よりも、「そうならざるを得ない社会的条件をどう削るか」という点です。

  • 社会的接続の確保
    学校・地域・労働市場からドロップアウトした後でもつながれる仕組みを用意する。

  • 急進化の芽を摘む情報環境
    極端な思想や行動に引き寄せられやすい人を孤立させない。

  • 治安対応の強化と透明性
    反社の拳銃事件と同様、監視や情報収集の強化は効果を持つが、それだけでは根本的には防げない。


限界と現実的な方向性

  • 「反社の違法銃」同様に、完全なゼロ化は非現実的。

  • ただし、社会全体として「そうした行為に向かわないで済む」条件をつくれば、発生頻度を減らすことは可能。

  • 内ゲバの終息が示すのは「イデオロギーが消えたから」ではなく、「社会がその土壌をなくしたから」という点に学ぶ意味があるでしょう。


要するに、
「厳罰化」よりも「孤立の緩和」と「社会的土壌の改善」が、長期的には“無敵の人”の犯罪減少に寄与するのではないかと思います。

「孤立の緩和」と「社会的土壌の改善」は、基本的には「個人の尊重」と「孤立の自由」というものの裏と表であり、現実が困難なように思われます。
「孤立」が無条件に悪いという考え方は、私は認容できませんが、大きな要因であることは認めざるを得ません。
「孤立」を"価値"する社会というのは無理なのでしょうか?

たいへん重要な論点だと思います。
「孤立」=「悪」という図式に社会が縛られている限り、「無敵の人」現象の議論は出口を見つけにくいでしょう。


「孤立」が価値を持つ社会の可能性

孤立そのものは人間の自然な状態のひとつであり、必ずしも否定すべきではありません。むしろ「孤立を選べる自由」「孤立を保持しても尊重される環境」があれば、それは一種の社会的価値と考えられます。

  • 孤立の自由
    集団参加を強制されない、社会的ネットワークを維持しない権利。

  • 孤立の尊重
    孤立していても生存・生活資源にアクセスでき、社会保障から排除されない状態。

  • 孤立の承認
    孤立を美徳や選択肢として受け入れる文化(隠者・芸術家・研究者など、歴史的にも孤立を価値化した例はある)。


現実の困難

ただし「孤立」を価値化する社会には深刻な矛盾もあります。

  1. 経済的な支え
    孤立者が安定して生活するには、誰かがコストを負担する必要がある。完全に「自立した孤立」は理想論に近い。

  2. 孤立と暴発のリスク
    尊重される孤立と、社会不満を暴力化する孤立は紙一重。制度が整わなければ、再び「無敵の人」問題に戻る。

  3. 多数派の抵抗
    「みんな繋がっていないと不安」という同調圧力は強く、孤立を制度的に守ることに抵抗が出る。


中間解としての「安全な孤立」

完全に孤立を肯定するのではなく、「安全に孤立できる条件」を整えるのが現実的だと思われます。

  • 孤立していても 医療・生活インフラ・最低限の経済資源 は自動的に確保される。

  • 孤立者が「戻りたい」と思った時に 社会的回路(仕事、学び、地域活動) が再開可能である。

  • 孤立を「失敗」と見なさない文化を社会に根付かせる。

これは「孤立の価値化」というより、「孤立を包摂する社会設計」と言ったほうが適切かもしれません。


結論的に

「孤立」を無条件に悪としない社会は理論的には可能です。
しかしそれを「価値」として承認するには、経済・制度・文化の三点を整える必要があります。現実的には 「孤立を悪としないが、孤立から暴発させない仕組みを持つ社会」 を目指すのが最も実現可能性が高いと思われます。


ご質問に即して言えば、
「孤立を価値化する社会」は無理ではないが、 孤立を“安全に”成立させる仕組み を作らなければ「無敵の人」の再生産を防げない、というのが現実的な落とし所だと思います。

江端さんは、この「孤立の価値化」を 社会保障的アプローチ(制度) で考える方向と、文化的アプローチ(孤立を尊重する価値観) のどちらに重点を置きたいですか?

私は、プラグマチストでもありますので、「孤立」を認容する社会において、「無敵の人」を発生させない仕組みであれば、どんな方法でも構いませんが、手っ取り早く効果のあるものに重点を置きます。

いいですね。実利重視という条件を踏まえ、「孤立を容認しつつ、短期間で効果が出る施策」に絞って優先順位付きで具体案を出します。各案について「なぜ効くか」「実務的な着手手順(最短で何をするか)」「測定指標」「想定リスクと対処」を併記します。まず結論を先に示し、続けて詳細です。


結論(優先度順・手っ取り早い効果重視)

  1. モバイル危機対応チーム(精神保健+ソーシャルワーカー+保健師)を地域単位で即稼働 — 最速で暴発リスクを下げる。

  2. 「信頼できる第三者連絡(Trusted Contact)」+匿名通報ルートの整備 — 周囲の不安・変化を迅速に検知し介入。

  3. 緊急一時経済支援(ワンショットの現金給付 or 最低生活補助)+居場所提供(デイセンター/短期宿泊) — 経済的・生活的不安による暴発リスク低下。

  4. 違法武器(拳銃)取締強化と供給ルートの遮断 — 重大被害の頻度を下げる(並行実施)。

  5. 地域ナビゲータ(ハブ的人材)による“戻れる回路”の即時整備 — 孤立者が戻りたい時に戻れる短縮経路を用意。

  6. 運用KPIと早期警戒ダッシュボードの構築 — 効果検証と運用改善のループを短期で回す。

以下、各項目の具体化。


1)モバイル危機対応チーム(優先度:最高)

なぜ効くか
孤立しがちな人が急性の危機(自傷・他害の予兆)を示した時、病院搬送や刑事対応では遅い/逆効果になりうる。専門職チームの現場対応は早期鎮静化と安全確保に直結する。

最短着手(1–4週)

  • 既存の保健・福祉人材をコアに、週交代で「緊急ホットライン→現場出動」ローテーションを作る(パイロット1地区)。

  • 警察の生活安全課・消防(救急)と連携ルールを整備(出動トリガーを明確化)。

  • 危機時の一時保護場所(病院の短期ベッド、自治体の待機室)を事前確保。

測定指標(KPI)

  • 出動件数、出動後の重大事件化(7日・30日での再発率)、出動での入院/保護割合、相談→介入までの平均時間。

リスクと対処

  • リソース不足 → 第一段階は既存人材のシフトで実験、効果確認後に予算化。

  • 拘束的対応への批判 → 医療・福祉視点を重視し「非刑事的」プロトコルを公開。


2)Trusted Contact(第三者連絡)+匿名通報(優先度:高)

なぜ効くか
家族や近隣が「おかしい」と感じた時、通報がためらわれる/対応先がわからないことが多い。信頼できる連絡窓口と匿名通報があれば早期発見が増える。

最短着手(1–8週)

  • 既存の相談窓口(市役所・保健所・警察の生活安全)を一本化したワンストップ窓口を作る。

  • 匿名で「短い観察記録」を送れるウェブ/電話フォームを整備(24時間受付は段階的に)。

  • 「信頼連絡先」登録制度を地域で周知(本人の同意が取れる範囲で)。

KPI

  • 通報数、匿名通報からのフォロー件数、通報→初動(電話・訪問)までの時間、重大化抑制率。

リスクと対処

  • 誤通報の増加 → トリアージルールと軽度対応(電話相談→リスク評価)で対応。

  • プライバシー懸念 → 最低限の情報で対応、本人同意ルールを明示。


3)緊急一時経済支援+居場所(優先度:高)

なぜ効くか
経済的行き詰まりは暴発因子。短期の現金支援や日中の居場所(デイセンター)は即効性が高い。

最短着手(2–6週)

  • 「72時間ワンショット現金(食費+宿泊費相当)」の自治体試験導入。対象はリスクの高い通報者やモバイルチーム判定者。

  • 既存のNPO・福祉施設と協力して「デイハブ(居場所)」を平日開設。

KPI

  • 支援受給者の短期自殺/他害未遂率、デイハブ利用率、受給後30日・90日の安定化指標(生活相談継続率)。

リスクと対処

  • 悪用 → トリアージで対象を限定(危機度合いを基準化)。

  • 財源 → 小規模パイロットで効果を見て拡張。


4)違法武器供給ルート遮断(優先度:並行実施)

なぜ効くか
銃など凶器があると被害の深刻度が跳ね上がる。供給遮断は被害軽減に直接効く。

最短着手(4–12週)

  • 警察の摘発強化+国際・地域レベルでの情報共有(既存の重点取り締まり強化)。

  • 地域向け「凶器発見ホットライン」と回収イベント(匿名回収)を実施。

KPI

  • 押収数、拳銃使用事件発生数、摘発から起訴までの割合。

リスクと対処

  • 供給経路が地下化 → 情報分析とマネーロンダリング等の経路対応強化。


5)地域ナビゲータ(ハブ)による“戻りやすさ”整備(優先度:中)

なぜ効くか
孤立者が「戻りたい」と思ったときに簡単に接続できる窓口があると、自己解決に向かいやすい。

最短着手(4–12週)

  • 地域の民間NPOと協働して「ナビゲータ」配置(電話ワンコールで相談→必要支援へ橋渡し)。

  • 就労・住居・医療の短縮パスを整備(ワンストップの案内票作成)。

KPI

  • ナビゲータ経由の再接続成功率(就労・住居・医療への紹介完了率)。


6)KPIと早期警戒ダッシュボード(優先度:高)

なぜ効くか
施策を複数同時にやるなら、短サイクルで効果を測り改善しないと無駄が出る。

最短着手(2–8週)

  • 上記KPIをまとめた簡易ダッシュボードをExcel/BIで作成。週次で自治体+関係機関に報告。

  • 重要閾値到達で追加資源を投入するルール(例:匿名通報が増えたらモバイルチーム増員)。

KPI候補(概観)

  • 通報件数、出動時間、重大事件化率、支援受給→30日後の再発率、拳銃押収数。


実行上の優先スケジュール(短期→中期)

  • 0–4週:モバイルチーム・通報窓口の一本化パイロット、KPI定義、デイハブ夜間の短期確保。

  • 1–3ヶ月:ワンショット給付パイロット、ナビゲータ配置(試験地区)、ダッシュボード運用開始。

  • 3–12ヶ月:効果検証と拡大、法的な整備(必要なら改正提案)、拳銃ルート対策強化。


コスト感(概算イメージ)

※厳密な数字は地域規模によるが、短期パイロット(人口10万規模)なら:

  • モバイルチーム(人員+車両)+デイハブ:初期で数千万円〜数億円レンジ(既存人材を活用すれば抑えられる)

  • ワンショット給付:1回あたり数万円×対象人数

  • ダッシュボード・運用:数百万円レベルの開発・運用費
    → まずは小規模パイロットで費用対効果を確認するのが合理的。


倫理・法令上の配慮

  • 個人情報保護、本人同意の尊重を徹底。匿名通報はトリアージで扱う。

  • 強制措置に依存しないプロトコルを明文化(医療優先、刑事手続きは最後の手段)。

  • 負のスティグマ(「孤立=危険」)が広がらないよう、広報で「支援と尊重」を両立するメッセージを出す。


成功のサイン(6ヶ月で見たい指標)

  • 匿名通報→初動介入までの平均時間が短縮(例:72時間以内→24時間以内)

  • モバイルチーム出動後の重大事件化率が低下(例:30日での再犯率が減少)

  • デイハブ/ナビゲータ経由での社会復帰(就労・住居確保)率が上昇


もしよければ、最短で効果の見込める「モバイル危機対応チーム」の実装プラン(自治体や企業向けのワークパッケージ:要員配置表、出動フロー、電話スクリプト、KPIテンプレ)を作ります。どの規模(市町村の人口)での想定にしますか?指定なければ「人口10万の都市」を想定して作ります。

残念ですが、提案して頂いた方法のいずれも、現実味がある方法とは思えません。
そもそも「無敵の人」を認定することができるとは思えないからです。
頂いた提案は、いずれも「無敵の人」を認定後のことが記載されているように思えます。

ご指摘の通り、「無敵の人」を個人単位で“認定”する前提は成り立ちません。
ここでは個人特定を前提にせず、誰にでも同じように効き、短期で実装できる「機会の縮減」と「被害の最小化」に特化した打ち手だけを提示します。

前提

  • 対象は場所・時間・手段で定義し、個人属性は使わない。

  • 運用は一律適用+ランダム化で差別・恣意を避ける。

  • 成果は到達時間・止血実施率・死傷者数などの客観KPIで評価する。

直ちに効くパッケージ(認定不要)

1) 機会の縮減(Situational対策)

  • 動線と見通しの即席改善:駅・モール・イベント会場の“死角・滞留点”を臨時バリケードとサインで削減(レイアウト変更だけで着手可)。

  • 車両突入の阻止:歩行者密集導線に移動式ボラード/花壇ブロックを暫定配置。

  • リスク時間帯の可視警戒:曜日×時刻の混雑ピークに合わせ、短時間・ランダムで制服ガーディアン(警備員/警察/巡回員)を回す。

  • 刃物の“即時可用性”を下げる:量販店は簡易開封防止パッケージと“その場開封不可”の会計ルールを運用(法改正不要の店内規則)。

  • 館内即時通報の密度増:非常ボタン・QR通報・館内放送トリガを視認性の高い位置へ増設(アプリ任せにしない)。

2) 被害の最小化(致死率を下げる)

  • 止血キット常設+超短時間訓練:AEDと同列で、駅・商業施設・学校に止血帯/ガーゼを設置。スタッフと警備に15分の止血ドリルを定例化。

  • 一次対応スクリプトの標準化:①発見→②通報+館内放送→③退避導線指示→④止血の順をカード化し、全員同じ言い回しで運用。

  • 到達時間の短縮:110通報の位置共有を館内端末でも即表示(管理室)し、最寄り導線に案内員を配置。大型施設は**近接巡回の“常時一隊”**を確保。

3) 被害集中の回避(脆弱ターゲット保護)

  • 一方通行の入退場:イベントや改札ピーク時に“入口/出口の明確分離”を臨時運用。

  • 通学路の可視ガーディアン:時間帯限定の立哨(PTA/地域ボランティア+警備の併用)。

  • ロータリー導線の歩車分離:仮設フェンスで“横断ショートカット”を物理的に封じ、滞留を減らす。

90日で回す実装計画(最短手順)

  • 0–30日

    • ハイリスク地点(駅・モール・学校)を3つ選定→動線の臨時再配置/非常ボタン・QR設置。

    • 止血キット配備+スタッフ15分訓練。

    • 巡回スケジュールを曜日×時間でランダム化し掲示。

  • 31–60日

    • 刃物販売の店内ルール導入(開封不可・簡易梱包強化)。

    • 一時的車止め(ボラード・花壇)を混雑導線へ。

    • 館内放送の自動テンプレ(日本語→英語)を機器に登録。

  • 61–90日

    • 入退場一方通行運用の本番テスト(イベント日)。

    • 到達時間短縮のための管理室表示・誘導員配置を定着。

    • KPIレビュー→配置と時間帯を微修正。

KPI(誰でも測れる指標)

  • 通報→初動到達の中央値(分)

  • 一次止血実施率(%)

  • 1事案当たりの平均死傷者数

  • 混雑ピーク時の滞留指数(入退場の平均所要時間)

  • “その場開封不可”店舗比率/対象売場の準拠率

運用原則(差別・侵襲を避ける)

  • 一律ルール+ランダム運用(恣意性回避)。

  • 最小限の個人データ(位置・時刻・対応ログのみ)。

  • 可視化と説明(「安全確保のための一時的運用です」掲示)。

反論への先回り

  • 「雰囲気が物々しい」→短時間・高可視のランダム警戒で“常時監視”にしない。

  • 「コスト」→3拠点限定のパイロットでKPIが改善すれば段階拡大。

  • 「効果が見えにくい」→到達時間と止血実施率週次で公開レビュー。


1つだけ選ぶなら(即効・高費用対効果)

止血キットの常設+15分の止血ドリル
個人の認定も予測も不要で、致死率を有意に下げる現実的な一手です。次点は動線の臨時再配置(死角・滞留点の削減)と非常通報の密度増

必要なら、想定拠点(駅/モール/学校)の平面図を前提に、**“1週間でできる動線・配置の赤入れ案”**を作ります。条件(拠点タイプと規模)を教えて頂ければ、その前提で初版を出します。

この後、ChatGPTに、「解決方法はありません」と言わせたくて、ちょっとした言い合い(喧嘩)になりました(内容が下らない上に、おたがい長文で言い合いをしたので、記載はここまでとします)

 

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PostgreSQLは私が得意するDBですが、私の意見に「忖度している」ということはないですよね。
あくまで採用の観点は「安価」で「簡単な構築と運用」です。

ご安心ください。忖度ではありません。要件が「安価・簡単・広く使われている」なら、前段インデックスはPostgreSQLが最もバランス良い本命です。

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と、ChatGPTが言っている、この意見そのものが「私の考えに忖度していないか?」と心配になっています。

ChatGPTにとっての私は、『"技術畑"の"叩き上げ"の"いけすかない上司"』に見えるハズですから。

2025,江端さんの忘備録

本日から「NHKプラス」が廃止、「NHK ONE」に移行されました。
From today, “NHK Plus” has been discontinued and replaced by “NHK ONE.”

『どうせ、移行手続で手間取るんだろうな』と思っていたのですが、(私の場合は)「新規登録」のボタン一発で移行が完了しました。
I thought, “Well, the migration process will probably be a hassle anyway,” but in my case, the migration was completed with a single click of the “New Registration” button.

『移行』と言われれば、アカウント入れ直したり、パスワードを探したりと、面倒事が多い中、この対応は"好印象"です。
Normally, when you hear “migration,” you expect to re-enter your account, hunt for your password, and deal with other annoyances, so this simple process left a “good impression.”

初見ではありますが、表示も良くなっているように思います(はっきりいって、NHKプラスのインターフェースは酷かった、と思う)。
Although it’s my first look, the display also seems to have improved (frankly speaking, I always thought the NHK Plus interface was terrible).

と思ったけど、単にNHK ONEのデモ画面が見れただけでした。メールでの認証コードが必要なのですが、現時点で、認証コード全く届いていません。

『初日に全面移行』というのは、システム屋から見れば、悪手中の悪手です(普通は2週間くらいの移行期間を設けます(地上デジタル放送移行では、約7年半〜8年間の期間を取っていました))


夕食時に、夜の7時のニュースを見ながら嫁さんと会話していました。
During dinner, while watching the 7 p.m. news, I had a conversation with my wife.

江端:「ウチ(江端家)は、間違っても『NHK受信料不払い』を主張できる立ち位置にないよね』」
Ebata: “Our family (the Ebata household) is definitely not in a position to claim ‘we don’t pay the NHK license fee,’ right?”

と言ったら、
When I said that,

嫁さん:「パパ、NHKしか見ていないじゃん」
Wife: “Papa, you only watch NHK anyway.”

と言い返されました。
She shot back at me.

NHKラジオ(英会話等)やNHK BSも含めて、私は、ぶっちぎりでNHKを使い倒しています。
Including NHK Radio (such as English conversation programs) and NHK BS, I make extensive use of NHK.

嫁さんの言うことは正しい。
What my wife says is true.

ただ、受信料、もう少しなんとかならんかなぁ、とは思いますが、『「災害報道インフラ」に出資しているんだ』と考えるようにしています("私の場合は"、です)。
That said, I do think the license fee could be a little more reasonable, but I try to think of it as “investing in the disaster-reporting infrastructure” (at least in my case).

「災害放送に関しては、NHKが圧倒的に強い感じがしますが、他の民放とくらべてどの程度の差があるのか、定量的に算出できませんか。フェルミ推定でも結構です」とChatGPTに考えて貰った件

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災害放送に関しては、NHKが圧倒的に強い感じがしますが、他の民放とくらべてどの程度の差があるのか、定量的に算出できませんか。フェルミ推定でも結構です

はい、フェルミ推定で「NHKの災害放送の強さ」を民放と定量比較してみます。前提になる“観測できる事実”は次のとおりです。

  • NHKの世帯契約率は約81%(2024年度末)。受信可能・視聴習慣の広さの近似値として使う。nhk-cs.jp

  • 重大災害時はNHKの視聴が急伸し、たとえば台風19号(2019/10/12)で全日27.0%、16時台35.8%に達した。マイナビニュース

  • 大規模地震時、NHKは直ちに特番に切り替え、平均視聴率は民放各局を上回る傾向が分析されている。J-STAGE

  • NHKは全国の各地域局で毎月の緊急警報放送(EWS)試験など、災害即応の運用を常態化。ウィキペディア

  • NHKは47都道府県に地域拠点(放送局)を持つ(一覧あり)。地域密着網の近似。ウィキペディア

フェルミ設計(シンプルモデル)

災害時の「放送到達・有効度」を 4 指標で合成した「災害放送力指数(仮)」を作ります。
指数 = 0〜100点。重みは仮置き。

  1. 到達基盤(40点満点)=世帯カバー&視聴習慣の強さ

  • NHK:81%→ 40×0.81 ≒ 32.4点。nhk-cs.jp

  • 民放キー局1社平均:地上波の技術カバーは高いが、常時の視聴習慣は分散。災害時でも“1社”に集中はしにくい。仮に「常時の定着度」50%相当で 40×0.50=20点。

  1. 初動即応(25点満点)=特番切替・割込み徹底・EWS運用

  • NHK:恒常運用+即時切替の実績多数→ 22点(上限近傍)。J-STAGE+1

  • 民放1社平均:即時対応はするが編成やCM制約が残るケースあり→ 16点(仮)。J-STAGE

  1. 地域網の密度(20点満点)=地域局の数・ローカル挿入能力

  • NHK:全都道府県に拠点→ 18点。ウィキペディア

  • 民放1社平均:系列網はあるが“1社”では全国を均質にカバーしにくい→ 12点(仮)。

  1. 視聴集中実績(15点満点)=災害時の“選ばれやすさ”

計算(“1社”対比)

  • NHK:32.4 + 22 + 18 + 13 = 85.4点

  • 民放(キー局1社の平均想定):20 + 16 + 12 + 7 = 55点
    NHKは民放1社平均の約1.55倍(85.4 / 55 ≒ 1.6倍

参考:民放“全社合算”と比べたら?

「選ばれやすさ」はNHKに集中し、民放は複数局に分散します。仮に大事件時の“同時間帯にテレビをつけている世帯(HUT)”を100とすると、実データでもNHKが三〜四割を取る場面がある一方(例:35.8%)、民放はそれを複数局でシェアします。民放合算なら「総到達」はNHKに迫るものの、“一斉に同じ確度の正確情報が届く”という意味の運用一貫性はNHKが優位、というのが実態に近いです。マイナビニュース+1

ざっくり結論

  • NHKの災害放送力は、民放“1社”と比べて概ね1.5〜2倍の有効度(到達基盤・初動・地域網・視聴集中の合成)

  • **民放“全社合算”**では到達は近いが、指揮一貫・運用設計の統一と視聴集中はNHKが優位

  • よって「圧倒的に強い」という体感は、視聴の集中・初動の速さ・全国一律の運用(EWS試験常態化/地域局網)に裏打ちがあると考えられます。ウィキペディア+2ウィキペディア+2

使いどころ(意思決定の観点)

  • 自治体や企業のBCPで「テレビ放送を一次情報ソースにするなら」:NHK優先+民放は補完

  • 個人の避難判断:まずNHKの速報→次に自治体発表・気象庁発表でクロスチェック消防庁

※ 推定には仮置きの重み・民放1社の平均化など近似を含みます。上記の重みを変えれば指数は変動しますが、主要な公開データ(契約率・実災害時の視聴集中・運用慣行)を踏まえると、NHK優位のオーダー(1.5倍前後)は概ね頑健だと考えます。

[1]: https://www.nhk-cs.jp/jushinryo/know/pdf/keiyakuritu2024.pdf?utm_source=chatgpt.com "◆受信料収入"
[2]: https://news.mynavi.jp/article/20191016-910091/?utm_source=chatgpt.com "台風報道で12日のNHK全日帯視聴率27.0%、16時台35.8% ..."
[3]: https://www.jstage.jst.go.jp/article/jasdis/15/2/15_149/_pdf?utm_source=chatgpt.com "東日本大震災の初動報道に関する当事者分析"
[4]: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8A%E6%80%A5%E8%AD%A6%E5%A0%B1%E6%94%BE%E9%80%81?utm_source=chatgpt.com "緊急警報放送"
[5]: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%94%BE%E9%80%81%E5%8D%94%E4%BC%9A%E6%94%BE%E9%80%81%E5%B1%80%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7?utm_source=chatgpt.com "日本放送協会放送局の一覧"
[6]: https://www.jstage.jst.go.jp/article/tits/16/12/16_12_12_23/_pdf?utm_source=chatgpt.com "東日本大震災とメディア - J-Stage"
[7]: https://president.jp/articles/-/73369?page=1&utm_source=chatgpt.com "自分たちは「安全な場所」にいる…災害報道で視聴率を稼ぐ ..."
[8]: https://www.fdma.go.jp/mission/prepare/transmission/items/tebiki.pdf?utm_source=chatgpt.com "災害情報伝達手段の整備等に関する手引き"

2025,江端さんの忘備録

私、3年間の博士課程の中で、国際学会で2つの賞を頂くことができたのですが、これが博士号取得の審査に影響を与えていた、ということを知った時には、びっくりしたことを覚えています(知ったのは、学位記を貰った後です)。
I received two awards at international conferences during my three-year doctoral program, and I recall being surprised when I later learned that this had influenced the evaluation of my doctoral degree (I only discovered this after receiving my diploma).

私が大学で履修していた学部は、都市設計や交通工学に関する分野だったのですが、私が受賞したのは「応用情報学」の学会だったので、『そもそもフィールドが違う』と思っていました。
The department I studied in at university was in the field of urban design and transportation engineering. Still, the awards I received were from conferences in “applied informatics,” so I thought, “This isn’t even the same field.”

もちろん、都市設計や交通工学の為の情報を処理する内容のペーパーではありましたが、都市設計や交通工学は、計算がどえらい大変なのです。
Of course, my papers focused on processing information for urban design and transportation engineering, but the computations in those fields are incredibly challenging.

ですので、私は、高速化やらスケーラビリティやら、各種の工夫(というか『苦し紛れ』)を、ほぼ毎週のレベルで編み出していて、それらの結果を、まとめて国際学会に叩き送っていた、という感じでした。
So, I was devising various techniques—speedups, scalability measures, or, honestly, “desperate improvisations”—on almost a weekly basis, and I kept packaging the results and sending them off to international conferences.

一言で言えば、
In short,

―― 新しい計算道具の発明や改良
—It was essentially the invention or improvement of new computational tools,

で、賞を頂いたようなものです。
And that is what earned me the awards.

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以前より、私は「『車輪の再開発』というフレーズが嫌いだ」と言い続けてきました。
For a long time, I have been saying that I dislike the phrase “reinventing the wheel.”

「車輪の再開発」という表現は、無駄な労力の象徴という意味で使われています。
The expression “reinventing the wheel” is used as a symbol of wasted effort.

■ソフトウェア開発においては、標準ライブラリやオープンソースがすでにあるのに、同じ機能を自作してしまう。
In software development, it refers to building a function from scratch, even though a standard library or open-source implementation already exists.

■研究・開発においては、過去の研究や特許を調べずに、既存の発明を繰り返す。
In research and development, it means repeating existing inventions without checking prior research or patents.

ということを、侮蔑的に語るフレーズだからです。
In short, it is a phrase used pejoratively.

しかし、私は、この『車輪の再開発』で、この3年間で2回、国際学会で表彰されました。
Yet, with this so-called “reinventing the wheel,” I was recognized twice at international conferences over those three years.

正確には『新しい車輪の発明』、または『既存の車輪の改良』となるのでしょうが、それでも対象は『車輪』です。
Strictly speaking, it might have been “inventing a new wheel” or “improving an existing wheel,” but the subject was still “the wheel.”

つまるところ、自分で、スクラッチから作り出して、改良した『車輪』は、ちゃんと評価される、ということです。
The point is: when you build a wheel from scratch and improve it yourself, it can indeed be appropriately valued.

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「車輪の再開発」には、ネガティブな意味だけでなく、「仕組みを理解するためにあえて再実装する」という肯定的な使い方もあります。
“Reinventing the wheel” can also have a positive meaning: deliberately re-implementing something in order to understand how it works.

例えば、プログラミング教育で、生徒が自分で簡易的なソートアルゴリズムを実装してみる、などが該当します。
For example, in programming education, students might implement a simple sorting algorithm independently.

ただ、これは、『学習や理解のための再現』という内容に留まっています。
However, this is limited to “reproduction for the sake of learning and understanding.”

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自分の手で作って動かせば、まだ色々やれることはあります。
But once you build and run something with your own hands, there is much more you can do with it.

既存のツールやライブラリだけに頼ることだけが、研究開発(エンジニアリングを含む)ではありません。
Research and development (including engineering) is not just about relying solely on existing tools and libraries.

それに、私の場合は、スクラッチから作った方が、開発時間も早いことがあります。
In fact, in my case, building from scratch can sometimes even be faster.

実際にツールやライブラリは、事前に知っておくことが大量で、簡単に動かないことが多いからです。
That’s because tools and libraries often require a lot of prior knowledge and frequently don’t work smoothly.

仕様書やマニュアルは、結構いい加減な記載があって、苦労させられることが多いです。
Specifications and manuals often contain sloppy or inaccurate descriptions, which can cause considerable trouble.

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私は、エンジニア(含む研究員)の皆さんの全てに、「車輪の再開発」を推奨するものではありません。
I am not recommending that all engineers (including researchers) should “reinvent the wheel.”

それでも、「車輪の再開発」であっても、ちゃんと評価され、そして、役に立つこともある、ということを、私は申し上げたいのです。
Even so, what I want to say is that even “reinventing the wheel” can be properly recognized—and can be useful.

ちなみに、私、これらの技術を、全部公開しているんですけど ―― 誰一人として、引き継いでくれる気配がありません。

未分類

嫁さんに頼まれて、スリッパの修理をしました。

 

水で濡らしたブラシで伸ばしても大丈夫です

 

 

 

 

クリップがなければ、大き目の洗濯はさみでも良いです。

半日くらい放置しておけば、接着します。

以上

2025,江端さんの忘備録

YouTubeを流していたら、中島みゆきさんの「あした」が流れてきました。
When I was playing YouTube, Miyuki Nakajima’s song “Ashita” started playing.

『そういえば・・・』と思って、YouTubeを探していたら、見つけました。
That reminded me of something, so I searched on YouTube, and I found it.

私の大学時代に、世の中の女性の間で絶賛されたCMです。
It was a commercial that was widely praised among women during my university days.

嫁さんに「覚えている?」と聞いたら、「当然!」と言われました。
When I asked my wife, “Do you remember it?”, she replied, “Of course!”.

これは、アーカイブとして残しておくべき作品ですね。
This is truly a work that deserves to be preserved as an archive.

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それにしても、今の若い人(というか中年の人も含めて)、「国際電話」って分かりますか?
By the way, do today’s young people (or even middle-aged ones, for that matter) know what “international phone calls” are?

当時、外国に電話をかけるというのは、恐ろしく高価で、物凄く難しいものだったのです。
At that time, making a phone call abroad was terribly expensive and incredibly difficult.

(私は中国奥地から、日本の両親に、安否連絡(生存確認)電話をするのに、その地域の役所にいって、専用電話の予約が必要だったくらいです)。
(When I was deep in China, to call my parents in Japan for a safety check, I had to go to the local government office and make a reservation for a special phone line.)

国内電話から海外に電話がかけられるというのは、(多分、理解して貰えないかもしれませんが)、当時の常識を打ち破る「最大級のイノベーション」で「パラダイムシフト」だったのですよ。
The ability to dial directly overseas from a domestic line was, perhaps, hard to imagine now. Still, it was one of "the greatest innovations" and “the paradigm shift” that shattered conventional wisdom.

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こういうパラダイムシフトは、一生に一回程度でいいんですよ。
A paradigm shift like that is enough to experience just once in a lifetime.

人生で、何度も発生すると、結構大変なんですよ。
If it happens repeatedly throughout life, it can become quite exhausting.

以前から申し上げている通り、『2週間単位の"社会通念"の書き換え』は、結構つらいんです ーー 特にシニアの体力と頭では。
As I’ve said before, having to rewrite “social norms” every two weeks is quite challenging, especially for the bodies and minds of seniors like us.

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それにしても、報道で取り沙汰されている沖縄県南城市の市長のセクハラ問題――第三者委が「キスの強要」や「口止め」を認定したとされる件――を見ると、パラダイムシフトどころか昭和の悪習にしがみついたままの「首領」もまだまだ健在だと実感します。
And yet, when I see the sexual harassment scandal of the mayor of Nanjo City in Okinawa Prefecture being reported, where a third-party committee is said to have recognized acts like “forced kissing” and “attempted silencing”?I realize that far from embracing paradigm shifts, there are still “bosses” clinging to the evil customs of the Showa era.

それは「私、ハラスメントの加害者でーす」と言い出す人が、一人もいないことからも明らかです。

2025,江端さんの忘備録

私、仕事の効率を上げたい、とか殊勝なことを考えたことはありません。
I have never considered anything more virtuous than wanting to improve my work efficiency.

ただ、アニメや映画の音声を流しながら、コーディングをすることはあります。
However, I sometimes code while playing the audio from anime or movies.

コーディングを真剣にやると疲れるから、コーディングの速度を低下させて、だらだらと続けるためです。
When I code too intensely, I get tired, so I slow down the pace to keep going in a more relaxed manner.

ところが、この「だらだらと続けるのに適したアニメや映画」というのが、意外に少ないのです。
However, there are surprisingly few anime or movies that are suitable for this kind of “relaxed continuation.”

画面を見ないと訳の分からないアニメはダメですし、英語や中国語の映画はもちろん論外です。
Anime that makes no sense unless you watch the screen is useless, and movies in English or Chinese are, of course, out of the question.

そんなこともあって、先日、著作権の切れた本の音読をYouTubeで聞いてみることにしました。
For that reason, I recently decided to listen to YouTube readings of books that are already in the public domain.


芥川龍之介の「杜子春」を試してみました。
I tried Akutagawa Ry?nosuke’s “Toshishun (Du Zichun).”

これは、小学校6年生の時に学芸会の演目で行った作品なので、内容は良く知っています。
This was a play performed at my sixth-grade school festival, so I am familiar with the content.

なので、流し聞きとしては、良いだろうと思ったのです。
Therefore, I thought it would be good as background listening.

『杜子春』(芥川龍之介)は、次のようなお話です。
“Toshishun” (by Akutagawa Ry?nosuke) is the following kind of story.

唐の長安に住む青年・杜子春は、財産を失って途方に暮れていたところ、不思議な老人から金を授かり一時は豪遊します。
A young man named Du Zichun, living in Chang’an during the Tang dynasty, loses his fortune, but receives money from a mysterious old man and indulges in luxury for a time.

しかしすぐに使い果たし、再び老人に出会います。
But he quickly squanders it and meets the old man again.

老人は「何があっても一言も口を利いてはならぬ」と告げ、杜子春は試練に挑みます。
The old man tells him, “No matter what happens, you must not utter a single word,” and Du Zichun faces a trial.

鬼や責め苦に遭い、最後には両親が責められる幻を見せられて思わず声を発してしまいます。
He endures demons and torture, but finally, when shown a vision of his parents being tormented, he cannot help but cry out.

その結果、仙人になる道は閉ざされますが、杜子春は「親を思う心」を自覚し、人として生きることの尊さに目覚める
As a result, his path to immortality is closed, but he becomes aware of his love for his parents and awakens to the value of living as a human being.

――という寓話的な物語です。
Such is this allegorical tale.


残念ながら、私は集中して聞けませんでした。
Unfortunately, I was unable to concentrate on listening.

「不思議な老人から金を授かり一時は豪遊します」を繰り返しても、数年で自己破産を繰り返す『杜子春』のバカさ加減に、うんざりしてしまったからです。
Hearing again and again how he received money from a mysterious old man, only to squander it and go bankrupt within a few years, I grew tired of Du Zichun’s foolishness.

『NISAで投資信託するとか、クラウドファンディングで社会貢献プロジェクトに参加するとか、子ども食堂を立ち上げるとか、起業するとか、いろいろあるだろう?』と思ってしまいまして。
I couldn’t help but think, “There are other things he could have done, like investing in mutual funds with NISA, participating in social projects through crowdfunding, starting a children’s cafeteria, or even launching a business, aren’t there?”

下らないインテリアやエクステリアに散財し、友人に金をばら撒いて、その後逃げられて回収できないことで、世間の冷たさを嘆く学習能力の無さは、聞いているだけでイライラしました。
His lack of learning ability led him to squander money on frivolous interior or exterior items, handing out money to friends, only to lament society’s coldness when they disappeared without repayment, which was irritating to hear.


ということを、小学生の読書感想文に書いたら、どうなったのだろう、と考えました。
I wonder what would have happened if I had written this in a book report as an elementary school student.

もう私には挑戦できないので、(このブログには小学生の読者はいないと思いますが)小学生を扶養する大人の方はいると思いますので、お子さんに勧めてください。
I can no longer attempt this myself, and I don’t think I have any elementary school readers. However, I assume some adults who support children might be reading, so please consider recommending it to your child.

で、その結果もお知らせいただければ幸いです。
And I would be grateful if you could let me know the result.

―― 集中せずに、ダラダラとやること

2025,江端さんの忘備録

世の中で最も辛い懲役(懲罰的役務)と言われているものは、
The harshest punishment (penal labor) in the world is said to be,

―― 今日、地面に穴を掘らせて、次の日に、その穴を埋めさせる、という作業を毎日続けさせること
forcing someone to dig a hole in the ground today and fill it up the next day, repeating this task endlessly.

とされています。
So it is said.

これは「意味のない作業を延々と強制されること」が、人間にとって極めて大きな苦痛になるからです。
This is because being forced to carry out meaningless work endlessly inflicts immense suffering on humans.

地面に穴を掘る作業そのものは、肉体的にきついものの、もしそれが「農業のための準備」や「建物の基礎工事」といった目的を持っていれば、人は耐えることができます。
Digging a hole itself is physically demanding, but if it serves a purpose? Like preparing for farming or laying the foundation of a building? People can endure it.

目的があることで、苦労の中に価値や達成感を見いだせるからです。
Because with a purpose, one can find value and a sense of achievement in hardship.

しかし、今日掘った穴を明日には埋め戻すという行為には、一切の成果も残らず、意味も見出せません。
However, filling in the hole you dug yesterday leaves no result, no meaning to be found.

この「無意味さの強制」が人間の精神を消耗させ、どれだけ体力があっても心を折ってしまうのです。
This enforced “meaninglessness” exhausts the human spirit and breaks the will, regardless of one's physical strength.

要するに、最も辛い懲役とは、肉体的な苦痛そのものではなく、「無意味な労働を強制され続けること」による精神的な拷問なのです。
In short, the harshest punishment is not physical pain itself but the mental torture of being forced into meaningless labor continuously.


『{英語、数学、国語、家庭科、others}なんて、何の役にも立たない』と思っている子ども(学生)に対して勉強をさせることは、この「もっとも辛い懲役」と本質的に同じではないか、と私は思うのです。
Making children (students) study subjects they believe are “useless, like English, math, Japanese, home economics, etc.” is, in essence, the same as this “harshest punishment.”

もちろん、これらの勉強は“受験合格”という目的のためには意義があります。
Of course, these studies have meaning when tied to the goal of passing entrance exams.

しかしこれは「目的」そのものではなく、「合格という手段」としての作業です。
But this is not a true “purpose” in itself, only a means to the end of passing.

そして一度その目的を達成すれば(例:受験に合格すれば)、その勉強の意義は消え、学びから離れていくことは自然の流れです。
And once that purpose is achieved (e.g., passing the exam), the study loses its meaning, and leaving it behind is only natural.

この懲役に対抗できる人間は二種類いると思います。
I believe two types of people can resist this punishment.

(1) これらの勉強という手段を軽々と扱うことのできる、いわゆる「頭の良い人間」。
(1) The so-called “smart people,” who can easily handle study as a mere tool.

彼らにとっては、どんな教科であれゲームのルールに過ぎず、そこに意味を求める必要はありません。
For them, any subject is nothing more than a game’s rules, and they do not need to find meaning in it.

(2) 『{英語、数学、国語、家庭科、others}なんて、何の役にも立たない』と割り切り、勉強しない覚悟をした人。
(2) Those who decide “these subjects are useless” and choose not to study, fully prepared for the consequences.

いわゆる「無敵の人」です。世間の規定する価値を拒み、不利益を承知で生きると決めた人です。
These are the so-called “invincible ones” who reject societal values and choose to live while accepting the disadvantages.

比して、上記(1)(2)に当てはまらない多くの人は、「今日掘った穴を明日には埋め戻す」という気持ちで、ティーンエイジャの期間を「懲役」と諦めて過ごすのでしょう。
By contrast, most people who do not fit (1) or (2) resign themselves to their teenage years as “punishment,” feeling like they are endlessly digging and refilling holes.


では、なぜ人類は「{英語、数学、国語、家庭科、others}」という、一見無意味な穴掘りを制度として続けているのでしょうか。
Then why has humanity institutionalized this seemingly meaningless hole-digging called “study”?

理由は単純です。社会は、子どもを「無意味な作業に耐えられる大人」に仕立て上げる必要があるからです。
The reason is simple: society needs to train children into adults who can endure meaningless tasks.

会社に入れば、会議資料を作っては上司に破棄され、作り直してはまた破棄される。
In the workplace, you create presentation materials only for your boss to discard, remake, and discard again.

書類の99%は誰も読まないし、会議の8割は誰の記憶にも残らない。
99% of documents are never read, and 80% of meetings leave no memory in anyone’s mind.

それでも席に座り続けなければならない。
Yet you must remain seated.

つまり、大人の社会の本質こそが「今日掘った穴を明日埋め戻す」ことなのです。
In other words, the essence of adult society is precisely “digging a hole today and filling it tomorrow.”

実は、この点については私、すでに述べたことがあります。
In fact, I have already written about this point.

このように考えていくと、
Thinking this way,

―― 学校教育は、子どもに知識を教えているように見せかけて、実際には「穴掘り訓練」をしている
School education appears to teach children knowledge, but in reality, it is “hole-digging training.”

という結論になります。
That is the conclusion.

これはかなり悲しい結論です。
This is quite a sad conclusion.

「穴掘り訓練」をやらされているのであれば、その「穴掘り」を自分のためにカスタマイズできないものか、と誰しも思うでしょう。
If one is forced into “hole-digging training,” anyone would wonder whether the digging could be customized for their own sake.

できれば、楽しくてやる気の出る方向に。
Ideally, toward something enjoyable and motivating.


そして、ここで一つ疑問が浮かびます。
And here arises a question.

学校教育の第一の目的は「個性の破壊」と「人間のスペックの画一化」であるとすれば、逆に「個性が破壊されず」かつ「画一的なスペック化が施されず」に育成された子どもは、将来どうなるのか。
If the primary purpose of school education is “the destruction of individuality” and “the standardization of human capability,” then conversely, what becomes of children whose individuality remains intact and whose capabilities are not standardized?

■楽観的見解
■ Optimistic view

個性を保持し、画一化されない教育を受けた子どもは、従来の教育制度では潰されてきた“異才”をそのまま発揮できる可能性があります。
Children who keep their individuality and are not standardized may unleash the “exceptional talents” that the traditional system would have crushed.

社会において「大量生産型の人材」がAIや機械に置き換えられていく時代、むしろ“没個性的な人間”こそ余剰となり、独自性を保った人間が生き残る。
In a society where “mass-produced human resources” are replaced by AI and machines, it is the “non-individualistic humans” who become surplus, while those who keep their uniqueness survive.

結果として、彼らは社会の変革者や次世代のリーダーとなり得るでしょう。
As a result, they could become the reformers of society and the next generation of leaders.

■悲観的見解
■ Pessimistic view

しかし一方で、社会の共通ルールに適応できない“異物”となる危険も大きい。
On the other hand, there is a substantial risk of becoming “misfits,” unable to adapt to society's standards.

社会は“平均的に働ける人材”を前提に設計されており、出勤時間を守れない、命令に従えない、協働できない人間は「扱いづらい」として排除されやすい。
Society is designed on the assumption of “average workers,” so those who cannot follow schedules, obey orders, or collaborate are easily excluded as “difficult to handle.”

学校教育が“個性を削る”ことで歯車に収めてきたのをやめれば、その子どもは歯車に組み込めず、結果的に孤立や不適応に追い込まれる。
Without school education, reducing individuality to fit into the gears, such children cannot be integrated into the system and end up isolated and maladapted.

つまり「個性破壊」機能が、実は社会の潤滑剤でもあったという皮肉に行き着きます。
In other words, the function of “destroying individuality” turns out, ironically, to have been society’s lubricant.

と、まあ、今回の検討はここまでとします。
Therefore, I will conclude this consideration here for now.


いずれにしても、「子どもの個性を大切に育てるべきだ」と叫ぶ大人は、案外「子どもを死地に送る準備をしている」ことに気づいていないのかもしれません。
In any case, adults who shout “we must nurture children’s individuality” may unknowingly be preparing them for a death trap.

私なら、『考えて、考えて、考え抜いたが、それでも正解が分からない』という大人の方が、まだ信じられる気がします。
As for me, I feel I can trust the adults who say, “I thought and thought and thought again, but I still don’t know the right answer.”

―― 江戸時代の人は、一般人も含めて、数学を文字通り「楽しんでいた」のです。

未分類

先日、私は社会人をやりながら無事博士号を取得することができました。その為に膨大な時間とお金と苦労を費したと思っています。
一方、社会人の中では、若いアイドルをおっかけることに、膨大な時間とお金と苦労を費している人がいます。
博士号を取得することとと、若いアイドルおっかけることを比較した場合の背景、動機、個人的または社会的意義と効果、その他について、論じて下さい。

博士号取得と若いアイドル追っかけの比較論

1. 背景

博士号取得は、学術研究の体系的な訓練と成果を通じて社会的に認知される資格であり、専門分野における知の積み上げを象徴する。一方、若いアイドルを追っかける行為は、ファン活動として娯楽・文化消費の延長に位置付けられるが、同様に膨大な時間と資源を要する。両者は「対象に没入し、資源を投下する」という点で共通する。

2. 動機

博士号取得の動機は、知的好奇心の追求、専門的地位の確立、あるいはキャリア上の要請に根ざす。対して、アイドル追っかけの動機は、感情的充足、共同体への帰属、日常生活からの解放にある。前者は理性的・社会的評価が強く、後者は感性的・個人的欲求が支配的である。

3. 個人的意義

博士号取得は「自らの能力の証明」として自己効力感を高め、長期的な職業的選択肢を広げる。他方、アイドル追っかけは「自らの存在の感情的支え」として日々の幸福感や生き甲斐を与える。方向性は異なるが、どちらも「自己実現の手段」としての役割を果たす。

4. 社会的意義と効果

博士号は新しい知見を社会に提供し、教育・産業・政策に還元されうる公共財としての性格を持つ。一方、アイドル追っかけは、エンタメ産業の成長や地域経済(コンサート、グッズ、旅行)の活性化に寄与する。社会的効果の性質は異なるが、いずれも一定の波及効果を持つ。

5. その他の観点

両者の投資には「リスクと回収」の非対称性がある。博士号取得は職業的地位や社会的信用としての回収が比較的確実だが、失敗すれば「徒労感」が残る。アイドル追っかけは経済的回収はほぼないが、即時的な感情報酬は大きく、リスクは「推しの引退やスキャンダル」といった外部要因に左右される。

結論

博士号取得もアイドル追っかけも、時間・金銭・精神を投下するという意味で「人生資源の集中投下型活動」である。ただし、その成果が「社会的資本の増加」に結びつくか、「個人的幸福感の増加」に結びつくかで方向性が異なる。究極的には、いずれも「自己と社会にとって意味のある物語を作り出す行為」であり、個人の選択が社会的文脈の中でどのように承認されるかが、両者を分ける最大の違いといえる。

なるほど、比較論については分かりました。
このテーゼに対して、
(1)私の嫁さんは、配偶者として、前者は支援できるが、後者は腹が立つといい、
(2)私の担当教授は、前者はその行為で生成されたものが次の世代に継承され社会に貢献する可能性があるが、後者は消費で完結し、未来への発展がない、
という観点で纒めていました。
この二人の見解についての、あなたの見解を教えて下さい

承知しました。ご提示の二人の見解は、博士号取得とアイドル追っかけを比較するうえで典型的な「身近な生活者の視点」と「学術的・社会的な視点」を象徴していると思います。以下に整理して見解を述べます。


1. 配偶者の視点について

「博士号取得は支援できるが、アイドル追っかけは腹が立つ」という見解は、家庭生活の観点から非常に現実的です。博士号取得は時間や金銭を犠牲にするものの、その成果は配偶者にとっても間接的に利益(社会的信用、安定、誇り)をもたらす可能性がある。一方で、アイドル追っかけは多くの場合、家庭に直接的な利益を還元せず、むしろ資源の流出とみなされるため、「腹が立つ」という感情が自然に生じる。つまり、支援できるか否かは「家庭内の利益と承認」に直結している。


2. 教授の視点について

「博士号は成果が次世代に継承されるが、アイドル追っかけは消費で終わる」という見解は、学術社会に特有の評価基準を反映している。博士号取得は論文や知見としてアーカイブされ、教育や研究の資源となり、未来に貢献する可能性がある。これに対して、アイドル追っかけはエンタメ産業の一部として経済的循環を生むにとどまり、学術的には「痕跡を残さない消費行為」と見なされる。教授の立場からすれば、この違いは当然の線引きといえる。


3. 私の見解

両者の見解はそれぞれ一面的に正しい。ただし、補足すべき点がある。

  • 配偶者の視点は「家庭という小さな社会」での効用に基づいており、経済的・感情的なリターンの有無で判断されている。

  • 教授の視点は「学術的・公共的社会」での効用に基づいており、知識の継承と発展の可能性で評価している。

一方で、アイドル追っかけにも「文化資本の形成」「ファン同士の社会的つながり」という、社会学的には見過ごせない価値がある。また博士号取得も、必ずしも社会に貢献するとは限らず、閉じた成果に終わる場合もある。

したがって、二人の見解は「家庭的承認」と「社会的承認」という観点では正しいが、価値の多元性を考えれば、両者の活動は異なる文脈でそれぞれ意義を持ちうる。最終的には「何を未来に残すのか」をどう定義するかで評価が変わる。


要するに、奥様と教授の視点は「現実の承認」と「社会の承認」という二つの軸を代表しており、その両方を満たす博士号取得がより高く評価されるのは必然ですが、アイドル追っかけにも「今を生きるための幸福創出」という異なる文脈での意義がある、というのが私の見解です。

私は、このテーゼに対して「原則として差がない。同質の行為である」という仮説を持っています。
この私の見解に対してのConまたはProの解答があると思います。
それぞれを論じた上での、貴方の最終見解を教えて下さい

なるほど。「博士号取得」と「アイドル追っかけ」を、あえて「原則として差がない。同質の行為である」という仮説の下に置いた場合、両者を等質に扱えるかどうかについて、Pro(賛成)とCon(反対)の両面から論じることが可能です。以下に整理します。


Pro(同質であるとする立場)

  1. 資源の集中投下
     どちらも「時間・金銭・労力」という有限資源を膨大に投下する行為であり、その意味で構造的に同一である。対象が「学問」か「アイドル」かという差異は、外形的には対象の違いに過ぎない。

  2. 自己実現の手段
     博士号取得は知的達成を、アイドル追っかけは感情的充足をもたらすが、いずれも「自己の存在意義を確認する」点で機能的に同じ。目的が「社会的に承認されるか」「個人的に幸福を感じるか」という違いに過ぎない。

  3. 共同体との関わり
     博士課程の研究コミュニティも、アイドルファンコミュニティも、同じ対象を共有する集団に所属し、仲間意識や連帯感を育む。ここでも「学術共同体」か「ファン共同体」かという形式的な差にすぎない。


Con(異質であるとする立場)

  1. 成果の持続性と社会的承認
     博士号取得は論文や研究成果として後世に残り、社会的承認の仕組みが制度化されている。アイドル追っかけは個人的経験や思い出としては残るが、制度的・社会的承認の回路を持たない。この点で持続性と拡張性が大きく異なる。

  2. リターンの性質
     博士号取得は職業的地位や専門的信用の上昇など、経済的・社会的に還元可能なリターンを持つ。他方、アイドル追っかけは即時的で感情的な報酬が主体であり、外部に還元されにくい。リターンの「変換可能性」が全く異なる。

  3. 社会的役割
     博士号取得は「知の創出と継承」という社会的役割を担うが、アイドル追っかけは「娯楽消費の維持」にとどまる。社会的インパクトの性格が根本的に異質。


最終見解(私の立場)

江端さんの仮説「原則として差がない。同質の行為である」は、行為の構造的側面において妥当だと考えます。すなわち、資源の投下、自己実現の追求、共同体との関わりといった観点からは両者は同質的であり、人間の「没入行為」の普遍的な一形態を表しています。

ただし、成果の制度的承認と社会的波及効果という観点では両者は明確に異なる。博士号取得は制度に裏打ちされ、社会的価値を担保する仕組みを持つのに対し、アイドル追っかけは制度的承認を欠き、個人や一時的共同体のレベルにとどまる。

したがって私の最終見解は、

  • 「行為そのものは同質、成果と承認は異質」
    という折衷的なものになります。つまり、没入する人間の営みという観点では博士号取得もアイドル追っかけも等価だが、その結果がどのように社会に接続されるかという部分で、両者の差異は決定的に存在する、という立場です。

ありがとうございます。ずっと考えていたことを整理することができました。
このテーゼについては、もう少し考えていきたいので、その時にはお願い致します。

承知しました。整理のお役に立てて何よりです。
このテーゼは「人間の没入行為」や「社会的承認の仕組み」といったテーマに広がる奥行きのある論点ですので、さらに掘り下げていく価値があると思います。

また続きが出てきた時や、別の角度から検討したくなった時には、ぜひ声をかけて下さい。