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親の介護を真剣にやったなどとは、口が裂けても言えない私ですが、それでも介護によって、私は、人間の人生を「憎悪」するようになりました。

あんなに、愚直に、真剣に、一生懸命、真面目に、私を育てて生きてきた、あんな立派な人たち(私の両親)の、最期が「あれ」かよ、と。

人生のいきつく先が「あれ」であるなら、何か目指す生き方に意義はあるのか?

私が、『何かを目指す生き方』から、『完全に降りた』と確信したのは、父が死に、それに引き続き、母が死んだ時でした。

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両親には申し訳ないとは思うのですが ―― 多分、息子が社会で活躍して、多くの人から尊敬されることを期待していたと思う ―― けど、私は、もう、誰かや、何かを背負うような生き方は、やめたのです。

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と、ここまで書いて、その後の文章を、ChatGPTに作成をお願いしました。

この後の文章を自由に作ってみて下さい。

それでも、両親の最期を看取ったことは、私の中に一つの「自由」をもたらしました。

「何かを目指す」生き方を降りた私は、同時に、何者かであろうとする重圧や、誰かの期待に応えようとする義務感からも解放されました。皮肉にも、あれほど憎悪していた「人生」というものから、少しだけ距離を取ることができたのです。

両親が人生をかけて示してくれたのは、「努力や真面目さが報われるとは限らない」という冷徹な現実でした。そして、それでもなお、人間として生きる意味や価値を模索し続ける姿勢そのものでした。

彼らの死を通じて学んだのは、結局、何を成し遂げるかよりも、「どのように生きるか」が重要なのかもしれない、ということです。誰にも期待される必要はない。何かに縛られる必要もない。ただ、自分が「生きている」と思える瞬間を、大切にすればいいのだと。

そう考えると、心に少しだけ余白が生まれました。かつての私なら、そこを何かで埋めようと必死になったかもしれませんが、今はその余白をそのままにしておこうと思えます。空っぽのままでいる自由を、ようやく受け入れられるようになったのです。

人生の意味に疑問を持ちながら、それでも生きる。両親が残してくれた、最後の贈り物のように思えます。

そうではなくて、『人生に意義がない』ことを強調するネガティブな文章をお願いします。

人生に意義なんてない――それが、私が介護を通じて悟ったことのすべてでした。

どれだけ真剣に生きようが、どれだけ他人に尽くそうが、その果てに待っているのは、ただの衰えと死。それだけのことです。苦労して築き上げた何かも、記憶に刻まれた思い出も、最後にはすべて霧散する。肉体は弱り果て、意識は曖昧になり、最終的には他人の手を借りて生きるしかなくなる。それが「人生」というものの正体です。

私の両親は、生涯を通じて誠実で、努力を惜しまない人間でした。それでも彼らの最期は惨めでした。尊厳なんてものはとうに消え失せ、他人に世話をされながら、それでも生きることを強いられる日々。その姿を目の当たりにしながら、「こんな終わり方をする人生に意味などあるのか」と、何度も問い続けました。

もし人生に何らかの意義があると信じていたなら、私は今でも何かに挑み続けていたでしょう。しかし、そこに何の意味も見出せなくなった今、私はただ「何も目指さない」という選択をしたに過ぎません。無意味なものに努力を注ぐほど馬鹿らしいことはありません。

「何かを成し遂げること」には価値があるという幻想が、いかに多くの人を欺いてきたことか。その先にあるものがただの虚無である以上、そこへ向かう過程にどんな輝きがあったとしても、それは錯覚に過ぎません。すべては、いずれ消え去る泡のようなものです。

そして、その泡を追いかける行為こそが、人間の愚かさの象徴だと、私は思わずにはいられません。

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私は、こちらの文章の方に「いいね」を付けました。

2025,江端さんの忘備録

「権力側が銃を持つのであれば、市民側も銃を持つ」というのは、アメリカ合衆国憲法修正第2条(Second Amendment)に明記されています。

The Second Amendment to the United States Constitution clearly states that “if the government has guns, then the people should have guns too.”

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A well-regulated militia is necessary for a free state's security, and the people's right to keep and bear arms shall not be infringed upon.

(よく規律された民兵は、自由な国家の安全に必要であるため、人民が武器を保持し、携行する権利は侵害されてはならない)

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# この引用が妥当かかどうかは、私も「?」とは思うところがありますが、このまま進めます。

# I'm unsure whether this quote is appropriate, but I'll go on.

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日本の銃規制は、「武力による市民の権力奪取を認容しない」ということであり、権力側に著しく有利な規制のようにも思えます。

Japan's gun control policy is based on the idea that “we do not accept the use of force to seize power from citizens,” and it seems to be a regulation that is highly advantageous to the side in power.

しかし、我が国においては、警察官が銃を向けるだけで事件となり、発砲したら大事件になります。

However, in Japan, if a police officer points a gun at someone, it becomes a case, and if they fire, it becomes a significant incident.

また、私が知る限りにおいて、自衛隊が"市民"に向けて武力行使をした、ということもありません("市民"の定義がちょっとキモなんですけど ―― 興味のある人は調べて下さい)。

Also, to the best of my knowledge, the Self-Defense Forces have never used force against “civilians” (the definition of “civilian” is a bit weird - if you're interested, please look it up).

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昨日、私の家の近くの大学キャンパス内の講義中に、学生の一人がハンマーを振り回して、8人の学生が負傷する事件が発生しました。

Yesterday, during a lecture on the campus of a university near my house, one of the students swung a hammer and injured eight other students.

これは大事件なのですが、その時、私はふと思いました。

This was a significant incident, but at the time, I suddenly thought to myself:

もし、日本に、世界一厳しいといわれる銃規制の法律がなかったとしたら ―― 米国の学校銃乱射事件と同じように、何人もの死傷者が発生していたということだ、と。

If Japan did not have the world's strictest gun control laws, then, just like the school shootings in the United States, there would have been many casualties.

そんなことを考えていたら、ゾっとしてきました。

As I thought about this, I started to feel cold.

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銃の所持の正義やロジックがどうであれ、私は「人が簡単に殺されない社会」の方が絶対にいいです。

Whatever the logic or justification for gun ownership, I prefer a society where people are not killed so easily.

―― 「SNSでの誹謗中傷はやめよう」とは言う人はいても、「SNSを使うのをやめよう」と言う人はいない

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ちなみに、今回の被疑者は韓国籍の学生のようですが、この事件で特定の外国の人全体を差別するようなテンプレなDisは止めましょうね。

Incidentally, it seems that the suspect in this case is a student of Korean nationality, but let's not make blanket generalizations about people from a particular country because of this incident.

そんなことしたら、日本人の過去の事件の中でも「特にもの凄い奴」を持ち出されますよ。

If you do that, they'll bring up the “particularly terrible guys” from among the Japanese people's past incidents.

かつて、日本人は、イスラエルの人々に対して、ハマスと同じことをやったことがあります。

2025,江端さんの忘備録

私の嫁さんは「忠臣蔵は日本人の精神的支柱である」との持論を持っており、近年、忠臣蔵のNHKの大河ドラマが放映されていないことに、強い危機感を抱いています。

My wife believes that “Chushingura is the spiritual pillar of the Japanese people,” she feels a strong sense of crisis that NHK's long-running historical drama series based on Chushingura has not been broadcast in recent years.

というのも、娘たちが、『忠臣蔵? 何それ?』という反応をしたことに、ショックを受けていたことに起因します(と記憶しています)。

This is because she was shocked by the reaction of my daughters, who said, “Chushingura? What's that?” (at least, that's what I remember).

私が、「忠臣蔵」という"コンテンツ"に対して、各種の検討をしてきたことはご存知かと思いますので、今回は割愛します。

I'm sure you know I've done various studies on the “Chushingura” content, so I'll skip that now.

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昨夜、ちょっと面白い夢を見ました。

I had a rather interesting dream last night.

『大石内蔵助と吉良上野介による公開討論会』です。

This is a public debate between Oishi Kuranosuke and Kira Kouzukenosuke.

両者が、(権力(江戸幕府)の息のかかっていない)第三者の屋敷(商人の屋敷)で、庶民を傍聴人として、直接討論を行うというものです。

The two would debate directly in the presence of familiar people, in the residence of a third party (a merchant) who was not under the control of the government (the Edo shogunate).

この公開討論会の目的は、「双方が自分の正当性を主張しあう」よりは、むしろ「この事件に至ったバックグラウンドや動機の情報共有を行う」ことにあります。

This public discussion aims not to “argue over whose side is right” but to “share information about the background and motives that led to this incident.”

その上で、武力行為に及ぶのであれば、それはそれで良い、と。

And if it comes to armed action, it is OK.

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忠臣蔵は、そもそも創作物ですが、日本史上もっとも二次創作が多い作品の一つです。

Chushingura is a work of fiction, but it is one of the most heavily reworked works in Japanese history.

現時点で『大石内蔵助と吉良上野介による公開討論会』という観点の創作は、まだ"ない"のではないかな、と思っています(ウラは取っていません)。

At this point, I don't think any creative work takes the perspective of “a public debate between Oishi Kuranosuke and Kira Yoshinosuke” (I haven't checked).

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今、これを忘れないようにメモしている訳なのですが、まあ、「これを映画にするのは難しい」というのであれば、アバターAIのBOTによる議論、というのも良いのではないか、と考えています。

I'm writing this down now so I don't forget it, but if making this into a movie is challenging, I think it would be good to discuss using Avatar AI bots.

大石内蔵助のAIエージェントと吉良上野介のAIエージェントが、SNSで討論をする、というのであれば、実現性は上がるのではないか、と。

If Oishi Kuranosuke's AI agent and Kira Kouzukenosuke's AI agent were to debate on social networking sites, I think the feasibility would increase.

これ以外にも、歴史上の人物をAIエージェントとすることで、各種の新しいコンテンツが、ネット上で大量発生すると思います。

In addition, I believe various new types of content will be generated in large numbers on the internet using AI agents to represent historical figures.

なにしろ対象は歴史上の人物で、故人ですので、フェイクニュースとかの心配も不要です。

After all, the subject is a deceased historical figure, so there is no need to worry about fake news or anything similar.

あたらしいエンタメの一形態として、面白いのではないかと考えます。

I think it would be an interesting form of new entertainment.

―― という卒論のテーマを提供します。学生の皆様、是非ご検討ください。

I will provide you with a thesis topic. Students, please consider it.

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実は、この手法、国際外交に拡張もできるかなぁと考えていますが、面倒くさくなってきたので、本日はここまでとさせて頂きたいと思います。

I think this method could be extended to international diplomacy, but it's starting to get complicated, so I guess I'll stop here for today.

 

2025,江端さんの忘備録

移動中や運動中に音楽が聞けるようになれば、世界は変わり、私たちは幸せになるだろう

If we could listen to music while we move or exercise, the world would change, and we would be happier.

書類を自宅から提出できるようになれば、世界は変わり、私たちは幸せになるだろう

If we can submit documents from home, the world will change, and we will be happy.

移動中や運動中にテレビが見れれば、世界は変わり、私たちは幸せになるだろう

If we could watch TV while we're moving or exercising, the world would change, and we would be happier.

定額で映画が好きなだけ見れれば、世界は変わり、私たちは幸せになるだろう

If we could watch as many movies as we like for a fixed price, the world would change, and we would be happy.

自宅で仕事ができるようになれば、世界は変わり、私たちは幸せになるだろう

If we can work from home, the world will change, and we will be happy.

銀行や役所で列に並ばずにすむようになれば、世界は変わり、私たちは幸せになるだろう

If we can avoid queueing up at banks and government offices, the world will change, and we will be happier.

なるほど「世界は変わった」。でも「私たちは幸せになった」のか?

I see, “The world has changed.” But have “we” become happier?

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もっと具体的に言えば、

To be more specific,

計算機の速度が、今の1000倍早くなって、エクセルで扱えるセルが1万倍に増えたら、一日の仕事は1時間で終ってしまうじゃないか。

If the speed of computers increased 1000 times and the number of cells that Excel could handle increased 10,000 times, then a day's work could be finished in an hour.

そのうち、私たちはやることがなくなるんじゃないか。

Before long, won't we have nothing left to do?

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私は、「そうなってもいい」し、むしろ「そうなるべきじゃないの」って思っています。

I think it's okay if that happens, and I think it should happen.

なのに、なんで、毎年、毎月、毎日、どんどん、息苦しくなっていくんだろう。

So why do I feel like I'm getting more and more suffocated every year, every month, every day?

セキュリティパッチ警告とか、AI倫理基準チェックとか、ライセンス適合性チェックとか、コンプライアンス遵守チェックとか。

Security patch warnings, AI ethical standards checks, license compatibility checks, compliance checks, etc.

もちろん、これらが必要であることは、私も理解してはいるのです。

Of course, I understand that these things are necessary.

ただ、もう、言いようがないほど「息苦しい」。

However, it is so stifling that I can't find the words to describe it.

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昔、コンピュータは、私たち一部の人間だけが扱っていました。

In the past, only a few of us could use computers.

テクノロジーの進化によって、コンピュータを多くの人が使えるようになりました。それは、とても良いことだと思います。

Thanks to advances in technology, computers are now accessible to many people. I think that's a very good thing.

しかし、このコンピュータリテラシーの拡大と発展によって、コンピュータがもたらす問題は、もはや、会社や国家の存続を揺るがしかねないものにまでなってしまいました。

However, due to the expansion and development of computer literacy, the problems caused by computers have become something that could shake the very existence of companies and countries.

『テクノロジーが人を幸せにする』などと尊大なことは言いませんが、テクノロジーが『苦痛を拡大している』という状況の中にいることに、私はジレンマを感じます。

I don't want to sound pompous by saying things like “technology makes people happy,” but I feel a dilemma where technology is “exacerbating pain.”

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たしか、どっかの会社(グループ)の企業理念は、「技術で社会に貢献する」だったように記憶しています。

One company's (group's) corporate philosophy was “to contribute to society through technology.”

しかし、最近の私は、「技術で社会に貢献する」というフレーズ自体が、怪しいんじゃないか? とか、考えるようになってきています。

However, I have recently started to wonder whether the phrase “contributing to society through technology” is suspicious.

むしろ「カルトで社会に貢献する」の方が、(人によっては)分かりやすいのではないか、と。

I think that “contributing to society through a cult” is easier to understand (for some people).

うん、私、やっぱり疲れているんだ、と思います。

Yeah, I think I'm tired after all.

―― なんだ、これなら、「幸せな来世の為に、現世で功徳を尽くせ」と主張している宗教(カルトを含む)の方が、まだマシじゃねーか

2025,江端さんの忘備録

私が新人の頃、「マンガやアニメは世界に日本人を語る重要なコンテンツとなる」と熱く語る上司がいました。

As a new employee, I had a boss who was passionate about the idea that “manga and anime are important content that can be used to talk about Japanese people to the world.”

まあ、当時は、ジブリなどが、すでに世界進出を成し遂げていましたが、現在のような巨大なマスとなるとは、私も予想しませんでした。

At the time, Ghibli and other companies had already achieved global success, but I never imagined they would become such a massive mass as they are today.

NHKスペシャル 新ジャポニズム 第1集MANGA わたしを解き放つ物語を見ていて、イスラム社会における厳密な性のタブー(はっきり言えば、同性愛です)を、もしかししたらマンガ/アニメが、『ソフトランディング』させるかもしれない、と考えると、ワクワクしてしまいます。

Watching the NHK Special: New Japonism, Vol. 1: Manga - A Story That Sets Me Free, I get excited when I think that manga/anime might be able to 'soft-land' the strict sexual taboos (or, to be clear, homosexuality) in Islamic society.

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ちなみに、私は、「政教分離」の真逆である「政教一体」にも、一定の価値を認めています。

Incidentally, I also recognize a specific value in “the integration of politics and religions,” which is the opposite of “separation of politics and religions.”

『多様な価値観』というのは良いことだとは思うのですが、これは果てし無く続くフィードバックの連続であり、正直、私のようなシニアには「ついていくのが、しんどい」のですよ。

I think that “diverse values” are a good thing, but this is an endless series of feedback, and honestly, it's hard for seniors like me to keep up.

比して、統一的な価値観はラクです。特に宗教解釈は、変更がされてにくいですし、国家を運営していくには、こっちのほうがコストが安いはずです("権利"だの、"人権"だのと叫ぶ人間が少ないことは、政府には大変ありがたいことなのです)。

In comparison, it is easy to have a unified set of values. In particular, religious interpretations are difficult to change, and it is cheaper for the government to run the country (“It is very much appreciated by the government that there are not many people shouting about ‘rights’ and ‘human rights’”).

# ちなみに、私が語っている「統一的な価値観」とは「宗教をベースとした原理主義」とか「マルクス・レーニン主義」くらいの単純なもので、非常に狭い範囲であることを、あらかじめご了承下さい("稚拙な知識"の批判は甘んじて受けます)。

# By the way, please note that the “unified values” I am talking about are something as simple as “religious fundamentalism” or “Marxism-Leninism” and that they are very narrow in scope (I will accept any criticism of my “shoddy knowledge”).

しかし、統一的な価値観による国家運営は、新しい価値の創生を邪魔し続けることになります。なにより、統一的な価値観は、私の思想の自由(一言でいえば「ブログ」の掲載です)を妨害する方向に働くはずです("必ず"です)。これは、私には困るのです。

However, managing a country based on a unified set of values will continue to hinder the creation of new values. Above all, a unified set of values will work to obstruct my freedom of thought (in a word, the publication of my blog) (“it is certain”). This is a problem for me.

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世界で一番読まれてきた本は、「聖書」です。

The most widely read book in the world is the Bible.

2番目に読まれてきた本は、「資本論」です(以前、私、これを「ドラえもん」と記載しましたが、今回、修正します)。

The second most-read book is “Das Kapital” (I wrote “Doraemon” for this book before, but I will correct it this time).

いずれの本も、世界の価値観を構築してきた、二台巨頭と言える書物です。

Both of these books are the two great books that have shaped the world's values.

で、ふと、考えたんですよ。

Then, I suddenly thought about it.

もし、日本のアニメやマンガが、「イスラム」や「共産主義」の思想と共存しながら、ソフトランディングさせるコンテンツになるのであれば ―― それらは「聖書」と「資本論」を超える凄いモノになるんじゃね?

If Japanese anime and manga can become content that coexists with the ideas of “Islam” and “communism” while making a soft landing, then they could become something even more amazing than the Bible and Capital.

って。

そんなこと考えていると、私はワクワクしてしまうんですよ。

Thinking about things like that makes me excited.

2025,江端さんの忘備録

外国の方の日本食の賞賛や日本移住の褒めたたえる記事を、「そうかなぁ?」と疑問に思いながら読んでいます。

I read articles praising Japanese food and immigration to Japan by foreigners with a sense of doubt, thinking, “I wonder if that's true?”.

そもそも、これらの記事が"日本語"で記載されていることに、不信感を覚えます。

To begin with, I distrust that these articles are written in “Japanese.”

これは、日本語以外で記載されたブログやSNSを、日本人が日本語翻訳しているということですよね。

This means some Japanese people translate blogs and SNS written in languages other than Japanese into Japanese, right?

ならば、当然、翻訳するコンテンツを『意識的に選択している』のは、自然なことだと思います。

Then, of course, it is natural that you are 'consciously selecting' the content to be translated.

「日本バンザイ」の記事は、日本人読者のヒット数を稼げるからです。

They write articles like “Banzai Japan” because they receive many hits from Japanese readers.

それに、私も、自分の住んでいる国を褒めてもらえることは、国民の一人として素直に嬉しいとは思います。

Also, as a citizen of the country, I think it's natural to be happy when people praise the country I live in.

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私が、気持ち悪いなぁ、と思うのは「バランス」です。

What I find weird is “balance”.

■『日本のラーメンなんぞ、喰えんたもんじゃない』とか、

'Japanese ramen is not something you can eat,' or something like that.

■『英語すら通じないって、どんな不便な国だよ』とか、

'What kind of inconvenient country is it where you can't even get by in English?', etc.

■『アニメの中の日本人と、実際の日本人は全然違うぞ』とか

'The Japanese in anime are entirely different from real Japanese people'.

そういう記事が、50%とは言わなくても、10%くらい入っていると、安心感が得られるのですが。

If articles like that were included, even if it wasn't 50%, if it were around 10%, it would comfort me.

統計学的に、そういうコメントが"ない"はずがなく、そういうコメントを読まないと、私は「日本バンザイ記事」も、今一つ、信用できないのです。

Statistically, there is no way such comments would not exist, and unless I read them, I cannot trust the “Japan Banzai article” either.

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ただ、前述した通り、我が国をディスる記事は、これからも登場しません。PVが稼げないからです。

However, as mentioned above, articles that mock Japan will not appear. This is because they cannot make any PVs.

上記の仕組みを理解した上で、私たちが「日本スゴイ」の記事を読んでいるなら問題ないのですが ――

If we understand the above mechanism and read articles about “Japan is amazing,” then there is no problem.

かつて、我が国は、世界最強の軍事国家(当時のロシア)に大勝し、そのまま「日本バンザイ」「日本スゴイ」を自己肥大化させ続けて、別の世界最大(工業力50倍以上)の軍事国家(当時の米国)に戦争ふっかけて、日本の国土を焦土にした過去があります。

In the past, our country won a great victory over the world's strongest military nation (Russia at the time), continued to inflate itself with “Japan Banzai” and “Japan Sugoi,” provoked war with another world's greatest military nation (the United States at the time, with over 50 times the industrial power), and scorched the Japanese land.

『太平洋戦争と同じような状況になれば、歴史の教訓があろうがなかろうが、私たちは再び開戦してしまう』

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私が何を言いたいのかというと、

What I'm trying to say is that.

――「日本バンザイ」「日本スゴイ」を真に受けて浮かれて、大転けした過去が、我が国にはある

"There was a time in our country when we were so carried away by the idea of “Banzai Japan” and “Sugoi Japan” that we ended up making a big mistake."

ということです。

2025,江端さんの忘備録

ネットで「95キロの太ったオレが彼女を作るには」という質問を見ました。

I saw a question on the Internet that said, “How can I, a 95kg fat guy, get a girlfriend?”.

これが唯一解ではないかもしれませんが、私なら「30kgの減量」をお勧めしたいと思います。

This may not be the only solution, but I recommend “losing 30kg”.

これは、プロの意見でもあります。

This is also the opinion of a professional.

女性:「では、先ず、ダイエットをしましょうか」

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また、世界中の人が、ダイエットに価値を見い出していることは、統計的にも明らかです。

It is also clear from statistics that people worldwide see value in dieting.

photo

(↑コラムに飛びます)

(Jump to the column)

photo

(↑コラムに飛びます)

(Jump to the column)

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私がダイエットを勧めるのは、それが、絶対的な意味において実現可能であるからです。

I recommend dieting because it is feasible.

―― 喰わなければ、痩せる

"If you don't eat, you'll lose weight."

もちろん、相当な苦痛は伴います(空腹は苦痛の最たるものです)し、ちゃんとコントロールしないと健康被害もでます。

Of course, it is accompanied by considerable pain (hunger is the worst kind of pain), and if you don't control it properly, it can also be harmful to your health.

ただ、私は適正体重(×過剰減量)に戻すことによる健康被害というものを、イメージできませんが。

However, I can't imagine the health risks of returning to a normal weight (x excessive weight loss).

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「95キロの太ったオレが彼女を作るには」の質問者の意図は、

I assumed the questioner meant, “How can I, a 95kg fat man, get a girlfriend?”

(1)私は減量という苦痛を伴わずに彼女を作りたい

(1) I want to make a girlfriend without the pain of losing weight

(2)ルッキズムに影響されない彼女が欲しい

(2) I want a girlfriend who is not influenced by looks

のいずれかと推定しました。

上記(2)であれば、その彼女が「95キロの太った彼女」であっても、問題とならないはずです。

If his intention is (2) above, it should not be a problem even if she is “a 95kg fat girl”.

もし、それを問題にするなら、さすがに、私も、それは「図々しい」と思います。

If you make an issue of it, I think it's “audacious” of me, too.

質問者は、「95キロの太ったオレ」が問題であることは認識しているようです。

The questioner seems aware that the problem is “me, who weighs 95 kg and is overweight."

ならば、その問題を取り除いてから、次の対策を考えるべきでしょう。

If so, he should remove that problem and consider the following countermeasure.

これは、プログラムのデバッグと同じです。

This way is the same as debugging a program.

とは言え、私は『問題を正しく認識した上で、あえてその問題から目を背け続けて、別の問題に視点を移す』という人、けっこう好きですけどね。

I like people who “recognize a problem correctly but then deliberately turn away from it and shift their focus to another problem.”

私と同じですから。

Because he is the same as me.

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最後に、皆さんをガックリさせるだろうお話をします。

Finally, I will tell you a story that will likely make you feel down.

私の友人の一人は、ダイエットに挑み、見事に成功しました(私も確認しました。同性の私から見ても、随分、格好よくなりました)。

One of my friends tried to lose weight and succeeded (I checked, and even from my perspective as a man, he looks much better).

しかし、彼は、『ダイエットに成功したが、状況は全く変化しなかった』と看破して、元の体重(ダイエット前の体重)に戻っていきました。

However, he realized that 'although he had succeeded in losing weight, nothing had changed at all' and returned to his original weight (the weight he was at before he started dieting).

『ダイエットは、有力な解ではあるが、唯一解ではない』を、この友人は、見事に私に検証して見せたのです。

He showed me brilliantly that “dieting is a good solution, but it is not the only solution.”

2025,江端さんの技術メモ

今で言う投稿サイトに"fj"というものがありました。

There was a posting site called “fj” back then.

かつて、そこでは、『「ナンバーディスプレイ通知」の是非』について、熱い議論が交されていました。

In the past, there were heated debates about the pros and cons of “number display notification.”

「ナンバーディスプレイ通知」とは、相手先の電話番号がスマホに表示されることです。

'Number display notification' is when the other party's phone number is displayed on your smartphone.

今となっては、『何のために、そんな議論をしていたんだろう』と思われるかもしれません。

Now, you may be thinking, 'What was the point of all that discussion?

ですので、当時のことを思い出しながら書いてみます。

So, I'll try to write about it while remembering what happened back then.

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(1)プライバシー保護: 発信者の番号通知がプライバシー侵害につながる可能性が懸念された。

(1) Privacy protection: There were concerns that caller ID could violate privacy.

(2)受信者の権利: 受信者の利便性と発信者の匿名性の対立が議論された。

(2) Recipient's rights: The conflict between the recipient's convenience and the sender's anonymity was discussed.

(3)迷惑電話対策: 迷惑電話抑止の利点と偽装番号などの新たな問題が指摘された。

(3) Measures against nuisance calls: The benefits of discouraging nuisance calls and new problems, such as spoofed numbers, were pointed out.

(4)法的・技術的課題: 技術や料金、法整備が利用者の選択肢に影響を与えるとされた。

(4) Legal and technical issues: Technology, fees, and legal developments are said to affect users' choices.

(5)社会的影響: ナンバーディスプレイ普及によるコミュニケーションの変化が懸念された。

(5) Social impact: There were concerns about changes in communication due to the spread of number display.

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今となっては、「相手先の電話番号が表示されない」ということ自体、意味が分からないと思うのですが、当時は、『発信者のプライバシーを保護する』という、考え方があったのです。

Nowadays, I find it incomprehensible that the other party's phone number is not displayed, but at the time, there was a concept of 'protecting the privacy of the caller.'

この議論は、「ナンバーディスプレイ通知サービス = 是」とする側が優位だったように記憶しております。

I remember that the side that said “Number Display Notification Service = Good” was in the majority.

理屈はシンプルでして「ナンバーディスプレイ通知 = 非」とする人は、ナンバーディスプレイ通知サービスを使わなければ、それで足るだろう、という理由でした。

The logic is simple: if you don't use the number display notification service, it should be sufficient to set “number display notification = bad.”

ただ、これを個人の自由選択の問題に矮小化してしまえば、『発信者のプライバシーを保護する』という考え方そもののが消滅することが公共の利益に反する、という主張もあり、私は、それはそれで一理あったと思います。

However, suppose this is reduced to personal freedom of choice. In that case, there is also the argument that the idea of 'protecting the privacy of the sender' itself will disappear, which is contrary to the public interest, and I think that has a point.

この問題は「SNSの匿名性」の問題と形を変えて、引き継がれているように思います。

This problem has been passed on differently as the “anonymity of SNS” problem.

今は、(1)完全キャッシュレス決済、(2)現金決済との併存、という意見の論争があるようです。

There seems to be a debate between the opinions of (1) utterly cashless payment and (2) coexistence with cash payment.

これについては、調べて頂ければ、双方、説得力のある論が展開されていますので、興味のある人は調べて下さい。

If you investigate this, you will find that both sides have developed persuasive arguments. Please do so if you are interested.

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私が思い出すのは「地上デジタル放送」への切替の時の話です。

I remember the story of the switch to terrestrial digital broadcasting.

政府は10年も前から、切替を宣言していました(地上デジタル放送への完全移行を2011年7月24日に実施しましたが、この切替計画については約10年前の 2001年 から公知し、その10年間を移行期間としていました)。

The government had been announcing the switchover for 10 years (the complete switchover to terrestrial digital broadcasting was carried out on July 24th, 2011, but the switchover plan had been publicized about 10 years ago in 2001, and the 10 years was set aside as a transition period).

で、いざ「地上デジタル放送」への切替を行う1月前くらいから、マスコミは「高齢者や貧困者」を盾にした「地上デジタル放送反対キャンペーン」を実施はじめました。

So, about a month before the switch to terrestrial digital broadcasting, the media began to run a campaign against terrestrial digital broadcasting, using older people and people with low incomes as a shield.

当然、政府はそれに応じませんでした。

Naturally, the government did not respond.

さすがに、この件に関しては、私は『政府は悪くない』と思いましたよ。

As expected, I thought the government was not to blame.

だって、10年間も移行期間があったんですよ。こればかりは『いざとなったらゴネればなんとかなる』は、通用しないと思いました。

After all, there was a 10-year transition period. In this case, the saying “if push comes to shove, you can make do by complaining” wouldn't work.

私が覚えている限り、この騒ぎは、切替から1~2週間後にはニュースにも出てこなくなりました。

As far as I can remember, this commotion stopped appearing in the news after the switchover, which took place a week or two ago.

大した手間ではなかったからでしょう(あるいは、テレビがなくても何とかなることが、分かったのかもしれません)。

It probably wasn't much trouble (or maybe they realized they could manage without a TV).

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今年は「マイナンバーカード」で、一悶着おきそうな感じがしますが、多分、これも「地上デジタル放送」と同じような結末になるだろうと予想しています。

This year, there has been much fuss about the My Number Card, but I think it will probably be like terrestrial digital broadcasting.

2025,江端さんの技術メモ

以下は現在TCをインストールして設定したラズパイのifconfigです。

pi@raspberrypi:~$ ifconfig
br0: flags=4163<UP,BROADCAST,RUNNING,MULTICAST> mtu 1500
inet 192.168.0.88 netmask 255.255.255.0 broadcast 192.168.0.255
inet6 fe80::ba27:ebff:fe69:5b65 prefixlen 64 scopeid 0x20<link>
inet6 240f:30:a9ce:1:ba27:ebff:fe69:5b65 prefixlen 64 scopeid 0x0<global>
ether b8:27:eb:69:5b:65 txqueuelen 1000 (Ethernet)
RX packets 10040 bytes 750155 (732.5 KiB)
RX errors 0 dropped 0 overruns 0 frame 0
TX packets 1326 bytes 166549 (162.6 KiB)
TX errors 0 dropped 0 overruns 0 carrier 0 collisions 0

eth0: flags=4099<UP,BROADCAST,MULTICAST> mtu 1500
ether b8:27:eb:69:5b:65 txqueuelen 1000 (Ethernet)
RX packets 0 bytes 0 (0.0 B)
RX errors 0 dropped 0 overruns 0 frame 0
TX packets 0 bytes 0 (0.0 B)
TX errors 0 dropped 0 overruns 0 carrier 0 collisions 0

eth1: flags=4163<UP,BROADCAST,RUNNING,MULTICAST> mtu 1500
ether f4:4d:ad:04:49:d5 txqueuelen 1000 (Ethernet)
RX packets 11626 bytes 1414469 (1.3 MiB)
RX errors 0 dropped 4 overruns 0 frame 0
TX packets 1326 bytes 166549 (162.6 KiB)
TX errors 0 dropped 0 overruns 0 carrier 0 collisions 0

lo: flags=73<UP,LOOPBACK,RUNNING> mtu 65536
inet 127.0.0.1 netmask 255.0.0.0
inet6 ::1 prefixlen 128 scopeid 0x10<host>
loop txqueuelen 1000 (Local Loopback)
RX packets 6 bytes 234 (234.0 B)
RX errors 0 dropped 0 overruns 0 frame 0
TX packets 6 bytes 234 (234.0 B)
TX errors 0 dropped 0 overruns 0 carrier 0 collisions 0

wlan0: flags=4163<UP,BROADCAST,RUNNING,MULTICAST> mtu 1500
inet6 fe80::ba27:ebff:fe3c:e30 prefixlen 64 scopeid 0x20<link>
ether b8:27:eb:3c:0e:30 txqueuelen 1000 (Ethernet)
RX packets 0 bytes 0 (0.0 B)
RX errors 0 dropped 0 overruns 0 frame 0
TX packets 23 bytes 3164 (3.0 KiB)
TX errors 0 dropped 0 overruns 0 carrier 0 collisions 0

eth0 → eth1 の方向に bitrateを500
eht1 → eth0の方向にbitrateを300
で設定したい時、入力するコマンドを、 既存の設定をクリアにするところから教えて下さい

以下の手順で、既存の設定をクリアし、eth0からeth1の方向にビットレート500kbps、eth1からeth0の方向にビットレート300kbpsを設定できます。


1. 既存のtc設定をクリアする

まず、eth0eth1tc設定を削除します。

sudo tc qdisc del dev eth0 root 2>/dev/null
sudo tc qdisc del dev eth1 root 2>/dev/null

2. eth0 → eth1 のビットレートを500kbpsに制限する

eth0tcを設定します。

sudo tc qdisc add dev eth0 root handle 1: htb default 1
sudo tc class add dev eth0 parent 1: classid 1:1 htb rate 500kbit ceil 500kbit

3. eth1 → eth0 のビットレートを300kbpsに制限する

eth1tcを設定します。

sudo tc qdisc add dev eth1 root handle 1: htb default 1
sudo tc class add dev eth1 parent 1: classid 1:1 htb rate 300kbit ceil 300kbit

4. 設定確認

以下のコマンドで設定を確認できます。

sudo tc -s qdisc show dev eth0
sudo tc -s qdisc show dev eth1

5. オプション: 遅延やパケットロスを追加する場合

例えば、遅延やパケットロスを追加したい場合は、以下のように設定します。

eth0 → eth1 に遅延を追加(例: 50ms)

sudo tc qdisc add dev eth0 parent 1:1 handle 10: netem delay 50ms

eth1 → eth0 にパケットロスを追加(例: 10%)

sudo tc qdisc add dev eth1 parent 1:1 handle 10: netem loss 10%

この設定により、双方向の帯域制御が行われます。必要に応じて、burstlatencyのオプションを追加してください。