2025,江端さんの技術メモ

Windows 11 に WSL2 をインストールし、Ubuntu をデフォルトOSに設定し、Docker をインストールする手順を説明します。

1. 背景

Docker for Windowsが、有償化されて、困ったことになっています。

で、これを回避する方法として、「WSLのLinuxを利用して、Dockerを利用する方法」がある、という話を聞き『あ。なるほど』と思い、さっそく環境構築をノートPCでやってみました。


2. WSL2 のインストール

2.1. WSL の有効化効化

管理者権限で PowerShell または コマンドプロンプトを開き、以下のコマンドを実行します。

wsl --install

これにより、WSL2 とともに Ubuntu が自動でインストールされます。

WSL のバージョンを確認するには

wsl --list --verbose

もし、既に WSL1 になっている場合、以下のコマンドで WSL2 に変更できます:

wsl --set-version Ubuntu 2


3. Ubuntu をデフォルトOSに設定設定

インストールされている WSL のディストリビューションを確認:

wsl --list --verbose
デフォルトを Ubuntu にする:
wsl --set-default Ubuntu

4. Docker のインストールール

WSL2 上の Ubuntu に Docker をインストールします。

4.1. パッケージの更新更新

sudo apt update && sudo apt upgrade -y

4.2. Docker のインストールール

sudo apt install -y docker.io

4.3. Docker のサービスを開始開始

sudo systemctl enable --now docker

4.4. Docker グループへのユーザー追加追加

sudo usermod -aG docker $USER

適用するには、一度ログアウトするか、以下を実行:

newgrp docker

4.5. Docker の動作確認確認

docker run hello-world

「Hello from Docker!」と表示されれば成功です。


5. Docker Compose のインストール

sudo apt install -y docker-compose

6. Docker デーモンを WSL2 内で実行実行

通常、Windows 上で Docker Desktop を使う方法もありますが、WSL2 内で直接 Docker を動かしたい場合は systemd を有効にします。

6.1. WSL2 で systemd を有効化を有効化

sudo nano /etc/wsl.conf

以下の内容を追加:

[boot] systemd=true

保存して WSL を再起動:

wsl --shutdown

再度 WSL を起動して systemctl が使えることを確認:

systemctl list-units --type=service

6.2. Docker の自動起動起動

sudo systemctl enable --now docker

これで、WSL2 + Ubuntu + Docker の環境構築が完了しました。

7. Docker for Windowsのコンテナイメージをtarで固めて展開する

これは、以下を参考にして下さい。

Dockerコンテナのイメージをセーブして先方に送る方法

$ sudo docker load < 20240828_shajyo.tar

のあたりから続けます。

これをwslで実行すると、docker imageができます。

8. ちょっと変なことが起っている話

ところで、この段階で、ちょっと不思議なことが起こりました。

docker for windowsを起動すると、WSL内のdocker imageの名称が変わります(理由不明で、変なのですが、動くなら、まあ構いません)。

で、それだけでなく、docker imagesで、Docker for windowsのイメージが全部登場してきます。

なんだか良く分かりませんが、これが出てくるのであれば、「Docker for Windowsのコンテナイメージをtarで固めて展開する」をサボれるかもしれません(誰か確認したら教えて下さい)。

で、あとは、Docker for Windowsで作成した時と、同じディレクトリに移動して、

docker-compose restart

をすると、無事に動き出しました。

9. 総括

なんだか良く分かりませんが、Docker for Windowsを使っている環境であれば、それを残した状態で、この作業すると、随分手を抜けるかもしれません

移行した後に、Docker for Windowsをアンインストールすれば良いでしょう。

お試しあれ。

言うまでもありませんが、無保証です。


「ちょっと変なことが起っている話」の理由

Docker for Windows を起動すると、WSL 内で動作している Docker イメージの内容が変化する可能性があります。以下の理由が考えられます。


1. Docker for Windows は WSL 2 をデフォルトで使用

Docker for Windows(Docker Desktop)は、デフォルトで WSL 2 ベースのエンジン を使用します。
これにより、WSL 2 で管理されている Docker のデーモン(dockerd)が Docker Desktop の管理下に入る ため、起動時に設定や状態が変更されることがあります。


2. Docker デーモンの変更

Docker for Windows を起動すると、WSL 内の Docker の設定が次のように変わる可能性があります。

  1. Docker デーモンが変わる
    • もともと wsl -d Ubuntu などで WSL 2 内の dockerd を起動していた場合、Docker for Windows を起動すると Docker Desktop が管理するデーモンに切り替わる
    • これにより、ローカルの Docker デーモンが停止 する可能性がある。
  2. デフォルトのデータストアが変更
    • Docker for Windows を起動すると、デフォルトの docker データストアの場所が C:\ProgramData\DockerDesktop\ に変更されることがある。
    • それまで ~/.docker/var/lib/docker に保存されていたイメージやコンテナが正しく認識されなくなる場合がある。

3. ネットワークやストレージの影響

Docker Desktop は Windows 側のネットワーク設定やストレージマウントを変更するため、WSL 側の Docker コンテナに影響を与えることがあります。

  • ネットワークの影響
    • docker0 ブリッジの再設定や、NAT の適用によって WSL 内の Docker コンテナの通信方法が変わることがある。
    • WSL の IP アドレスが変化し、WSL 側で設定していたネットワーク設定が無効になる可能性がある。
  • ボリュームマウントの影響
    • WSL で /mnt/c のようにマウントしていたボリュームが、Docker Desktop の管理下で //wsl$/Ubuntu 経由でマウントされることがある。
    • これにより、Docker 内で期待していたファイルパスが変わる可能性がある。

4. WSL 2 のデフォルト設定が変更される

Docker for Windows の SettingsResourcesWSL Integration「Enable integration with my default WSL distro」 を有効にすると、
Docker のデフォルトデーモンが WSL 2 の docker-desktop ディストリビューションを経由 するように変更されます。

これにより、Docker Desktop を起動すると、docker images の一覧が変わることがあります。


5. 解決策

もし WSL 内の Docker 環境を変えたくない 場合は、次の方法を試してください。

  1. Docker Desktop を無効化
    • wsl --set-version Ubuntu 1 にして、WSL 2 ではなく WSL 1 を使う(WSL 1 では Docker Desktop 連携がない)。
    • Docker Desktop の WSL Integration 設定を無効化する。
  2. WSL 内で独立した Docker 環境を使う
    • Docker Desktop を使わず、WSL 内で dockerd を手動で起動し、独立した環境を維持する。
    • sudo service docker start で WSL 内で Docker デーモンを起動。
  3. Docker の context を使い分ける
    • docker context コマンドを使用し、Docker Desktop のデーモンと WSL 内のデーモンを使い分ける。
    docker context create wsl-docker --docker "host=unix:///var/run/docker.sock"
    docker context use wsl-docker

結論

Docker for Windows を起動すると、WSL で動作している Docker の デーモン・ネットワーク・ストレージ設定 などが変更され、docker images の結果が変わる可能性がある
WSL 内で独立した Docker 環境を維持したい場合は、Docker Desktop の WSL 統合を無効化するか、docker context を適切に設定すると良い。

ただ、これだと、Docker for Windowsをアンインストールできないんだよなぁ。

さらに検討.....

docker-compose down して、docker-compose up -d して作り直すのが早かったりします。

2025,江端さんの技術メモ

WindowsにGnuplotをインストールする手順を以下に説明します。


1. Gnuplotのインストールファイルをダウンロード

  1. 公式サイトにアクセス
    Gnuplotの公式サイト http://www.gnuplot.info/ にアクセスします。
  2. ダウンロードページを開く
    ページ内の「Download」セクションを見つけ、Windows用のインストーラを探します。
  3. Windows版のインストーラをダウンロード
    推奨されるダウンロードリンク(例: SourceForgeのWindows用バイナリ)から最新の安定版を選択し、インストールファイル(例: gnuplot-x.x.x-win64.exe)をダウンロードします。

2. Gnuplotのインストール

  1. インストーラを実行
    ダウンロードした .exe ファイルをダブルクリックして実行します。
  2. セットアップウィザード
    セットアップウィザードが開いたら、以下の手順で進めます:

    • 「Next」をクリック。
    • ライセンス条項を確認して「I Agree」をクリック。
    • インストール先フォルダを指定(デフォルトのままで問題ありません)。
    • 必要なコンポーネントを選択(デフォルト設定でOK)。
    • 「Install」をクリックしてインストールを開始。
  3. インストール完了
    インストールが完了したら「Finish」をクリックします。

2.1. PATH環境変数の設定(オプション)

コマンドプロンプトやPowerShellで簡単にGnuplotを実行するには、PATH環境変数にGnuplotのインストールディレクトリを追加します。

  1. 環境変数の設定を開く
    • 「スタート」メニューで「環境変数」と検索し、「システム環境変数の編集」を選択。
    • 「環境変数」をクリック。
  2. PATH変数を編集
    • 「システム環境変数」または「ユーザー環境変数」の Path を選択し、「編集」をクリック。
    • Gnuplotをインストールしたディレクトリ(例: C:\Program Files\gnuplot\bin)を追加。
  3. 保存して閉じる
    「OK」をクリックして変更を保存します。

2.2. インストール確認

  1. コマンドプロンプトを開く
    Win + R を押して「cmd」と入力し、Enterキーを押します。
  2. Gnuplotを起動
    以下のコマンドを入力して、Gnuplotが起動するか確認します。

    gnuplot

  3. バージョン確認
    Gnuplotのプロンプト(gnuplot>)が表示されるので、以下を入力してバージョンを確認します。
show version

 

2.3. 動作確認

インストールが成功している場合、以下のコマンドで簡単なプロットが表示されます。

plot sin(x)

これでGnuplotのインストールは完了です。

3. PTファイル(73.csv)の表示方法

以下の手順で Gnuplot スクリプトを保存し、73.csvを表示する方法を説明します(73.csvはファイルの一つにすぎません)


3.1. スクリプトをファイルに保存する

  1. 任意のテキストエディタを使用して、以下の内容をファイルにコピーします。
  2. ファイル名を plot_73.gnu など、わかりやすい名前で保存してください。

3.1.1. スクリプト内容 (plot_73.gnu)`)

# Gnuplot Script for 3D Plot# X, Y, Z 軸の範囲を設定
set xrange [130.3296537290101:130.56028128619576]
set yrange [33.49812295428995:33.67972606282988]
set zrange [0:1440]
# 軸ラベル
set xlabel "Longitude"
set ylabel "Latitude"
set zlabel "Time (Minutes)"

# タイトル set title "3D Plot of GPS Data"

# CSVのヘッダー行をスキップする設定
set datafile separator "," # カンマ区切りを指定
set key autotitle columnhead # ヘッダーをタイトルに使用(必要に応じて)

# データの3Dプロット
splot "73.csv" every ::1 using 9:8:($6*60+$7) with points pointtype 7 pointsize 1 lc rgb "blue" title "GPS Points"

 

3.2. スクリプトの実行方法

  1. スクリプトファイルの保存場所
    保存した plot_73.gnu ファイルと 73.csv ファイルを同じディレクトリに配置してください。
  2. Gnuplot の起動
    ターミナルを開き、Gnuplot を起動します。

    gnuplot

     

  3. スクリプトの実行
    Gnuplot のプロンプト (gnuplot>) 上で以下のコマンドを実行します。

    load 'plot_73.gnu'

     

  4. スクリプトが読み込まれ、プロットが表示されます。

3.3. 実行の自動化 (オプション)

ターミナルから直接スクリプトを実行できるようにするには、以下のコマンドを使用します。

gnuplot plot_73.gnu

これにより、Gnuplot を起動せずにスクリプトを実行できます。


3.4. 注意点

  • スクリプトで指定したファイル名 (73.csv) が正しいことを確認してください。
  • CSV ファイルの形式がスクリプトと一致している必要があります。
  • 必要に応じて 73.csv のパスをフルパスで指定することで、スクリプトと CSV が別のディレクトリにある場合でも動作します。

例:

splot "/path/to/73.csv" every ::1 using 9:8:($6*60+$7) ...

3.5. "73.csv"のサンプル

dailyid,year,month,day,dayofweek,hour,minute,latitude,longitude,gender,age
73,2023,4,9,7,8,40,33.307463,130.511456,,
73,2023,4,9,7,8,41,33.307477,130.512114,,
73,2023,4,9,7,8,41,33.305819,130.514793,,
73,2023,4,9,7,8,41,33.307467,130.511813,,
73,2023,4,9,7,8,45,33.306084,130.515009,,
73,2023,4,9,7,8,45,33.306151,130.515051,,
73,2023,4,9,7,8,54,33.309299,130.518183,,
73,2023,4,9,7,8,54,33.308469,130.517488,,

2025,江端さんの忘備録

「国民は納得しないだろう」というフレーズの濫用を止めて欲しいです。

I want you to stop abusing the phrase “the people won't accept it.”

―― 偉そうに、何様だ

"Acting all high and mighty, who do you think you are?"

自分の意見を「国民」という実態不明な対象に押しつけるというのは、非常に下品です。

It is very vulgar to force your opinions on an unknown entity called “the people.”

例えば、「『○○○だと思う」と江端なら言うだろう」とか、「江端なら○○○に激怒するだろう」とか言われたら、私は怒る。

For example, if someone said to me, “Ebata would say, ‘I think that...’” or “Ebata would be furious about...”, I would get angry.

そいつの名前を特定して、ネットに晒すくらいに腹を立てる。

I get so angry that I identify the person's name and expose them on the internet.

「私のことは、私が決めて私が語る。お前ごときが、私を語るな」と、私は言います。

I say, “I decide who I am and will speak for myself. Don't you dare speak for me?”

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「国民」という括りで他人の意見を代弁することは、傲慢であり、卑怯であり、低能の証明ですらある、と私は思っています。

Speaking for others by grouping them as “citizens” is arrogant, cowardly, and even a sign of low intelligence.

自分の意見ならば、自分の言葉で述べろ。

If it's your opinion, express it in your own words.

「私は納得できない」「私は許せない」と言えばいい。

You can say, “I don't agree,” or “I can't forgive that.”

「国民は」と置き換えることは、自分の責任を回避し、曖昧な多数派の影に隠れようとする狡さが露呈しています。

Replacing “the people” with “the nation” reveals a cunning attempt to avoid responsibility and hide behind the shadow of an ambiguous majority.

こうした言葉を振りかざす者は、自分の主張を補強したいがために、国民という存在を都合よく利用しているに過ぎません。

Those who use such words are merely using the existence of the people to their advantage to bolster their arguments.

そもそも、その「国民」の中には当然、異なる意見を持つ人もいるはずです。そうした人々を無視し、一括りにして語ること自体が、卑怯の一言に付きます。

To begin with, there will naturally be people among that “people” who have different opinions. Ignoring such people and speaking of them as a single group is nothing short of cowardly.

もし本当に国民の声を代弁したいなら、具体的なデータを示し、論理的に説明すべきでしょう。

You should present specific data and explain it logically to represent the people's voice.

「世論調査では○○%が反対している」「この議論に対する市民の意見はこうだった」と、明確な根拠を持って主張するならば、それは議論の一つとして成立すると思います。

If you make a claim with clear evidence, such as “In the opinion poll, XX% were against it” or “This is what the public thought about the debate,” then I think it would be valid as part of the debate.

しかし、それすらせずに「国民は納得しないだろう」などと語るのは、単なる思考停止、無能の標本のようなものです。

However, saying things like “the people won't be satisfied” without even considering the matter is a sign of a person who has stopped thinking and is incapable of doing anything.

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ちなみに、アカデミズムの世界では、エビデンスがない論を主張する者をよってたかって叩き潰す、という文化があります。学会発表で『主観です』などと言おうものなら、集中砲火で殺されます。

Incidentally, academia has a culture of piling on and crushing anyone who argues a theory without evidence. A concentrated barrage of criticism will kill you if you say something like “It's just my opinion” at a conference presentation.

いえいえ、私は、『アカデミズムで苛められていることを、ここで晴らそう』という意図はありません(本当)。

No, I don't intend to' get bullied by academia' (really).

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結局のところ、こうした言い回しを好む者は、自分の主張に自信がないんだろうなぁ、と思います(もちろん、頭も悪いし、品もないとも思いますが)。

After all, I think that people who like to use these kinds of phrases are probably not very confident in their arguments (of course, I also think they're not very smart or well-mannered).

まあ、私たちも人のこと言えないんですけどね。

Well, we can't say anything about other people either.

「みんな、そう言っている」の『みんな』を調べたら"一人だった"、などというのも珍しくありません。

It is not uncommon to find that when you look up the word “everyone” in the phrase “everyone says so”, the result is “it was just one person”.

とは言え「みんな」と「国民」を同列に論じるのも無理があります。それがどのようなものであれ「見苦しい」と思います。

It is also unreasonable to discuss “everyone” and “citizens” on the same level. I think that is “unseemly,” no matter what it is.

だから私は言いたい。

So I want to say:

「お前が納得しないのは勝手だが、『国民』を勝手に使うな」と。

“You can't use the word 'national' as you please, even if you disagree.”

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これで、あなたへの回答になっていますか?

Does this answer your question?

そもそも、「ゆとり」や「バブル」や「しらけ」と言われた奴らが、偉そうに若者を語るな。見苦しい。

2025,江端さんの忘備録

「使えるお金をいつでも持っていられることは幸せである」というのは、多分事実でしょう。

It is probably true that “having the money you can use at any time is a blessing.”

お金は、人の支配から逃げられる力もありますし、上手く運用すれば人を支配する力もあるからです。

Money has the power to escape people's control, and if it is managed well, it can also control people.

権力装置としてのお金についてはさておき、人に縛られることなく自由に生きていくためのお金というのは、多分私を幸せにすると思います。

Putting aside money as a power device, I think that money that allows me to live freely without being bound by others will probably make me happy.

しかし、『人に縛られることなく自由に生きていくためのお金は、多ければ多いほど、大きい幸せを得られる』ということについては、私には疑義があるのです。

However, I have doubts about the idea that 'the more money I have, the happier I will be, because I will be free to live my life without being bound by others'.

ただ、疑義はあるのですが、検証ができません。私は、お金がないからです。

However, I have my doubts, but I can't verify them. That's because I don't have any money.

「お金に愛されないエンジニア」であることに、ちょっとだけ「運の良さ」を感じたりしています ―― ほんとうに、ちょっとだけ、ですけどね。

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ただ、最近、以下の仮説であれば、お金がない私でも検証できるのではないか、と考えています。

However, I have recently come to think that even I, who have no money, can test the following hypothesis.

(1)アマプラやネトフリで、潤沢に自由に映画が楽しめる。

(1) We can enjoy various movies on Amazon Prime and Netflix.

(2)ネトフリの提供しているタイトル数は膨大である。

(2) The number of titles offered by Netflix is enormous.

(3)ネトフリのタイトル数が2倍、3倍、10倍になれば、私たちの幸せも2倍、3倍、10倍になるか?

(3) If the number of titles on Netflix doubles, triples, or increases tenfold, will our happiness also double, triple, or increase tenfold?

私、ネトフリで映画を楽しんでいますが、正直、使える時間を超えるタイトルがいくら増えようとも、それで幸せが増えていくとは思えないのです。

I enjoy watching movies on Netflix, but to be honest, no matter how many more titles are added that exceed the amount of time I have available, I don't think that will make me any happier.

で、これを、お金の話に射影できないかなぁ、と考えています。

So, I'm considering whether I can adapt this to the topic of money.

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そもそも、お金とエンタメのコンテンツを同視することができるのか疑問がありますし、また、エンタメコンテンツは無体財産であり、多くの人が使っても減っていくことはありません。

To begin with, I wonder whether it is possible to equate money with entertainment content. Entertainment content is intangible property; even if many people use it, its value will not decrease.

このように、基本的には異なる2つのものですので、そもそも「射影」の概念を持ち込むのには無理がある、とも思えます。

As they are fundamentally two different things, it seems unreasonable to introduce the concept of “adaptation” in the first place. Introducing the idea of “projection” in the first place seems absurd.

このあたりの検証を、哲学や心理学の観点から考えて頂ける方、いませんか?

Can anyone think about this kind of verification from the perspective of philosophy or psychology?

私には、この検証がとても難しいのです。お金を持っていないからです。

This verification is complicated for me because I don't have any money.

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実証実験ならできるかもしれないな、とか考えています。

 I can do a demonstration experiment.

どなたか、私に10億円程度、ポンと下さいませんか。

Would someone please give me 1 billion yen?

お金と幸せの関係について、きちんと報告をし、学会発表や論文を書いて発表します。

I will report on the relationship between money and happiness and write and present papers at academic conferences.

お金が余って困っている方は、是非ご検討頂きたくよろしくお願い致します。

If you have extra money and trouble deciding what to do with it, please consider this option.

(↑クリックでコラムに飛びます)

江端さんの忘備録,江端さんの技術メモ

私が、今大学で取り組んでいる研究についての論理付けをするため、心理学の既往研究を調べています。

I am researching previous psychological studies to provide a rationale for my research at university.

その一つが、「単純接触効果」です。

One of these is the “Mere Exposure Effect”.

単純接触効果

恋愛、結婚にいたるケースで結構な比率を占めるのが、半径2メートル程度以内に自分と相手の席があったケース―― というのは、誰もが聞いた話だと思います。

I think everyone has heard the story that a significant proportion of cases that lead to romance and marriage involve the couple sitting within a radius of about 2 meters of each other.

同じクラスに所属する人同士の方が、異なるクラスに所属する人同士よりも親近感を抱きやすいというのは事実のようです。「クラス対抗リレー」のようなイベントで、全く知らない他人同士が同じクラスに所属しているという理由だけで応援し合うのは、単純接触効果の一例です。

It seems true that people who belong to the same class tend to feel closer to each other than those who belong to different classes. In events like the “class relay race”, where people who don't know each other at all support each other just because they belong to the same class, this is an example of “Mere Exposure Effect”.

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上記のページの単純接触効果の実験で、思わず私が笑ってしまった内容が、2枚目の図の1つめの実験です。

The first experiment in the second diagram in the above page's “Mere Exposure Effect” experiment made me laugh.

要するに、「大学の講義にキチンと出席している女子学生」に対して、男子学生は「魅力」と「シンパシー」を感じやすい、という実験結果です。

In short, the experiment showed that male students are likelier to feel “attraction” and “sympathy” towards female students who regularly attend university lectures.

この実験では、単に『男は単純でバカである』と言ってもいいのかもしれませんが、これが人間の特性であるなら、それを無視するのは得策ではありません。

In this experiment, it may be okay to say that “men are simple and stupid simply,” but if this is a characteristic of human beings, it would not be a good idea to ignore it.

この実験では、4人の女性は、講義に出席する頻度を変えているだけですが、たったそれだけのことで「魅力」と「シンパシー」を向上させる効果が発生した、というのは、貴重な知見です。

In this experiment, the four women only varied the frequency with which they attended lectures. Still, the fact that this simple change increased their 'attractiveness' and 'sympathy' is a valuable finding.

これは、恋愛や結婚において、「出逢いの日常化」が、強力な戦略になりえる、と私は考えました。

I thought “making dating a daily routine” could be a powerful strategy in relationships and marriage.

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で、ふと思ったのですが、「単純接触効果」をもっとも発揮させるもっとも有効な方法とは ―― 結婚してしまうことですね。強制的な毎日の「単純接触効果」が発生することになりますから。

Then, I suddenly thought that getting married would be the most effective way to maximize the “Mere Exposure Effect.” This would create a compulsory daily “Mere Exposure Effect.”

まあ、この話では、「タマゴとニワトリ」の話になってしまいますので、結婚や同棲の前段階としては、とりあえず「通学/通勤時間(登校、出社、下校、退社)を調整する」とか、「一日一回はその人に声をかけてみる」とか、そういう、ベタですけど、単純な手法を「意味がないと切り捨てない方がいい」とは言えそうです。

Well, this story is about “eggs and chickens,” so as a preliminary step before marriage or cohabitation, it seems that it's better not to dismiss simple methods that may seem a bit corny, such as “adjusting your commuting time (going to school, going to work, leaving school, leaving work)” or “talking to that person at least once a day.”

私の場合、独身時代に、特段これといった用事もないけど、1週間に1回は電話するというノルマを自分に課して、今の嫁さんに「単純接触」戦略を数年間続けていました。

When I was single, I set a quota of calling my now-wife at least once a week, even if I didn't have anything to discuss. I continued this “Mere Exposure Effect” strategy for several years.

あれは、意外に効果があったのかもしれません ―― と、何十年後の自分の研究で、自分の振舞いをレビューすることになるとは、思いませんでしたが。

I didn't think I would be reviewing my own behavior in my research decades later, but that may have had an unexpected effect.

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私、この「単純接触効果」を発生させる社会システムについて考えています。今、このネタで、論文一本上げる為に、今、必死に調査と執筆を頑張っています。

I am considering the social systems that generate this “Mere Exposure Effect.” I am working hard on research and writing to publish a paper on this topic.

2025,江端さんの忘備録

私、PCでアニメを見ているのですが、基本的に作画の品質には興味ありません。

I watch anime on my PC, and I'm not interested in the quality of the animation.

私は、今の時代に必要なのは「積極的無関心」ではないかと思うのです ―― つまり、『人のことはほっとけ。自分のことだけやっとけ』です。

私は、ストーリーの方が好きで、方向としては、明るく、楽しく、能天気なコンテンツが好きです。

I prefer stories and like cheerful, fun, and carefree content.

私、基本的にケチなので、映画館で映画を見る時に、途中退出することはありませんが ―― 最近、映画館で映画を見るのに「苦痛」を感じるようになりました。

I'm basically a cheapskate, so I never leave the cinema halfway through a movie, but recently, I've started to feel “pain” when watching a film at the cinema.

これには、自分でも驚いています。

I'm surprised at myself for this.

これは多分、映画のサブスク(アマプラやネトフリ)の影響があるのかと思います。

This is probably due to the influence of movie subscriptions (Amazon Prime and Netflix).

その映画が、気にいらなければ、その場で視聴を取り止め、他の映画に切り変えてしまう、ということが簡単にできるようになりました。

If I don't like the movie, I can quickly stop watching it and switch to another movie.

つまらない、退屈、嫌いなストーリーが5分間連続で続けば、その場で視聴を止めてしまう、ということは、頻繁にやっています。

If a boring, tedious, or otherwise unpleasant story goes on for five minutes straight, I often stop watching right there and then.

しかし、これは、コンテンツを提供する側(創作者や編集者)にとっては、たまったものではないだろうとは思います。

However, I think this is not good for the people who provide the content (creators and editors).

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文学を含め全ての学問は、ある種の「我慢と忍耐」のコンテンツでした。「勉強」という言葉に「努力と忍耐」は必ず付帯する修飾句でした。

All academic subjects, including literature, required “endurance and perseverance.” Study effort and perseverance were always used as modifiers.

今は、これが「エンタメ」にまで広がってきているようで、私(たち)は、「努力と忍耐」をしてまで、一つのコンテンツを終了しなくなっているような気がします。

Now, it seems that this is spreading to “entertainment,” and I (we) feel that we should no longer end a single piece of content until we have “worked hard and persevered.”

私たちは、人の評価が、自分に当てはまらないことが、別段悪いことではないことには気が付いていますが、それが、サブスクの登場によって、具体的な行動となって現われてきているように思います。

We know that it is not necessarily bad when other people's opinions do not apply to us, but this is becoming a concrete action with the advent of subscriptions.

ちょっと具体例で示しますと、私が熱狂的に好きな「NHKスペシャル」や「BS1スペシャル」は、視聴率から見れば無惨な数値のコンテンツです。つまり、私が「特異」なのです。

To give you a concrete example, the NHK Special and BS1 Special programs I am passionate about are content with miserable viewing figures. In other words, I am a “special case”.

また、昨年公開された、原爆開発のマンハッタン計画を描いた「オッペンハイマー」は、私には、"退屈"を超えて"苦痛"ですらありました。マンハッタン計画については、私が詳しい知識を持っていたから、という背景もあったかもしれません。

Also, Oppenheimer, a film released last year about the Manhattan Project to develop the atomic bomb, was not just boring for me. It was painful. This may have been because I had detailed knowledge of the Manhattan Project.

こんな、サブスク時代にあって、エンタメのコンテンツを提供する側は、恐しく低コストで作成する必要があり、おそらく、その辺を生成AIが担保する、ということになっていくのだろうと思います。

In this age of subscriptions, entertainment content providers need to be able to create it at a very low cost, and I think the AI being developed will probably help ensure this.

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昨日、嫁さんが、正月に放送されていた4時間くらいの漫才の番組の録画を見ていたのですが、彼女は、「最初の30秒を視聴して、その漫才をスキップする」を繰り返していました。

Yesterday, my wife was watching a recording of a four-hour manzai comedy show broadcast over New Year's. She kept repeating the process of watching the first 30 seconds and then skipping the manzai.

これなら4時間番組を1時間以内の視聴に抑えることができます、が ―― 視聴者にこんなことをされたら、テレビ局と番組スポンサーと芸人は、たまったものではないだろうなぁ、とも思いました。

This would mean that a four-hour program could be watched in less than an hour, but I also thought that if viewers did the same actions, it would be terrible for TV stations, program sponsors, and comedians.

2025,江端さんの忘備録

【新作Nスぺ】 “冤罪(えんざい)”の深層 ~警視庁公安部・内部音声の衝撃~ 4(土)夜10時~[総合]

“The Deep Roots of False Accusations: The Shocking Inside Story of the Tokyo Metropolitan Police Department's Public Security Bureau” 

この番組は、2020年に発生した大川原化工機の社長ら3人が軍事転用可能な機器を不正輸出したとして逮捕された事件を取り上げています。

This program covers the case of the arrest of the president of Okawara Chemical Machinery and two others in 2020 for illegally exporting equipment that could be used for military purposes.

取材班は新たに警視庁公安部内の会議内容が録音された音声記録を入手し、独自の法令解釈で事件化を推し進める幹部と、それに戸惑い抗う部下たちの生々しいやり取りを明らかにしました。

The investigative team obtained audio recordings of a meeting held within the Public Security Bureau of the Tokyo Metropolitan Police Department. It revealed the vivid exchange of dialogue between the senior officers pushing for the case to be made based on their interpretation of the law and the junior officers who were confused by this and resisted.

この音声記録と独自取材を通じて、冤罪が生まれた背景や捜査の問題点に迫っています。

Through this audio recording and our reporting, we are getting to the bottom of the background of the false accusation and the problems with the investigation.

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この事件で、取り調べを担当した警視庁公安部の捜査員3名が、調書の破棄や立件に不利な実験データの削除などの疑いで書類送検されました。

In this case, three investigators from the Tokyo Metropolitan Police Department's Public Security Bureau who were in charge of the investigation were referred to prosecutors for destroying records and deleting experimental data unfavorable to the case.

しかし、2025年1月8日付で東京地検により不起訴処分となりました。

However, on January 8, 2025, the Tokyo District Public Prosecutors Office decided not to prosecute him.

ポイントは2つ。

There are two key points.

(1)「警視庁公安部」という組織ではなく、「警視庁公安部の捜査員3名」が名指し(by name)で起訴されて、

(1) Not the organization “Metropolitan Police Department Public Safety Bureau,” but “three investigators from the Metropolitan Police Department Public Safety Bureau” were indicted by name.

(2)東京地検によって、不起訴処分になった

(2) The Tokyo District Public Prosecutors Office decided not to prosecute.

という点です。

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―― やっと、"by name"が動き始めたか

Finally, “by name” has started to work.

と思いましたが、同時に、(予想はしていましたが)"by name"を妨害する動きも見えてきました。

However, simultaneously, I could see a move to block “by name” (which I had already predicted).

私、以前から、『報復するのは「組織」ではなく「個人」にしよう』と言い続けけてきました。

I have long argued that individuals, not organizations, should take revenge.

実際に、私が腹を立てる対象というのは、「組織」という曖昧なものではなく、「顔と名前の一致する特定の個人」ですから。

What makes me angry are not vague “organizations” but specific individuals with faces and names.

結局のところ最も効果があるのは「私闘」

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さて、今回、東京地検が「不起訴」とした理由ですが、「捜査員による調書改ざんや証拠隠蔽の疑いについて、故意性や共謀を立証する証拠が不十分」としています。

As for why the Tokyo District Public Prosecutors Office decided not to prosecute this time, they stated that “there was insufficient evidence to prove intentionality or collusion about the suspicion of investigators tampering with records or concealing evidence.”

しかし、個人的な所感として『「取り調べの証拠"だけ"を破棄する」なんてこと、ありえるかなぁ』と思います。そもそも、証拠が破棄された以上、「証拠が破棄された」ことを立証することができなくなるのは当然です。

However, speaking personally, I wonder, “Is it possible to destroy only the evidence from an interrogation?” It is only natural that once the evidence has been destroyed, it becomes impossible to prove that it has been destroyed.

これは、東京地検からの『ヤバそうなものは、取り敢えず完全に破却してしまえ』『その後は、シラを切り通せ』という、国民への親切な助言なのかもしれません。

This may be the Tokyo District Public Prosecutors Office's kind advice to the public: “If it looks bad, just get rid of it completely for now,” and “After that, just keep your head down.”

江端さんのひとりごと 「神の火」

国家の組織の目的が「正義」ではなく、「国家の安定存続」であり、その為には、結構な頻度で「個人の権利や尊厳を踏み躙ることもある」ということは良く知っています(学生の頃、京都府警察殿に見せて頂きました)。

I am well aware that the purpose of the organization of the state is not “justice” but “the stable continuation of the state” and that to achieve this, “the rights and dignity of individuals may be trampled upon quite frequently” (when I was a student, I was shown this by the Kyoto Prefectural Police).

たぶん 、これで「by name」での起訴が成立すると、他の事件でも、問題がボロボロでてくるんだろうなぁ、とか考えていました。

I was thinking that if this were successful in getting a “by name” indictment, there would probably be a lot of other problems that would come to light.

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まあ、そういうこともあり、これまで、私は国家の組織の「正義」は信じずに、国家権力に目を付けられないように「ひっそりと生きる」ということに腐心してきました。

Because of this, I have not trusted the state's “justice” until now, and I have been trying hard to “live quietly” so that I don't attract the state's attention.

国家の権力機関とは良好な関係を維持することが一番です。

It is best to maintain a good relationship with the state's authority.

私が威勢がいいのはブログの中だけです。そもそも、私は、二十の冬を最後に政治的な運動には一切参加していません。

I'm only loud on my blog. To begin with, I haven't participated in any political campaigns since my 20th winter.

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東京地検(特捜部)というと、小学生の頃の私は、キラキラした憧れの目をして見ていたものです。

I would admire the Tokyo District Public Prosecutors Office (Special Investigation Department) with sparkling eyes in elementary school.

『元首相(田中角栄元首相)を逮捕するなんて、東京地検とは、なんて凄い「正義」の組織なんだろう』と思った少年は、国の組織の「正義」を信じさせてくれるものでした。

The boy thought, “What an amazing organization of ‘justice’ the Tokyo District Public Prosecutors Office is to arrest a former prime minister (former Prime Minister Kakuei Tanaka) like that. " This made him believe in the 'justice' of the country's organizations.

私のようなヒネた大人に「正義」を見せる必要はありませんが、子どもたちに「国の組織には正義がある」ということを見せることには意義があると思うんですよ。

There is no need to show justice to a twisted adult like me, but I think it is meaningful to show children that there is justice in the organization of the country.

もし、本件を起訴して、証拠不十分で敗訴したとしても、「正義のようなもの」があることを、子どもたちに見せられる ―― それは「勝ち」と言えるんじゃないんでしょうか?

Even if we lose the case due to insufficient evidence, if we can show the children that there is “something like justice” in the world, isn't that a victory?

未分類

親の介護を真剣にやったなどとは、口が裂けても言えない私ですが、それでも介護によって、私は、人間の人生を「憎悪」するようになりました。

あんなに、愚直に、真剣に、一生懸命、真面目に、私を育てて生きてきた、あんな立派な人たち(私の両親)の、最期が「あれ」かよ、と。

人生のいきつく先が「あれ」であるなら、何か目指す生き方に意義はあるのか?

私が、『何かを目指す生き方』から、『完全に降りた』と確信したのは、父が死に、それに引き続き、母が死んだ時でした。

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両親には申し訳ないとは思うのですが ―― 多分、息子が社会で活躍して、多くの人から尊敬されることを期待していたと思う ―― けど、私は、もう、誰かや、何かを背負うような生き方は、やめたのです。

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と、ここまで書いて、その後の文章を、ChatGPTに作成をお願いしました。

この後の文章を自由に作ってみて下さい。

それでも、両親の最期を看取ったことは、私の中に一つの「自由」をもたらしました。

「何かを目指す」生き方を降りた私は、同時に、何者かであろうとする重圧や、誰かの期待に応えようとする義務感からも解放されました。皮肉にも、あれほど憎悪していた「人生」というものから、少しだけ距離を取ることができたのです。

両親が人生をかけて示してくれたのは、「努力や真面目さが報われるとは限らない」という冷徹な現実でした。そして、それでもなお、人間として生きる意味や価値を模索し続ける姿勢そのものでした。

彼らの死を通じて学んだのは、結局、何を成し遂げるかよりも、「どのように生きるか」が重要なのかもしれない、ということです。誰にも期待される必要はない。何かに縛られる必要もない。ただ、自分が「生きている」と思える瞬間を、大切にすればいいのだと。

そう考えると、心に少しだけ余白が生まれました。かつての私なら、そこを何かで埋めようと必死になったかもしれませんが、今はその余白をそのままにしておこうと思えます。空っぽのままでいる自由を、ようやく受け入れられるようになったのです。

人生の意味に疑問を持ちながら、それでも生きる。両親が残してくれた、最後の贈り物のように思えます。

そうではなくて、『人生に意義がない』ことを強調するネガティブな文章をお願いします。

人生に意義なんてない――それが、私が介護を通じて悟ったことのすべてでした。

どれだけ真剣に生きようが、どれだけ他人に尽くそうが、その果てに待っているのは、ただの衰えと死。それだけのことです。苦労して築き上げた何かも、記憶に刻まれた思い出も、最後にはすべて霧散する。肉体は弱り果て、意識は曖昧になり、最終的には他人の手を借りて生きるしかなくなる。それが「人生」というものの正体です。

私の両親は、生涯を通じて誠実で、努力を惜しまない人間でした。それでも彼らの最期は惨めでした。尊厳なんてものはとうに消え失せ、他人に世話をされながら、それでも生きることを強いられる日々。その姿を目の当たりにしながら、「こんな終わり方をする人生に意味などあるのか」と、何度も問い続けました。

もし人生に何らかの意義があると信じていたなら、私は今でも何かに挑み続けていたでしょう。しかし、そこに何の意味も見出せなくなった今、私はただ「何も目指さない」という選択をしたに過ぎません。無意味なものに努力を注ぐほど馬鹿らしいことはありません。

「何かを成し遂げること」には価値があるという幻想が、いかに多くの人を欺いてきたことか。その先にあるものがただの虚無である以上、そこへ向かう過程にどんな輝きがあったとしても、それは錯覚に過ぎません。すべては、いずれ消え去る泡のようなものです。

そして、その泡を追いかける行為こそが、人間の愚かさの象徴だと、私は思わずにはいられません。

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私は、こちらの文章の方に「いいね」を付けました。

2025,江端さんの忘備録

「権力側が銃を持つのであれば、市民側も銃を持つ」というのは、アメリカ合衆国憲法修正第2条(Second Amendment)に明記されています。

The Second Amendment to the United States Constitution clearly states that “if the government has guns, then the people should have guns too.”

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A well-regulated militia is necessary for a free state's security, and the people's right to keep and bear arms shall not be infringed upon.

(よく規律された民兵は、自由な国家の安全に必要であるため、人民が武器を保持し、携行する権利は侵害されてはならない)

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# この引用が妥当かかどうかは、私も「?」とは思うところがありますが、このまま進めます。

# I'm unsure whether this quote is appropriate, but I'll go on.

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日本の銃規制は、「武力による市民の権力奪取を認容しない」ということであり、権力側に著しく有利な規制のようにも思えます。

Japan's gun control policy is based on the idea that “we do not accept the use of force to seize power from citizens,” and it seems to be a regulation that is highly advantageous to the side in power.

しかし、我が国においては、警察官が銃を向けるだけで事件となり、発砲したら大事件になります。

However, in Japan, if a police officer points a gun at someone, it becomes a case, and if they fire, it becomes a significant incident.

また、私が知る限りにおいて、自衛隊が"市民"に向けて武力行使をした、ということもありません("市民"の定義がちょっとキモなんですけど ―― 興味のある人は調べて下さい)。

Also, to the best of my knowledge, the Self-Defense Forces have never used force against “civilians” (the definition of “civilian” is a bit weird - if you're interested, please look it up).

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昨日、私の家の近くの大学キャンパス内の講義中に、学生の一人がハンマーを振り回して、8人の学生が負傷する事件が発生しました。

Yesterday, during a lecture on the campus of a university near my house, one of the students swung a hammer and injured eight other students.

これは大事件なのですが、その時、私はふと思いました。

This was a significant incident, but at the time, I suddenly thought to myself:

もし、日本に、世界一厳しいといわれる銃規制の法律がなかったとしたら ―― 米国の学校銃乱射事件と同じように、何人もの死傷者が発生していたということだ、と。

If Japan did not have the world's strictest gun control laws, then, just like the school shootings in the United States, there would have been many casualties.

そんなことを考えていたら、ゾっとしてきました。

As I thought about this, I started to feel cold.

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銃の所持の正義やロジックがどうであれ、私は「人が簡単に殺されない社会」の方が絶対にいいです。

Whatever the logic or justification for gun ownership, I prefer a society where people are not killed so easily.

―― 「SNSでの誹謗中傷はやめよう」とは言う人はいても、「SNSを使うのをやめよう」と言う人はいない

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ちなみに、今回の被疑者は韓国籍の学生のようですが、この事件で特定の外国の人全体を差別するようなテンプレなDisは止めましょうね。

Incidentally, it seems that the suspect in this case is a student of Korean nationality, but let's not make blanket generalizations about people from a particular country because of this incident.

そんなことしたら、日本人の過去の事件の中でも「特にもの凄い奴」を持ち出されますよ。

If you do that, they'll bring up the “particularly terrible guys” from among the Japanese people's past incidents.

かつて、日本人は、イスラエルの人々に対して、ハマスと同じことをやったことがあります。